2014/08/16

不思議な猫の町の犬の丘 



尾道は猫の町なのらしい。

3時間くらいの急ぎ足の散歩中に出会った路上ねこは、この人だけでしたが。
暑い午後だったからか。


住んでる人が猫好きそうな雰囲気があちこちに漂っている。


なぜか「猫がいます。」と宣言している家が数軒。
泥棒や押し売り防止のために「犬に注意!」て看板を出してる家はどこにでもよくありますが、この猫います宣言は一体なんのため?
猫がいると住民税が減税になるとか何かあるのか。魔除けか。




とりあえず商店街を抜けてロープウェイで丘の上のお寺へ。『トトロ』にでてきそうな、見事なクスノキの上を越していきます。このクスノキは「うしとら神社」という非常に古い神社の境内にあるもの。巨石が祀ってあるという神社です。
そんな神社をまたぎ越してしまって良いんでしょうか。
遠くから(上から)見ただけでしたが、小さいながらただならぬ雰囲気の古社でした。


狭い斜面地に、お寺と神社がみっしり並んでいる町。
のどかな魚の町に、なぜこんなにもお寺が集中しているのか。




のどかなわりには、謎が多い町。


頂上の公園でロープウェイを降りると、こんな歓迎団がお出迎えしてくださった。


食べものもしくは飲みものを手にしている人を非常に熱心に見守る、歓迎団。

オミヤゲ屋さんによると、この公園に最近住みついた家族らしい。


いちおう、野犬。でもこんなサイズなので全然迫力はない。
 

東京圏ならすぐに「駆除」されちゃうだろうなあ。のどかな町で、よかったね。


頂上からはお寺のわきを通ってずんずん下ります。下りの道は「文学のこみち」と名づけられて尾道にゆかりのある石碑がたくさん並んでました。子規の句碑もあった。

のどかさや 小山つづきに塔ふたつ

やっぱりどこから見てものどかな土地。


屋根に草が生えちゃってる家、メンテナンスがおいつかないであちこち傾いた家や、本当に崩れてる家もちらほらと。

風情はあるけど危なくないのだろうか、と、ひとごとながら心配になってしまう。
地震がある土地だったら間違いなく無理そうな家が、崖の上にちょこんと傾いて載っている。


のどかなんだけれど、どこか人を不安にさせるミステリアスな町です。

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2014/08/14

風琴と魚の町


バスで瀬戸内海をわたって、いつのまにか尾道の町なかについてました。
窓の外に見える町の風景にのっけからひとりで興奮。うわー。坂道が。うわー、瓦屋根が。うわー、おばあさんが。素敵すぐる。

駅について荷物をロッカーにいれて、新幹線の時間まで約4時間弱。よし、歩く準備万端。

「ここはええところじゃ、駅へ降りた時から、気持ちが、ほんまによかった。ここは何ちゅうてな?」
「尾の道よ、言うてみい」
「おのみち、か?」
「海も山も近い、ええところじゃ」 (『風琴と魚の町』、林芙美子)


なにも前知識を仕入れていなかったので、とりあえず駅前の「リトルマーメイド」でパンを買って食べながら、海沿いをてくてく商店街方面へ。 


商店街の入り口に、いきなり林芙美子記念館がありました。


入館無料。ここは林芙美子が高校に上がるまで1年ほど住んだ家だということです。
1階も2階も一間きりの、ごく狭い家。



この2階、はしごのような階段で上がれることは上がれるのだけど、土台が歪んでるっぽくて「壁に手をつかないでください」なんて注意書きがあって、はなはだ心もとない。

後で歩いた坂道の上にも、いまにも崩れそうな家々がたくさんありました。




商店街出口にある芙美子像。うしろにでかでかと「金券」だの派手に破けたままの看板だのがあるところが、いかにも似つかわしい。



商店街は七夕でした。

昭和のどこかで時が止まったかのような、うすら寂しくて活気のあまりない、懐かしい商店街ではあるのだけれど、ところどころに目をひくオシャレな店がある。


たとえば「パン屋航路」という新しそうなベーカリー。東京の真ん中にありそうな清潔でさっぱりした店。

しまった、リトルマーメイドでパンを買ってしまった、と思いながらもここでもソーセージパンを買う。




それから、30代くらいのキュートな奥さんがお店をきりもりしていた焙煎コーヒー豆の店。
アイスコーヒーをここで買いました。


このほかにも、カフェやベーカリーがいくつか。


そうして、看板の出ていた「あなごのねどこ」というゲストハウス。
わー面白そう、と思ったけどこの日は時間がなく、帰ってから調べてみると「尾道空き家再生プロジェクトの再生物件のひとつです」とのこと。ドミトリー式で宿泊料金3000円、だそうです。
次回ここ!

