2011/09/05
コレクター
ホノルルのLさんちを訪ねたときに撮らせてもらった写真、載せそびれていました。
リビングルームにたくさん飾ってある、素敵な古い硝子瓶たち。
これは全部、ハワイで昔使われていた瓶たちです。
多くは、Lさんの旦那様が掘り出してきたというコレクション。
昔はこういったガラス瓶は、使い終わると汲み取り式のお便所にぽいぽい捨てることが多かったので、古い建物のトイレ跡から、貴重なびんが大量に見つかることがあるのだそうです。
で、もうかなり前の話だそうですが、ひと昔前のコレクターは、取り壊された家があると聞くと、夜中にその現場に出かけていって、一晩かけて、トイレやごみ捨て場と思われるあたりを掘って古いびんを探したのだそうです。
数人で行って、一晩に9フィート!約3メートル!…の穴を掘ったものだとか。
宝探しが終わったら、朝までにまた全部きれいに埋めもどして帰るのだそうで。
「今、同じことしたら逮捕されちゃうよね」と、旦那様笑ってらっしゃましたが…。コレクターの情熱をかいま見るお話でした。
ざらっとした厚いガラスの、ころんとした形の瓶たちのなかには、小指くらいの大きさの、日本語の文字が書かれた秘密めいた薬瓶や毛染め薬などもあって、どんなお店に並んでいたんだろう、どんな人が手にとって使ったんだろう、と思うと興味深いです。
サトウキビ農園の労働者は日系人が7割を占め、ホノルルの町にも日本人向けの旅館が並び、日本語の新聞が何紙も発行されていた明治〜大正のころ、船で日本から運んで来た商品を並べるお店もたくさんあったのでしょう。
そのころの日本の女性たちにとって、日本からの舶来!製品の貴重さっていったら、今のわたしたちが日系スーパーの品数がどうこうとか言っているレベルではなかったはず。
そう簡単に帰れる故郷でもなく。多くの人は二度と日本に帰ることがなかったのですよね。
もう二度と帰ることがないかもしれない国から届く、毛染め…。
これはLさんご自身のコレクションから、「志らが赤毛染 ナイス」。
へろっとしたプロポーションもナイスですw
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2011/09/02
ツインピークスへの旅
少し前ですが、『Twin Peaks』のロケ地、North Bend に行ってきました。シアトルからは車で30分くらい。わりに近所です。
ドラマの設定では、「ツインピークス」町は、シアトルから10マイルではなくて、ワシントン州北東部にあることになっていました。カナダ国境に近い町、という設定だったのでした。カジノ&娼館の『One Eyed Jack(ワン・アイド・ジャック)』 は国境の反対側、カナダに入ったとこにあるって設定でした。
クーパー捜査官も宿泊する重要な舞台「グレート・ノーザン・ホテル」として登場する滝の上のホテルは、外見はそのままだけど今は「Salish Lodge & Spa」という高級リゾートホテル&スパになっています。
中には入ったことはないけれど、グレート・ノーザンの内装(改めて見ると、ドラマに出て来るホテルのロビーなどにはネイティブアートのモチーフがたくさん使われてて、正統派ノースウェストです!)とはかなり変わっているものと思われます。
この滝、本名はSnoqualmie Falls (スノコルミー滝)。今年は冬にたくさん雪が降ったので、まだまだ水量が多くて迫力です。
滝の周囲は現在工事中。滝の下のほうまで下りるハイキングコースは、残念ながら来年まで閉鎖中です。『Twin Peaks』第1話でローラの遺体がみつかったのもこの滝のほとりでした。
最近NetFlixのストリーミングで全話見られるようになったので、このところ毎晩連続で『Twin Peaks』マラソン中。20年ぶりくらいに見るけれど、やっぱりヘンで、面白い。すっかりはまっています。
ジャイアント、どうしてもっと早くわかりやすいヒントをくれないのか…(しかしやっぱり嶋田久作そっくり…)。そしてクーパー捜査官、若い!みずみずしい!(ちょっと前、『デスパレートな妻たち』に出てきてて、あれ懐かしいと思いましたが…)
女の子たちも、ほんとに皆可愛い。アンゴラのセーターを着たララ・フリン・ボイルなんか、ほんとうにうっとり見とれてしまう。ペーター佐藤のパステル画に出てくるようなキュートなアメリカンガールでした。
そして、木材の町ということで、木材工場が重要な舞台だったのを、すっかり忘れてました。最初のテーマ曲が流れるところでも、木材工場が出て来るし。丸太を抱えている「log lady」マーガレットさんもいましたねー(笑)。ドラマに登場するような、巨大な木材を積んだトラックは、オリンピアのあたりまで行くと見かけますが、シアトル近辺では現在はあまり見かけません。
滝の近くの旧街道沿いに、廃止された線路の上に古い列車がコレクションしてある場所があり、「きかんしゃやえもん」みたいなエレガントな小さな機関車や、中西部から新鮮な食糧品を運んで来た昔の「冷蔵車」、工事に使われた蒸気エンジンのクレーンなど、 往年の列車たちが静かに並んでいます。あんまり保存状態はよくなくて、屋根から木がひょろっと生えちゃっていたり、壊れたものもそのまんまだったりするところが、なんとも大雑把というか、哀愁が漂っています。
ローラの殺人現場も、古い列車の中という設定でした。
この列車たちが当時からあって、ドラマのヒントになったのかどうかは謎ですが、たしかに人が乗らなくなって放置された貨車は、少しぞっとさせられるような怖い雰囲気。
そして、ドラマに毎回登場する、ダイナー!
