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2019/07/17

謎すぎる民の穂高神社、ものぐさ太郎、シンプルお蕎麦


5月末、信州安曇野。

大王わさび農場のあと、穂高神社に行きました。
敏腕翻訳者Yさんいわく、ここはこの地元では一番大きく、初詣といえばこなのだそうです。

敷地は広くないものの、予想していたのよりずっと大きな神社で、格式が高そうな雰囲気が鳥居をくぐる前から感じられて、おおー!と声がでるほどびっくりしてしまいました。

ほんとに、山里の神社って感じじゃなくて、ピシッとした都の風情がただよっているのです。


狛犬さんも神田明神の狛犬さんのような筋肉ムキムキで、強そうなタイプ。
肩のニクの盛り上がり方がすごいし、巻き毛もかっこいい。
それほど古いものではなさそうですが(見てくるの忘れた)。
横顔が凛々しい。やっぱり戦闘系なんですね。


凛々しい杉の木。

ご祭神は<穗髙見命>で、
神社のサイトには
<穗髙見命は海神族 (かいしんぞく)の祖神(おやがみ)であり、その後裔(こうえい)であります安曇族は、もと北九州に栄え主として海運を司り、早くから大陸方面とも交渉をもち、文化の高い氏族であったようです。>
とあります。

上高地に奥宮があるので、わたしはてっきり地元の神様なのかと思っていたら、安曇族の神様だったんですね!(ていうか若宮はそのものずばり、安曇族の族長みたいな人)

9月の祭りには船のかたちの山車がでてくるそうです。この山に囲まれた盆地で‼
安曇族の伝統って脈々と受け継がれてるんだ。
それが1000年以上続いているってすごくないですか? 

この土地では最初は「征服者」だった安曇族の文化が、土地全体に共有されていくようになったっていうことなのか。


そして驚いたことにこの神社は20年毎に式年遷宮を行って、本殿を建て替えるのだそうです。

神社サイトによると
<醍醐天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式神名帳には名神大社に列せられ古くより信濃における大社として朝廷の崇敬篤く、殖産興業の神と崇められ信濃の国の開発に大功を樹てたと伝えられています。>
…だそうで、やっぱり相当の格式が与えられてたんですね。

安曇族って一族郎党どのくらいの規模だったんだろうか。朝廷との力関係はどうなっていたんだろう。なんていろいろ気になり出す。

安曇族は百済から来た勢力に追われてこの地に来た、という説もあるそうです。水軍として大陸からの侵略や海賊を防ぐという役回りだったらしく、朝鮮半島での戦役にも出ていってそこでリーダーが戦死している。

朝廷から命じられてこの土地を征服しにきたわけじゃなく、自主的に自分たちの領地を求めて来た、アメリカの19世紀の西部開拓民みたいな人たちだったのか。
安曇族については、いろいろ謎につつまれているようです。

大河ドラマにはならないだろうけれど、誰か長編小説を書いてないのかな。

日本は単一民族国家なんてしれっと言ってるけど、平安朝くらいまではあちこちに大陸系の民や縄文系の民(と大雑把にくくる)が激戦を繰り広げていたんですねえ。
信濃のまんなかでそんなことを実感するとは思ってもみなかった。


そういう意味でこの古い神社の存在は本当に興味深いです。

ヨーロッパの教会とは形が違うけれど、やはり祈りの場はパワージェネレーター装置。

この土地に勧請された勝者の神なわけですね。神社は土地の所有をどこからみても完璧にオフィシャルにするシステム、とみえる。


面白いことに、あまりのものぐさが幸いして出世したという「ものぐさ太郎」が摂社(若宮)に合祀されています。
釈迢空、折口信夫さんがものぐさ太郎のことを詠んだ碑があった。難しい…なぞなぞみたいな歌だ。



