2012/07/22

肉を喰らう うさぎ肉とりすシチュー


ZIZIさんからお借りしている本、近藤 紘一さんの『サイゴンから来た妻と娘』に、恐ろしい場面がありました。

ベトナム人の奥さんは大の動物好きで、東京のアパートに来てからまもなく、秘密でウサギを2羽飼い始め、「ナンバー1」と「ナンバー2」と呼んで可愛がっていた。
でもこのウサギの片方がなかなか言うことを聞かず、ある日テレビのコードを噛み千切ってしまう。
その晩、著者が会社から戻ると、

テラスは血の海だった。
物干しには、けさまでナンバー2だったものの本体がぶら下がり、その下に切り取られた頭や、足の先や、裏返しになった毛皮が散乱している。

…という光景が展開している。学校から帰って肉の塊の正体を知った娘が泣き出すと、

「お前、馬鹿だよ。ウサギはもともと人間に食べられるために生まれてきたんだからね。生きてる間は親切にしなければならないけれど、いつかはこうしなきゃならないんだよ」

と叱り飛ばす。そして香草をまぶして食べたウサギは、絶品だった、と著者。

友人でウサギの飼い主Cちゃんが読んだら何ていうだろうかと思って、ふと気づいた。そういえば彼女、ウサギを飼い始めてからベジタリアンになったのだった。



ちょっと前に観た映画『Winter's Bone』にも(すーーごく良い映画でした!クリント・イーストウッド作品のような感触の、寒くて厳しくて心優しい映画)、りすのシチューがでてくる。

父親はどこかで死んでしまい、母親は心を病んで何もできず、借金のカタに住む家が取られてしまいそうになり、幼い弟と妹を守るために17歳の少女が父親の死体を捜しに行く話なのだけど、貧しくて何も食べるものがなく(現代のアメリカの話です)、裏庭の林で弟と一緒にリスを撃って皮をはいでさばき、夕飯のシチューにする場面があります。

りす… (´;ω;`)!! と思ったけれど、よく考えてみれば、豚や牛やニワトリの生首や血をいっさい見ることなしに、きれいに切って並べられたパックのお肉で料理を作る生活とは、なんと不遜なものなんだろう。

本来、肉を食べるということは手を血で汚すということなのですよねえ。


1930年代のフロリダ北部の農園暮らしを描いた Marjorie Kinnan Rawlings 女史の『Cross Creek』というエッセイ集が大好きで、いつか日本に紹介したいと思っているのですが、この中にも銃を持って肉を調達する場面がたくさん出てきます。

りすのシチューについては、Rawlings 女史は

リス肉については皆の意見が一致する。焼くか、こってりしたグレービーの中で蒸し煮にするか、ピラフにするか、だが、いずれにしても評価は高い。しかしながら、その頭が食べられるかどうかについては意見が激しく対立する。 

 と言ってます。
 狩猟好きだった彼女は、ある日沼地で珍しいツルのような鳥「リンプキン」を撃ちますが、撃ってしまってから、鳥が容易に手の届かないところにいたのに気づきます。

私が獲物を殺すのをよしとするのは、必要のある時に限る。傷ついた獲物や命を落とした獲物を見つけずに放っておいては心穏やかでいられないのだ。

水に浮かんだリンプキンに向かって私は歩いて行った。くるぶしまでの深さが膝の上までになり、最後には腰まで水に浸かる。沼マムシが体をくねらせながら目の前を泳いでいく。ふと、自分が立っているのが深い泥沼の端だということに気づいた。私はライフルを突き出して、リンプキンの体を引き寄せた。 

と、毒蛇や底なし泥沼の危険にさらされながら獲物を回収したことを回想しています。

命を食べるということは、本来そのくらい困難な作業であるべきなのだろうなあと思いながら、血が通った温かい体であったことなど想像もつかない、記号のようなパックの鶏肉を今日も料理するのでした。


 Winter's Bone 


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10 件のコメント:

