敏腕翻訳者Yさんの丹精している畑。
ベリー類や葱や茄子やもろもろ、今頃はきっと豊作を迎えていることでしょう。いいなー。
5月末のこのときは、ちょうど田植えが終わったばかりで、アルプスが水に映えて綺麗でした。
信州安曇野というところは、ずっと前から絶対に行かねばならない気がしていたのになぜか行けなかった(行かなかった)場所のひとつ。
ご縁のおかげでようやく行けました。Yさんありがとうー。
山が好きでよくアルプス方面に通っていたらしいうちの両親が、わたしの名前を安曇にしようかと思ったくらい気に入っていたそうです。字がよくないので(安く曇る?)やめたって言ってた。
昭和どまんなかの時代、ひらがなにしようという発想はなかったらしい。
「あずみちゃん」だったらちょっと人生違ってたかも。
敏腕翻訳者Yさんが「大王わさび農場」に連れていってくれた。
なんだこの夢みたいな風景は!
ありえないほど透明な水に長い藻がゆらゆらしていて、意味なくいくつも大きな水車が回っている。
出来過ぎな風景だと思ったら、この水車は黒澤明の映画『夢』のセットとして作られてそのまま置かれてるんだそうです。まさに夢の光景だった。ちゃんちゃん。
なんか見たことあるような気がした。あの世かと思った。
オフィーリアが流れてきそうでもありますね!
(ミレイのオフィーリア)。
ここは綺麗な水を生かしたわさび農場で、わさびソフトとかわさびコロッケとか売ってる(コロッケ食べた)。
でもなぜ「大王」なんだろうか、と思っていたら、奥のほうに小さな神社がありました。
ちょっとオットセイっぽいかんじの、モダンなラインの狛犬さん。
社殿の前には、1メートルを超すとてつもない大ワラジが飾ってあるのです。
由来が書いてありました。
「魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)は、今から1200年の昔、当地安曇平をおさめる王でした。身長2メートル超す大男の強者でしたが、東北征伐途上の坂上田村麻呂と戦い敗れました。八面大王の胴体がこのあたりに埋められたことから、初代勇市(わさび農場の人)がここに「大王神社」として祀り、巨体を象徴するかのように以来大わらじが奉納されています」
さらに
「有明神社奥の山中にはこのわらじ同等程の「八面大王の足跡」が巨石の上に残されています」と。
えー!身長2メートルで足の大きさが1メートルってどういう寸法?
この大きさならすくなくとも身長10メートルはあるんじゃないのか。
て、驚くのはそこではなく。
坂上田村麻呂!このあいだ読んだ『阿・吽』に出てきたばっかりでしたー。
『阿・吽』では、敵ながら尊敬していた蝦夷の武将アルテイを処刑されてしまったことを苦々しく回想していたイケメン田村麻呂でした。
しかし、どうやらこの田村麻呂に魏石鬼八面大王が敗れたというのも伝説のようで、実際にはもっと昔、大和から来た「安曇族」との戦いに敗れた縄文人だったようなのです。
と、「関東農政局」のサイトに書いてあった。
「安曇族」というのは海の民族だったようで、水軍を指揮し、大和朝廷で高い地位にあったという。その海の民安曇族がここに来たのは7世紀頃といわれてるそうです。ということは空海さんや坂上田村麻呂より約100年前。
海の民がなぜこの山の中の盆地に??
というのは、謎に包まれているそうです。
朝廷に送り込まれたのかと思ったらそうでもなくてもっと自主的なグループだったような感じ。
<彼らの分布は、北九州、鳥取、大阪、京都、滋賀、愛知、岐阜、群馬、長野と広範囲にわたっており、「アツミ」や「アズミ」の地名を残しています。>
だそうです。へえええええ。全然知らんかった。
いったいどんな規模の団体だったんでしょうか。
7世紀〜8世紀、ちょうど万葉集の時代ですね。
いろんな勢力があったのねー。
関東から東北にかけて、こんな感じで縄文人と大和人の戦いが大小実にたくさんあったのだろうな、と素朴に思わされる。
思いがけなくも、わさび農場の中で大和と縄文(実に雑にくくってますけど)の戦いの歴史に遭遇するとはびっくりでした。
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