ボストンて、空気の密度が濃い気がしました。
西海岸のすっこーんと抜けた空気とは、なにか違う。
どよんとしているというのではないのだけど、こう、空気に存在感があるというか、重量があるというか。
気圧や、土にまじってるものや、大西洋からただよってくるものに関係あるのかもしれません。
ひと月の滞在中、1週間は風邪ひいてケホケホずるずるしてたし、半月は体調があんまりよくなかったので、よけいに重く感じたのかも。
こちらは、ボストンパブリックガーデンの隣にある「ボストン・コモン」。
イギリス植民地時代の1634年に創立されたという、「アメリカでいちばん古い公園」をなのっています。
日本では島原の乱のあと、徳川幕府が鎖国政策を完成させるちょっと前ですね。
でももちろん、そのころから今のように人びとがピクニックをしたりマリファナを吸いに来るような公園ではなく、最初は清教徒たちが牛を放牧する共有地だったようです。
隣の「ガーデン」がお花いっぱいで華麗で明るいのとは対照的に、道一本へだてたコモンは、なんか殺風景です。寒々しているといってもいいくらい。
とくにこの日は曇ってたので写真も暗い。
真ん中あたりに低い丘があって、こんな巨大なモニュメントがある。南北戦争で戦死したボストン出身の兵隊さんたちを記念する塔だと書いてありました。
今ではティーン・エイジャーたちがマリファナを吸いに来る場所になっているようです。
ちょっと「イキった」かんじの少女たちがケホケホしていました。若者よ。
18世紀、独立戦争の前にはここで植民地軍があつまり、英国軍が駐屯し、戦勝後はジョージ・ワシントンやジョン・アダムスがあつまって祝ったそうで、南北戦争の前にはこの地で奴隷制反対の集会が開かれたという場所でもある。
回転木馬があります。木馬じゃないものも回っています。
この公園には19世紀まで巨大なエルムの木があって、ボストンのランドマークだったそうです。
公園は、最初は牛の放牧地であり、罪人がさらされたり処刑されたりする広場でもあったのだそうです。
島原の乱のころ。世界のどの国でも罪人は生きても死んでもさらされるのが当然の世の中でありました。
このエルムの木は「公園」のごく初期から公開処刑の道具となって、最初は1670年代、英国軍とたたかったネイティブ・アメリカンが吊るされ、その後は海賊や「魔女」も吊るされたそうです。
17世紀の魔女裁判は近くのセーラムが有名だけど、ボストンでも「隣人より口が達者だった」というような理由だけで魔女として処刑された女性の記録などがのこってるそうです。
コモンのすぐ外側、市庁舎と議事堂がある向かい側には、こんなレリーフがありました。
南北戦争を戦った黒人部隊、第54マサチューセッツ歩兵大隊を称えるレリーフでした。
この部隊の話はデンゼル・ワシントン主演の映画『Glory』にもなってます。
おお、あれか!と思ったものの、映画をよく覚えてなかった。
コモンの別の側には、通りをはさんで80年代のシットコム『チアーズ』のモデルになったというお店「CHEERS」があって、アメリカ人のおじさんおばさんたちが団体で並んでました。有名なドラマだけどほとんど観たことない。