尾道もやっぱり高齢化が進んでいて、空き家が多くなっているらしい。
商店街も歯のぬけたようにシャッターがしまっているお店も。

尾道が好きな若い人が外からやってきて地域を活性化しようとしてる。


難しそうだけど、がんばれ尾道ー。

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2014/08/13

しまなみ海道とピュージェット湾



道後温泉で美女二人に別れて、瀬戸内海をわたって尾道へ行きました。


今治までは海沿いの電車。


今治駅には実物大(?)のバリィさんがいた。わたしはこの人の存在も松山に行くまで知らなくて、M嬢と土産物屋のおばさんに呆れられてしまいました。

いまや全国区で大活躍中のゆるキャラ☆キング。人気のゆるキャラってみんなシンプルな顔してますね。


瀬戸内海をわたる「しまなみ海道」をJRバスを乗り継いで尾道へ。

瀬戸内海をちゃんと見たのは今回がほぼ初めてなのですが、瀬戸内海ってきっとシアトルのあるピュージェット湾に絶対似てるはず、と前から思ってたのです。

だって内海で島がてんてんとある地形がそっくり。やっぱり風景は似てました。


みかんの木がたくさんあるのと、きれいな瓦葺き屋根の家々を別にすれば。

バスの乗客はみんな地元のおばちゃんばかりでした。



バス乗り場で買った、中国地方限定版ジョージア「ぶち」。「甘味しっかり、ぶちウマ!」砂糖の含有量が多いらしい。






ここでバス乗り換え。このあたりの島に伊東豊雄の美術館があるのですが、この日は月曜で休館。
直島にも一度行ってみたいし、瀬戸内、そのうちゆっくり再訪してみたいです。

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道後やや


道後温泉で泊まったホテル「道後やや」がすごく良かった!

温泉町の旅館ですが、温泉がついてない。お部屋には広々したバスタブつきのお風呂はついてますが、温泉じゃない。
温泉は徒歩数分の「道後温泉 本館」に行けばよいという、道後温泉ならではの(多分ほかの温泉地では考えられないですよね)、とても合理的な考え方のホテル。そのぶん、お値段はリーズナブルでした。



なにが良かったって、朝食ブッフェ。さすがポンジュースのふるさとだけあって、みかんをいれるとジュースがでてくるジュース製造機から、地元産の野菜がたっぷりの健康ブレックファスト。


ほんとうにやる気のない写真で申し訳ありません。食べるのに忙しかったんですー。

産地の農園の名前も記された野菜が何十種も並ぶサラダバーに、いろんな種類の地元柑橘類がならぶみかんバー。


御飯におかゆも2種類。地元産の伊予の味噌をつかった激うま味噌汁、煮物、きんぴら。
こんな朝食の店が近所にあったら週に一度は通っちゃう。


そして朝食の器も、地元の陶芸家さんの作品がたくさん使われてました。可愛い。

ここは「伊織」と同じ若い人の経営なのだそうで、隅々にまで気合が入ってます。
客室は狭いのだけど、清潔で、すっきりしたモダンな和のデザインなので、狭さを感じさせない。



