ラベル 祈る人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 祈る人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019/07/31

高幡不動尊 円仁さんと土方歳三


6月はじめに行った、東京・多摩の高幡不動尊金剛寺

いつも泊まらせてもらっている弟の家から近いので(電車で2駅)、帰国するとたびたび行きます。


そういえば、去年の7月に行ったときの写真もアップしていなかったので、まぜこぜになりますがその時の写真も。


駅を降りるとすぐ参道で、入り口はこんな感じ。これは去年の6月25日で、七夕の飾り付けがはじまったばかりでした。


こちらも去年。快晴で暑い日でした。

ここの不動尊はとても歴史が古くて、とても広く、いろんなものがあります。
境内の地図はこちら。


五重塔は平安時代の様式を模して昭和時代につくられたもの。昭和55年完成。
年に一度、春のお祭りのときだけ、この最上階まで公開しているそうです。


立派な仁王門は室町時代のもの。でも近年までは単層だったのが、昭和に二重の楼門として再建されたのだとか。
時代を経て飴色になった木材が重厚な貫禄。重要文化財です。


その仁王門のなかにいる仁王様。こちらも室町時代のもの。


昭和の修復工事の際に屋根を銅葺きにしたそうです。


その山門を入ってすぐの「不動堂」が現在、メインの不動明王像を配しているお堂で、ここで毎日、6回から8回くらい護摩修行が行われています。

これも仁王門とおなじく重要文化財指定。

これは横からみたところで、奥にある赤い派手なたてものはお札所。


こちらが正面。

 不動尊のサイトによると…

<慈覚大師(円仁)が東関鎮護の霊場として山中に建立しましたが、建武2年(1335年)8月4日」夜の暴風雨により倒壊したため、当山中興第1世儀海上人が現在のところに移建した堂で東京都最古の文化財建造物です。>

…とのこと。円仁さんは最澄さんのお弟子さんで、最後の遣唐使のひとりだったのですね。
ほとんどというか、名前しか知らなかった。円仁さん失礼しました。

円仁さんは、浅草寺の中興の祖でもあるそうです。へー!

この時代の唐にわたった僧侶の人の生涯ってほんとに半端ない。『阿・吽』を読んだあとではますますその波乱万丈が華麗なエモさをまとって脳内にくりひろがってしまいます。

円仁さんも、遣唐使として唐に行ったのにめざす天台山で学ぶ許可が下りなかったのでひそかに不法滞在して忍び込んだとか、1000キロ以上歩いて長安に行ったとか、超人的な活躍をしています。
そして54歳のときに帰国‼

それから日本各地で活躍するのだからすごい。

不動堂のはなしに戻ると、暴風雨によって山中(すぐ横の山)に建っていた建物が転がってしまったそうで、それを康永元年(1342年)山中より移建したとのこと。

四隅がしゅっと上がった屋根がとってもカッコいいお堂です。



その後ろには「奥殿」があります。この建物はもちろんあたらしいコンクリ製ですが、中に収められている仏像さんたちは古いもの。

平安時代の不動明王像と脇侍がこちらに安置されています。これも重文。

もちろん力強く厳しい表情ではあるのですが、まろまろとしたやわらかなラインの、優しさを感じる不動明王様です。脇侍がとても素朴でおもしろい。

護摩修行は最近つくられたニュー不動明王像にゆずり、すぐ後ろの奥殿からみまもっていらっしゃいます。

不動明王像にはひもがむすんであって、それに手を触れることでお不動さまと繋がれるというシステム。


ガラスごしにみられるのはここまで。

観覧料金(300円くらいだったかな?)を払うと中にはいって、コンクリの部屋ではありますが、つくづくとお目にかかることができます。

素敵な仏像なのでぜひ中での拝観をおすすめ。

この奥殿は展示室にもなっていて、ほかにも古い仏像や、室町から幕末までの貴重な文書がたくさん展示されてます。

新撰組の土方歳三ゆかりの地なので、それに関した文書もいろいろあります。



さらにその奥にある本堂、大日堂。
これも再建されたのは昭和57年〜62年の工事で。

安永8年(1779)に大火事があって境内のほとんどのたてものが焼失してしまったそうです。それ以来長いあいだ仮本堂のままだったそうですが、今はとても品格のある端正なお堂の姿が復活してます。

高幡不動尊ウェブサイトによると<新堂は鎌倉時代様式で入母屋造り、本瓦葺・内陣総漆仕上で材は尾州檜が使われています>とのこと。

この大日堂は別料金で拝観でき、「鳴り龍」天井があります。
龍の絵の下で柏手をひとつ打つと、ビョンビョンビョンと龍が啼いたように反響するという面白い構造。

同じ安永の大火事で焼けてしまったという「大師堂」も「聖天堂」も再建されたのは平成になってから。230年ぶりの再建だそうです。

本堂であるたてものが仮の形のまま再建されなかったって、江戸中期以降、このあたりは裕福な土地ではなかったのかな?お寺の力関係?
でも「関東三大不動」として、江戸時代をとおして参拝客がとても多かったはずなのですが。

