2016/02/12

幸せのフロー理論


2月前半はなんだか嵐のように過ぎていきました。ハワイから友人が来てくれたり、近辺の友人たちに声かけてブランチをやってみたり、相変わらず学校の宿題にうなされたり。そんなにたいした仕事をしてるわけでもないのに、なんでこう時間がないのだー。もっと高速回転できる脳がほしいなあ。そのうち、Best Buyとかヤマダ電機みたいなところで、脳の増量用メモリとか、それをつけると脳が高速回転しはじめるスペックの高いプロセッサとかを売るようになるのかなあ。でも、「申し訳ございません、こちらは2000年以降に生まれた脳向けで、お客様の型式には対応していません」とかいわれたら、しんそこ悲しい(涙)。

妄想はともかく、固有名詞とか新しくみた単語のスペルとか、もう覚えるのを脳が拒否しているわけですが、この人の名前も見た瞬間に脳が拒絶した。

ミハイ・チクセントミハイさん。
でも声に出してみると、なんだか可愛い名前だ。

ハンガリー出身の心理学者で「フロー」理論の提唱者です。


この間仕事で翻訳していた記事の中にお名前がちらりと出てきたので検索して初めて知ったのですが、このTED Talk を見て、とてもシンプルに「幸せとはなにであるか」を図解した理論なのを知り、ほんとに感動しました。

15分のビデオは長すぎると思う人は、最後の5分だけでいいから見てみてくださいねー!

もうすでにぽんず単語帳のほうにも「意識がうろうろ」について書いたのですが、あまりに感動したのでこちらにも続きです。

人が幸せを感じるのはどんな時か、ということを研究してきたチクセントミハイさんは、クリエイティブな人びとが、いわゆる仕事に「のっている」「没頭している」ときに最高に幸せを感じていることに気づき、いろいろなそういう人びとにインタビューした結果、自分を忘れるほど没頭できる状態にはいくつかの共通する条件があると結論したといいます。
その忘我の幸せ状態を「フロー」と呼びます。

<必要なスキルも難易度も高く、かつ、それを自分ができると確信できる事柄>に夢中で取り組んでいるとき、人はフローの状態に入る、というのです。

フローの正反対にあるのが「無気力」状態。何かに挑戦してもなく、スキルもない、自信も手応えも何も感じられない。出口がない。辛いです。


ではどうしたらフローに簡単に入れるようになるのか。

マット・キリングワースさんという心理学者は、ずばり「意識を集中してなにかに取り組んでいること」、意識をうろつかせないこと、で幸せ度が増すといっています。

でも、数日前に単語帳のほうで「意識がうろうろ」について書いてみてからちょっと考えていたのですが、ほんとうに意識がウロウロしているときに自分は幸せではないかというと、決してそうでもないんですよね。

むしろ意識がウロウロしていて全然オッケーなこともある。

たとえば、散歩しているとき。歩くことだけに鬼のように集中していたら、きっと全然楽しくないです。クルマを運転中や、掃除をしているとき、台所で洗い物をしているときなども、かなり意識は遠く離れたところをうろついていますが、それはわたしにとってはとても楽しい状態です。

意識の30%くらいを使ってればいい単純な作業をしているとき、頭のほかの部分はいろいろとりとめのない考え事をしていて、そんなときにふっとアイデアが浮かんだりもする。
ニュートンが万有引力に「気づいた」のも、(自分の台所での思いつきと並べるのはおこがましいですけど)そんなふうに、意識がウロウロしているときじゃなかったか。

翻訳に行き詰まって頭も体も固まってきたとき、立って洗い物をしながら意識をウロウロさせるのは、わたしにとってはかなり大切な、こりをほぐす時間です。

逆に意識がウロウロすることで不幸せになるのはどんなときかというと、それはもう、仕事中や勉強中に予定通りに集中できないで時間を無駄に使ってしまうとき。というよりも、無駄に使ってしまった時間にがっかりするとき。これは自分のダメな行いまたはダメな能力に対する、自分からのネガティブなフィードバックです。
それから「目の前の現実がこうじゃなければいいのに」と、不満を持っているとき。

要するにウロウロする意識が、自分のしていることや自分自身にネガティブにかえってくるとき、わたしは幸せを感じていないのです。

目の前のことに集中するのはたしかにワザのひとつではあるけど、それだけじゃないのだと思う。キリングワースさんにも教えてあげたいんだけど、わたしは以前にもここで紹介したバイロン・ケイティさんのメソッドのが、もっと包括的で手っ取り早い「幸せになる方法」だと思います。

まずは、ものごとを自分の問題か、自分の問題でないかに切り分けること。
そして自分の問題ならば、それを一歩離れて見てみる。

それから、目の前を流れていくものを全力で楽しむ。嬉しく思う。

わたしはほんとうに年取ってよかったと最近思えるようになったのは、10年前の自分よりも、ましてや20歳のころの自分よりも、今の自分のほうがずっと自分を機嫌よくしておくのが上手になてきたと確信できるからです。

単に、年とって言いくるめられやすくなってきたのかもしれませんけれど。

余計なつかえがないと、「フロー」の方向に自分を向けやすくなるのではないかと思っています。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2 件のコメント:

  1. こんにちは、読者Sです。久しぶりにコメントしに来ました〜 Tomozoさんとシンクロニシティー発生してた! ちょうどHappyって何、のテーマのドキュメンタリーを観たばかりでした。Netflixのドキュメンタリーのカテゴリーの中からみつけました。タイトルは”Happy” おもしろかったです。悲しいことに、先進国で最もハッピーじゃない国民として日本がトップワンで紹介され、長寿村のハッピーな人々として沖縄のおばあさんたちの暮しを紹介しています。私は何か新しい発見があったときの自分にハッピーを感じます。紹介してくださったこの学者さんの本も読んでみたい。

    返信削除
    返信
    1. Sさん、こんにちは。いつもありがとうございます。こちらも久しぶりの更新でしたw
      Netflixのドキュメンタリーもとっても豊富ですよね。Happy 探してみよう。チクセントミハイさん(覚えた!!!)の書籍はわたしも読んでないんですー。TED15分見ただけ(恥。
      日本の多くの人がハッピーでないのはほんとうに辛いことですね。自殺率はあいかわらず高く。子どもたちも塾に追われ。しかし、不幸な国のトップって(悲)。
      どうして不幸になるのかしら、とよく思うんですが、ひとことでいうと混みすぎてて、まわりの基準をいつも気にせざるを得ない社会のしくみだから、なのだろうなあ、とおもいます。アメリカ人はそれにひきかえ、おおむねハッピーな人が多いですよね。少々はた迷惑であっても。

      削除