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2019/07/26

上高地 その2 明神池とコーヒー


梓川の橋をわたると、わりとすぐに明神池があります。
池への道の入り口に穂高神社の鳥居が立っている。
なぜ菊の御紋がついているのだろう。

神社小百科サイトを見てみると、神社の紋というのはとくに決まりはないらしく、伊勢神宮も明治になってから菊の紋を神紋としたそうです。
国家神道寄りの神社ってことなのかな。


とてもこじんまりとしたお宮。明神池のむこうに山を遥拝する奥宮です。

このお宮があるだけなのかと思ったら、ちゃんと社務所があって神社の人がいるのでちょっと驚いた。御朱印も出してるしここで祈祷も受付けてるそうです。てことは神職さんが通ってきてるのか、夏の間ここに常駐してるのですね。



おお、この狛犬さんは下界の穂高神社のあの戦闘系狛犬さんと同じ!
でもなぜか、環境のせいかな、こちらのほうが柔らかく見える。


この桟橋にもやってある船は遊覧用ではなく、御神事に使われる船でした。


池についた途端に、本格的に雨が降ってきました。


バスターミナルのあたりはあんなに人が多かったのに、そこからほんの小一時間の明神池までは来る人がとても少ないのは不思議。みんな反対側の大正池のほうに行くのか。
でもおかげですごく静かでした。


池の周りを少し歩くと、急流が。

「水晶のような水」ってクリシェだけどほんとうに水晶みたい。
このうえなく綺麗な、山から流れてくる水。雨のおかげで少し水量が多いのか、沸き立つような流れでした。


明神の山はかろうじて雨をついて姿を見せていてくれました。


池が静かで水がすきとおっているからなのか、雨粒の波紋がものすごく綺麗でした。
こんなに綺麗な波紋は初めて見たよっていうくらい綺麗で、見ていて飽きなかった。


素敵すぎる水面。
携帯カメラではなくてフィルムカメラで撮れたらかっこいい写真になったかも。


青空の上高地も見てみたかったけど、雨の上高地も本当にしっとり静かでよかったです。


ここで御神事をするのはいつからの伝統なのか。海の民の安曇族はこの小さな山の上の池に海を見たんでしょうか。

安曇族がやってくる前からここは聖域だったのか。

謎が多い不思議な場所です。

それこそ麓から歩いたら数日かかる行程だったろうに。



池の近くに嘉門次小屋という山小屋があります。大正時代からある歴史ある山小屋。

嘉門次さんはウェストンさんを案内したので有名になった人ですが、実際この場所に小屋を建てて、猟師をしていたんだそうだ。
「杣人」という人たちが山には住んでたんですね。