この店は、数年前に放火にあって、内装はすっかり変わってしまっています。
看板だけはそのまま。
ここで食事をしましたが、サービスも食べ物もかなりガッカリでした。
どういうわけかピンクのカツラをかぶっているウェイトレスの女の子は(ノーマやシェリーほどではないにしても)可愛くて愛想は良いのだけど、デザートのパイをメインの食事よりも先に持って来るし、心ここにあらずって感じで、もう全然ダメ。店全体にやる気が感じられなくて、投げやりな感じが漂ってて残念でした。
チェリーパイも、まあこんな感じ。
そうそう、ドラマを見ていて、約20年前に見たときには気づかなかったことにいろいろ気づくのですが、今回は、このダイナーで使われているカップが、気になる。
これです。
直線的だけれどなぜかちょっととぼけた感じがするところが、すごく良い。
判事が保安官の事務所で使っている、ファイヤーキングっぽい翡翠色のマグも可愛い。
この「ジェード」はかなりの貴重品なんですよねー。
「アンティーク」と銘打っている店に行くたびに探すものの、なかなか巡りあえません。
2011/08/30
ブルーベリーとグレースハーバーのヨーグルト
ベリーの季節です。
今年は少し遅いのかもしれません。
ハワイにいたときは、ブルーベリーったら高級品で、半パイント(カップ半分くらい)のパックにはいった、ちょっとくたびれちゃって裏のほうにカビなんか生えてるのが4ドルくらいしたのを有り難く買ってきたものですが、ワシントン州はさすがに産地♪ 近隣にたくさんブルーベリー農園があって、フレッシュなベリーがスーパーでも山づみになってます。
そのかわり、パパイヤはハワイの3倍のお値段ですが…w パパイヤとブルーベリーの組み合わせは大好きなのだけど、なかなか廉価にはいかないようですw たまーに、仕入れすぎたのか、激安で1個2ドルくらいのことがありますが、これはハワイ産でした。
Mt. Vernonのあたりにある日系のサクマ・ブラザース農園のブルーベリーは、格別おいしい。葡萄のような大粒です。
今シーズンの最安値は、地元スーパーのBallard Market で、この4パイントの箱が8ドル弱でした。ぱくぱく食べながら、ソースを作ります。ペクチンを入れればジャムになるのかもしれないけれど、イチゴと違ってそのままだとゲル状にはなってくれません。
でも用途はヨーグルトやパンケーキにかけるだけだから、これで充分。
地元農園の新鮮ブルーベリーソースをGrace Harbor のヨーグルトにかけて頂くのが、このところ毎朝の幸せです。
シアトルから北に100マイルほど、カナダ国境に近いところにある家族経営の小農場「Grace Harbor Farm 」製のヨーグルトは、PCCやCentral 系の地元スーパーで手にはいります。
濃厚さで有名なガーンジー牛のミルクでできていて、フタの裏にはこってりとクリームがついています。
アメリカに来てから、ずーーーっと、「明治ブルガリアヨーグルト」や「カスピ海ヨーグルト」級の、柔らかなおいしいヨーグルトを探し求めていたのですが、これは軽〜く量産ものをしのぐおいしさ。初めて食べたときには真剣に感動しました。アメリカのスーパーでこんなにおいしいヨーグルトに出会えるなんて、これだけでノースウェストに引っ越したかいがあったと思ったくらいです。
実はこのヨーグルトの写真、ことしの3月に撮ったものです。このヨーグルトのことを書こうと思っていた矢先に震災があって、それから安全性の確認できない牛乳しか手にはいらない東日本のお母さんたちのことを思うと、なかなか書くことができませんでした。
食の安全に関しては世界一といっていいくらい関心の高かったはずの日本の食卓が、こんな形で脅かされるとは。
日本の子どもたちの食卓が安全な食材で満たさるように、祈るばかりです。
2011/08/28
Diners
Sequim で帰りにごはんをたべたダイナー「Hi-Way 101 Diner」。
店の壁中にマリリン・モンローやジェームス・ディーンの写真が飾ってあり、クラシックなジュークボックスやガムボールマシンがある50年代風ダイナーでした。
