2017/08/01

ノイエ・ギャラリーの育ちの良いお猿たちと激うまトルテ


メトロポリタン美術館のすぐ近くに、ノイエ・ギャラリー(Neue Galarie)という小さな美術館があります。

クリムトやエゴン・シーレの絵があるこぢんまりしたギャラリー、とニューヨーク通のAさんにきいていたので、ここは是非行きたいと思い、2日目のメトロポリタンを早めに切り上げてこっちにも行きました。

ここは館内撮影禁止なので、上の写真のクリムトはメトロポリタン美術館のです。


外観の写真を撮り忘れたので、ギャラリーのサイトからお借りしました。
入り口にはドアマンがいてほんとに邸宅風。

邸宅を改造したほんとにこぢんまりしたギャラリーで、しかも改装中で1フロアしか開いてなかった。


この絵がありました。豪華絢爛。

ここの1階にあるカフェ・サバルスキーで、閉館後にマダムと軽いお夕飯。
ニューヨーク最後のごはんでした。

ザッハトルテが有名で、昼間は行列ができるのらしいけど、もう7時くらいだったので空いていた。


クラシックな店内。お客は白人ばっかりで、五番街の超高級アパートに住んでますみたいな感じのおば様がお金持ちオーラを漂わせておられました。

すぐとなりの席に座ってたのは中年女性2人とそのお嬢さんたち、11歳くらいかな。
ブロンドの可愛い子たちなんだけど、むっちゃくちゃお行儀が悪く、調子にのって猿のように店内を走り回ってウェイターに注意されていた。
お母さんたちは別荘の話に夢中で一向おかまいなし。

こういう子たちがあと数年すると『ゴシップガール』 のお嬢ちゃんたちみたいになるんだよきっと。


アボカドと蟹のサラダにいたしました。
美しい。がお味はごくふつう。 クラシック。


 奥に写ってるメキシカンのおっちゃんのウェイターは機嫌が悪く、「お前はここに何しにきたのか」というような態度でじっと見るのである。
この人はココに立っているのが主な仕事らしかった。

サーブしてくれたウェイターの兄ちゃんは愛想がすごくよかったけど。



トルテは何種類かあって、これはラムの効いたもの。なまえは忘れました。マダムMと山分けにしましたが、甘さ控えめで濃厚で、本当にうまかった〜〜〜〜。

これまでの人生で築いてきたチョコレートケーキとは何かについての考えを根本から改めたくなるくらい、美味しかったですよー。

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2017/07/31

お尻コレクション、マンティコア、飴屋


メトロポリタン美術館、閉館後は観光客が難民のように群がり、大道芸人がエンターテイメントにやってくる。


 メトロポリタンの美しいお尻たち。悲劇の家族のお尻。


くまの家族のお尻。アメリカ館のカフェテリアのところ。
2日連続で、このお尻を眺めながら休憩した。


でもやっぱりナンバーワン美しいお尻はペルセウス。


カレーの市民たち。


大きな手が迫力です。

18世紀のオーストリア製「マンティコアの像」。

ビートたけしに似ておる!

マンティコアってなんだ?とGoogle先生に聞いてみると、

(以下ウィキペディア)

その姿は、体の色は赤く、尾はサソリのそれに似た形状で、そこに毒針があり(毒が無い代わりに矢のように飛び散る24本の棘と数がはっきりしているものや、太い1本というものもある)、それで相手を刺したり相手に槍のように投げつける。3列に並ぶ鋭い牙を持つが、顔と耳は人間に似ている。大きさはライオンぐらいである。走るのが非常に速く、人間を好んで食べる。