コーヒーを飲みました。「kamonji」ってソーサーに書いてあった。


ビールや鮎定食やカレーもあります。

コーヒーを飲み終わっても、雨はやまず。

雨のなか、バスターミナルを目指して戻る。来た道とは梓川をはさんで対岸を通る、ループコースです。


クマザサのあいだの広葉樹の森。時々ハイカーとすれ違ったり追い越したりするほかは、ほとんど人の姿のない静かな道でした。

クマが出ると書いてあったので、明神小屋でいちおうクマよけの鈴を買ってみた。


水の密度が下界と違う気がする。なんでしょうかこの美しさ。


彫刻のような水です。

帰り道はほぼ雨に降られまくりでしたが、ポンチョのおかげでわりと快適でした。靴カバーはあまり役に立たなかったw


バスで新島々へ降り、「アルピコ鉄道」のカラフルな電車で松本へ。


そして特急あずさで東京(多摩の弟宅)へ帰る。駅弁は迷ったあげくに紫米の「大糸線の旅」。大糸線じゃなくて中央線の旅だけど。

煮物に梅干し、豚の味噌焼き、卵に黒豆。すべて地元の食材なのだそうで、とてもおいしかったのだけどボリューム的にはちょっとものたりなかった。高齢者向けか。


大変活躍してくれた1000円のポンチョ。使い捨てと思ったけど背中のロゴがかわいいので、わざわざ干して乾かして、持って帰ってきました。また使う日が来るかしら。

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2019/07/17

謎すぎる民の穂高神社、ものぐさ太郎、シンプルお蕎麦


5月末、信州安曇野。

大王わさび農場のあと、穂高神社に行きました。
敏腕翻訳者Yさんいわく、ここはこの地元では一番大きく、初詣といえばこなのだそうです。

敷地は広くないものの、予想していたのよりずっと大きな神社で、格式が高そうな雰囲気が鳥居をくぐる前から感じられて、おおー!と声がでるほどびっくりしてしまいました。

ほんとに、山里の神社って感じじゃなくて、ピシッとした都の風情がただよっているのです。


狛犬さんも神田明神の狛犬さんのような筋肉ムキムキで、強そうなタイプ。
肩のニクの盛り上がり方がすごいし、巻き毛もかっこいい。
それほど古いものではなさそうですが(見てくるの忘れた)。
横顔が凛々しい。やっぱり戦闘系なんですね。


凛々しい杉の木。

ご祭神は<穗髙見命>で、
神社のサイトには
<穗髙見命は海神族 (かいしんぞく)の祖神(おやがみ)であり、その後裔(こうえい)であります安曇族は、もと北九州に栄え主として海運を司り、早くから大陸方面とも交渉をもち、文化の高い氏族であったようです。>
とあります。

上高地に奥宮があるので、わたしはてっきり地元の神様なのかと思っていたら、安曇族の神様だったんですね!(ていうか若宮はそのものずばり、安曇族の族長みたいな人)

9月の祭りには船のかたちの山車がでてくるそうです。この山に囲まれた盆地で‼
安曇族の伝統って脈々と受け継がれてるんだ。
それが1000年以上続いているってすごくないですか? 

この土地では最初は「征服者」だった安曇族の文化が、土地全体に共有されていくようになったっていうことなのか。


そして驚いたことにこの神社は20年毎に式年遷宮を行って、本殿を建て替えるのだそうです。

神社サイトによると
<醍醐天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式神名帳には名神大社に列せられ古くより信濃における大社として朝廷の崇敬篤く、殖産興業の神と崇められ信濃の国の開発に大功を樹てたと伝えられています。>
…だそうで、やっぱり相当の格式が与えられてたんですね。

安曇族って一族郎党どのくらいの規模だったんだろうか。朝廷との力関係はどうなっていたんだろう。なんていろいろ気になり出す。

安曇族は百済から来た勢力に追われてこの地に来た、という説もあるそうです。水軍として大陸からの侵略や海賊を防ぐという役回りだったらしく、朝鮮半島での戦役にも出ていってそこでリーダーが戦死している。

朝廷から命じられてこの土地を征服しにきたわけじゃなく、自主的に自分たちの領地を求めて来た、アメリカの19世紀の西部開拓民みたいな人たちだったのか。
安曇族については、いろいろ謎につつまれているようです。

大河ドラマにはならないだろうけれど、誰か長編小説を書いてないのかな。

日本は単一民族国家なんてしれっと言ってるけど、平安朝くらいまではあちこちに大陸系の民や縄文系の民(と大雑把にくくる)が激戦を繰り広げていたんですねえ。
信濃のまんなかでそんなことを実感するとは思ってもみなかった。


そういう意味でこの古い神社の存在は本当に興味深いです。

ヨーロッパの教会とは形が違うけれど、やはり祈りの場はパワージェネレーター装置。

この土地に勧請された勝者の神なわけですね。神社は土地の所有をどこからみても完璧にオフィシャルにするシステム、とみえる。


面白いことに、あまりのものぐさが幸いして出世したという「ものぐさ太郎」が摂社(若宮)に合祀されています。
釈迢空、折口信夫さんがものぐさ太郎のことを詠んだ碑があった。難しい…なぞなぞみたいな歌だ。



<川端康成、井上靖、東山魁夷が絶賛した>というケヤキの巨木。
こんなに大きなケヤキの木をみたのは初めてです。

色々謎がてんこもりでほんとうに面白い、それなのに不思議なほどすがすがしい神社でした。不思議〜。


敏腕翻訳者Yさんに、松本の町でたぶん一番おいしい、というお蕎麦やさんに連れてっていただきました。
小さな通りに面した目立たない店構えで、テーブル3つか4つだけのとても小さなお店。

おいしゅうございました。


蕎麦湯が出てくる土瓶などの器も素敵でした。


メニューは「ざるそば 1000円」と「大盛り1300円」の二択という直球。
平日だったので、幸いあまり待たずに座れました。
ドイツ人らしい旅行者の二人連れも神妙にお蕎麦を食べてました。

