ラベル アートや建築 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル アートや建築 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021/09/13

手仕事ができる人



建築家Y子さんが、さいきん手工芸にはまっていらっしゃる。
新作のミニチュア埴輪(ふうクリーチャー)をいただきました。
食卓で癒されている毎日。

たとえ何か不具合があったとしても、一瞬で肩のちからが抜ける、霊験あらたかな、はにわーズ。




一緒に、コダマちゃんズ(暗いところで光る)もいただきました。




 晴れた午後はベランダで、しるこサンド。

 


 

先週末にTwitterで大ブレイクしていた日本のミニチュア作家Mozuさんの作品とメイキングがあまりにも良く出来てて面白くて何度も見てます。

視点の細かさに感動。

わたしのように手先が不器用で図工が苦手な人からしたら死ぬほど面倒くさそうに見える作業に、えんえんと、ぜんぜん誰にも頼まれてないのに、ほんとに嬉しそうに取り組んでいるところが、とても素敵。

ミニチュアの鴨居とかラックとかトイレットペーパーとか、一つずつ自分の納得するまで完璧に作り上げるたびに、至福を感じるのだろうなあ、と見ていて嬉しくなる。

わたしは絵をかくのは好きだけど工作や裁縫は壊滅的にダメで、線もまっすぐに引けない人だけど、うちの青年やCTちゃんをはじめ、まわりにはわりと手先が器用でピシッとした手仕事のできる人が多いです。

そういえば、小学校のころから図工や工作に苦手意識があったなー。

手仕事や図工のじょうずへたって、センスや手先の器用さだけでなく、余計な我を出さずに素直に無心に取り組めるか、がかなり大きいのだと思う。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2021/08/27

攻撃性を手ばなす。ラクダ、不思議なゾウ、元オウム真理教のあの人

 

これも先月、シアトルに遊びに来てくれた友人たちと、アジア美術館に行ったときのです。
入り口のラクダ君。

新装オープンしてから行ったのは2回め。


このたび目を惹かれたのは、この白ゾウたちでした。
牙が3連です!!
口のなかがいったいどういうことになっているのか…。しかし目がとても優しく表情豊かに描かれていますね。耳もとても不思議な形状で、柔らかそうです。



たしか日本の江戸時代の掛け軸で、文殊菩薩?をのせている象たち。

ゾウたちは花の上に立っている。一種の曼荼羅だったとおもいます。
(うろ覚えごめんなさい!メモってこなかった)

そして象たちの下には!


さらにミニチュアな象たちがぎっしりと、世界を支えているのです。

密!!


こんなにぎっしりいるとゾウでなくても怖いけど、みんなニコニコしていて楽しそう。

 


このお仏像の右手、奥のほうに飾られているのが全体図です。

美術館はやっぱりほんとに楽しいです。


 数日前に、波乗り翻訳者えりぴょんが面白い動画を紹介してくれました。

 もとオウム真理教のスポークスマンだった上祐史浩さんの、最近のインタビュー動画。

(リンクがここのブロガーの中からはうまく見つからないので、検索してみてね)

 インタビュアーはサリン事件のとき小学生だった世代の人で、あまり事件についてもよく知らず、素人っぽいのだけれど、上祐さんが淡々と語る姿勢に、心動かされました。

わたしはこの人、死刑になったオウム幹部たちの中にいたのかとぼんやり思ってました。

1995年、地下鉄サリン事件の後しばらくは、テレビをつければパジャマみたいな奇妙な服を着てこの人が喋っていたのを覚えてます。うちの青年が生まれた年でした。

上祐氏は、地下鉄サリン事件のあったときにはずっとロシアにいて事件にはかかわっていなかったものの、事件後半年ほどは教団のスポークスマンとして、教団を代表し、擁護する立場だった人。その後サリンとは関係のない件で逮捕され、4年服役していたあいだに、麻原彰晃の教えから徐々に離れることができたそうです。

