『雨のことば辞典』について、ブログに書こうと思っていたのだけど、長くなったのでデジタルクリエイターズのほうに掲載していただきました。
++++++++++++++++++++++
去年の夏帰国したときに、『雨のことば辞典』(講談社学術文庫 ISBN978-4-06-2922239-5)という文庫本を買った。
気象予報官で理学博士の倉嶋厚さんと「雨の文化研究家」原田稔さんの編著。
広重の浮世絵「大はしあたけの夕立」を使った表紙が目について手に取ったら、全国各地に伝わる雨の名前や、雨に関わることば、気象用語、季語、故事にちなむことば、古語や漢語などがたくさん載っている楽しい辞典で、すっかり気に入ってしまった(あとがきによると、単行本は2000年初版らしい)。
日本(中国由来の漢語も含め)にはこんなにたくさん、雨にまつわることばがあるのか!とあらためて目をみはる。
収録されていることばのうち、8割くらいは聞いたことがないかも。
たとえば、
「ふぇーぶやー」
細かい雨を指す沖縄県中頭地方のことば。漢字で書けば「灰降」。
灰のように細かい雨が降る。
「あまくしゃー」
雨がいまにも降りそうな空模様をさす熊本県下益城地方のことば。雨臭い。
「雨承鼻(あまうけばな)」
穴が上を向いている鼻。雨が入る。
「風くそ」
島根県簸川地方で風が止む前に置き土産のように降る雨をさす。風が落としていった残り物。
…なんて、たぶん、知ってても一切実用に役立つ場面はないと思うが、そのことばが実際に使われている(いた)コミュニティを想像すると楽しい。
「卯の花腐し」「こぬか雨」「時雨」「五月雨」など、日本語には優雅な雨の名前がたくさんあるし、雨だけでなく雪、霧、あられ、雹、それに風など、気象に関することばがほんとうに多い。
長い歴史の中で日本人が育ててきた雨や風や雪に関するこまやかな肌感覚と語彙の多さは、きっと世界の言語のなかでも突出しているのではないかと思う。
ことばは先人の思考のエッセンスだ。「言語が思考を作る」というのは言い過ぎだろうけれど、育った環境で身につけたボキャブラリーが考え方や暮らし方のスタイルに影響しないはずがないし、ことばありきで感じ方の様式が決まることもあるはずだ。
ことばや様式が思考を育て、そこからまた新しいことばや様式が生まれていく、というプロセスが文化というもの、だと思う。
中国や日本の文学や絵画には、雨や雪や霧や霞を愛でるものが多くて、だからその語彙も多い。伝えられる語彙が多くなればますますその現象に意識を向ける人も多くなる。
とくに、季節ごとの静かな雨に幽玄なはかなさを感じるのは、もしかして東アジア地域の風土で特別に醸造された感性なのかもしれない。
「新古今集」の秋歌・冬歌編の422首の中には「時雨」の歌が35首も収録されているそうだ。
「木の葉散る しぐれやまがふわが袖にもろき涙の色と見るまで」
(新古今和歌集 五六〇 右衛門督通具)
…みたいに、秋の深まる頃に冷たくしょぼしょぼ降る雨に、はかない人の世のもの寂しい心持ちを重ね合わせてうたう歌が多いようだ。
「日本の風景は水蒸気がつくる」と司馬遼太郎が『坂の上の雲』に書いていて、おおー、なるほどと思った。日本の風物とそこでの暮らしがどれほど水蒸気に包まれているのかは、しばらく日本を離れてから帰ってみて初めて実感できたのだった。
ハワイに引っ越して数年後に一時帰国したときに、夏の東京の夜空が、晴れた夜なのに薄いベールを通したようなくすんだ濃紺だったのが新鮮だった。
ハワイも雨が多い土地ではあるけれど、気象はもっと単純明解というか、コントラストが強くてすっきりしている。ハワイの水蒸気は日本のようにゆっくりとどまらず、夕立を降らせて虹を立てると、すぐに貿易風に吹き飛ばされていく。
ハワイでは、太平洋をわたってくる風が高い山々にぶつかって雲を作り、雨を降らせるのは日本と同じだけれど、貿易風がだいたい一年を通して一定の方角から同じように吹くので、天気がとても予想しやすいうえに、入り組んだ地形によってごく小さな区域ごとに安定した局地的気候が生まれている。
小さな丘陵の谷あいには毎日朝晩必ず雨が降るのに、クルマで数分ほど走ると、めったに雨の降らない完全な乾燥地帯に出たりする。
白人が来る前からハワイに住んでいた先住民は、土地や天気ととても親密な関係を築いていたようだ。ハワイのことばにも、雨の名前はとても多いのである。