また信州にお蕎麦を食べに行きたい‼

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2019/07/15

夢の風景。そして大王の最後


敏腕翻訳者Yさんの丹精している畑。

ベリー類や葱や茄子やもろもろ、今頃はきっと豊作を迎えていることでしょう。いいなー。


5月末のこのときは、ちょうど田植えが終わったばかりで、アルプスが水に映えて綺麗でした。

信州安曇野というところは、ずっと前から絶対に行かねばならない気がしていたのになぜか行けなかった(行かなかった)場所のひとつ。
ご縁のおかげでようやく行けました。Yさんありがとうー。

山が好きでよくアルプス方面に通っていたらしいうちの両親が、わたしの名前を安曇にしようかと思ったくらい気に入っていたそうです。字がよくないので(安く曇る?)やめたって言ってた。
昭和どまんなかの時代、ひらがなにしようという発想はなかったらしい。
「あずみちゃん」だったらちょっと人生違ってたかも。


敏腕翻訳者Yさんが「大王わさび農場」に連れていってくれた。

なんだこの夢みたいな風景は!

ありえないほど透明な水に長い藻がゆらゆらしていて、意味なくいくつも大きな水車が回っている。


出来過ぎな風景だと思ったら、この水車は黒澤明の映画『夢』のセットとして作られてそのまま置かれてるんだそうです。まさに夢の光景だった。ちゃんちゃん。

なんか見たことあるような気がした。あの世かと思った。


オフィーリアが流れてきそうでもありますね!

 (ミレイのオフィーリア)。

ここは綺麗な水を生かしたわさび農場で、わさびソフトとかわさびコロッケとか売ってる(コロッケ食べた)。


でもなぜ「大王」なんだろうか、と思っていたら、奥のほうに小さな神社がありました。


ちょっとオットセイっぽいかんじの、モダンなラインの狛犬さん。


社殿の前には、1メートルを超すとてつもない大ワラジが飾ってあるのです。


由来が書いてありました。
「魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)は、今から1200年の昔、当地安曇平をおさめる王でした。身長2メートル超す大男の強者でしたが、東北征伐途上の坂上田村麻呂と戦い敗れました。八面大王の胴体がこのあたりに埋められたことから、初代勇市(わさび農場の人)がここに「大王神社」として祀り、巨体を象徴するかのように以来大わらじが奉納されています」

さらに
「有明神社奥の山中にはこのわらじ同等程の「八面大王の足跡」が巨石の上に残されています」と。

 えー!身長2メートルで足の大きさが1メートルってどういう寸法?
この大きさならすくなくとも身長10メートルはあるんじゃないのか。

て、驚くのはそこではなく。

坂上田村麻呂!このあいだ読んだ『阿・吽』に出てきたばっかりでしたー。
『阿・吽』では、敵ながら尊敬していた蝦夷の武将アルテイを処刑されてしまったことを苦々しく回想していたイケメン田村麻呂でした。

しかし、どうやらこの田村麻呂に魏石鬼八面大王が敗れたというのも伝説のようで、実際にはもっと昔、大和から来た「安曇族」との戦いに敗れた縄文人だったようなのです。

と、「関東農政局」のサイトに書いてあった。

「安曇族」というのは海の民族だったようで、水軍を指揮し、大和朝廷で高い地位にあったという。その海の民安曇族がここに来たのは7世紀頃といわれてるそうです。ということは空海さんや坂上田村麻呂より約100年前。

海の民がなぜこの山の中の盆地に??
というのは、謎に包まれているそうです。
朝廷に送り込まれたのかと思ったらそうでもなくてもっと自主的なグループだったような感じ。

<彼らの分布は、北九州、鳥取、大阪、京都、滋賀、愛知、岐阜、群馬、長野と広範囲にわたっており、「アツミ」や「アズミ」の地名を残しています。>
だそうです。へえええええ。全然知らんかった。
いったいどんな規模の団体だったんでしょうか。