それまでは、本当に麻原のいう「ハルマゲドン」が来ると信じていたけれど、世紀が変わろうとしても予言はひとつも実現しないし、教祖も逮捕されてしまった。その中で、麻原の妄想は、「日本の過去の暗部である大日本帝国のリバイバル、拡大投影だったのではないか」と思い至るようになったと言ってました。

そして、今年アメリカで起きたトランプ支持者による議事堂の襲撃事件や、トランプが自分が選挙に負けたことを陰謀だと言い張っていることが、末期のオウム真理教に重なって見えることを危惧している、とも。

 

トランプ支持者やQアノンの言説の方向が、まったくもって麻原の妄想に重なって見える、という言葉は、まさに凶暴化してしまったカルトの渦中にいた人の言葉として、とても重い。

麻原彰晃も、当然勝つつもりで選挙に立候補したものの、ことごとく落選して、それを世の中の陰謀だと言い張り、そのへんから暴走が始まったようです。

わたしその頃、麻原が立候補した選挙区である杉並区に住んでいて、よく荻窪駅や阿佐ヶ谷駅の前で、ゾウのお面をかぶった信徒たちが「ショーコーショーコー♪アサハラショーコー」と踊りながら歌っている選挙活動を目撃したことがあります。

そのころは単に笑いものにしていたけれど。

 


 

上祐さんは、いまだに麻原の教えを信奉する教団「アレフ」とは決裂して、現在は宗教団体ではない仏教サークルのような団体の代表をつとめ、サリン事件の被害者団体とのあいだで取り決めた賠償金を支払い続け、「アレフ」を脱退したいと悩む信者の相談にも乗っているという。

20代前半のころ、JAXAの前身であった宇宙開発事業団に就職していたのに、出家したために1か月で辞め、結局は教祖の妄想に巻き込まれて犯罪の片棒をかつぐことになり、多数の死傷者を出した大事件の責任の一端を担って、つぐないつづける人生。 

そうでなければ、いまごろ「はやぶさ」の開発に携わったり、まっとうに家庭を持っていたりしたかもしれないのに。

テレビ番組に出たときにコメンテーターから「あなたは自殺してしかるべきだ」と言われたという。

他人に対してそういうことが言える神経はちょっとよくわからないけれど、上祐氏は、「その人は、もし自分が私の立場なら死んでいただろうと考えたのかもしれませんね」と淡々という。

ああこの人は、過去とも自分の現在とも、きちんと向き合い続けているのだな、と思わされました。今目の前のことに真摯に取り組んでいるのだろうし、だから表情が穏やかです。

遺族の方や被害者の方の中には、とても許せないという人も多いと思うけれど。
罪を犯した人には悔やみ続けてほしい、心の平和など持たないでほしい、と憎み続けている人がいたとしたら、その心こそ地獄ですよね。

自分で選んだというよりも、流されるようなかたちでいつの間に大きな間違いを起こしていたなかで、心静かに「胸を張るというのではないけれど、死なずに生きることを選ぶのだったらこれしかできない」という生き方を淡々としている。

瞑想と、自然の中に行くことで心が癒やされていると言っていました。

20代のころに教祖の妄想に巻き込まれたのは、やはり自分が特別でありたい、充足したい、秀でたい、超越したい、という欲望を持っていたからこそであり、そのことがつまづきになったことをよく見つめて、自分を麻原の被害者にしていないこと、責任を負っていることが心の平和をもたらしているのだろうなと、勝手に思いました。

身近な人を見ていても、トランプ周辺の支持者や陰謀論者を見ていても、自分が被害者だと思っている人は、絶対に幸せになれないし、攻撃の連鎖をやめられないんですよね。

わたし自身、いまも、攻撃性が心のなかにたくさん巣食っているのを発見して唖然とすることがあります。
けっこう毎日あります。
もう無いだろうと思った瞬間に見つかります。

