「超満月」の舞踏の夕べ、とても素晴らしかった。かなり仕事が立て込んでいてどうしようかと思ったけれど、本当に行ってよかった。
場所は、シアトル道教寺院。「寺院」じゃないのかな。
すみません、道教(タオイズム)のことはなにも知りません。
Taoist Studies Institute という研究機関のような名前がついている。
建物はPhinney Ridge (フィニー・リッジ)の閑静な住宅街にある教会。その半分がこのインスティチュートです。教会の建物長老派のキリスト教教会と仲良く半分こずつ占有しています。
入り口脇にはステンドグラス。
少し遅れて行ったら、時間通りにもう始まっていた。
ほの暗い、天井の高い礼拝堂には、木の床に黒いクッションが並べられ、ステージとの間には点々と小さなロウソクが置かれています。結界みたいに。
奥には背のまっすぐな椅子が2脚と中国風のベンチがひとつ。右手の隅にはいろいろ不思議な楽器が並んでいて、Serge さんが音を奏でている。
Kaoruさんの踊りは、風に飛ばされる木の葉や、水に流されていく草のような、たき火の炎のような、ちょっと人間の体とは思えないような動きと、耳に聞こえないリズムで流れていく。
踊る人の手の表情は豊か。
奈良や京都のお寺の優雅な天人像や菩薩像のような、語る指先。
そして音の、なんと気持ちよいことか。
東南アジアのお寺の屋根の形をしたカンボジアの銅鑼の音は、明るく澄んで、余韻がいつまでもお堂の隅々からはらはら静かに降ってくるようだった。インドの鈴のくぐもった音、しゃらしゃら鳴るジャワの鈴の、アジアの豊かな雨のような音。
いろいろな太鼓の乾いた音。
そして、主役は、Didgeridoo(ディジュリドゥ)の、なんだか聞いたことのあるようなないような、地面深くに埋められた不思議な機械のエンジンから響いてくるような音。
わたしは今回この楽器の存在を初めて知ったのですが、民族楽器のなかでは有名なのらしい。
みためは、形も大きさも、長めのゾウの鼻くらい。
オーストラリアのアボリジニの楽器で、シロアリが喰って空洞になったユーカリの木の根をほぼそのまま、外側に装飾して楽器としたものなのだそうだ。すごい製法ですね。
この楽器には、トカゲくんが彫られていた。
音楽家と踊り手の間には、言葉に翻訳しがたいやり取りが飛び交う。音楽家が投げた音を何百分かの1秒で踊り手がはっしと受け取って、新しい流れが始まる。
踊り手の次の動きを読み取った音楽家が、少しだけ予想と違うリズムを投げて、また違う方向に何かが向かう。
見たことのない赤い乾いた平原や、緑濃い田園、水牛が歩くアジアのほこりっぽい道などが、音の中から次々に現れて消えるような。
そして見ている人の中にも、奏でている人にも踊る人にも多分、津波に呑まれた町や村のことが深く刻まれていて、出口を探している。
自然と人と、流れるもの、与えられるもの、永遠に生きるもの、語るもの、這いずるもの、飛ぶもの、命や力、などのこと。大きすぎてなかなか頭に入りきらないもの。
床に座っていながら、とてもてても広い風景を見てきたような気がした、小一時間でした。
休憩時間には、お茶をいただきました。
大きなガラスの入れものに入った中から好きな茶葉を選ぶと、ボランティアのスタッフが1杯ずつポットで入れてくれる。
紫色のロータスの花とラベンダーの花のお茶は、ほっとなごむ味でした。
家に帰ると、ちょうど、スーパー満月が上ってくるところでした。
北園克衛に
「赤い月がわめきながらのぼって来た」
というような詩の一節があった(ものすごくうろ覚え)けど、まさにそんな感じの月でした。
ベランダから息子撮影。トリミングしまくり。これは上ってきてから20分後くらいの月です。
追記:Kaoru さんのブログに動画がアップされました。
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