<川端康成、井上靖、東山魁夷が絶賛した>というケヤキの巨木。
こんなに大きなケヤキの木をみたのは初めてです。

色々謎がてんこもりでほんとうに面白い、それなのに不思議なほどすがすがしい神社でした。不思議〜。


敏腕翻訳者Yさんに、松本の町でたぶん一番おいしい、というお蕎麦やさんに連れてっていただきました。
小さな通りに面した目立たない店構えで、テーブル3つか4つだけのとても小さなお店。

おいしゅうございました。


蕎麦湯が出てくる土瓶などの器も素敵でした。


メニューは「ざるそば 1000円」と「大盛り1300円」の二択という直球。
平日だったので、幸いあまり待たずに座れました。
ドイツ人らしい旅行者の二人連れも神妙にお蕎麦を食べてました。

また信州にお蕎麦を食べに行きたい‼

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2019/07/15

夢の風景。そして大王の最後


敏腕翻訳者Yさんの丹精している畑。

ベリー類や葱や茄子やもろもろ、今頃はきっと豊作を迎えていることでしょう。いいなー。


5月末のこのときは、ちょうど田植えが終わったばかりで、アルプスが水に映えて綺麗でした。

信州安曇野というところは、ずっと前から絶対に行かねばならない気がしていたのになぜか行けなかった(行かなかった)場所のひとつ。
ご縁のおかげでようやく行けました。Yさんありがとうー。

山が好きでよくアルプス方面に通っていたらしいうちの両親が、わたしの名前を安曇にしようかと思ったくらい気に入っていたそうです。字がよくないので(安く曇る?)やめたって言ってた。
昭和どまんなかの時代、ひらがなにしようという発想はなかったらしい。
「あずみちゃん」だったらちょっと人生違ってたかも。


敏腕翻訳者Yさんが「大王わさび農場」に連れていってくれた。

なんだこの夢みたいな風景は!

ありえないほど透明な水に長い藻がゆらゆらしていて、意味なくいくつも大きな水車が回っている。


出来過ぎな風景だと思ったら、この水車は黒澤明の映画『夢』のセットとして作られてそのまま置かれてるんだそうです。まさに夢の光景だった。ちゃんちゃん。

なんか見たことあるような気がした。あの世かと思った。


オフィーリアが流れてきそうでもありますね!

 (ミレイのオフィーリア)。

ここは綺麗な水を生かしたわさび農場で、わさびソフトとかわさびコロッケとか売ってる(コロッケ食べた)。


でもなぜ「大王」なんだろうか、と思っていたら、奥のほうに小さな神社がありました。


ちょっとオットセイっぽいかんじの、モダンなラインの狛犬さん。


社殿の前には、1メートルを超すとてつもない大ワラジが飾ってあるのです。


由来が書いてありました。
「魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)は、今から1200年の昔、当地安曇平をおさめる王でした。身長2メートル超す大男の強者でしたが、東北征伐途上の坂上田村麻呂と戦い敗れました。八面大王の胴体がこのあたりに埋められたことから、初代勇市(わさび農場の人)がここに「大王神社」として祀り、巨体を象徴するかのように以来大わらじが奉納されています」

さらに
「有明神社奥の山中にはこのわらじ同等程の「八面大王の足跡」が巨石の上に残されています」と。

 えー!身長2メートルで足の大きさが1メートルってどういう寸法?
この大きさならすくなくとも身長10メートルはあるんじゃないのか。

て、驚くのはそこではなく。

坂上田村麻呂!このあいだ読んだ『阿・吽』に出てきたばっかりでしたー。
『阿・吽』では、敵ながら尊敬していた蝦夷の武将アルテイを処刑されてしまったことを苦々しく回想していたイケメン田村麻呂でした。

しかし、どうやらこの田村麻呂に魏石鬼八面大王が敗れたというのも伝説のようで、実際にはもっと昔、大和から来た「安曇族」との戦いに敗れた縄文人だったようなのです。

と、「関東農政局」のサイトに書いてあった。

「安曇族」というのは海の民族だったようで、水軍を指揮し、大和朝廷で高い地位にあったという。その海の民安曇族がここに来たのは7世紀頃といわれてるそうです。ということは空海さんや坂上田村麻呂より約100年前。

