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2013/03/28

馬と自転車



フレンチクォーターの交通手段、主役は花をつけられた馬が引く観光馬車。


ウマつなぎの杭 (hitching post) が舗道に残ってます。19世紀からのものなのか?


フレンチクォーター住人の交通手段は自転車がお手頃のようです。


なにしろ道が狭いこと世田谷区並みだし、ものすごく混雑するので、うっかり車で入り込んでしまうと脱出にけっこう時間がかかる。


マルディグラにはまだ2ヶ月以上もあったけれど、街中にやっぱりビーズの飾りやお面が氾濫してました。

お祭りを待つ町。


ジャズクラブにも行かずじまいだったので、次回はいつか、大人の部で行きたいものです。


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2013/03/26

クレオールのバルコニー




フレンチクォーターの建物はすべからくといっていいくらいに、優雅なwrought iron (ロートアイアン/錬鉄)で飾られています。


精巧な透かし模様の錬鉄製バルコニーは、「クレオール・タウンハウス」と呼ばれるニューオーリンズ独特の様式のデフォルトフィーチャー。


スペインとフランスの伝統、ヴィクトリア時代の流行、カリブ海の風味も加わったフュージョン建築。


 壁に落ちる影がまた素晴らしい。

錬鉄製のアイテムはバルコニーだけでなくいろんな細部に使われています。

ここまでするかと呆れるような精巧なデザインでも、素材が剛健だから、うるさい印象にならないのが面白い。

フレンチクォーターの家の多くは南北戦争以前に建てられたものですが、Marcus ChristianのNegro Ironworkers of Louisiana: 1718-1900という著作によると、こうした錬鉄細工を作った職人たちのほとんどは黒人奴隷や自由黒人、後には有色クレオール人だったといいます。



クレオール(Creole)という言葉の定義は複雑で、混乱しやすい。

もとは、フランスやスペインの本土から来たのではなく当地で生まれた(つまり「二世」以降ですね)世代の白人をクレオールと呼んで、欧州本土から来た人と区別していた。これが「ホワイト・クレオール」または「フレンチ・クレオール」。

アフリカから来た奴隷一世に対して、ルイジアナ植民地で生まれた黒人奴隷も「クレオール」と呼ばれた。

そうして19 世紀には白人クレオールと有色人の間に事実婚関係が増え、間に生まれた混血のクレオールが奴隷とは全く違う、教育を受けた市民の階層を作った。

と、時代が進むにつれ意味が増えていきました。

Merriam-Webster の辞書には 
1)西インド諸島やイスパノアメリカに生まれた、ヨーロッパ人の子孫
2)合衆国メキシコ湾沿いの地域のスペイン人またはフランス人の子孫で、祖先の言語や文化を保持している白人
3) スペイン人またはフランス人および黒人の祖先を持ち、フランス語かスペイン語の方言を話す人

という定義があります。



当地の人によると、「自分たちこそ本当のクレオールで、ほかの用法は間違っている」と考えている人もあるようです。それは多分、ヨーロッパ系のクレオールが有色系のクレオールのことを言ってるのだと思う。

フランス>スペイン領だった時代には有色のクレオール人が中産階級を築いて地位を広げつつあったところへ、アメリカ領になってから政府が南部のほかの地域と同じ所有者/被所有者の2階層制度を推し進めようとした頃、クレオール社会には恐ろしい混乱が起こり、人種間の対立も深まったことでしょう。

ルイジアナ買収から南北戦争あたりのニューオーリンズに興味が湧いてきました。



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バーボン・ストリート



有名なバーボン・ストリートは、くさかった。


とにかく盛り場ですから、まっ昼間でも発酵したニオイがそこここに漂う。

昼間から出来上がっている人多数。

頭がパーティに行ってる人多数。



狭い道を馬が横切り、トラックが通る。


未成年同伴だと夜の部はありませんから、ちょと残念。


 ミント・ジュレップはバーボンに砂糖とミントを混ぜた南部の飲みもの。
フロリダの話に出てきて、おいしそうだったから一度バーで注文してみて、うぇっとなったことが。
死にそうに蒸し暑いときに飲むと、おいしいのかも。

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2013/03/25

アメリカに都市は3つしかない



" America has only three cities: New York, San Francisco, and New Orleans. Everywhere else is Cleveland."