7世紀〜8世紀、ちょうど万葉集の時代ですね。
いろんな勢力があったのねー。

関東から東北にかけて、こんな感じで縄文人と大和人の戦いが大小実にたくさんあったのだろうな、と素朴に思わされる。


思いがけなくも、わさび農場の中で大和と縄文(実に雑にくくってますけど)の戦いの歴史に遭遇するとはびっくりでした。

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2019/06/22

甘酒と霊獣、積まれていくもの


5月の東京の話です。

クライアントさんと神田で打ち合わせがあり、帰りに神田明神へ。

いつも華やかな感じのする境内ですが、元号が変わって「奉祝」ののぼりが立っていて、華やかさもひとしお。

社殿にむかって左手に新しいたてものができていて、その名も「EDOCCO」だって。
さいきんはやりの、和の単語をローマ字表記にするやつね。キッテとかソラマチとかの。明神様にはぴったりでかわいい。エドッコ。


(写真は公式サイトより)別名「神田明神文化交流館」。
去年12月にオープンしたのだそうです。1Fはショップとカフェ、地下はシアター、上階には多目的ホールやラウンジがあり、春にはジブリの展覧会をやっていたそうです。
最近アニメと縁が深いらしい神田明神。
いろんな層の人が来て賑わうのはいいことですね。
ワカモノや外国人にも受けがよろしいのではないでしょうか。

ショップがけっこう楽しい。神棚やお米やお塩も売っている。
オリジナルグッズも多く、ロゴのデザインも気が利いてます。
ミュージアムショップもだけど、オミヤゲ業界全般がこの10年くらいでものすごく洗練されてきた気がする。日本のおみやげショッピング文化は不滅ですね。

だけど同じ日本人女子でもたまに、お買い物一切が大嫌いという人もいるので面白い。
通訳のM嬢は、買い物には一秒でも余計に費やしたくない派だそうです。かっこいい。そうそう、この人は以前うちに泊まったときにも出したバスタオルを使わず、持参の手ぬぐい一枚で身を拭って出てきたので仰天したのだった。


 こんなの買った。柚子塩。なかみは高知のゆずと九州の塩だって。


「天皇陛下御即位記念」の祭てぬぐい。
この色の取り合わせと字体、いかにも江戸らしくて威勢が良い。

生前退位>即位っておめでたい一方でいいですね。
平成のはじまりはお葬式で、暗かったものねー。


東京総鎮守であり武将を祀る神社にふさわしい、すごく凛々しくて強そうな狛犬さん(獅子さん?)。
筋肉ムッキムキですね。敵に回したくない。

そしてこちらは…。



門前の老舗の看板息子。

ここの地下深くに、明治時代からの糀室があるのだそうです。


柱時計がたくさんある、寺山修司の映画にでてきそうな店内。


暑い日だったので冷やし甘酒。おいしゅうございました。


こちらは、お向かいの湯島聖堂の「大成殿」の屋根を守るものたち。

銅屋根の専門家集団「日本金属屋根協会」のサイトによると、てっぺんにいるのは「「鴟尾(しび)」の一種で、龍頭魚尾で頭から水を噴き上げている、鬼犾頭(きぎんとう)という「水の神として屋根の頂上にあって火を防ぐ」霊獣だそうです。

この孫の手がかさなったようなものは、水だったんですね。

睨みをきかせてる猫っぽい人たちは「鬼龍子」(きりゅうし)。
「想像上の霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れるという」。

この建物は関東大震災で焼失後、昭和10年に再建されたもの。戦災はまぬがれたのですね。火を防ぐ願いは切実。


いろいろなものに出くわす神田界隈。


植木ももりもり。

神保町界隈を歩くと必然的に古書をしこたま買うことになるのであらかじめ丈夫なカバンを持って出かける。

1階に看板がでていた、とある古書店をめざして、とても小さなエレベーター(定員4名くらいか、冷蔵庫のようなサイズ)に乗って4階に上がると、エレベーターを降りたところが…


…このようになっていました。

ええとこれは降りていいところ?と、しばらく躊躇したけれど人の気配がするのできっとこれはお店なのだろうと判断して先へ進む。

両脇に本がうず高く積まれているので荷物を持ったままでは通れない。入り口付近に荷物を置いて中を見ると、奥のほうに山に埋もれるようにしてレジがあり、お兄さんが一人ちんまりと座っていました。

「地震のときは大変ですね」って思わず聞いてしまうと「ええ、だいぶ崩れました」と静かに苦笑していらした。ひー。


ファンの多い有名喫茶「さぼうる」の入り口にある赤電話。現役かどうかは知りません。


そしてまた持って帰れないほど買い込んでしまう。
いったいいつ読了できるというのでしょうか。

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