海の民がなぜこの山の中の盆地に??
というのは、謎に包まれているそうです。
朝廷に送り込まれたのかと思ったらそうでもなくてもっと自主的なグループだったような感じ。

<彼らの分布は、北九州、鳥取、大阪、京都、滋賀、愛知、岐阜、群馬、長野と広範囲にわたっており、「アツミ」や「アズミ」の地名を残しています。>
だそうです。へえええええ。全然知らんかった。
いったいどんな規模の団体だったんでしょうか。

7世紀〜8世紀、ちょうど万葉集の時代ですね。
いろんな勢力があったのねー。

関東から東北にかけて、こんな感じで縄文人と大和人の戦いが大小実にたくさんあったのだろうな、と素朴に思わされる。


思いがけなくも、わさび農場の中で大和と縄文(実に雑にくくってますけど)の戦いの歴史に遭遇するとはびっくりでした。

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2019/06/22

甘酒と霊獣、積まれていくもの


5月の東京の話です。

クライアントさんと神田で打ち合わせがあり、帰りに神田明神へ。

いつも華やかな感じのする境内ですが、元号が変わって「奉祝」ののぼりが立っていて、華やかさもひとしお。

社殿にむかって左手に新しいたてものができていて、その名も「EDOCCO」だって。
さいきんはやりの、和の単語をローマ字表記にするやつね。キッテとかソラマチとかの。明神様にはぴったりでかわいい。エドッコ。


(写真は公式サイトより)別名「神田明神文化交流館」。
去年12月にオープンしたのだそうです。1Fはショップとカフェ、地下はシアター、上階には多目的ホールやラウンジがあり、春にはジブリの展覧会をやっていたそうです。
最近アニメと縁が深いらしい神田明神。
いろんな層の人が来て賑わうのはいいことですね。
ワカモノや外国人にも受けがよろしいのではないでしょうか。

ショップがけっこう楽しい。神棚やお米やお塩も売っている。
オリジナルグッズも多く、ロゴのデザインも気が利いてます。
ミュージアムショップもだけど、オミヤゲ業界全般がこの10年くらいでものすごく洗練されてきた気がする。日本のおみやげショッピング文化は不滅ですね。

だけど同じ日本人女子でもたまに、お買い物一切が大嫌いという人もいるので面白い。
通訳のM嬢は、買い物には一秒でも余計に費やしたくない派だそうです。かっこいい。そうそう、この人は以前うちに泊まったときにも出したバスタオルを使わず、持参の手ぬぐい一枚で身を拭って出てきたので仰天したのだった。


 こんなの買った。柚子塩。なかみは高知のゆずと九州の塩だって。


「天皇陛下御即位記念」の祭てぬぐい。
この色の取り合わせと字体、いかにも江戸らしくて威勢が良い。

生前退位>即位っておめでたい一方でいいですね。
平成のはじまりはお葬式で、暗かったものねー。


東京総鎮守であり武将を祀る神社にふさわしい、すごく凛々しくて強そうな狛犬さん(獅子さん?)。
筋肉ムッキムキですね。敵に回したくない。

そしてこちらは…。



門前の老舗の看板息子。

ここの地下深くに、明治時代からの糀室があるのだそうです。


柱時計がたくさんある、寺山修司の映画にでてきそうな店内。


暑い日だったので冷やし甘酒。おいしゅうございました。


こちらは、お向かいの湯島聖堂の「大成殿」の屋根を守るものたち。

銅屋根の専門家集団「日本金属屋根協会」のサイトによると、てっぺんにいるのは「「鴟尾(しび)」の一種で、龍頭魚尾で頭から水を噴き上げている、鬼犾頭(きぎんとう)という「水の神として屋根の頂上にあって火を防ぐ」霊獣だそうです。