今では境内の建物はみんなとても立派になってます。地下の涼しい無料休憩所もあるし。


これは、「聖天堂」の手前から五重塔を見たところ。去年の6月です。
全部新しい建物とはいえ、様式がつくる風情がありますね。


 たしか大師堂の入り口にいらした(うろ覚えごめんなさい)狛犬(獅子?)。さん。


戦闘系ではなく、優しそうな狛犬(獅子)さんで、波打つ豪華なカーリーヘアの描写がゴージャスで素敵です。


そして山門近くに立っている、まだ真新しい感じの土方歳三さんの像。

大河ドラマなんかでフィーチャーされるとしばらくのあいだは有名になるのでしょうけど、「なんで土方歳三がここにいるの?」と聞いている人もいたので、日野の出身だということはあまり知られていないのか。

土方さんの菩提寺はこの不動尊金剛寺ですが、墓所は別の場所にあります。

わたくしは中学2年生くらいのときに死ぬほどの土方歳三ファンで、司馬遼太郎の『燃えよ剣』を愛読して萌えていました。いりぐちは和田慎二のマンガ『浅葱色の伝説』だった。

大人になると新撰組に対する見方もかなり変わるのだけど、こういう命をかけて暴力を行使する派手な集団にティーン・エイジャーは萌えるんですよねー。

ほんとにいろいろある不動尊。ゆっくり見ると、半日くらいかかります。

長くなっちゃったのでパート2へつづく。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2019/07/26

上高地 その2 明神池とコーヒー


梓川の橋をわたると、わりとすぐに明神池があります。
池への道の入り口に穂高神社の鳥居が立っている。
なぜ菊の御紋がついているのだろう。

神社小百科サイトを見てみると、神社の紋というのはとくに決まりはないらしく、伊勢神宮も明治になってから菊の紋を神紋としたそうです。
国家神道寄りの神社ってことなのかな。


とてもこじんまりとしたお宮。明神池のむこうに山を遥拝する奥宮です。

このお宮があるだけなのかと思ったら、ちゃんと社務所があって神社の人がいるのでちょっと驚いた。御朱印も出してるしここで祈祷も受付けてるそうです。てことは神職さんが通ってきてるのか、夏の間ここに常駐してるのですね。



おお、この狛犬さんは下界の穂高神社のあの戦闘系狛犬さんと同じ!
でもなぜか、環境のせいかな、こちらのほうが柔らかく見える。


この桟橋にもやってある船は遊覧用ではなく、御神事に使われる船でした。


池についた途端に、本格的に雨が降ってきました。


バスターミナルのあたりはあんなに人が多かったのに、そこからほんの小一時間の明神池までは来る人がとても少ないのは不思議。みんな反対側の大正池のほうに行くのか。
でもおかげですごく静かでした。


池の周りを少し歩くと、急流が。

「水晶のような水」ってクリシェだけどほんとうに水晶みたい。
このうえなく綺麗な、山から流れてくる水。雨のおかげで少し水量が多いのか、沸き立つような流れでした。


明神の山はかろうじて雨をついて姿を見せていてくれました。


池が静かで水がすきとおっているからなのか、雨粒の波紋がものすごく綺麗でした。
こんなに綺麗な波紋は初めて見たよっていうくらい綺麗で、見ていて飽きなかった。


素敵すぎる水面。
携帯カメラではなくてフィルムカメラで撮れたらかっこいい写真になったかも。


青空の上高地も見てみたかったけど、雨の上高地も本当にしっとり静かでよかったです。


ここで御神事をするのはいつからの伝統なのか。海の民の安曇族はこの小さな山の上の池に海を見たんでしょうか。

安曇族がやってくる前からここは聖域だったのか。

謎が多い不思議な場所です。

それこそ麓から歩いたら数日かかる行程だったろうに。



池の近くに嘉門次小屋という山小屋があります。大正時代からある歴史ある山小屋。

嘉門次さんはウェストンさんを案内したので有名になった人ですが、実際この場所に小屋を建てて、猟師をしていたんだそうだ。
「杣人」という人たちが山には住んでたんですね。