  1. パック詰めされたものでないと食べられないし、その行程のことは「考えてはならぬ」と意識しているようなところがあります、わたしも。
    だいぶ前だけれども、鶏もも肉が2枚入ったパックを買ったんだけど調理が出来ないままダメにしてしまい、捨てざるを得なかったことがあるんです。
    この時は、「この鳥は何の為に生まれて来たのかわからない」「その権利を奪った上で、その死までも汚してしまったわたしとは」と、ものすごく落ち込みました。
    でも、なぜか、なぜか、調理をしたものが例えば口に合わなかったとか、お腹がいっぱいになったとか、諸般の事情で残してしまう事にはここまでの罪悪感を感じなかったりして。ものすごく勝手なもんだなと、我ながらうんざりします。
    日本のどこかの小学校で、ブタが食卓に上がるまで、みたいなビデオを見せたということがあったような?それで論議が巻き起こったと記憶しているのですが、わたしも、観るべきだと思いながら、やっぱり勇気がないです...

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    1. accoさん、まったく同じです。「考えてはならぬ」のフタをしていますよね。だから、「農場から、まるごと一頭ぶん」子羊を買ったんだよーなんて話を聞くとどきっとしたりして。そのわりに喜んでラムチョップはいただいてきたりして。
      食材を無駄にすると落ち込みますが、でも、たしかにもう料理になって皿に乗っているものだと、残すのには罪悪感が少ないですね…。

      日本で小学校で豚を飼って食べたっていう話も、たしかありましたねー! 
      あれはちょっと何だか無理矢理だなあと思うけれど…。

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  2. 私はロビン・クックの本を好きでよく読むんですが、”Toxin”を読んだ時はさすがにハンバーガーから遠ざかりましたよ。
    これはE.Coliの恐怖のお話なんですが、肉用にやってくる牛さんたちが、と殺場でどんな風に扱われるかも描写されていて怖いです。
    これを読むと、日本人は鯨を食べる=ひどい人種、ということに憤慨します。
    牛さんは鯨より頭が悪いからいいのかい!?って言いたくなるんですよね。

    何を食べる、どんな食べ物をテーブルに並べるにしても、感謝の気持ちを忘れないことが一番大切って感じますね。

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    1. オレンジ猫さん、と殺場の話もいろいろ見たり聞いたりすると「人間的に扱われました」とパックに書いてあるお肉をなるべく手にとりたくなるけれど、本当はあんまり事細かには知りたくないとも思っている自分がおります。
      シアトルに来てから比較的近郊のオーガニック農園のお肉が手に入りやすいので、冷凍や安いスーパーのナショナルブランドのお肉にはあんまり手がでなくなりました。気休めなのかもしれませんけど、肉食少なめになってきたかな。
      ほんとに、食卓にのせるものに感謝することを忘れちゃいけませんよね。

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  3. 生き延びる為にリスを食べるって言うのは、理解できます。けど、さっきまで可愛がっていたペットを夜ご飯に食べちゃうのは・・・・?情が沸かないのかしら。寿命で亡くなったとしても、私はネルを食べる気には絶対になりませんっ
    Micheal PollanのThe Omnivore's Dilemmaを読んだ事あります?Dragon tattooの作者と一緒で、文章がまどろっこしくて結局完読できなかったんですけど、養鶏場での作業を1から10まで事細かに描写してくれてます。危うくベジタリアンになりかけましたよ。

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    1. 『The Omnivore's Dilemma』読んでないです!また積ん読のリストが長くなりました。
      愛情かけて飼った動物を食べるって、相当の信念か割り切りかがないとできないことですよね。
      『サイゴンから来た…』の奥さんは独特の仏教観の持ち主で、大切に飼って大切に食べて、成仏させて次に生まれ変わるのを手伝ってあげるのだ、という信念があるようです。そのくらいの確信がないと、できないことだと思うのです。
      日本の小学校で豚を飼ったって授業は、名前までつけて学校のペットとして飼ったものを殺して食べる現実を生徒に体感させるってことだったけど、宗教的な共通のバックグラウンドがないところでやるのは危険すぎると思う。そこは個人でものすごーく差があるところじゃないかしら。

