2011/09/20

盗まれたトーテムポールとシアトル酋長


パイオニアスクエアのつづき。こちらも7月に撮った夏の写真ですみません。

パイオニア・スクエアの中心にあるランドマーク、トーテムポールです。

これ、『HistoryLink』によると、19世紀末、シアトルの町の「パイオニア」たちが船でアラスカに遠足に行って、ネイティブの村Tlingit に立ち寄り、村民がほとんどが漁に行って出払っていたのをいいことに、たくさん立っていたトーテムポールの中の、目についた大きいのを切り倒して勝手に持って帰ってしまったのだそうです。


もちろんTlingitのひとびとは激怒。このポールは、それよりさかのぼること100年も前に、部族のリーダー的存在だった女性を記念するために彫られたものだったのだとか。日本でいったら、ひとんちの留守にあがりこんで仏壇からお位牌を持って帰っちゃうようなものでしょうか。

ひどい話ですが、このころの西洋人は、僻地の蛮人の遺物をオミヤゲに持って帰るのは文明人の当然の権利くらいに思っていたようです。



HistoryLink.orgより。20世紀初頭のパイオニア・スクエア。
持って帰ったトーテムポールは、木材とアラスカのゴールドラッシュで栄えていた町のランドマークとして、当時の町の中心にすえられました。

Tlingit族はアラスカの法廷に訴え、損害賠償として2万ドルを請求しますが、訴えはなかなかまともに聞かれません。結局罰金として500ドル!が支払われて終わりになったんだそうです。

このポールは20世紀になってから放火にあって焼失してしまい、いまあるものは、Tlingitの子孫が、第二次大戦のころに作ったレプリカです。


パイオニア・スクエアのトーテムポールの横には、シアトルに名前を授けた酋長の像もあります。


なにか、なつかしい面影です。日本のだれかに似てる気が。
うちのおじいちゃんにもちょっと似てる。

白人が入植し始めたときの、Duwamish 族の長だった賢人です。
ほんとうは「Si'ahl (シ・アール)」、というような発音の名前だったのを、英語で発音しやすく「シアトル」になったのだそうです。


マンモスの時代から先祖代々住んで来た土地を、白人に明け渡した酋長。どんな心境で、煉瓦の町が出来ていくのを見ていたことでしょう。

パイオニア・スクエアに行ったら、シアトル酋長にも、ぜひ会ってみてください。


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4 件のコメント:

  1. と、とんでもないいわく付きのトーテムポールなんですね!(実は、まだ未見です)罰金だけで返さなかったなんて・・・。
    何年か前に、アラスカのシトカで、アラスカを撮り続けた写真家の星野道夫さんを偲んで、星野さんのトーテムポールを立てるというプロジェクトがあったのですが、凄い労力と思いが込められているということがよく分かるものでした。そりゃあ100年も前の尊敬すべき方のシンボルを勝手に持っていかれたら激怒しますよねぇ・・・。

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  2. ZIZIさん、星野さんのトーテムポールがあるんですね!亡くなった母が星野さんのファンで、実家に写真集がありました。エッセイの『旅する木』、私も大好きです。あの本を読んでからアラスカに憧れてます。シトカにもいつか行ってみたいです!

    『Lonely Planet』には、「アラスカから持ってきたポールが放火にあってなくなってしまったので、新しいのを彫ってもらえないだろうかと、シアトル市の人がTlingit の人にお金を差し出したら、これは最初の分としてとっておく、新しいのにはもう5000ドル、と請求した」というお話がのってるのですが、罰金として500ドル払った、というほうが本当のようです…。

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  3. lonely planetにそんなお話が載っているのですね、面白い~。今度見てみます!Tomozoさんもお母様も星野さんがお好きなんですね!私も、星野さんが好きで留学先をアラスカにしたんですよ~。旅する木、いい本ですよね。写真で物語を語れる人だと思うのですが、それだけではなく、文章も本当に素敵で、あんなに早く亡くなられたのが、残念すぎます。

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  4. おおー、留学先決定の決めてになったほどの星野さんファンだったとはー!
    『旅する木』、控えめな語り口のエッセイですが、とても心を動かされる本でした。
    いつかアラスカに行って氷河とオーロラを見るのが夢です〜!

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