先週末は、桜まつり。とからさんの和菓子を買いにフィニーリッジまで。風が強い日でした。
道明寺、桜まんじゅうとチェリー羊羹のきれいな詰め合わせ。おいちい。幸せ。
こちらもご近所。八重咲きの白花の桜も咲き始めました。
シアトルの日系スーパー宇和島屋さんから、とつぜん謎のギフトカードがとどいた。
まったく覚えがないのだけど、どなたかが贈ってくださったのか。お名前もなにもなし。えー?
嬉しいしありがたいけど、いったいどなたからでしょうか。ありがとうございます☆
晴れた午後、またCTちゃんちの船にのせてもらいました。
この日は帆も出さず、バラードからダウンタウンまでゆったり往復。
引き潮の午後で、ほんとうに静かな、鏡のような海でした。
内海とはいえ、まるで湖のよう。
平日だったのでほかの船もあまりなくて、とても静か。
ブイにはいろいろなものが陣取っていました。
まだ肌寒いけど、日に日に春らしくなるシアトル。
近所の木蓮も満開。桜もレンギョウも水仙もチューリップもりんごもいっせいに咲いてます。
火曜日はうちの青年の誕生日。
おかげさまでつつがなく26歳になりました。
母、やる気まったくなく、こずも食堂のかなこさんにおねがいして、豪華な誕生日ディナーになりました。お品書きまでつけてくれて感動。
息子大好きなす田楽、角煮、唐揚げ、鱈の西京焼き、鮭と青豆と桜花のごはん、アスパラ白あえ、いかときゅうりの酢の物、自家製!お豆腐の冷奴、そして菊の花と大根のお漬物。
それに、お味噌汁になる「味噌玉」4種つめあわせセットまでついて、美しい春のごはん。
いれものも、ご飯やお魚は風情のある日本の白木お弁当箱に詰めてくださって。
そして自家製あんドーナツも!こずもちゃんシールがかわええー。
ボリュームたっぷりで、青年もさすがに一度では完食できず、翌日にも嬉しく続きをいただきました。
幸せの春ごはんでございました。ごちそうさまでした。
ひさびさに、CT家におよばれ。あいかわらずチリひとつ落ちていない土曜日のCT家。
今年は花期がとても長い、プラムの花がいけてありました。
花人参に白あえ。うつくしい春のごはん。
フルタイムで激務をこなしながら、ほんとにまめだよねえCTちゃん。
そして土曜の朝は半日かけて掃除している。
なぜこんなにゴロゴロしているわたしの友人はみなこんなに働き者なのだ。
わたしは4度目の化学療法第1回目のミックスががつんときて、ひたすら眠い1週間でした。吐き気などはないので、ほんとにありがたや。ご飯を作って食べたりするのが億劫になるので、もうちょっとモチベーションを上げなければ。
そうそう。そしておととい、化学療法第2回めセッションの前日に、クリニックでワクチンも射ってきました〜。こちらも当日に電話があり、ちょうど採血の日でクリニックに行くところだったので。
キモセラピーの薬剤とRNAワクチンが体内に同じ日にバッティングするのってどうなの?とやや副作用が不安になり、1週間延ばそうとも思ったのだけど、定例の採血ついでに個室でワクチン射ってくれるというし、ほかのもっと高齢の患者さんもとっくに接種してるしダイジョブダイジョブ、と医師も受付くんも看護師も軽くうけあってくれるので、えーいもういいや、と。
ファイザー製でした。みんな「いいやつだね」という。前もって選べないのでね。
接種前にこういう書類に署名をさせられます。「わたしはこのワクチン接種に自主的に同意しており、拒否する権利もあることを理解しています」「このワクチンは緊急用に承認されたものであり、正式なFDAライセンスを受けたものではありません」云々。
48時間経過。副作用はとくになく、ちょっとだけ腕が重くなったくらいでした。
東京でも桜が満開のようですね。シアトルの桜も咲き始めました。
今年は、プラムが咲き始めたのは早かったけれど、そのあとで雪が降ったり寒くなったりしたので、花期が長い。ほかの花は例年よりすこし遅いくらいではないかな。
木曜日の午後はすかっと晴れたので、久しぶりにフィニーに散歩に。
コブシが満開でした。
春だし。ユーカリをたらふく食べたコアラのように、好きなだけ寝ています。
いやまだ朝ごはん食べてないし。
しかもちょうど、(起き抜けに)午後2時間以内に即納品の小さな仕事を2件受けちゃったばかりだったので、わたしは見送りました。間が悪い。
で、うちの青年だけ、接種を受けに行ってきました。ファイザーのだったそうです。
ちょっと筋肉痛があったけどいまのところその他の副作用はなし。
ワシントン州で現在ワクチン接種を受けられるのは、医療従事者や高リスクの職場で働いている人、65歳以上の高齢者、50歳以上で孫の面倒を見ている人など。その次に16歳以上で既往症など高リスクを持つ人のグループがあって、わたしも病人だからこのグループに入るのですが、このグループの接種が来週あたりからはじまる見込み。
でも、どういうわけかワクチンがときどき大量に余ってしまい、数時間以内に使わないと無効になってしまうため、手当たり次第にリストのずっと後のほうにいる人にまで急に順番が回ってくることもあるのです。
息子がワクチン接種を受けに行っているあいだに、だし巻き卵をつくって食べた。
日本のふつうの旅館の朝ごはんが食べたいな〜。美味しい海苔と、アジの干物と、大根おろしと、味噌汁とお漬物があれば最高。そして朝日がさす露天風呂。
コロナにうんざりしたフラストレーション、その他もろもろの、思うようにいかない人生のフラストレーションを他人に向けたくてたまらない人たちがたくさんいるのですが。
トランプが任期中に自分の失政から目をそらさせるために頻繁に使った「チャイナウイルス」「武漢ウイルス」などの言葉が、そういうフラストレーションを持った人たちに喜んで受け入れられ、意識に染み込んでいったのは間違いありません。
日本には言霊(コトダマ)ということばがあります。言葉はそれ自体が命をもち、世界に作用する、という考え方。
ヘイトワードや人をけなす言葉は、最も強く作用するコトダマかもしれません。
使う言葉は見える現実を変え、感じ方のパターンをつくりあげてしまうものだから、怒りのはけ口を集約しやすいヘイトワードがボキャブラリに入っていないかどうか、こまめにチェックするのが本来ならば指導者たる人物の役目なのに。
意図的にセンセーショナルに大衆のフラストレーションを掻き立てて、毒のある言葉を撒き散らした前大統領の置き土産は、まだまだ根強く生きています。
日本の人のなかには、自分を「アジア人」と考えたことのない人がけっこういるかもしれませんが、一歩国外に出たら、日本人も中国人も韓国人も「東アジアの人」。
日本の中に暮らす外国人や隣国の(政府批判ではなく)人たちをむやみに貶めるような言葉を使う人も、アジア人を襲撃する残念なアメリカ人とメンタル的に同等です。
さらに私は最近、口に出さずとも脳内で言語化した段階で、もう言霊は生まれていると思っています。もちろん口に出したり書いたりするのは次のレベルだけれど。
毒のある言葉は、つまり呪いと同等なので、結局まわりまわって自分に返ってくる、ということを、わたしはかなり身をもって痛い思いをして学びました。
気づかないうちに毒を撒いているということのないように。
よい言霊を放って暮らしたいです。
去年の秋ころうちのすぐ近所にできた、ウインドウだけのギャラリー。
コンテンポラリーのアーティストの作品が展示されてます。