      Marjorie Kinnan Rawlingsさんも、自分の農場で飼っているマガモをつぶして友人に鴨ディナーをふるまうときには、「私は食べられないのでポーチドエッグが必要」と書いてます。庭に侵入してきた豚は射殺してローストポークパーティを開いちゃう人なんですけど(そしてその豚は「ペットだった」といって飼い主が乗り込んでくるのです)。

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    2. なるほど。大切に飼って、大切に食べるか。それなら、なんとなく理解できるかも。
      4年くらい前にCAの山奥で初めて川釣りをした時、troutが面白いくらいに釣れたんです。私、freak outしました。命あるものをこの手で捕まえて、殺し、食べてしまうって事にものすごくショックを受けたんです。もちろん釣れすぎる前に止めて、全てキレイに食べました。それ以来釣りはやってないんだけど、今考えたら良い勉強になりました。だって、今までもこれからも私の代わりに誰かがやってくれてた事を、身をもって体験できたんだからね。

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    3. shokoさん、そうそう、魚は「顔」つきのを売ってるからまだしもだけど、お肉って買う時も料理する時も、顔を想像しないでいつも食べてますもんね。代わりに誰かが捌いてくれているんだなと、さいきんよく思う事が多いです。
      農場暮らしだと、お肉を食べるというのは、いつも見ている動物が食卓に上るってことなんですよね。

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  4. The Omnivore's Dilemma、持ってますよ~!完全積ん読になってるので(汗)、良かったらお貸しします~。

    子供の頃、ヒヨコから鶏を育てて、自分で育てた鶏を絞めて食べていた、という知り合いは、食べること=命を取りこむことだと仰っていました。だから、感謝を常に忘れない、と。でも、自分でできるかなぁと思うと、できない気も・・・。

    Food.Incという映画に、アメリカの屠殺場や鶏小屋の映像が出てきて、それを見た後は、しばらく、肉を食べられなくなってしまったのですが、悲しいかなベジタリアンにはなれないので、週に1回くらいですが、肉類を食べています。釣れた魚に止めをさす時も、ごめんなさいって思わず手を合わせて涙が出ますが、でも、食べるときは、美味しいって思っちゃう。自分の中で、物凄いジレンマに陥ります。エゴイスティックな考えかもしれないけど、結局、最後は、いつも、常に感謝して食べること(いただきます、って素晴らしい言葉だと思うのです)、無駄にしないこと、オーガニックのお肉を買うこと、で折り合いをつけちゃってます。

    ベトナム人の感覚は、この本を読んだ時、衝撃であり、でも、ちょっと感動したんです。確かに、宗教が背景にないとちょっとキツい行動ですが・・・。ご紹介下さった映画も本もまだ未見・読なので、是非、読んでみたいと思いました!

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    1. ZIZIさん、わーぜひお借りしたいです。人から借りた本だと優先順位が上がるから、早く読めるしw

      Food Inc. 見ました! あれを観てから、卵や鶏肉は地元小規模ブランドのFree Range のものにしていますが、それだって昔の農場のようにのんびり飼われているわけじゃないのでしょうし、確認しに行くわけでもなく、ベーコンやハムはいまだにコスコのを買ってるし、いい加減です。ただ、あまりに安いお肉というのは誰にとっても良くないものだと覚えておこうと思いました。
      おいしいと思わないと食べられるほうもきっと浮かばれないと思うから、おいしく感謝して無駄なく…頂こうというところで、折り合いをつけてます。

      ベトナム母さん、感動します。すごいなあと思う一方、二昔くらい前の日本にはこういうおばちゃんがたくさんいたんだろうなあ、とも。

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