壁はペパーミントグリーン、ピンクのネオン管の時計があって、床はお約束の白と黒の市松もよう。ハラジュクにもありそうな可愛い内装のお店がこんな片田舎の街道沿いにあって、地元のお年寄りがたくさん来ているところが素敵。
ウェイトレスのおばちゃんも、絵に描いたような正統派「ダイナーのウェイトレス」=<清潔なユニフォームに短い白いエプロン、明るく声は大きく歯切れよく、お客の注文したものにニッコリ笑ってコメントし、コーヒーのポットを持って戻って来て若い男の子に少々威圧的な態度でお愛想を言う、ちょい太めのきわめて健康的なおばちゃん>…でした。
『リーダース英和辞典』ではDiner を「道路際の食堂」と説明しています。
『Denny's 』にはじまるファミレスの先祖なわけですが、アメリカで車が普及しきったころ、1950年代には、車での家族旅行やダイナーでの食事が豊かさの象徴だったのでしょう。ファーストフードにアメリカの「道路ぎわの食堂」の王座を奪われるまで、ダイナーはアメリカらしさの象徴のような存在だったようです。
ウィキペディアは、
…But as a rule, diners were always symbols of American optimism
(とは言っても、原則として、ダイナーは常にアメリカの楽観主義の象徴であった)
と言っています。
自動車での家族旅行が輝かしいアメリカらしさだった「街道」の黄金時代は、ダイナーの黄金時代でもあり、今も残っているダイナーたちは、やっぱりデフォルトで50年代のデザインを受けついでいます。 居酒屋に縄のれんとモツ煮込みが欠かせないように、ダイナーにはネオンのサインとジュークボックスと、市松もようの床とチェリーパイがなくてはならないようです。
映画や小説に出て来る街道沿いのダイナーには、やるせなさが漂ってます。
夜のダイナーでまっさきに思い浮かぶのは、エドワード・ホッパーの『Night Hawks』。
都会の深夜のダイナーの、真空に浮かんでいるような、どこにもつながっていないような空間。外から見るととほうもなく寂しいのに、中にいる人びとはそれだけで完結した金魚鉢のような世界でそれなりに居心地よく過ごしているような。1942年、ダイナー興隆期のころの作品です。
もう少し前、自動車旅行黎明期の作品では、スタインベックの『怒りの葡萄』に出て来る食堂がすごく印象的でした。作中ではダイナーじゃなく「ハンバーガースタンド」 と呼ばれていますが。オクラホマの貧農家族が、新天地を求めて家財道具一切を積んだぽんこつ車でカリフォルニアを目指すルート66の途上、なけなしのお金でパンを買うために立ち寄る、夫婦が経営する小さな食堂です。
トラックの運ちゃんたちがジュークボックスにニッケル硬貨を入れてビング・クロスビーを聞きながらバナナクリームパイを食べているところに、ジョード一家が「パンを10セントぶんだけ売ってくれないか」と入って来る。
ウェイトレスの奥さんは、最初は「うちは食料品屋じゃないよ」と冷たくあしらうのだけれど、奥から旦那さんに売ってやれと言われて、渋々パンを包んでいると、父親のあとからついてきたボロボロの服を来た子どもが、キャンディのケースを魅せられたように見つめる。父親は、これからまだ長い道のりを行かなきゃならないんで、と謝りながら、ポケットから出した全財産の中から10セントを払い、ふと子どもが見入っているケースを見て「あのキャンディはひとつ1セントかね?」と尋ねる。食堂の奥さんは、あれは2つで1セントだ、と答え、ペニー硬貨1枚でキャンディ2コを売ってやる。
親子が出て行ってから、トラックの運ちゃんは奥さんを冷やかすように、「何言ってんだ、あのキャンディは1個5セントじゃねえか」と、口汚い言葉を残して出て行くのだけれど、カウンターにはパイの代金の何倍ものチップを置いていく。
『チキンスープ』シリーズに出てきそうな話だけど、スタインベックの簡潔で鋭利な筆が食堂の夫婦やトラック運ちゃんをすごく的確に描いてて、このくだりは何度読んでも泣けてしまいます。
「アメリカの楽観主義の象徴」というのはこういうことなのかもしれません。
