2020/11/04

かわいい安宿と、聖地の名前  [DAY4]



ザイオン国立公園の南側正面入口のすぐ外が、スプリングデールという小さな町になっています。

ホテルやレストランが並び、ちょっと離れたところが住宅街。

新しいラグジュアリーリゾートもいくつもできていますが、わたしたちの今回の旅はもちろんエコノミーなので、宿は昔ながらのMOTEL。

これは↑↓、そのすぐとなりのコインランドリー。



イームズチェア風の椅子(「なんちゃって」かもしれないけど、最近カフェなどで見かけるペラペラのなんちゃって品よりも、材質も座り心地もよさそうだった。色も素敵)も合板の壁も70年代ぽくてカワイイ。

ザイオンには4泊したので、ランドリーも活用しました。

シアトルのと同じく、マスク着用必須、洗濯ができるまで室内で待機しないこと、などのルールが書かれてあり、70代くらいのおじさんが一人、わたしたちがいた間ずっと、消毒液であちこちの表面を拭いてまわってました。だから中はどこもかしこもピカピカでした。



よくアメリカのロードムービーにでてくるような(部屋で人が殺されていたりする)典型的なロードサイドのモーテルです。おそらく1960年代後半〜70年代の建築。

青年が旅行の1週間前にみつけた宿。ウェブのガイドで高評価だったそうです。





モーテルのオフィスにあった絵葉書(息子撮影)。全景はこんなです。かたちがスペースエイジ風の看板がかわいい。フォントも素敵。そしてこのキッチュで雑多なオフィスと、一見怖そうなフロントのおばさまもいい感じで、楽しかった。





クイーンサイズベッド2台の部屋。狭い。電子レンジと小さい冷蔵庫、テーブルと椅子。

ベッドは寝心地いいとはいえず、岩山の景観に興奮しすぎたせいだとおもうけど、寝苦しくてあまり寝られなかった。リネン類やバスルームは清潔でした。

部屋は暗かったけど、内装は、すごく頑張っているDIYな感じ満載。壁は山のかたちに板を切り抜いて貼ってあるし、天井には雲と青空がww あまり上手でないところがぐっとくる。






窓からのながめ。岩山と、RVの駐車場。





外はこんな眺め。岩山の圧がすごい。

夜は星空が見事でした。



全体はこんなかんじ。プールとバーベキューグリルもあり。

ひなびた宿だけど、公園入口まで車で3分という便利なロケーションだし、とても満足でした。

スプリングデールの町では、バイデン支持のプラカードをけっこういくつも見かけました。
国立公園の町だけに、自然を愛するヒッピー的な人が多いのかもしれません。

当然のことだけど、「赤い州」(共和党支持基盤が強い州)にも「青い」(民主党支持とかいわゆる左派・リベラルな)人たちがいるのだよなー、と、あらためて実感。

メディアやSNSの情報ばかり見てると、世界がフラットで単純なものだとついうすっぺらく錯覚してしまうけれど、とんでもないですよね。





ザイオン滞在3日め、「ザ・ナロウズ」からシャトルで戻り、ビジターセンターの近くの川沿いのトレイルを日暮れまですこし歩きました。





夕日を受けて、灌木のセージブッシュもやわらかくキラキラした色彩になります。



「ヴァージン川」と名づけられた川。

「ZION」(日本語訳の聖書では「シオン」と読むことが多い、旧約聖書の約束の地)といい、まったく勝手な名前をつけるものですね。

でも「ザイオン」という響きはわたしも好き。

この場所に合っている気がする。

いつもは、土地の名前にはもともとそこに住んでいた人たちの言語の名をつけるべきだと考えているのですが(たとえば「レーニア山」は「タホマ」という正式名で呼ぶべきだと思う)、ザイオンにはなぜかそれを感じない。

公園としてこの名を得て、人とのつながりが変わり、それまでとは違う「地霊」をもつ場所になっていったのだと思うのです。

この名前はとても強い磁力のようなものを持っている。





もともと、1909年にタフト大統領が「Mukuntuweap National Monument」という名でナショナル・モニュメントに制定したのですが、1918年に当時の国立公園のディレクターが名前を「ZION」に変更する提案をし、ウッドロー・ウィルソン大統領のときに議会で承認されたそうです(by  ウィキペディア先生




Mukuntuweapというのは この一帯に住んでいたPaiute族の言葉ですが、 Paiuteの人々がこの峡谷周辺をその名で呼んでいたわけではなく、あとから白人が勝手につけたもの。

最初にここを「ZION」と呼び始めたのは、モルモン教徒の入植者だと言われてるそうです。




岩山を双眼鏡でみていて、奇妙なアーチをみつけました。




iPhoneを双眼鏡にくっつけて撮影。

よほどタフなクライマーでなければ登れるような場所ではありません。

倒木のように見えたけれど、砂岩が侵食されてできたアーチ。

19世紀末から20世紀のはじめにここを最初に訪れた敬虔なモルモンの人々は、この壮大な景色に神を感じて、造形に感動したのだろうな、と想像します。

「征服者」(モルモンの人たちも抑圧を逃れてきた人たちだったけれど、もとからいた民族にしてみれば同じですよね)の勝手な感慨だといえばそれまでだけれど、そこにも真摯な祈りと崇敬がたしかにあったはずだし。

ザイオンという場所には、ここを訪れた人たちの一世紀ぶんの感動が深く刻まれていることよ、と、なんだかそんなことも感じました。

やはり、聖書を当然生活の一部として良く知っているアメリカの人々が(とくに、20世紀の初めには、今よりずっと教会に通う人口が多かったのだし)親しくこの場所を体験するために、このザイオンという名前は大きな役割を果たしたのだと思います。

 


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2 件のコメント:

  1. ザイオンの宿、かわいいね。
    いつかロードトリップして典型的なモーテルに泊まってみたいものです。
    プリンの写真はないの?

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    1. うんうん、ぜひ、中西部とか西部の砂漠の町とかのモーテルへ。

      プリンは夜たべたので光がよくなくて出しませんでした。朝撮って出しまーす。

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