2013/03/21

Killing States

 
アメリカの法律が州によってまったく違うのは周知のことですが、つくづくその違いを実感するのが、最近ワシントン州で合法となったマリファナの使用や同性婚についての法律。それから、死刑制度もです。

現在、死刑制度を実施している州は33州。死刑制度を廃止した州は17州。

先学期とったクラスで死刑制度について読んでいて、Killing State という呼称を見ました。これは Austin Sarat氏をはじめとする死刑制度廃止論者の学者さんたちが使っていて、一般的に普及している用語じゃないかもしれないけれど「死刑実施中の州」という意味はよくわかる。


ワシントン州もKilling State で、現在死刑囚が9 名います。

死刑囚が一番多いのはカリフォルニア州で、724名という桁外れの数。

全米では3000人を超える死刑囚が刑務所に収容されています。

各州によって、死刑になる可能性がある犯罪要素も、減刑になる可能性のある要素も違う。

州の中でなら同じかというと、それもまた違う。起訴された場所によって、裁判の成り行きによって、同じ犯罪でも死刑になったりならなかったりする。陪審員の存在も大きい。


わたしはずっとぼんやりと、死刑制度反対というのは人道的に死刑そのものが良くないことだという主張だと思っていたのだけど、それだけではないのでした。

これは納得できると思った理由は二つ。

まず一つに、各州、各司法区域の制度がarbitrary (気ままに決めること)を許しているという議論。

はっきりとしたガイドラインなしに、弁護士や検察官の技量、裁判官や陪審員の気分や裁量、で死刑になったりならなかったりするのはあまりに不公平ではないかという話です。

被告人の人種により結果があまりにも違うことも、もう何十年も前から指摘されています。


死刑囚になるのは、ほとんどが自分で弁護士を雇うことができなかった貧しい被告で、マイノリティの率が非常に多い。

1972年の連邦最高裁判決で、すでに「不規則かつ選択的にマイノリティに対して適用されている」として、当時の各州の死刑制度の運用が違憲とされています。

しかし今でも死刑囚の4割は黒人です。

 二つ目は、本当は無実でしたというケースが1件や2件の例外ではなく存在すること。


2003年にはイリノイ州のライアン知事が、「イリノイ州では年間1000件の殺人があったが、その被告のうち死刑を宣告されたのは2パーセントにすぎない…。死刑制度は確実な基準なしに102名いる検事によって求刑されていて、公正に統一された方法で行なわれているとは言えない」とし、また、州内で死刑を宣告されてから無実を勝ち取って釈放された死刑囚が70年代以降17名もいることを指摘し「このシステムは壊れている」として、167名の死刑囚を全員終身刑に減刑しました。( イリノイ州はその後2011年に死刑制度を廃止)

死刑そのものが人道的にどうかというのはまた別の議論。

懲罰としてはLife Without Possibility of Parole  (「LWOP」=仮釈放の可能性のない終身刑)のほうがむしろ死刑よりも苛酷な刑という見方もある。

死刑の方法が人道的な方法を目指して来たのと同様に、LWOPの処遇についても議論が分かれるでしょう。


死刑廃止論の理由に「死刑囚はコストがかかる」というのがあります。死刑を求刑する裁判はものすごくおカネがかかるし、死刑囚には控訴が認められていて、何年もかかる裁判の費用は州や国が負担しなくてはならないので。しかし全部がLWOPになってしまったら、控訴のチャンスがずっと低い*安上がりな*終身刑の囚人が増えるのではないだろうか? それはそれで冤罪の場合や裁判手続きに問題がある場合に守られにくくなるのでは?という疑問もわきます。

社会にとって、罰とはなんなのか。犯罪防止のためか、被害者や家族の心情を軽くするためのものか、犯罪者の更生のためなのか。 まずそこの議論が分かれているのに加えて、法律があまりにも多彩すぎる国アメリカの刑事罰の複雑さは、シュールリアリスティックにさえ感じられます。


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