Harold Winfield Kentの「Treasury of Hawaiian Words in 101 Categories」(1967年刊)という本には101の分野のハワイ語が収録されていて、雨の名前だけで6ページが割かれている。
たとえば
「Kona hea」は、「ハワイ島のコナの、冷たい嵐」。
「Nahua」は、「マウイ島北東部に降る、貿易風をともなう細かな雨」 。
「Uaka」は、「<白い雨>という意味で、マウイ島ハナの有名な霧」 。
「Ua-moaniani-lehua」は、「ハワイ島プナに降る、レフアの花の香りを運ぶ雨」。
といったぐあい。この本のリストをみる限り、ハワイの雨の名前は「この場所に降るこんな雨」という、きわめてローカルな体験にもとづいたことばが多いようだ。
いま住んでいるシアトルも雨の多いことで有名な土地で、秋口から初夏まで、1年の半分以上はどんより曇ったしている日が多い。
ここの住人は、じめついた天気のことで自虐ネタを言うのが好きだけれど、英語には雨の名前はそれほど多くない。
白人が来る前にここにいたネイティブ部族の人たちの言語に雨や風を表すことばがどのくらいあったのか調べてみたいと思いながら、なかなか実現できないでいる。ハワイ語ほど研究者がいなくて、資料の数もとても少ないようだ。
英語の類語辞典を見ていると、どうも英語の雨の名前には、「土砂降り」「大雨」の表現が多い気がする。とくに、印象的なものはほとんどが大雨に関することばばかり。
「すごい土砂降り」の表現として強烈に印象に残ることばに「rains cat-and-dog」というのがある。 語源は不明で、18世紀なかばにはすでにジョナサン・スウィフトが言い古された表現の一つとして取り上げているという。これを見ると犬と猫が空から降ってくるカオスな画像が頭に浮かぶけど、やっぱりそんな光景を描いた19世紀の滑稽画がフランス語版のWikiに載っている。
参照:こちらのサイト
「cloudburst」は、雲が割れてドバドバ降ってくるような大雨。
「pouring down」も大雨の表現でよく使う。バケツのような容器で水を注いでいる感じの表現。
「shower」は夕立のような強い雨。
「drencher」も一瞬でずぶ濡れになりそうな、圧倒的な土砂降り。
こうやってみると、日本の詩歌のことばやハワイ語の雨の名前のように、雨に心情を重ねたり、雨を愛でる的な態度が感じられることばはあまり見当たらない。
そもそも「雹」と「あられ」の区別もしないで両方「hail」というくらいだから、アングロサクソン系の文化は気象については大雑把なのかもしれない。私は英文学の教養がないので、単に知らないだけかもしれないけど。
傘をさすほどでもない小雨は英語で「drizzle」または「sprinkle」。 どちらも、「オリーブオイルをひとたらし」「砂糖をパラリとふりかける」といった調子で、料理の手順の説明によく使われる。
和英辞典で「こぬか雨」は「light drizzle」とされている。 小雨の名前にも能動的な動きが透けてみえるところが、情景描写寄りの日本の雨のことばとは違うなと思う。
雨に関する英単語で、「Petrichol(ペトリコール)」というのをつい最近知った。 「長い間乾いていた土地に、久しぶりに雨が降るときの匂い」という意味。
あの「雨の匂い」に名前があったとは知らなかった!
雨についての感受性が飛び抜けて豊かな日本語に、これに対応することばがないのは不思議な気がする。
これは1964年にオーストラリアの学者がギリシャ語から作った造語。ということは、世界のどの言語にも、これに対応することばがなかったってことなのだろう、たぶん。
この雨の降り始めの匂いは、土に含まれている植物由来の油と化学物質が雨粒によって空中に放出されて人の鼻に届く香りなのだそうで、雨粒が地面を打ってその微細な香り物質が空中に放出されるメカニズムをMITの研究者が映像でとらえたスローモーションビデオもある。
すごいです!
感覚を表現する新しい語彙が、サイエンスの分野から出てくるのが興味深い。
(参考)
http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/5/52392/20160528120004110004/erc_035_023_030.pdf
0 件のコメント:
コメントを投稿