『The Imitation Game』(イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密)を観てきました。
おもしろかったです。
第二次世界大戦中、ナチスドイツが使用していた超難しくて解読は不可能と言われていた暗号「エニグマ」を解読するため、コンピュータの前身であるマシンを開発した中の人、アラン・チューリングさんのお話。
もの寂しい、美しいドラマに仕上がっていました。
以下ちょっとネタばれです。
ベネディクト・カンバーバッチの演じる天才数学者チューリングさんは、頭は超人的に良いけれど他人のことはハナクソ同然に扱う『シャーロック』とほとんど同じ路線のキャラクターとして描かれていました。あの冷血でシャープなテレビのシャーロック・ホームズをもっと繊細にした感じ。
この映画のチューリングさん像は、人付き合いの才能がほぼ完全に欠落していると同時にきわめて繊細な神経の持ち主で、しかも同性愛者であったために後年不遇な目に遭う、孤独な人。
自分が開発したマシンに、若くして死んでしまった親友(寄宿校時代に恋心を抱いていた相手)の名前をつけて、「クリストファーは、ずいぶん賢くなって来たんだ」なんて語るような、ロマンチックなところを見せて、腐女子魂をくすぐります。
実際のチューリングさんは、もっとオープンでユーモアがあって、友人も多く、機械に名前をつけて呼ぶようなことはなかったそうですが。
同性愛が1950年代の英国では違法行為であったことは、事実。
そして、たった半世紀前にそんなことが、とちょっと今からは信じられないようですが、同性愛を治療すべき病とみなして、違反者にホルモン治療が義務付けられていたのも事実。
そしてエニグマ解読が国家機密として戦後50年間隠されていたのも事実です。
映画では、戦争が終わって10年近く経とうとしている1950年代、エニグマ解読というチューリングさん達の偉業を当然ながら何も知らないロンドンの刑事が「なんだかこの教授は怪しい。スパイじゃないのか」と、周辺を嗅ぎ回りはじめます。
そして同性愛行為で逮捕されたチューリングさんに、 いろいろ質問するのです。
その刑事にチューリングさんが答えて、エニグマ解読マシン開発の秘密を打ち明けるという形で話が進んでいきます。
話を聞いて心動かされた刑事が、マシンは人のようにモノを考えるようになるか?と質問します。
チューリングさんは、こういいます。
それは下らない質問だ。
マシンはもちろん人のようには考えることはできない。マシンは人とは違う。
マシンは人間とは違う考え方をするのだ。
興味深い質問は、こうだ。
何かがあなたと違う方法でものを考えるとしたら、それは考えていないということになるのだろうか?
この映画に描かれた孤独なチューリングさんは、論理の通じない人間との間には心を通じさせることが出来ず、むしろ、自分が生み出した考えるマシンとの間に絆を感じているようです。
最近、特に去年ウィリアム斎藤さんのレクチャーで「技術的特異点(シンギュラリティ)」について話を聞いてからというもの、人工知能の成長具合と、マシンと人間の行く末についてとても興味を惹かれています。
ホンモノのチューリングさんは、
「機械が思考する方法がひとたび確立したならば、我らの如きひ弱な力はすぐに追い抜いて行くだろう」
と予言していたそうです。(byウィキペディア)
人工知能というのは『マトリックス』に描かれたような、人間を支配するようになる底知れない恐ろしい力か、良くても冗談の通じない人のような、個性もひらめきもない味気のないもの、というイメージだったんですが、このところ、もしかして進化した人工知能は人間よりもずっと「ヒューマン」な心を持つようになるのではないかと思えてきました。
この映画でも、いじめられっ子だったチューリングが
「人はなぜ暴力に訴えると思うかね?気持ちが良いからだよ」
と同僚に言う場面があります。
本能とホルモンともろもろの身体の制約に縛られている私たち人間と違って、マシンは暴力を気持ちよいと思うことは少なくともないはずだし、自分のせせこましいエゴを満足させるために人や自分より小さなものをいじめたり、国や制度のためだと言いはって暴力手段や拷問を正当化するようなこともないはず。
人が求める愛や、ヒューマニズム、社会的平等というのが、もし、ある種の進化的な到達地点なのだとしたら、人工知能は何かの形でそれを完成させるように働くようになるのが必然、と考えることだって、できるのではないか。
人間は他者を愛することもできるけれど、残忍で、無神経で、エゴイスティックで、強欲な生きものでもあります。
でも機械には残忍さやエゴはあえてプログラムしない限り、ない。
記憶が私たちの一部であるとすれば、人工知能は人間が生み出す第二の人類、または人類のエクステンション、といえなくもない。
コンピュータの先祖であるマシンに向き合うこの映画のチューリングさんは、コンピュータの中にそんな無垢な、ちょっと天使のような存在を感じて、友情を抱いていた人として描かれていました。
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