ダイナーに不可欠なパイは、アメリカ人にとって、懐かしいところに触れる存在なのだという気がします。
イーストウッド監督の映画『ミリオン・ダラー・ベイビー』でも、ダイナーのパイが印象的な役割で出てきました。実の娘とはなにかの理由で永遠に疎遠になってしまった老トレーナーが、自分にとっては天国とは、どこそこの寂しい道ばたにあるダイナーの「完璧なレモン・メレンゲ・パイ」だと、娘のようなボクサーに語ります。救いがないほど厳しい色調の映画の中で、そのレモン・メレンゲ・パイだけが、なんとも言えない切ない甘さを感じさせるのです。最後のシーンは、暗い峠道にあるそのダイナーだったと記憶しています。
ダイナーの食事は、ハンバーガーが基本で、まああんまり期待しないのが普通だけれど、店によって相当差があります。
この「101 Diner」でうちの息子が注文した「Barbeque pulled pork」バーガーは、びっくりするほどおいしかった。週末だけのスペシャルで、何時間もかけて準備するのだと、ウェイトレスのおばちゃんが自慢してました。サツマイモのフライもおいしかったです。手前はわたしの頼んだマカロニ&チーズ。これはふつうだけど、チーズの組み合わせやクルトンなど、田舎のダイナーにしてはオシャレなマックチーズ。サラダの野菜もぱりっとしていて新鮮で、ひとつひとつ丁寧な感じが好感もてました。
ポートアンジェルス方面に行ったら、また寄りたいお店です。
店の壁中にマリリン・モンローやジェームス・ディーンの写真が飾ってあり、クラシックなジュークボックスやガムボールマシンがある50年代風ダイナーでした。
壁はペパーミントグリーン、ピンクのネオン管の時計があって、床はお約束の白と黒の市松もよう。ハラジュクにもありそうな可愛い内装のお店がこんな片田舎の街道沿いにあって、地元のお年寄りがたくさん来ているところが素敵。
ウェイトレスのおばちゃんも、絵に描いたような正統派「ダイナーのウェイトレス」=<清潔なユニフォームに短い白いエプロン、明るく声は大きく歯切れよく、お客の注文したものにニッコリ笑ってコメントし、コーヒーのポットを持って戻って来て若い男の子に少々威圧的な態度でお愛想を言う、ちょい太めのきわめて健康的なおばちゃん>…でした。
『リーダース英和辞典』ではDiner を「道路際の食堂」と説明しています。
『Denny's 』にはじまるファミレスの先祖なわけですが、アメリカで車が普及しきったころ、1950年代には、車での家族旅行やダイナーでの食事が豊かさの象徴だったのでしょう。ファーストフードにアメリカの「道路ぎわの食堂」の王座を奪われるまで、ダイナーはアメリカらしさの象徴のような存在だったようです。
ウィキペディアは、
…But as a rule, diners were always symbols of American optimism
(とは言っても、原則として、ダイナーは常にアメリカの楽観主義の象徴であった)
と言っています。
自動車での家族旅行が輝かしいアメリカらしさだった「街道」の黄金時代は、ダイナーの黄金時代でもあり、今も残っているダイナーたちは、やっぱりデフォルトで50年代のデザインを受けついでいます。 居酒屋に縄のれんとモツ煮込みが欠かせないように、ダイナーにはネオンのサインとジュークボックスと、市松もようの床とチェリーパイがなくてはならないようです。
映画や小説に出て来る街道沿いのダイナーには、やるせなさが漂ってます。
夜のダイナーでまっさきに思い浮かぶのは、エドワード・ホッパーの『Night Hawks』。
都会の深夜のダイナーの、真空に浮かんでいるような、どこにもつながっていないような空間。外から見るととほうもなく寂しいのに、中にいる人びとはそれだけで完結した金魚鉢のような世界でそれなりに居心地よく過ごしているような。1942年、ダイナー興隆期のころの作品です。