道後温泉本館や、もう一件ある銭湯式お風呂に行くときには、「タオルバー」でタオルを借りていけます。もちろんぜんぶ、今治タオル。


浴衣のデザインもかわいい。外出用に用意されてる下駄とおでかけバッグもかわいかったです。


いいツボをおさえられまくりのホテルでした。


その隣にあった民家は、とても雰囲気があるおうち。サザエさんちみたい。


二泊めは少し離れた東道後のホテル「そらともり」に宿泊。こちらは館内にいろんな温泉があって、部屋にも半露天風呂がついているという温泉フィットネスリゾート。

ここの温泉めぐりも楽しかったけど、ここはカレシと来るところだねえ、と意見が一致。

とはいえ、 女同士での来し方行く末の話も、とても楽しかったのです。


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2014/08/12

ラーメンじゃないほうの山頭火 猫に御飯を食べられる


今シアトルで「山頭火」って言ったら、きっと10人中8人くらいまでが「ラーメン食べた?どうだった?」っていいますよねきっと。

ベルビューにできたラーメン屋さんには、まだ行ってません。行きたいけど。

こちらはほんものの種田山頭火さんの話です。

道後温泉ツアーのコンダクター、マダムNが、山頭火終焉の地、一草庵に、思いがけなくも連れていってくださいました。

山頭火が松山で亡くなったのは知りませんでした。



山頭火が最後の日々を過ごした一草庵は、今では地元のボランティアの方々が守り、訪ねる人にいろいろと話を聴かせてくれます。
 
山頭火が松山に来た時には、長年の深酒ですでにもうどうしようもないほど体を壊していて、死に場所を探しに来たのだといいます。それよりさかのぼること10年以上前、僧籍に入ったすぐ後のころに四国巡礼の途上で立ち寄った松山の人の温かさに惹かれたのだとか。



10歳のとき、母親が井戸に身を投げて死んだのを見てしまったという山頭火。

山口の裕福な造り酒屋に生まれたものの、成人する頃には家は傾き始めていて、以降はまったくお金に縁のない生涯だったようです。

 妻子とも別れ、40代で出家して放浪の俳人となり、それから58歳で亡くなるまでの間、托鉢をしたり友人の世話になったりしながら自由律俳句だけに生きた人。




そんな山頭火にふさわしい質素な小さな位牌が、素朴な仏壇に置かれています。

ボランティアの方が家から採ってきたという若い梨の実が供えられていました。

この草庵を守るボランティアのおばさま方が、さくらんぼとトマトとお茶でもてなしてくれました。


「うしろ姿のしぐれてゆくか」

山頭火は近年、1990年代以降に急に人気が高まって来たようです。

松山の「山頭火クラブ」のブログで紹介されていたNHKの番組では、「山頭火の句に救われた」という人が多く紹介されていて驚きました。

まわりにひどい迷惑ばかりかけながらも自分の道を求め続けた、自由さ。余裕があっての自由ではなく、あまりにも不器用で他の生き方ができないような人だったようです。

しかも自由律という形式を選び、縛られない言葉という縛りを自分に与えて、観想を渾身の真摯さをもって書き留めた、素朴な句を生んだ。

「分け入つても分け入つても青い山」
「鴉啼いてわたしも一人」
「私ひとりでうららかに木の葉ちるかな」


本当にこの人はきつい道を歩んだのだな、というのが句を読んでいると伝わってくる。

人生棒に振って救いを求めずにいられなかったその荷の重さと、句にあらわれている、ふと雲の上に出てしまったような、すべてがふっきれたような、一瞬の明るい静かな境地が、思い悩んでいる現代の多くの人の共感を呼ぶのでしょう。

種田さん、俳句つくってなかったら単にアル中の駄目な人ですから。

一草庵の入り口に展示されている山頭火年表の最後のほうに

十月二日 犬に餅を貰う
十月五日 猫に御飯を食べられる
十月六日 猫の食い残しを食べる

という記述がありました…。

猫とご飯を分け合ったその数日後、泥酔したまま布団にはいって帰らぬ人になったそうです。

この人も、周りの人が放っておけなくなってしまう、憎めない人だったのだろうなあ、と思います。


訪問者が来やすいように間取りを変えたものの、あとはほとんど当時のままだという庵はとても居心地がよくて、つい長居をしてしまいました。

綺麗な風が通る縁側。
 

松山は俳句の町。あちこちに「俳句ポスト」があって、だれでも投句ができるようになってます。




マダムNとM嬢と3人、すっかり草庵でくつろいで、お茶をいただきながら即席句会を開きました。


「たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと」
 というのは、山頭火が最晩年に詠んだ句。

やはり母の自殺によって子どもの頃に受けた傷を癒やすことはできなかったのかもしれません。

仏門に入りながら悩みっぱなし。

本当に突っ込みどころの満載な人ですが、子どものようにひたむきな、希有なすがすがしさのある人、だったのではないかと思います。


日本が太平洋戦争に突入する直前に亡くなっているんですね。まだのどかさの残る頃に、のどかな松山の地で心やさしい人びと(や犬猫)に見守られて、最後まで自分の道を真っすぐ追求できた、幸せな生涯だったのではないでしょうか。

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