コーヒーを飲みました。「kamonji」ってソーサーに書いてあった。


ビールや鮎定食やカレーもあります。

コーヒーを飲み終わっても、雨はやまず。

雨のなか、バスターミナルを目指して戻る。来た道とは梓川をはさんで対岸を通る、ループコースです。


クマザサのあいだの広葉樹の森。時々ハイカーとすれ違ったり追い越したりするほかは、ほとんど人の姿のない静かな道でした。

クマが出ると書いてあったので、明神小屋でいちおうクマよけの鈴を買ってみた。


水の密度が下界と違う気がする。なんでしょうかこの美しさ。


彫刻のような水です。

帰り道はほぼ雨に降られまくりでしたが、ポンチョのおかげでわりと快適でした。靴カバーはあまり役に立たなかったw


バスで新島々へ降り、「アルピコ鉄道」のカラフルな電車で松本へ。


そして特急あずさで東京(多摩の弟宅)へ帰る。駅弁は迷ったあげくに紫米の「大糸線の旅」。大糸線じゃなくて中央線の旅だけど。

煮物に梅干し、豚の味噌焼き、卵に黒豆。すべて地元の食材なのだそうで、とてもおいしかったのだけどボリューム的にはちょっとものたりなかった。高齢者向けか。


大変活躍してくれた1000円のポンチョ。使い捨てと思ったけど背中のロゴがかわいいので、わざわざ干して乾かして、持って帰ってきました。また使う日が来るかしら。

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2019/07/17

謎すぎる民の穂高神社、ものぐさ太郎、シンプルお蕎麦


5月末、信州安曇野。

大王わさび農場のあと、穂高神社に行きました。
敏腕翻訳者Yさんいわく、ここはこの地元では一番大きく、初詣といえばこなのだそうです。

敷地は広くないものの、予想していたのよりずっと大きな神社で、格式が高そうな雰囲気が鳥居をくぐる前から感じられて、おおー!と声がでるほどびっくりしてしまいました。

ほんとに、山里の神社って感じじゃなくて、ピシッとした都の風情がただよっているのです。


狛犬さんも神田明神の狛犬さんのような筋肉ムキムキで、強そうなタイプ。
肩のニクの盛り上がり方がすごいし、巻き毛もかっこいい。
それほど古いものではなさそうですが(見てくるの忘れた)。
横顔が凛々しい。やっぱり戦闘系なんですね。


凛々しい杉の木。

ご祭神は<穗髙見命>で、
神社のサイトには
<穗髙見命は海神族 (かいしんぞく)の祖神(おやがみ)であり、その後裔(こうえい)であります安曇族は、もと北九州に栄え主として海運を司り、早くから大陸方面とも交渉をもち、文化の高い氏族であったようです。>
とあります。

上高地に奥宮があるので、わたしはてっきり地元の神様なのかと思っていたら、安曇族の神様だったんですね!(ていうか若宮はそのものずばり、安曇族の族長みたいな人)

9月の祭りには船のかたちの山車がでてくるそうです。この山に囲まれた盆地で‼
安曇族の伝統って脈々と受け継がれてるんだ。
それが1000年以上続いているってすごくないですか? 

この土地では最初は「征服者」だった安曇族の文化が、土地全体に共有されていくようになったっていうことなのか。


そして驚いたことにこの神社は20年毎に式年遷宮を行って、本殿を建て替えるのだそうです。

神社サイトによると
<醍醐天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式神名帳には名神大社に列せられ古くより信濃における大社として朝廷の崇敬篤く、殖産興業の神と崇められ信濃の国の開発に大功を樹てたと伝えられています。>
…だそうで、やっぱり相当の格式が与えられてたんですね。

安曇族って一族郎党どのくらいの規模だったんだろうか。朝廷との力関係はどうなっていたんだろう。なんていろいろ気になり出す。

安曇族は百済から来た勢力に追われてこの地に来た、という説もあるそうです。水軍として大陸からの侵略や海賊を防ぐという役回りだったらしく、朝鮮半島での戦役にも出ていってそこでリーダーが戦死している。

朝廷から命じられてこの土地を征服しにきたわけじゃなく、自主的に自分たちの領地を求めて来た、アメリカの19世紀の西部開拓民みたいな人たちだったのか。
安曇族については、いろいろ謎につつまれているようです。

大河ドラマにはならないだろうけれど、誰か長編小説を書いてないのかな。

日本は単一民族国家なんてしれっと言ってるけど、平安朝くらいまではあちこちに大陸系の民や縄文系の民(と大雑把にくくる)が激戦を繰り広げていたんですねえ。
信濃のまんなかでそんなことを実感するとは思ってもみなかった。


そういう意味でこの古い神社の存在は本当に興味深いです。

ヨーロッパの教会とは形が違うけれど、やはり祈りの場はパワージェネレーター装置。

この土地に勧請された勝者の神なわけですね。神社は土地の所有をどこからみても完璧にオフィシャルにするシステム、とみえる。


面白いことに、あまりのものぐさが幸いして出世したという「ものぐさ太郎」が摂社(若宮)に合祀されています。
釈迢空、折口信夫さんがものぐさ太郎のことを詠んだ碑があった。難しい…なぞなぞみたいな歌だ。



<川端康成、井上靖、東山魁夷が絶賛した>というケヤキの巨木。
こんなに大きなケヤキの木をみたのは初めてです。

色々謎がてんこもりでほんとうに面白い、それなのに不思議なほどすがすがしい神社でした。不思議〜。


敏腕翻訳者Yさんに、松本の町でたぶん一番おいしい、というお蕎麦やさんに連れてっていただきました。
小さな通りに面した目立たない店構えで、テーブル3つか4つだけのとても小さなお店。

おいしゅうございました。


蕎麦湯が出てくる土瓶などの器も素敵でした。


メニューは「ざるそば 1000円」と「大盛り1300円」の二択という直球。
平日だったので、幸いあまり待たずに座れました。
ドイツ人らしい旅行者の二人連れも神妙にお蕎麦を食べてました。

また信州にお蕎麦を食べに行きたい‼

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