怒りや攻撃性はヒューマンネイチャーだしそれは有効に使うべきエネルギーだっていう論もあるけれど、人類の歴史でそれを野放しにしていままでろくなことは起きてこなかったので、もうそろそろ人類的にもそれを別の方向から考えて手放すときに来てるのかも。

人類的にどうしたらいいのかはわたしの手には余るので、とりあえず個人的にさっさと手放す実験を死ぬまでつづけていきたいと思っています。

と、思っていたところにタイムリーに上祐さんの動画がやって来たので、うんうん、そうですよね、と思いました。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2021/08/23

裏庭の座敷わらしたち


冷え込んだ土曜日、久しぶりに小さな舞踏のパフォーマンスに行ってきました。


グリーンレイクの閑静な住宅街。
トマトやコスモスが植えられた、ごくまっとうな家庭的なお庭が、いっとき不思議な空間に。




ひとつめの演目はJoanさん(Joan Laage/Kogut Butoh)の「The Inbetween」。

この方の舞踏はいつも、からだを持って生きることの苦痛、からだと共にあることののっぴきならない違和感のようなものが表現されていると感じます。

今回の演目は30分ほど。顔には茶色のベール、汚れたコートと古いブーツ、といった路上生活者をおもわせるいでたちの演者が、苦しみながら着ているもの(不織布マスクも!)をひとつひとつ脱ぎ捨て、枯れ草とともに退場してゆく物語でした。


ふたつめは、Aoiさん&Kaoruさんのひさしぶりの二人舞台。

階段を下りてきた白塗りに赤い着物のふたりは、「座敷わらし」?無垢なこどものような魂たち。

『攻殻機動隊』の「傀儡謡」と寺山修司の歌にのってさまよいだしてくる、童子の魂。



トマトと人参のあいだをはじけて踊りまわったり。



魂の緒のようなものでつながったり。



そして、地上と天上界との中間のどこかみたいな階上にもどっていく。
巫女か、ひもろぎなのかもしれません。

舞台の背景として、ときどき飛行機が通っていく、どんより冷たい曇り空がまたぴったりでした。



 素敵なインスピレーションをいただけたパフォーマンスでした。

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2021/08/14

ウィドビー島の小さい彫刻の森


先週の日曜日、快晴微風の午後に、ウィドビー島に遠足にいってきました。
うちの青年と、もと彼女キリコちゃん&そのママのジェニファーちゃんという一行。



あいかわらずラブリーなキリコちゃんです。


Coupevilleの町はずれにできたPrice Sculpture Forestという、森のなかの彫刻公園トレイルに行ってみました。

全長1キロ。ゆるやかな斜面の森のなかで、1キロのうち半分は車椅子でも入れる平らなトレイルです。


シダの茂みの奥にゴリラ像がいたり。


巨大な羽根が茂みに隠れていたり。



むかしの学校で使われていたような木の椅子が浮いていたり。



これが一番印象的だった、倒木をブロック状に解体して再構成した作品。

ダイナミックな動きのある曲線を描いて、樹がピクセル化していくところのような。


午後の光線がちょうどすばらしいライティングになってくれてました。

とても綺麗に整備されているトレイルで、入場料は無料。
残念ながら犬たちは立ち入り禁止です。

各作品の前にQRコードが表示されていて、セルフガイドのツアーがダウンロードできるしくみ。

ただ野外彫刻を置いてあるというのではなく、森の環境のなかに溶け込むような工夫があって楽しいです。



アート作品も面白いけれど、自然の色はさらに面白い。あざやかなグリーンや薄い灰緑色の地衣類。


幹と蔓と地衣類。テクスチャとかたちと色。この蔓の力強いまきまき力が印象的でした。



 木々のあいだには広葉樹のシャンデリアのような花が咲いていました。


 