…だそうです。ふーん。しかしこのロココのマンティコアは、あまり凶暴そうではないね。



干支の人たち。

そうそう、秦の始皇帝陵で出土した武士たちも来ていました。
展示を見ていると、中国人のおば様から中国語で何か尋ねられ…わかりませんでした。

中国古代の鏡。

美術館は連続2時間が限度かもしれない。それを超過すると、なにかもうどこかがパンパンになって非常に疲れる。


1日半で、いちおう隅から隅まで歩いたものの、エジプトの部屋とかギリシャの部屋とかは文字通り通過しただけ。
モダンアートもアメリカ棟も、さーっと見るくらいの時間しかなかった。


これも有名な、1851年に描かれたロマンチックな絵『デラウェア川を渡るワシントン』。独立戦争の時のジョージ・ワシントンを描いてるやつです。

すんごい巨大な絵だった。今回のニューヨーク旅行では、19世紀のニューヨークの帝国趣味をじっくりとっくり拝見した感じでした。



そしてこちらは1893年にロバート・ブラムさんという画家が描いた『飴屋』。
1890年(明治23年)から1年半日本に滞在したという。



この時代のリアルタイムの記録をカラーで見ることってないので、これはちょっと新鮮で衝撃的でした。
飴細工やさん、わたしは実際見た記憶はないんだけど、うちの母が子どもの頃にはよくお祭りなんかに来てたそうです。

こういうおっさんが、吹きガラスのようにぷぅぷぅ吹いて飴を精巧な形に作るのだとか。
衛生的にはちょっとどうなのよと思うけど。

くらいついて見ている子守の子どもたち、爆睡する赤ん坊、牛丼屋、車屋さん。
うちのお祖母ちゃんもこんな感じで飴屋さんをかぶりつきで見てたのかもー。

こちらはゴヤの絵の一部。
鳥をかぶりつきでみる猫たち。


エル・グレコの部屋。

そういえば、12歳のクローディアは家出中にも「今日はこの部屋のお勉強をしましょう」て、弟と一緒にカテゴリー別に美術の勉強をしてました。

お尻とか猫とか変なケモノを見てよろこんでるおばちゃんとは違いますね。

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2017/07/30

家出少女の隠れ家



メトロポリタン美術館は広いよ、1週間くらいないと全部は観られないよ、ときいていたのだけど、いや本当に広かった。

ヨーロッパ彫刻、ヨーロッパ絵画、中世、モダンアート、アジア・アフリカ、ギリシャ・ローマ、エジプト、アメリカ美術。
どの部屋もちょっとした小美術館以上の規模でした。


そして天井が高い。3階分吹き抜けのスペースもたくさんあって、とにかくスケールが大きい。それこそ、モルガンさんの頃の、さーこれからブイブイ行きますよーというアメリカの勢いが感じられますね。


このスペースの使い方も贅沢だよねえ。


スターバックスのサイレンさんがいた!
16世紀のイタリアのもの。


 もう教会ごと持ってきちゃいました的な。


この柵は18世紀スペインのものだそうです。教会で、合唱隊のいる場所をわける仕切り。
『市民ケーン』のモデルになった新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストさんの財団が寄付したもの。


「American Wing(アメリカ棟)」の吹き抜け。
子どもの頃、カニグズバーグの『クローディアの秘密』という本が好きだった。

12歳のクローディアが弟を連れて、メトロポリタン美術館に家出する話。

バイオリンのケースに着替えを詰めて、閉館時に人がいなくなる時にこっそりと物陰に隠れ、昼間は何食わぬ顔をして美術館を見て歩き、展示してある彫刻について一大発見をする…という冒険の物語。

たしかにこれだけだだっ広いなら子ども2人くらい迷いこんでもわからないかも、なんて思えてくる。1968年の話だから、今よりももっとのんびりしてただろうし。

この話にも、美術品コレクターで、彫像を美術館に寄付したお金持ちの老婦人が出て来るのだった。


手元にいま本がなくて、細かいところはうろ覚えなのだけど、 展示されているマリー・アントワネットみたいなベッドに寝てみたらあんまり寝心地が良くなかった、みたいな場面があったような。
 


そして、たしかクローディアがお風呂の代わりに噴水で水浴びをする場面があったと思うのだけど、その噴水ってこれかしら?


