2015/04/03

失われた『きもの』の感覚


気づけば四月。柳の新芽が綺麗です。

また猫たちとカークランドに滞在中です。
毎日なるべく少しでも散歩に出るようにしてますが、今日は天気が良かったのでワシントン湖沿いへ。

しばらく前に、幸田文さんの『きもの』を読みました。この人の文章は本当にはきはきしていて大好きです。江戸から地続きの、きれいな東京弁。こんな言葉を語れたら、と憧れます。
わたしが育った頃の東京西部は「標準語」の世界で、少なくとも私の周りに「東京弁」はほとんどありませんでした。
(「標準語」はつまらない、つくづく情緒的な表現力に欠ける言葉だと思います)。

舞台は大正。
三人姉妹の末娘、るつ子が女学校に入り、卒業して、お嫁に行くまでの成長譚。

一番上の姉は美人で、勝手な性格。二番目はしっかり者。病弱な母は田舎出だということを気にかけ、顔立ちのキレイな長女を偏愛する。でも二人の姉が嫁いだ後で寝込んでしまった母の面倒を最後までしっかり見届けるのは末娘のるつ子。でもあまり感謝されない。あ、あと影の薄い兄もいる。

そして 、るつ子のそばで着物の着方からものの考え方、生活の姿勢までをしっかり教えてくれるのは、母ではなくておばあさん(父の母)。
 
 <正装でも不断でも、紐が多くなくては形が出せないというのは、未熟だというのがおばあさんの主義だった。

だから着物は、紐二本で着るものであり、何本もで縛るのは、下手がこしらえた小包のようで、うすみっともないとけなした。

なでしこの柄の、柔らかい錦紗縮緬のひとえをまとって、腰に紐をしめれば、それはるつ子には初めての触感で、なにか一足飛びに大人になったようなぎごちない気がした。おばあさんはしきりに、からだで覚えなさい、といった。踵にさわる感じで、着丈のちょうどよさがわかる。ふくらはぎへ纏いつく感じをおぼえれば、裾のしまり具合がわかる。腰のどこに紐をわたせば、きりりと軽快に感じるか。どんな強さにしめればいいか。みんなからだで覚えてしまえ、という。>

るつ子のおばあさんの言葉は素晴らしく深い生活の叡智と洞察に溢れてて、 平伏したくなります。
こんな愛情深く賢い大人がそばにいていちいち生活を指導してくれるというのは、若い女の子にとって実に幸せなこと。

「からだにぴたりとしたのが好きな人もいれば、ざくざくに着るのが好みだ、という人もいるし、気持のよしわるしは、自分でしかわからないものなんだからね」


「人は大概みんな、木綿で育って、木綿にくるまれて生きていくんだね。そこいら見まわしてごらん、
たいてい木綿の顔をしている人ばかりだろ」

「すこし安い、というのは思うほど足しになるもんじゃないんだよ」

級友の家の貧乏に心動かされたるつ子が、家にある使い古した布を労働着のために級友に上げたい、というと、おばあさんはこう言います。


「そんなに親切がしたいというのに、なぜ新しくて好いものをあげようという気にならないで、古くて傷んでいる、悪い品をあげようとするのかね。
… お母さんは決して勿体ないことしていない。使えるだけ使い切ってある。それでもまだ屑屋へやらなかったのは、小さく切って風呂場の足拭きにでもしてから、 捨てようといってね。そんな代物なのだよ。もう惜しいところが一つもない、役に立たない布なんだよ。うちで役にたたないようなものが、あちらでは役に立つ かね。あげたあとで、こちらの心は痛まないかね。
…やりとり、貸し借りはものと人情がか重なりあうから、そう簡単じゃないんだよ」

相手が自分をどう思うかではなく、その人がどう感じるかを考えつくした、大人の知恵。

震災で焼け出された後、知人に頼んで新品の木綿の反物をもらう。新品を呉れというのは図々しいようで気がさすというるつ子に、おばあさんは説明します。

「だって考えてごらん。新しく丈夫なものこそ、今いちばん役に立つんだし、下さり甲斐も頂き甲斐もあるだろうじゃないか。念のためにいっておくけど、あたしはただ図々しいんじゃない。内心はらはらしてるけど、このたび図々しいのはお許しくださいって、強気で押そうとしてるんだよ。貰い得だなんて、そんな卑しい気持ちはない。一生のうちにはね、覚悟して着る着物というのがある。たとえば婚礼の着物がそうだ。まともな女なら心にけじめをつけて着る。男が兵隊の服を着る時も、義務を覚悟して着る。あたしがいま人の親切に甘えてねだる反物も、心にしるしをつけているつもり。一生忘れずに有り難いと思うだろうし、いずれそのうちには必ずお礼もしようとしているさ」


そして、葬儀の日に、汚れるから普段着でいい、というるつ子には、こう諭すのです。

<喪の家で、女たちが薄よごれた不断着のまま、台所でまごまごしているのでは、お茶ひとつだされても、なにか小ぎたなく見える。そう見えてはならないから、ぜひ折り目のきちんとついたものを着るようにと、かねてから心ぞなえしておいた、この取込みの五六日のあいだに、着つぶしてもかまわないから、ちいちいせずに着ろという。>

折り目正しく形良く生活する心得、形の良さを判断できる美意識、そして形だけではなく太いキモの座った生活の知恵、人への真の思いやり。


昔の人が皆こうだったはずもないし、今の21世紀の世にだってこうした心がけと心配りで生きている人だってあるに違いないけれど、でもやはり、敗戦でいったんすっぱり断たれて過去に埋めてきてしまった文化の中に、こういう姿勢と知恵がたくさん含まれていたのだろうなあと思います。

着るものに対する少女らしい執着や、晴れ着をこの上なく美しく着こなすことのできる姉の見栄、着るものがいかに人を表し、生き方を表し、生活に対する態度と洗練をあらわすか、も描かれています。

着物そのものだけでなく、所作や着付け方、扱い方にも、いかにその人が現れるか。

この文化は、私の世代にはほとんど届かずに消えてしまったもの。

うちの父方の祖母は毎日着物を着て和室で生活していた人だったけれど、わたしはあまり素直になついて話を聞いたりしなかった。今思うと、やはり明治大正の躾で育って生きて来たぴしりとした姿勢が、子どものわたしには少し怖く、なじめず、疎ましかったのかもしれません。
 
母の母はそれこそ下町育ちで「ひ」と「し」の区別がつかない江戸っ子だったけど、このおばあちゃんからも、孫のわたしはまとまった何かを教わるということがなかった。

今思えばなんと勿体ないことであるか。

うちの両親は戦後に成人した世代で、敗戦後に新しく生まれ変わった価値観で教育を受けていたのだから、親の世代から学ぶものなどない、という意気込みだったのでしょう。子どもの育て方も育児書に頼っていたふしがある。
 
もちろん戦後に生まれた民主主義の社会は戦前の体制よりもずっと幸せなものであるはずだけど、それまで窮屈な社会でつっかい棒になっていたものがなくなると、窮屈な常識と一緒に美意識や生き方も仕切り直しになってしまったんですね。


人びとがきものを着て生活する国であった日本の生活感覚が、ひどく新鮮でした。






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