この孫の手がかさなったようなものは、水だったんですね。

睨みをきかせてる猫っぽい人たちは「鬼龍子」(きりゅうし)。
「想像上の霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れるという」。

この建物は関東大震災で焼失後、昭和10年に再建されたもの。戦災はまぬがれたのですね。火を防ぐ願いは切実。


いろいろなものに出くわす神田界隈。


植木ももりもり。

神保町界隈を歩くと必然的に古書をしこたま買うことになるのであらかじめ丈夫なカバンを持って出かける。

1階に看板がでていた、とある古書店をめざして、とても小さなエレベーター(定員4名くらいか、冷蔵庫のようなサイズ)に乗って4階に上がると、エレベーターを降りたところが…


…このようになっていました。

ええとこれは降りていいところ?と、しばらく躊躇したけれど人の気配がするのできっとこれはお店なのだろうと判断して先へ進む。

両脇に本がうず高く積まれているので荷物を持ったままでは通れない。入り口付近に荷物を置いて中を見ると、奥のほうに山に埋もれるようにしてレジがあり、お兄さんが一人ちんまりと座っていました。

「地震のときは大変ですね」って思わず聞いてしまうと「ええ、だいぶ崩れました」と静かに苦笑していらした。ひー。


ファンの多い有名喫茶「さぼうる」の入り口にある赤電話。現役かどうかは知りません。


そしてまた持って帰れないほど買い込んでしまう。
いったいいつ読了できるというのでしょうか。

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あのイケメンと再会!


奉祝・令和の上野、5月末。
5月なのに真夏のようなうだる陽気でした。
にゃを美先生と国立博物館へ。


なにがなんでも行きたかった「東寺展」!

平日なのに長蛇の列だったー。70分待ちと言われてひるむ。
しかしイケメンと会うために耐え忍ぶ。

並んでるのはおばちゃんとおばあちゃんばっかり >(お前もなー)。
中にチラホラ熟年男性。

なにしろこの日はたしか30度超えの炎天下だったので、日射病おばちゃん続出予防のため、博物館は並ぶひとびとに日傘を貸し出していました。


じゃじゃーん。
ああこの方とまたお会いできるなんて。

去年の夏、東寺で。お目にかかった帝釈天さまであらせられます。

東寺の「講堂」はとてもとても空いていた、というかほぼ独占状態だった。
なんと贅沢なことであったか。

でもお寺のお堂はなにしろ昔の建築だけにスペースが限られてて、仏様たちも天部衆もみんなけっこうギュウギュウ詰めなレイアウト。

今回の国立博物館の展示室はそれはそれは広々していて、講堂のゆうに3倍くらいある部屋で立体曼荼羅の仏像を360度眺められるというまたとない機会でした。
バーゲン会場のような人群れをかきわけながら、ではあるものの。

空海さんもにんまりしていることだと思う。



展示室内は撮影禁止だけど、このポスターボーイ、帝釈天さんだけは撮影OK。

おばさま方に取り囲まれるスーパースター。

なにしろ仏像界でも指折りの世紀のイケメンなので、告知でも一番大きく扱われてるし、海洋堂製作の7200円もするフィギュアも売り出されてるし(一瞬考えたけど買いませんでした)、とにかく特別扱い。



告知でもセンターとってます。

にゃを美先生は「きっとさー、天部の間でお前ばっか目立ちやがってって裏で言われてるよ」といたく気にされていた。
でも実は帝釈天さんって四天王のボス的な存在なんですってよ。
だからきっと特別余計に働いて、衆生のために撮影モデルまでつとめてくださってるんですよ。