もう少し前、自動車旅行黎明期の作品では、スタインベックの『怒りの葡萄』に出て来る食堂がすごく印象的でした。作中ではダイナーじゃなく「ハンバーガースタンド」 と呼ばれていますが。オクラホマの貧農家族が、新天地を求めて家財道具一切を積んだぽんこつ車でカリフォルニアを目指すルート66の途上、なけなしのお金でパンを買うために立ち寄る、夫婦が経営する小さな食堂です。
トラックの運ちゃんたちがジュークボックスにニッケル硬貨を入れてビング・クロスビーを聞きながらバナナクリームパイを食べているところに、ジョード一家が「パンを10セントぶんだけ売ってくれないか」と入って来る。
ウェイトレスの奥さんは、最初は「うちは食料品屋じゃないよ」と冷たくあしらうのだけれど、奥から旦那さんに売ってやれと言われて、渋々パンを包んでいると、父親のあとからついてきたボロボロの服を来た子どもが、キャンディのケースを魅せられたように見つめる。父親は、これからまだ長い道のりを行かなきゃならないんで、と謝りながら、ポケットから出した全財産の中から10セントを払い、ふと子どもが見入っているケースを見て「あのキャンディはひとつ1セントかね?」と尋ねる。食堂の奥さんは、あれは2つで1セントだ、と答え、ペニー硬貨1枚でキャンディ2コを売ってやる。
親子が出て行ってから、トラックの運ちゃんは奥さんを冷やかすように、「何言ってんだ、あのキャンディは1個5セントじゃねえか」と、口汚い言葉を残して出て行くのだけれど、カウンターにはパイの代金の何倍ものチップを置いていく。
『チキンスープ』シリーズに出てきそうな話だけど、スタインベックの簡潔で鋭利な筆が食堂の夫婦やトラック運ちゃんをすごく的確に描いてて、このくだりは何度読んでも泣けてしまいます。
「アメリカの楽観主義の象徴」というのはこういうことなのかもしれません。
ダイナーに不可欠なパイは、アメリカ人にとって、懐かしいところに触れる存在なのだという気がします。
イーストウッド監督の映画『ミリオン・ダラー・ベイビー』でも、ダイナーのパイが印象的な役割で出てきました。実の娘とはなにかの理由で永遠に疎遠になってしまった老トレーナーが、自分にとっては天国とは、どこそこの寂しい道ばたにあるダイナーの「完璧なレモン・メレンゲ・パイ」だと、娘のようなボクサーに語ります。救いがないほど厳しい色調の映画の中で、そのレモン・メレンゲ・パイだけが、なんとも言えない切ない甘さを感じさせるのです。最後のシーンは、暗い峠道にあるそのダイナーだったと記憶しています。
ダイナーの食事は、ハンバーガーが基本で、まああんまり期待しないのが普通だけれど、店によって相当差があります。
この「101 Diner」でうちの息子が注文した「Barbeque pulled pork」バーガーは、びっくりするほどおいしかった。週末だけのスペシャルで、何時間もかけて準備するのだと、ウェイトレスのおばちゃんが自慢してました。サツマイモのフライもおいしかったです。手前はわたしの頼んだマカロニ&チーズ。これはふつうだけど、チーズの組み合わせやクルトンなど、田舎のダイナーにしてはオシャレなマックチーズ。サラダの野菜もぱりっとしていて新鮮で、ひとつひとつ丁寧な感じが好感もてました。
ポートアンジェルス方面に行ったら、また寄りたいお店です。
2011/08/24
Street Donutsのカレードーナツ
この前、Groupon で「ミニドーナツ2人前、ドリンク2つつき、8ドル」というのがあったので買ってみました。
パイクプレイス・マーケットの近くの駐車場に停まっているぴかぴかの銀色トラックで揚げて売っているミニドーナッツやさん、「Street Donuts」。
デザインも内装も、お兄さんの格好も、シアトルらしくなかなかスタイリッシュです。
1ダースくらいの揚げたてミニドーナツに、お好み「トッピング」を2種類目の前でかけてくれるのですが、シナモンやキャラメル、ココナツ、チョコレートなどのほか、「カレー粉」というチョイスもありました。
へんなものは取りあえず食べてみる。チョコとカレーのドーナツ、めっちゃめちゃうまいというほどでもないけど、ふつうにおいしかったです。カルダモンや「NERDS」(ちっちゃいキャンディ)もあるようです。