あまりキレイな水ではないよ。

また読み直してみよう。


マダムMも「ここに住みたい♡」とおっしゃってましたが、でも夜中に一人でここに隠れているのは嫌だ。

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2017/07/29

アーヴィング・ペンの吸い殻


メトロポリタン美術館で見たもう一つの企画展は、アーヴィング・ペンの写真展。
これは点数はそんなにたくさんなかったのだけど、充実でした。

私がむかしから大好きな写真家ーの一人。広告写真の神様的な存在です。
亡くなったのは2009年。わりと最近だったのね。

アーヴィング・ペンといえば、Cliniqueの広告写真が有名。


1968年からクリニークの仕事をしていたそうですが、わたしが最初に見たのは80年代後半かな。一時期、日本のファッション雑誌のほとんどが、表紙裏の見開きにクリニークの広告を掲載していた気がする。それが本当に衝撃的だった。

たしか最初に見たのは黄色いローションの写真で、とろりとした液体が生きもののようにリアルで、なんだかわからないけどものすごい迫力だった。

こんなにシンプルなモノをこんなに印象的な写真にすることができるんだ!と、毎回食い入るように眺めていました。

そしてたしか、その頃、東京のどこかでやったアーヴィング・ペンの写真展に行って、そこでまた衝撃を受けたのだった。
 


トルーマン・カポーティのポートレート、1948年。

この後ろが鋭角に閉じた荒々しいほどシンプルな背景が、当時ものすごく斬新だったのらしい。被写体を追い込むようなセット。

でも多分、心理的な意図よりも、静物写真と同じに絵のすべてをコントロールしたいというあくなき執念から生まれたのではないかと思う。


1940年代はじめにヴォーグ誌のアートディレクターだったアレクサンダー・リーバーマンに呼ばれてヴォーグの誌面のレイアウトの仕事を始め、本格的に写真を撮るようになったのはその後なのだそうで、2年後には表紙を撮っている。

ファッション写真も広告業界も黎明期。今から考えたらのどかな世界だったのかも。


ペルーのクスコに旅行して、地元のスタジオを借りて「ちょっと撮らせて」と地元の人を撮ったポートレート。


太めの人のヌード。1949〜50年。
人も静物も、対象そのものの形やありようと、それをどうしたら完成した絵にできるかということにひたすら関心があった人なのだと思う。



 ピカソ氏。


昔、東京で見た展覧会で一番衝撃的だったのが、この煙草の吸い殻シリーズ。

ニューヨークの路上で拾ってきた吸い殻を撮影した連作。
これが広告写真と同じように緻密な構成で撮影され、引き伸ばされて、壁を飾っている。

えーこんなのアリなんだ! と驚き、靴で踏み潰されてマンホールの横に落ちていたような吸い殻が、隅々までコントロールされた画面に置かれると、珍妙で美しい物体に見えてくるのに、ほんとにびっくりした。 精密に現像されて焼かれた「もの」としての銀板写真の美しさを初めてつくづく感じたのも、この連作でした。


このシリーズは1972年の作品。ペンは煙草が嫌いで、メンターとして敬愛していたアートディレクターのアレクセイ・ブロドヴィッチが(ヘビースモーカーだった)が癌で亡くなった後にこのシリーズを作ったそうです。



まだ煙草会社は煙草が健康に悪いと認めず、アメリカがん協会との間で激しいバトルを繰り広げていた時代です。

『マッドメン』にもラッキーストライクの最悪ないじめっ子クライアントがでてきました。

またこの写真が見られて嬉しかったー。やっぱりすごいです。

クリニークの写真を見て以来、世の中にはすごい写真家がいるんだー!と、私の中では崇拝の対象だったのだけど、そのわりに、すげー!だけで満足して、特にこの人の仕事についてもっとしっかり知ってみよう!とかにはならなかったところが残念な、80年代のわたしでした。今あの時のわたしに会ったら、8時間くらいかけて説教したい。でも聞かないんだな、これがきっと。