さすがに立体曼荼羅の全員がきているわけではなく、中心の仏様と、梵天さん、不動明王さんなどはお留守番。
 
こういう博物館での展示の前には仏像は「魂抜き」をしてから運んでこられるそうですが、会場ではやはり如来像に手を合わせている人がちらほらいました。だよねー。



いやーーほんとに何度見てもかっこええです。
帝釈天って、ヒンドゥー教ではインドラ様なのでしたね。
手に持ってるのは金剛杵。
空海さんの像も右手にもっている密教法具ですが、もとはインドラさんの武器だったんだそうです。(< 今知ったばかりバイウィキペディア)。

会場ではその隣にいた持国天さんも、何度見てもほんとに迫力。


図録は重すぎるし、東寺で買った写真集があるからいいやと思って持国天さん栞とクリアファイルのみ買って帰ったのだけど、しかし!去年東寺で買ったはずの仏像カタログはいったいどこに行ったのかなと思って記憶をたどると、去年船便で送って紛失されてしまった中にたぶん入ってたのに違いない!!(大号泣)やっぱり図録買っとくんだったなあ。

グッズもいろいろあって目移り。
最近の日本の特別展グッズすごいです。細かいツボを突いてくる。
日本の人はほんとにミュージアムとお買い物が好きだよね。わたしもです。戦利品ツイートをあつめたページもあった。

クリアファイルは金剛杵を組み合わせた「羯磨」(かつま)の柄です。
笑えるほどかっこよすぎ。

羯磨って初めて見たのですがこれは、法会で、投げて‼使用するのだそうです。

そして今回、念願の曼荼羅図にはじめてお目にかかることができました。

(これは国宝の金剛界曼荼羅、国博サイトより)

平安時代に作られたというこの国内最古の曼荼羅(国宝)は会期最初のほうにだけ展示されたそうで残念。
行った日に展示されていたのは、江戸期にコピー製造された(もちろん手描きで)「元禄本」の金剛界曼荼羅。でもこちらも素晴らしかった。

まずそのサイズに仰天! 壁一面。でかっ。

これは国内最大級の大きさだそうで、一辺が4メートルくらいある巨大曼荼羅。
毎年の法会で現役で使われているものだそうです。
絹の上に手描き。


2014年公開時の産経新聞サイトより)
細部は菩薩のお顔がぎっしり並んでいたりしてとにかくすごい密度。
宇宙は混雑しているのですねー。

東寺展予習資料として、にゃを美先生がおかざき真里さんのコミック『阿・吽』全9巻(出てるのぜんぶ)を貸してくださった。
今までまったく知らなかったのですが、すごく面白かった。

東寺展でおかざきさんのトークイベントもあったんだそうです。


左が最澄さん、右が空海さんですよ!!

登場人物ほぼ全員イケメンでほぼ全員エモくて色っぽくて傑作です。

9巻では、空海さんが押しかけ遣唐使で行った長安から日本に帰ってきて、さてこれから作りますよ高野山!というところ。
ああつづきが早く読みたい。

最澄さんはエモくてど繊細な天才、空海さんは強烈なドライブを持つ野獣のような天才として描かれてて、この二人の、共に生きるべきはずなのに運命が歴史に翻弄されつづける韓流ドラマのようなドラマチックなすれ違いとか、長安での空海と恵果師匠の怒涛の出会いのくだりなどほんとうにすごい。

特にぐいぐい掴まれたのは丹生都比売。高野山開山の際に空海さんが挨拶にいったと伝えられている地元の神がど派手なセクシー美女神として登場して、暴力的なヒトの世界のなかで心優しく強い(でも万能ではない)存在として描かれてる。

自然に囲まれた隠国に無数の霊と神が人と共に住む日本という国に、唐では弾圧が間近に迫る密教を託そう、という話のはこびに涙しました。

高野山行ったとき、神社も行っておくのだったなー。スルーしてしまったごめんなさい。次回機会に恵まれればぜひ行きたい。

空海さんの話はやっぱりちゃんと読まなくちゃ。ていうかここに来てまだ何も知らなさすぎる自分にびっくりだ。


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