「アメリカに都市は3つしかない。ニューヨーク、サンフランシスコ、ニューオーリンズだ。そのほかの場所は皆クリーブランドだ


テネシー・ウィリアムズの言ったというこの言葉(出典は不明)、ニューオーリンズの土産物店で何度も見た。
半世紀以上昔の出典不明な言葉であっても、「NOLA」と自称するニューオーリンズ人たちのプライドを今もくすぐっていることは間違いなし。



この言葉のいわんとすることは、わかる気がする。

都市を都市にしているのがカオスのような国際性と息のつけないせわしなさ、容赦のなさだとすれば。(その当時ロサンジェルスはまだ都市ではなかったのだろうし)


数日前に滞在したアトランタと比べて、同じ南部の都市でもニューオーリンズは全く毛色が違いました。

カタリナ災害の影響がまだ濃いのもあるのだろうけれど、全体に景気の悪い感がじっとりと漂っている。

フレンチクォーターは観光地だから、のほほんとした観光客から少しでも小銭をむしり取ろうとタップダンスの子どもたちや観光馬車が待ち構えている。


そして人がせわしなく、抜け目ない。南部のほかの場所ではどこでもみられるゆったりした「サザンホスピタリティ」(南部人の誇りとする、南部式おもてなしの精神)は、この町ではほとんど感じられない。
もちろんサービス業はそれなりに愛想は良いけれど、人が皆疲れているようにみえた。

泊まったのはフレンチクォーターではなくガーデン・ディストリクトのB&B。
フロントの綺麗な女の子も、カフェの太ったバリスタも、ドラッグストアのおばちゃんも、なんだかデフォルトで憂鬱そうで、機嫌が悪かった。

車の運転もシアトルやアトランタみたいにのんびりしてません。
道も狭くて建て込んでいるし、ああなんだか東京のようだと少し思った。


一見、優雅そうだけれど、中身はめちゃタフそうな町という印象でした。

住むには相当のエネルギーが要りそう。


いろんなものが爆発寸前なまでにぎゅうぎゅうと詰まっている町。
だけどきっと、近づいてみたらめっちゃ面白いに違いない。

うちの未成年はフレンチクォーターを歩いて、僕はここに住んでみたいと言った。

母は、私にはもはや無理、と思った。

都会の定義はいろいろあるけど、住む人にタフネスを要求するっていうのも都会の特性のひとつだよね。




 町を包むように蛇行しているミシシッピ川。このへんでは意外なほどに川幅が狭い。
川までも、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている感がある。


 Voodoo 博物館というのに行ってみた。

小さな家にぎゅうぎゅうと歴史的なブードゥのいろいろを詰め込んだ、息苦しくなりそうな狭いミュージアム。


ブードゥーは、 アフリカの信仰とカソリックの教えと伝統がぎっしり詰まった、ニューオーリンズ生まれのフュージョン宗教。

これもまた、ジャズや料理と同じく、この土地でしか育まれ得なかったもの。


ブードゥ博物館に展示されていた、手描きのブードゥ流入経路。

ニューオーリンズは奴隷貿易の港でもあった。

この狭くるしく、ドクロだらけの怪しい雰囲気いっぱいの博物館の廊下で素朴な手作りの地図を見ていると、この3つの大陸の近さがとても生々しく感じられたのでした。



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2013/03/24

フレンチクォーター


桜咲く季節になりましたが、それとは関係なく1月初めに行ったニューオーリンズの日記。


年末年始にかけて、ルイジアナ州シュリーヴポート~ミシシッピ州ジャクソン~ジョージア州アトランタ~アラバマ州モービル~ニューオーリンズ~シュリーヴポート、というコースでドライブ旅行をしました。 なんだかバタバタとしている間にニューオーリンズの写真をアップしそびれて、はや3ヶ月。



ニューオーリンズでは正味2日しかなかったので、沼地とフレンチクォーターに絞って散歩しました。


フレンチクォーターの建物は、カラフル。冬のニューオーリンズは決してトロピカルな気候ではないのだけど、ペパーミントグリーンの窓枠、サーモンピンクやレモンイエローの壁の色は、カリブ海のおすそわけのような南国カラー。 



フォークナーはこのニューオーリンズも含むミシシッピ川沿いの土地は
「手品師が一方の手からもう片方の手へ閃かせるトランプの一束のように」 
 スペイン人からフランス人へ、そしてまたスペイン人へ、またフランス人の手へ、と何度もあるじを変えて、そして最後にアングロサクソン人がやって来た、と書いている。(『Mississippi』)



ニューオーリンズはフランス人が開拓し、スペイン統治の時代を経てフランス領に戻って、ナポレオンによってアメリカに売り渡されて、といろんな主人を持った町。


フランス、スペイン、アングロサクソン、アフリカから連れて来られた奴隷、そしてハイチから移住した自由黒人、といういろんなカルチャーが流れ込んだ町は、建物にも、食にも音楽にも、お祭りにも、沸騰するような独特の文化を作り上げた。