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2017/07/28

街の性格 シアトルとニューヨーク


先月デジタルクリエイターズに掲載していただいた原稿をアップしてなかったのに気づきましたので、いまさらですがアップします。

ニューヨークとシアトルを比べてみたの記です。




今月、10日間ほどニューヨークに行ってきた。ひょんなことで急に決めた、人生初のニューヨークシティ。
同じ大陸の東と西だけど、8年住んでみたシアトルとはいろんな面で正反対で面白かった。

非科学的で主観的な観光客の感想として、シアトリートとニューヨーカーの特徴をちょっと比べてみた。



だいたいみんな急いでいる。

ニューヨークの人はとにかく歩くのが早い。
みんなどこかすごく急いで行くべき場所があるらしい。

しかし東京と違うのは、誰も信号を守ろうとしないこと。

車が来てないのに赤信号を守っている歩行者は子連れの観光客くらい。左右をさっと見て早足で赤信号を渡っている人々に囲まれていると、ぼーっと信号待ちをしているのは人生に対して受動的すぎる態度であるような気がしてきて、マネして急ぎ足で赤信号を渡らずにいられない衝動にかられる。
別にそんなに急いで行くところはないんだけど。

シアトルの人は、わりと律儀に歩行者信号が変わるのを待っている人が多いのだ。あまりガツガツと前に出るのをよしとしない美学が無言のうちに共有されてる気がする。

車の運転も同様。

シアトルのドライバーは、本当によく道を譲る。

横断歩道でないところに立っている歩行者のためにわざわざ停まってくれることも珍しくない。もちろん横から出てきた車にも、9割以上の確率で道を譲ってくれる。

信号が青に変わったのに前の車のドライバーが気づかずに動き出さない時も、シアトルのドライバーたちはすぐにクラクションを鳴らさず、礼儀正しく1、2秒待ってから、あまり攻撃的に聞こえないように遠慮がちに短くプッと鳴らす。
 
ニューヨークの交差点で信号が変わったのに気づかず動かなかったら、0.01秒の猶予もなくブーブーやられるのは間違いない。
横断歩道を渡る歩行者を待っている車にもすぐ後ろからブーブーブーブー鳴らしてたくらいだから、ニューヨークのドライバーにとってクラクションは単に一種の自己表現なのかもしれない。どの交差点でも必ずブーブー鳴っていないことはなかった。

ニューヨークでは空港からの往復も含め、何度かUberを使った。

空港からマンハッタンへの道で渋滞にはまったので「いつも何時頃が渋滞なの?」と聞くと、運転手さんは疲れた顔で皮肉に笑って「ALL DAY」と答えた。とにかくマンハッタンはいつでも混んでいる。

そしてニューヨークのUber運転手は、みんな運転がものすごくアグレッシブだった。1秒でも早く目的地に着いて次のお客を拾うため、アクロバティックにあっちこっちに車線を変え、ちょっとでも渋滞しているとすばやく別の道に切り替える。

見事な職人業だが、乗ってるほうは生きた心地がしない。
でもたしかに早い。Googleマップでは空港まで58分になってたのに、Uberのアクロバット運転手のおかげで40分もかからなかった。

メキシコシティのタクシーもまじで超人技だったけど、ニューヨークの運ちゃんも動物的カンと、車と一体になっているかのようなはりつめた運動神経が発達しているようであった。


ファッショナブルな人がいっぱい。

シアトルの人の格好はなんとなくみんな良く似てる。

清潔でナチュラルで控えめで、気負わないのが身上みたいなところがある。
シアトルで見かける白人の20代〜40代男子の典型は、チェックのコットンのシャツ、よく手入れされたほお髭、パタゴニアかノースフェイスの薄手のダウン、地元ブランドの革のカバン、といったところ。