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2021/08/06

かえってきたアートウォークと、オフィスの再開


パイオニア・スクエアのFirst Thursday Art Walkに行ってきました。

ギャラリーが多いパイオニア・スクエアですが、普段は静かでちょっと敷居の高いギャラリーにたくさん人が集まって、お祭りのような雰囲気になるのが、毎月第一木曜日夜のこの「アートウォーク」。

路地ではバンドの演奏もあり。




コロナ禍で昨年春以来ずっと中止されていたのですが、ようやくようやく再開された、16か月ぶりのアートウォークです。

この間、コロナ禍で廃業したギャラリーは一つもなかったそうです。



時間は午後6時から8時。

7時ちょっと前くらいに着いて、アーティストのスタジオがたくさん集まっているビルをはじめ、7〜8軒のギャラリーをさくさくとまわりました。

とても見応えあって面白かった。



去年開催されるはずだったのにキャンセルとなったシアトル・アート・フェアに出展するはずだった作品を中心として、バーチャルで40軒以上のギャラリーが集まって開催される「Seattle Deconstruction Art Fair」のキックオフイベントでもありました。



かなり人出は多かったけれど、おしゃれして来ましたという気合いの入った格好の人はほとんどいなくて、全体にとってもカジュアルだった。わたしも普通にスーパーに行くのと同じTシャツとジーンズでしたし。

以前はもっとファッショナブルな人が多かったと思う。

まだリモートワークの人がほとんどで、オフィス帰りの人はとても少ないし、みんな、1年半ステイホームしているあいだにワードローブが内向き&カジュアルに書き換わってしまったのかもしれません〜!!




 CDCの呼びかけを受けて、どのギャラリーも「マスク着用のこと」と入り口に注意書きがありました。再びマスクの日々よ。

感染が拡大している南部の州では州知事が、自治体によるマスク着用義務化を禁止するという意味不明な事態になっています。
これで反マスク反ワクチン反リベラル(これがどうしてひとかたまりになったのかが歴史の不思議!)グループの人口が減っていくとしたら洒落にならないけれど皮肉すぎる。

シアトルの人たちはマスク着用で権利が侵害されるとか自由が剥奪されるなんて思わないので、粛々と着用しています。ほんとに何度もいうけど、マスクくらいで少しでも感染が防げるなら、いくらでも着ける!

今日の午後買い物に行ったスーパーでも、9割以上の人がマスクを着用してました。




もどってきたアートウォーク、お祝いムードでしたが、以前とはやはり違う時代の空気を感じました。

アメリカでも全国的に感染者数は拡大しているけれど 、9月からオフィスを再開し始める会社も多いようです。うちの青年の会社もボストンでの勤務が再開予定。でも青年は戻る気がなくて、とりあえず年末までのモラトリアムを上司に確保してもらったそうです。

GAFAはじめ、リモートに慣れてしまいオフィスに戻らない決意を固めた人もかなりいるようですね。

JPモルガンなど大手銀行は、有無をいわさず全員オンサイトに戻るよう指令を発布して「体育会系」なところを発揮していましたが、デルタ株の猛威により、方針変更を余儀なくされているようです。

JPモルガンのトップは「ガシガシ働きたい人間にはリモートワークじゃうまくいかないだろう」といったという、そのカルチャーは21世紀にも生き残っていくのでしょうか。


 

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2021/07/01

ご近所アトリエに波の絵を買いに

2日前の猛暑などまるでなかったかのように涼しい一日でした。朝の気温は21度C。

フットワークのかるい波乗り翻訳者えりぴょんは、よりによって猛暑の3日間だけシアトルに滞在して、ホノルルに帰っていきました。


一番の猛暑であった月曜日、えりぴょんのお気に入りアーティスト、 John Holmさんのアトリエを訪問しました。

えりぴょんがカウアイ島のギャラリーで見た絵が気に入り、アーティストとFacebookでやりとりを始めたら、なんと、その方がわたしのご近所さんだったという不思議なご縁。