古い建物が保存されているだけではなくて、21世紀にも隅々まで利用しつくされているところがすごい。歩いているだけで、町の生命力に少し圧倒される。


ヨーロッパの伝統をメキシコ湾の大釜でぐらぐらと煮て、ハイチの魔術とアフリカの音楽を投げ込んだら、それは思いがけないものが飛び出してくるのは当然。

そうして生まれたのがジャズであり、クレオール料理であり。

ニューオーリンズて、アメリカが現在のアメリカになっていく過程でなにげにとても重要な役割を果たした都市だったんだ、と、今回訪ねてみて、改めて実感しました。


風格ある猥雑な町でした。

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2013/03/04

橋の向こう <ミシシッピ州ジャクソン 5>


 <週のうち六日、バスに乗ってウッドロー・ウィルソン橋を渡り、ミス・リーフォルトや、ご友人の白人家族の住むベルへイヴンに向かう。>(『ヘルプ 心がつなぐストーリー』上巻 28p)

ミシシッピ州ジャクソンのグーグルマップは何度も何度もにらめっこしたのだけど、この「ウッドロー・ウィルソン橋」がどうしても見つからなかった。

実際に行ってみると、これは川にかかる橋じゃなくて、鉄道の線路をまたぐ大きな陸橋でした。

この橋は、『ヘルプ』では黒人地区と白人地区をわける境目として描かれてます。実際、その通りでした。

 <こうしてジャクソンでは、白人の居住区はどんどん増えていくが、あたしらの住む地区はひとつの大きなアリ塚みたいだ。売り物にはならない政府の保有地に囲まれていて、人が増えてもこれ以上は広がりようがない。黒人地区は混み合っていくばかりだ。>(上巻29p)


『ヘルプ』の舞台になったのは1962年から63年ですが、それから半世紀たった現在も、この「棲み分け」の状況はあまり変わっていないように見えます。

上の写真は、ウッドロー・ウィルソン橋を渡ってしばらく行ったあたりにあった、きわめてシンプルな窓のないナイトクラブ。
 ミニーの旦那、リロイが飲んだくれていたのもこんなクラブだったかもしれません。


 このすぐ近くに、自宅前で暗殺された黒人活動家メドガー・エヴァーズの家があります。

<「KKKに撃たれたんだよ。自分の家の前で。一時間前に」
背筋に鳥肌が立つ。「家ってどこ?」
「ガインズ通りだよ。あたしらの病院に運ばれたんだ」>

 <ミニーはこぶしを握り、歯がみしている。
「子どもちたの目の前で撃たれたんだよ、エイビリーン> (上巻 328p)

エヴァーズの家は博物館として保存されていますが、見学は予約制なので中は見ませんでした。彼が撃たれて倒れたドライブウェイも、そのままに保存されています。
 

 エヴァーズ宅のあるガインズ通り。この通りは手入れの行き届いた、比較的良い暮らし向きの家が多い。



でも地区のほかの場所は貧しさが露わです。


裕福でない地域には、放し飼いだか野良だかわからない犬が困った顔でうろうろしているのは全米共通。
ハワイにもワシントン州にも、犬放し飼いエリアがあります。
人を噛んだりしない限り、犬がちょっとくらいうろうろ出歩いていても隣人も大騒ぎしないのでしょう。


こちらは橋の反対側、ダウンタウンに近いノース・ステート・ストリートのお屋敷。
 ジャクソンの白人エスタブリッシュメントたちが居を構えた通りです。


 現在の基準からすると規模は小ぶりですが、意匠をこらしたお屋敷。ギリシア風円柱の並ぶポーチ、裏のポーチにはブランコの椅子、きっと表玄関のドアを開けたら中には回り階段があるに違いない。
 

 ダウンタウンから少し離れたベルヘイヴン地域は、『ヘルプ』でエリザベスやヒリーが住むという設定の住宅街。20代の中流階級の若い夫婦が最初に住むに適当なこぢんまりした家が並ぶ、閑静な住宅街でした。


このネイバーフッドには犬はうろうろしていなかったけれど、かわりに猫たちがひなたぼっこをしてました。

人種隔離政策は半世紀前に撤廃されたものの、圧倒的な経済的格差の壁は今でも取り払われてはいないし、当時からの住宅街にはまだ「こちら側」と「あちら側」の違いが厳然と存在しています。


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