女の子も垢抜けた自然志向といった感じで、タトゥーは入れててもメイクアップをしてない子もけっこういる。

IT企業にお勤めの皆さんとカフェのバリスタさんの違いは顔についてるピアスの数とタトゥーの数くらいで、傾向はあんまり変わらない。
そのまま釣りやキャンプに行っても違和感ないようなアウトドア志向のリラックスしたお洒落。

ニューヨークでは、頭のてっぺんから爪先まで気合がはいったお洒落をしている人が、次から次へ町角にあらわれる。

黒人のおばちゃん、イタリアンのおっちゃん、つば広帽子のマダム、『ゴシップガール』に出てきそうなお金持ち系女の子たち、派手なプリントと金のシューズを組み合わせたゲイの男の子。

それぞれ揺るぎない自分の世界にありあまる自信をもっていて、人がどう思うかはまったく気にかけていないらしいのが、壮観だった。


機嫌が悪い人も多い。

ニューヨークでも、アップスケールなカフェとかショップとかお洒落界隈のレストランでは、もちろん店員さんたちはプロフェッショナルなフレンドリーさで接してくれる。

でもニューヨークには不機嫌さを隠そうとしない人も多かった。

観光地のカフェの店員、美術館のチケットカウンターの係員、Uberの運転手、といった人々の中に、ものすごく感じのいい人とものすごく無愛想な人がいる。

シアトルのサービス業でそれほどむき出しに無愛想な人はめったに見ないので、ちょっと新鮮だった。

こういう人々はとくに根性がねじ曲がっているのではなくて、単に客のために自分の不機嫌を取りつくろう必要を感じていないだけなのだ。そう思うとむしろ清々しくさえ見えてくる。

愛想がない人が多いから、すなわち余裕がなくて冷たい人ばかりかというと全然そうでもない。

自転車シェアリングのステーションに自転車を戻して去ろうとしていたら、通りすがりの車の運転手が運転席の窓から「ちゃんとロックされてないよ」と教えてくれた。

道を聞けばみな面倒がらずに教えてくれる。ベビーカーに子どもをのせたまま地下鉄に乗っても、もちろん誰も非難しない。

マンハッタン名物、ごみの山。とにかく道路が汚くてびっくり。
というか、シアトルが例外的に綺麗な街なのかも。

内向的な街と外向的な街。

シアトルはかなり均質な街だ。
街の中心部は圧倒的に、礼儀正しくてリベラルでインテリで所得が高い白人の中流層が多い。マイノリティの多いエリアの文化とメインストリームの文化はおおむねおとなしく共存しているだけであまり混ざることはない。

ニューヨークシティももちろん、層やエリアがいくつもあって住み分けがくっきりしているはずで、たとえば5番街のマダムたちとクイーンズから通ってくる移民の店員の世界は全然違う。

でも、マンハッタンという狭い場所にありとあらゆる多様な世界がひしめきあって隣りあってることで化学反応みたいなものが毎日あちこちで起きて、静かに爆発したり融合したりしてるらしいのが面白い。
 
どちらの街もいま景気は良くて、あちこちで工事中だし、ジェントリフィケーションが進んでキレイになっている。どちらの街もエネルギーが強いけど現れ方が違う。

ステレオタイプを承知でいえば、シアトルは小奇麗で内向的、ニューヨークはガチャガチャしてて外向的。まあそんなラベリングにはあんまり意味はない。

シアトルもニューヨークも、アメリカの中ではものすごく珍しい場所なのは間違いない。

シアトルにおっとりした人が多いのは、IT系のギーク君たちが人口のかなりの部分を代表しているから、だけではなく、冬は温暖で夏は涼しい気候、平均して高い所得、成長産業があること、衝突が少ない社会構成と、自然に囲まれた環境、…といった要素があるんだろうな、と、蒸し暑いニューヨークから帰ってきてぼんやりと思うのだった。

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