2020/11/11

旅先で食べたくなるもの [DAY 6]



連日、岩山の写真ばかりですみません。ザイオン国立公園はこれで最後です。

ロードトリップ6日目、ザイオン国立公園から南へくだって、グランドキャニオンへ。

東側のエントランスから出るので、もう一度長いトンネルを通って、公園の東側の岩山たちを眺めることができました。

国の政治がどんなにひどいことになっても、戦争のあいだも、疫病が蔓延しているときも、国ができる前から、人が来て住みつく前から、ずっとここにあった山々。





東側の、アイスクリームのような山。この山を見ているとストロベリーアイスクリームが食べたくなります。





岩肌に縦横のチェックもようがあるので「チェッカーボード・メサ」という名前をつけられた砂岩の丘陵。


このチェック柄は、凍ったり溶けたり、雨や雪を吸収したり乾いたりといった繰り返しのあいだにできたものだそうです。何万回の雨が降ったのでしょうね。



地衣類に覆われて抽象画のような模様になった岩。

複雑なテクスチャと色彩が錦織りのようです。

オーガニックで乱雑でカオスなエネルギーがあるけれど、色彩がとても微細で、心惹かれる。醜くもあり美しくもある不思議。



 

たぶん全米有数の眺めのよい峠道、Zion Mount Carmelハイウェイの道のわきの崖。これは人工的に積まれたもの?

このハイウェイとトンネル(長さ1,711 m)が完成したのが1930年だというのには驚きでした。

T型フォードでこの山道をやってきた人もたくさんいたのでしょうか。

車がなければわたしもこの景色を見ることはできなかったし。


ザイオンには4泊して、外食したのは2回。

南側エントランスのすぐ外にあるスプリングデールの町のレストランはほとんど営業していて、かなり賑わっていました。

たいていは屋内席も屋外席もあって、いずれもテーブルのあいだの距離を離して通常の半分くらいの定員にしているために、待ち時間は夕食時のピークだと30分くらい。




最初の日は日没後に到着して疲れていたので、ホテルの目の前のピザとパスタの店へ。

ピザとパスタとサラダとビール1本たのんで、お値段は50ドル&チップ。この界隈ではリーズナブルなほうだと思いますが、サイゼリヤだったら全部で2000円以下だしきっとサイゼリヤのほうがおいしい。

翌日はタイ料理店でカレーをテイクアウト。たまたま空いていた外のピクニックテーブルで夕陽でオレンジ色になった岩山を見ながら食べられて、なかなか贅沢な気分にひたりました。

どこも観光地値段だし、特段値段に見合うほどおいしいものが食べられるわけでもないようなので、3日目以降はホテルのすぐ近くの大きめのスーパーマーケット「The SOLFOODS」(名前が良い)のデリでテイクアウトしました。サラダやサンドイッチが充実していてかなり美味しく、外食よりずっとコスパが良く満足度が高かったです。

モーテルなので部屋に小さな電子レンジと冷蔵庫があって、助かった。


 

でも、ザイオンに着いてから無性に食べたくなったのは、白いごはんとお味噌汁でした。

スプリングデールには中華料理は1軒あったけれど和食の店はゼロ(たとえあっても、行きたいかどうかは微妙ですが…)。

ふだん毎日和食というわけでもないのに、自分でも驚くほど熱烈に身体がごはんと味噌汁を要求する不思議。日本人はやっぱり疲れていると味噌汁が飲みたくなるのか。

インスタントの味噌汁とレトルトのごはんを持ってくるのだった〜〜!と地団駄を踏みました。

夜ごはんを買いに行った宿のそばのスーパー、「The SolFoods」の棚にレトルト玄米を発見して狂喜。

さいわい、Pちゃんからいただいた貴重な無添加自家製梅干しを少し持参していたので、薄暗いモーテルの部屋で早朝に梅干しと玄米の朝ごはんを食べられて、この上ない幸せをしみじみ噛みしめました。



あらためて実感した、梅干しパワー。

疲れすぎて食欲もなく、少し気分が悪くなってしまったときにも、梅干し一個でかなり回復しました。

梅干しも日数分持っていくんだったなー、そして海苔! 海苔も「SolFoods」にあったけど、あまりにもバカ高かったので買わなかった。

ザイオンでは連日あまりぐっすり眠れず、明け方にふと目が覚めると、ぱりっとした海苔を巻いた梅干しとおかかのおにぎりの幻がちらついて、悲しかった。





旅行のときには体調と気分の管理のためにお茶類を何種類も必ず持っていくのですが、ごはんと味噌汁と海苔という和食セットも、日本国外の旅では必須ですねー。コンビニにおにぎり売ってないからね! 

明治維新後まもなく米国に視察にきたお侍さんたちの一行は、毎日なにを食べていたんでしょう。梅干しを日本から持って行ったのかな、なんて考えてしまいました。

たしかジョン万次郎の伝記で、一緒に漂流して救出されたほかの漁師たちはバタ臭い食事に辟易したけれど、若い万次郎だけは喜んで食べていた、という記述があった気がする。体質もあるのだろうけど、若くて体力があると食べものにも柔軟に適応できるのでしょうね。




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