2013/02/28

ロバート・E・リー・ホテルとフリーダム・ライダー <ジャクソン 2>


ミシシッピ州ジャクソンの州議事堂の向かいにある州最高裁判所。


その数ブロック先にあるロバート・E・リー・ビルディング。
今は州政府関連のオフィスが入居してます。もとはジャクソン白人社会の社交の場だった Robert E. Lee Hotel 。

ヘルプ 心がつなぐストーリー』にも、何度も登場します。
スキーターとスチュワートのデートもここだし、クライマックスの慈善パーティもここ。

ウィリアムの運転するオールズモビルで、ロバート・E・リー・ホテルへ向かう>(『へルプ 心がつなぐストーリー』上巻 201p)

来賓たちはロバート・E・リー・ホテルに到着し、バーでカクテルアワーを楽しむ。八時には、パーティ会場へつづくラウンジ・バーの扉が開放される。窓には緑色のビロードの優美なスタイルのカーテンが垂らされ、赤い実をつけた本物の柊のブーケが飾られている>(下巻 143p)


前庭とドライブウェイのある広い敷地に立っている建物を想像していたので、町の真ん中でほかのビルと身を寄せているのは、ちょっと意外でした。

映画で使われたのは、ジャクソンから北へ60マイルほどの場所にある町グリーンウッドの裁判所。 こちらです。
映画の撮影はほとんどがジャクソンではなくてグリーンウッドの町で行なわれています。
主な撮影場所のリストはこちら



 ロビーも思ったより狭い。でも南部らしくきらびやかな内装は当時の面影をそのまま残しています。

州の役所が入っているので、残念ながら入れるのはロビーだけでした。ものすごく暇そうなやる気のなさそうなお兄さんが一人、ロビーの入口で入って来る人をチェックしてました。


エレベーターにはロバート ・E・ リー将軍の肖像が。


ホテルのオープンは1930年。南北戦争敗北から半世紀以上経っても南部ではアイドルだったリー将軍の名前を冠した同名ホテルは、ほかの都市にもたくさんあります。

 このホテル、1964年のThe Civil Rights Act(公民権法)によって南部各州の人種隔離政策が違法とされ、黒人客を受け入れなければならなくなった時にいったん閉館しています。そして数ヶ月後に「プライベート・クラブ」としてこっそり再オープンしたという暗い過去がありました。1969年以降は州が買い上げてオフィスビルとしたので、ホテルとしての歴史はあまり長くなかったのですね。

このビルはホテル兼コンドミニアムとしてリモデルしてはどうだろう、という意見がありますが、わたしもそう思う。

いずれにしても、歴史あるビルに愛着を持つ人がとても多くて、また保存できるだけの土地の余裕があるのはアメリカの良いところ。

同じ道を少し行ったところに、美しい流線型の物体がありました。



スペースエイジの流線型、シンメトリーのシンプルなデザイン、映画館風のひさし屋根とネオンサイン。かわいぃぃー!


映画館かと思ったら、もとグレイハウンド・バスのステーションだった建物でした。


ハウンドのマークもそのまんまに、現在は建築事務所が入居。さすが。


 全然前勉強をしていかなかったのですが、ここは1961年のFreedom Rider 運動で、ワシントンDCから到着した若い白人と黒人の男女学生の「フリーダム・ライダー」たちが大量に逮捕された場所でした。


途中で何度もKKKに襲われ暴行を受け、バスに火をつけられ、何針も縫う大怪我を負いながら目的地を目指した学生たちが全国の注目を浴びて、ケネディ大統領は介入せざるを得なくなって行きます。
最初の「ライダー」たちがジャクソンで逮捕されると、ジャクソンの刑務所を満員にしてしまおうと、次から次へ新しい「ライダー」が到着しました。

公民権運動がピークに向かう最初の大きな曲がり角だった年。『ヘルプ』はその翌年1962年を舞台にしています。お嬢さん育ちのスキーターは大学で文学を勉強していて、故郷の町でそんなことが起こっているのにまったく無頓着だったという設定。

<「そちらで白人と黒人用の乗り合いバス待合所を統合しようという運動があったのをニュースで見たわ」とスタインさんがつづけた。「警察は、四人用の留置所に五十五人もの黒人を押しこめていたわね」>(上巻 184p)


 同じ通りに、もうひとつミッドセンチュリーの素敵な看板がありました。


 こちらはもう長いこと閉鎖されている様子のモーテル。

この看板は、ヒリーに「女子青年同盟」から事実上追放されたスキーターがぼんやりと車を走らせる場面に出てきます。

サン・アンド・サンド・バーは閉まっていた。スピードを落として前を通り過ぎながら、電気の消えたネオンはこれほど生気のないものかと見上げる。車を適当に流しながら、背の高いラマーライフ・ビルの前を通り、黄色い光を瞬かせる街灯の列を抜けていく。まだ夜の八時だが、町は寝静まっていた。この町の人々はあらゆる意味で眠っているのだ
(下巻 195p)


 こちらが優美なラマーライフ・ビル。1925年完成。ラマー生命保険の本部があったビルで、ユードラ・ウェルティの父が重役として働いていたのだとか。

ジャクソンの建物めぐりは観光局のサイトにある「ヘルプ」名所めぐりガイドを参考にしました。



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2 件のコメント:

  1. ライヴ感と歴史を同時に感じさせてくれるレポート、堪能しました~。

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    1. ありがとうございます〜。このロバート・E・リー・ホテルが、読んで持っていた印象と実際の印象の差が一番大きかったです。ブレトンズのソーダファウンテンなどは、ほとんどそのままの印象でした。

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