ドーナツ激戦の地シアトルで、生き残って行くでしょうか。
2011/08/21
Game Farmのエルクの料金所
ラベンダー園のあるSequim にて。以前Kaoru さんから聞いていたOlympic Game Farm に行ってきました。実はこのシマウマの看板を見るまで、すっかり忘れていたのですが…。
ディズニー映画にも協力した動物好きの家族が経営する私設動物園で、サファリパークのように、車に乗ったまま動物を見学できます。
ゲートでお金(12歳以上は1人12ドル)を払うと、「パンいる?」と聞かれる。動物に与えるためのパン、1ローフ2ドルなり。あとでわかりましたが、これは絶対に必要。
なぜならば。
入ってすぐ、道の真ん中にヤクが立ちはだかっているからです。
道の左がわは崖なので、避けることも出来ない。
車を近づけてもびくともしないし、どいてぇーとお願いしても絶対に聞いてくれない。
パンを見せるとやっと動きだし、おもむろに近づいてきます。
きょぇぇぇえ。
近づきすぎーーー! 瞬く間にパン2枚を完食したヤクが、窓から首を突っ込んでくるのを振り切って、そろそろと車を前に出して逃げる。
このヤクだけでなく、料金所のように道に立ちふさがる動物がゆくてに次々現れます。
シマウマは、もうおなかいっぱいらしく、パンにも車にも見向きもせず。
クマはさすがに電気が流れていると思われる柵の中に居住。でっかいのが5頭くらい。車の窓からお客さんが投げるパンを上手にキャッチして食べてました。
ライオン、オオカミ、トラなどの猛獣は、金網の中でウロウロしたり、お昼寝中。
ここにも料金所がーー。Elk (エルク)の群れに
盛り場で酔っぱらいを取り囲んで恐喝している不良少年グループのようだった…。
エルクはふつうの鹿よりもずっと大きくて、立派な角のある雄エルクはSUVより背が高い。
集団で一目散に向かって来られると、 かなり怖いですー。
このほかにはバッファローやリャマもいます。
バッファローのこの雄は、前の車のトランク部分を角でごりごり押していて、その車にはトランクのところにかなり大きなキズがついてしまっていました(怖)。
小1時間ほどかかって1周し終わったときには、車の中はパン屑だらけ、窓はヤクやバッファローにべろべろ舐められて縞模様に。それでもバッファローの角で押されなかっただけ良かった。
エルクに恐喝されてみたい方はぜひ。
2011/08/20
ラベンダー狩り
先週の日曜日、オリンピック半島のSequim (「セクィム」?)に行ってきました。
ポートアンジェルスのちょっと手前、カナダとの間の狭い海峡に面した、このへんの田園地帯です。シアトルからはフェリーに乗る時間もいれて片道2時間ちょっと。
人口6000人ちょっとの市で、最近ラベンダー畑で町おこしに成功している模様。
見渡す限りラベンダー畑ではないけど、小規模な家族経営のラベンダー農園が集まっていて、7月には「ラベンダー・フェスティバル」も開催されてます。今年で7年目。
「U-Pick」(自分で切った分だけ買って持って帰るシステム。「ラベンダー狩り」?)の看板が出ていた、「Lavender Connection」というラベンダー園に行ってみました。
ラベンダーオイルを蒸留する機械の前に座っていたオーナーのおじさんが、ここには24種類のラベンダーがあるんだよ、と、とっても嬉しそうに説明してくれ、オイルの蒸留の仕方も詳しく解説してくれました。
ご夫婦で8年くらい前に始めた農園だそうで、直営の売店では奥さんが自家製オイルや石けんなどを売ってます。
U-Pick 中の16歳少年。ラベンダー畑に似合わん。
畑のあちこちから切ってきた、片手にいっぱいくらいの束を売店に持っていくと、きれいなラベンダー色の包装紙とリボンで包んでくれて、5ドル。ラブリーです。
今年はなかなか夏の気候にならなかったので花期が遅れ、ほんとうは7月半ば頃に満開になっているはずが、今頃やっと満開に。
シアトルの住宅街でも、あちこちでラベンダーがもりもり咲いてます。
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