2015/03/23

息子がジハドに行ってしまったら




冬学期は大学のインターネット講座で「政治的イスラムとイスラム原理主義」という講義を受講しました。

ちょうど日本人人質の殺害事件があった、タイムリーすぎたときでした。

オスマン帝国からトルコの歴史、ヨーロッパ統治の後のエジプト支配があって、民族主義とイスラム主義が絡まりあいながら互いに混じり合わず発展してきた歴史、アルカイダや「イスラム国」を名乗る過激派の出てきた背景など、てんこ盛りの情報で毎週頭がパンク状態でございました。


これは、VICE NEWS というインデペンデント系ニュース機関の、「イスラム国」への潜入ドキュメンタリー。

これもこのコースの一環でみたものですが、強烈だった。

「イスラム国」としてはプロパガンダとして取材に協力し、自分たちの正しさを世に問うているつもりらしく、シリアの占領地域の街をクルマで廻り、イスラム法にのっとって皆が生活しているかどうかパトロールする憲兵みたいな役割の若者や、ちょっと見にはYMCAのサマーキャンプみたいな、子どもから老人までが集う集会の様子も紹介されている。
何年も住んでいたベルギーから幼い息子を連れて「聖戦」に参加しようと「イスラム国」に来た若い父親は、自分たちの目的のことを語るとき、感激のあまり涙を流す。

この若者たちにとって「イスラム国」は自分たちが実現しつつある革命で、人生を賭けた善い行ないであり、信仰を守る戦いであり、ようするに世界中で意味のあることのすべてなんですね。

それが外から見てどれほど間違っていても、方針が過激で外部からの非難や糾弾が激しければ激しいほど内部の結束が固くなる、というのは、歴史上これまでも何度も繰り返されてきたこと。

集団の中心にまばゆいばかりの真実と正当性を感じ、それにつながっていること、大義を果たすために生命を投げ出す戦いに参加していることに、この「イスラム国」の若者たちはどれほど誇りと勇気と生きがいを見出していることか。

いってみれば、毎日が終わらないスーパーボウル的熱狂の中に生きているようなもの。


ヒトラーユーゲントの子どもたち、あさま山荘事件の「革命家」たち、オウム真理教の幹部たち、あるいは太平洋戦争末期の日本の将兵たちが、この「イスラム国」の若者たちに重なりました。


こんな熱狂的な信仰を持ってしまった人の心を外から変えるのはきっと不可能です。無理がある団体はいつか自壊するもの。でも、それまでにどのくらいの人命が失われることか。


欧米から「イスラム国」に参加しようと志願する若者も増えていて、特にヨーロッパでは深刻な問題になっています。

その多くは、アフリカや中東地域からのモスリムの移民2世や3世。親たちは移民先の言語も得意でなく、あまり生活には恵まれず、親の文化が自分のものとして消化できない。社会に憤りを感じ、モスリムとしてのアイデンティティに迷っている時、過激派のこうこうだから世の中は間違っていて、それを正さなければならない、という理論に説得され、「キミも革命に参加して世界を変えてみないか?」という誘いがあると、目の前が晴れたようになってアドレナリンが爆発してしまう、というのは良くわかる気がします。

何かにつながる、目的につながる、大きな物語の中に自分の居場所を見出す、というのは、恐ろしく磁力のあるものです。


アメリカでは、特にソマリアの難民の子たちに、中東のイスラム過激派がアプローチしているんだそうです。

この間Wall Street Journalで読んだ(2月28日の記事、『A Mom's Choice: Jihad or Jail』)、イギリスのモスリムのお母さんと息子の話が心に痛かった。

21歳、大学でコンピュータサイエンスを学んでいた息子。学校主催の旅行でトルコに行くといって息子が家を出たあと、お母さんは息子の部屋で自分宛ての手紙を見つける。

「お母さん、ごめんなさい。休暇で旅行に出るといったけど、本当の目的はアッラーの神のためのジハードを行うことです」

息子はトルコからシリアに向かい、「イスラム国」に参加してしまったんでした。

このお母さんは警察に相談し、警察から諜報機関へ通報され、どういう経緯かは詳しく記事では説明されていなかったけど、諜報機関の人が居所をつきとめて連絡をしていたものか、ともかく「ジハード」に参加してみて幻滅したらしく、息子は帰国することに同意。イギリスの空港についたところで逮捕され、懲役12年の刑がいいわたされたそうです。

人を殺す戦闘行為に参加したかどうかは定かでなく、本人はしてないと言ってるそうだけど、このおっちょこちょいの若者を12年間刑務所に入れておいて、「更生」するんだろうか。

お母さんは今では警察に通報したことを後悔していると洩らしています。
警察や当局は、ジハードに行こうとする若者たちを水際で引き留めるため家族に情報提供を求めているというけど、こんな重い刑が課されるのでは協力しようにも二の足を踏んでしまう、と親たちが言うのももっとも。


新聞の写真は、なんだか頼りないような、むしろ心の弱そうな、今どきのワカモノ。
なんだか息子の友人にもちょっと顔が似てたりして、他人事と思えない。

この青年なりの夢と希望と革命にかけた熱狂と挫折と、お母さんの心痛とを思うと、あまりに痛すぎる。
手遅れにならずにイギリスに戻り、曲がりなりにもやりなおす機会を与えられてよかった、と、彼が思えるだろうか。
この若者が本当に彼にとって正しい精神的な導きを、どこかから得られると良いのだけど。


憎悪だけが増えていかないことを祈るばかりです。

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2 件のコメント:

  1. 想像するだけで悲しみがこみ上げてくる。
    宗教はむつかしい。
    さいしょはみんなが幸せになるための物だったはずなのに。
    神様たちは争うことなんか望んでなくて、言い換えればきっとみんな同じことを言ってたと信じたい。
    自分が幸せになるために他を牽制したり殺したりすることが教えなんかじゃないって信じてる。

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    1. 明日香ちゃん、コメントありがとうー。ほんとにね、難しいですね。
      イスラム教もキリスト教も、自分の幸せのために他を無視しろなんて全然教えてないんですけど、自分たちの信仰や生活を外から脅かされた場合には、戦ってよい。いや、戦い抜くのがつとめだ!という解釈をする人たちが一定数あって、それが現在のアルカイダとかISISとかにつながっている。あの若者たちは、少なくとも当初は、本当に自分たち同胞を救うために戦うのだ!命を投げ出すのだ!と、自分で感動していると思う。
      この「戦って守らなくては!」という切迫した意識ほど、強力なものってあまりほかにないよね。
      いまのイスラエルとパレスチナのどちらもそうだし、日本の戦時中もそうだったろうし。
      外からの脅威を国民に説得できれば戦争が成立する。
      すこし立ち位置を変えるとまったく違う様相が見えるはずなのに、その一旦定まった立ち位置を変えるってことがもう本当にものすごく難しくできているのが、人間社会のカオスなのよね。

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