2018/01/23

追悼。魔法使いの母


SF作家のアーシュラ・K・ル=グウィンさんが亡くなった。

オレゴンのセーラム在住でいらして、わたしがシアトルに引っ越してまもなく、シアトル中央図書館でも何度か講演に来てた。

告知を見たのに、仕事が詰まっていたかなにかで行くのを見送ってしまったのがほんとうに悔やまれる。それも2度までも!

人生にそんなに大切なことは他にないでしょう、と今、あの時の私に詰め寄りたい。

プリンス殿下の最後のコンサートになったオークランドでの公演も、殿下の大ファンのチェリーちゃんに誘われてたのにちょっとばかし忙しかったもんだから「また次があるさ」と見送ってしまった。次はなかった。

それと同じくらい悔しい。
人生、差し出されたものを断ると、次はないことがけっこうある。

10代のころル=グウィンさんの『ゲド戦記』シリーズにはまりこみ、『闇の左手』と『所有せざる人々』を読んでSFにこんなことができるんだ!と衝撃を受け、以来、わたしのもっとも愛する作家ベストテンの中で不動の位置を保っている(なんて、そんなに読書家でもないんですけどね)。

うろ覚えなんだけど、ジブリの宮崎駿さんもル=グウィンさんの大ファンで、『ゲド戦記』をぜひアニメ化させてほしいと頼み込みに行ったのだという話をインタビュー記事で読んだ覚えがある。

ジブリを立ち上げる前の話。

でもその頃(いつだかわからないけど、『未来少年コナン』のころかな。70年代後半〜80年代初期かな)はまだ、もちろん宮崎さんの作品も世界に知られてなかったし、ル=グウィンさんは自分の作品がアニメなんてとんでもないと、きっぱり拒絶されたそうです。

それで、「仕方なく」ナウシカを作ったんだ、というような話だったと思う。これはけっこう衝撃な話だったので強い印象を受けた。

そして時は流れ、ジブリが世界の隅々まで知られるようになって、こんどはル=グウィンさんが宮崎さんを招いて、ゲド戦記をアニメ化してくれないか、あなたなら出来る、と、頼み込んだという。

でも宮崎さんはもう引退を考えているころで(『崖の上のポニョ』の前だったけど、『ハウルの動く城』の後あたりかな?)、もう自分にはその気力はない、と断ったんだって。

でもそこであのプロデューサーの鈴木さんが、これやりましょうよ、と、宮崎さんの息子さんを監督に据えて作っちゃったのがジブリ版の『ゲド戦記』。

わたしあの映画は日本で見たんだけど、そしてかなり期待して見に行ったんだけど、今まで見たジブリの中で一番ダメな映画だった。好きな人ごめんなさい、でもこれは胸をはって言えます。だって原作の大ファンだから。

ル=グウィンさんも気に入ってはいなかったようだけど、当然だと思う。
キャラクターに存在感も説得力もなく、ストーリーに迫力がなく、原作とはぜんぜん別の話になっちゃっていました。

ル=グウィンさんの『ゲド戦記』はアメリカのテレビでミニシリーズとしても制作されたけど、これもちょっとどうなの〜、という出来の代物で、大変残念だしル=グウィンさんが気の毒だった。

あんなに素晴らしい作品なのに、映像作品に恵まれなかったために、知名度はハリポタに圧倒的に負けている。 
ハリー・ポッターよりずっと100倍以上優れた作品だと私は思うけど。

運命を感じますね。

宮崎さんの『ゲド戦記』が出来ていたら『風の谷のナウシカ』が生まれなかったかもしれない!というのも、運命だなあ。

本や映画は、読むべき人が読むようにできているのだろうな、と思う。

そして、人と会う機会と同じように、出会える時はほんとに限られた1回きりなのかもしれない。

ル=グウィンさん、88歳だったそうです。
ほんとうにたくさんの素晴らしい作品を書いてくれてありがとう!

あなたの作品が私の人生を変えました。

と伝えたかったです。

RIP。



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