うちのアパートから車で5分もかからない(iPhoneの地図によると「徒歩24分」)町内の、小さな古くてかわいいおうちで、裏庭の小さなガレージをアトリエにしていらっしゃる。




海軍でパイロットを務めたあとニューヨークで広告の仕事をしていたというジョンさんは、おそらく70代。近くに孫が11人いて、かわるがわる遊びにくるそうです。

いい人生ですね。

大胆な筆づかいとニュアンスのある色彩で、水や空気と光の表情をとらえた画面が素敵。
明るいだけではない詩情があって、わたしも好きです。

 


ハワイやカリフォルニアの波の絵のほかに、サウスウェストの風景を描いたシリーズもあって、濃紺の夜の空と、オレンジ色の明かりをともした建物の絵も、とても素敵でした。



素敵な古い薪ストーブのあるアトリエですが、暑さ対策はまったくされていないため、煮えるように暑かった。ジョンさんの奥様が冷たいお水を持ってきてくださった。

ジョンさんは大柄で、物静かで知的なアーティストの風情と、職人的な気質と、いかにもアメリカ人らしいDIYなバイタリティの感じられる素敵な方でした。

フレームも自分で作っているそうで、庭の一角にテーブルソーが据えつけられていて、えりぴょんにフレームのつくりかたを説明していました。






えりぴょんはこのサーファーの絵をお買い上げ。

ターコイズ色のペイントをラフに削って擦りきれた風情にした自作のフレームも絵にぴったりで素晴らしい。

画面まんなか、盛り上がって「バレル」をつくっている波の腹に陽の光が透けて、すこしくぐもった緑になっている、この色が見事。巻き上がった砂の金色、深みのある緑、澄んだエメラルドグリーン、ターコイズ、白い泡。こういう色になるんですよねー、ハワイの波って。

とくにノースのワイメアあたり。わたしは10年以上ハワイに住んでてもったいないことにサーフィンを一度しかしたことなかったけれど、ただ波を見に浜に行くのは大好きでした。


ちょっとサイズが大きめだったけれど、無事、機内持ち込み手荷物として持ち帰れたそうです。よかった。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2021/06/25

虹と窓のデザイン


窓辺の虹。

化学療法のときに、抗がん剤の副作用をやわらげるためにまたいろいろな薬剤を入れるのですが、そのなかにステロイド剤もあり、0.25mgというごくすくない量に減らしてもらっているにもかかわらず、投薬日はパッキリ目が冴えてまったく眠れません。

そんな日の明け方、リビングで本を読んでいたら、窓辺に小さな虹がちらちらとあらわれました。



このお宅は、たぶん意匠からすると1930年代前後の建築だと思う。

お庭に面したこの大きなリビングの窓は、ご当主のDOMさんが自分でインストールしたものだそうですが、東がわの窓はおそらく建造当時からのオリジナル。



この窓です。この角度のついた美しい窓をとおってくる朝の光が、きれいなプリズムになるんですね。

 


 

すぐ外に植えられている竹の明るい緑や、歩道沿いのプラムの木の深い紫色の色合いも、このガラス越しに見るとことのほか綺麗です。




このリビングにぼんやりと座っていると、デザインって知性と思想だなあ、としみじみ思わされました。

世界の何が美しく機能的だと考えるか、世界にどんなふうに心を動かされるか、それがなぜだかを考え、表明するのがデザイン。

90年ほど前にこの家をつくった人や、そこに手を入れて丁寧に住んでいる人、椅子やテキスタイルやアートピースをつくった人の意思と知性をふつふつと感じます。

どんなものでも、だれかが考え、手をうごかして作ったもの、て、本当に当たり前のことなのですけど、その意思や思索を、ふと、目の前にその人がいるように、リアルに感じられると、文学や絵画などの作品に心動かされるように、<つながった>感じがします。

 


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