2017/07/01
ブルックリン橋
ブルックリンからの帰りはブルックリン橋を渡ってマンハッタンへ戻りました。
時刻は午後8時をすこし過ぎたころ。
もう暑さもおさまり、川風が気持ち良い。
シアトルほどではないけど緯度が高いので夕暮れが遅い。
シアトルは北緯47度、ニューヨークは40度だそうです。
午後9時まで明るいので、東京からきたマダムMはびっくりしていた。
ちょうどマンハッタンのビルのうしろに夕日が落ちる時間でした。
この橋の建設がはじまったのは1870年、明治2年!
それから13年かかって完成したそうです。
重機もたいしてない時代だものね。
工事中の写真をみつけた。
設計者のローブリングさんは工事の際の怪我がもとで破傷風になって亡くなり、息子さんが主任技師を引き継いだものの、彼も塔の土台を築くために川底に沈める作業函「ケーソン」に出入りする密閉されたエレベーターの圧縮空気のせいで半身麻痺になってしまい、工事の残りは望遠鏡で遠くから監督したのだそうだ。とHistory Linkでさっき読んだ。
作業に従事したのは移民の人々。危険な作業で生命をおとしたり、大怪我をした人も多かったそうです。
右は自転車用ということになっているらしいのだけど、 橋の上は人だらけで通行しにくそうだった。
その中を「通るよー!」と叫びながら猛スピードでやってくる自転車もあり、なかなかスリリング。
右にはマンハッタン橋。これも素敵な吊り橋。
左にはビル群。ワイヤがドラマチックですね。
この遊歩道の下を車道が通っている。車道の横を歩くようになってるのではなくて、上にあるのがミソですね。だから景色が広々してる。
シアトルのワシントン湖の橋もそうだったらいいのにねー。 そんなに歩く人はいないか。
ここからも、自由の女神がぽつんと見えた。
晴れた夏の夕方に散歩するのにはこの上なく気持ちの良い橋でした。
イーストリバーとブルックリンのピザ
ウォール街からのイーストリバーフェリーでブルックリンへ行きました。
ブルックリンに行くなら、フェリーで行くといいよ!と、AirBnBのホストさんが教えてくれた。
マンハッタンの南端から川をさかのぼって、橋を3つくぐっていくコース。お値段片道たったの2ドル75セント。しかし時間はかかる。いつ来るのかも予定は未定というゆるやかなフェリー。
IKEA行きの水上タクシーも出てた。なるほどー。
イーストリバーってけっこう広い。隅田川よりずっと広いっすね。
マンハッタン島の反対側のハドソン川のほうには結局行かなかった。
自由の女神も、遠くから小さく姿を眺めただけで、近くに行って見る機会はありませんでした。
しかしブルックリン橋は上から下から眺めた。
綺麗な橋だー。吊り橋フェチかも。完成は19世紀、1883年って明治16年。
水上タクシーもイエローなのか。
映画で何度も見た橋だという実感はあんまりなかったな。
ブルックリン橋の下。
ぎゅうぎゅうにビルがひしめいて1センチの余裕もないようなマンハッタン島の混み具合と、この広々したイーストリバーのギャップがいいですね。
暑い日曜日でした。本当に暑かった。間違った服装で歩き滝のような汗をかいたのはこの日。
ブルックリンのウィリアムズバーグというエリア。フェリー乗り場の前には高そうな新しいコンドミニアムがあって有明あたりみたいな感じだった。
このエリアは最近ジェントリフィケーションがもっとも著しいヒップな街になってものすごく家賃がお高いのだそうです。 オサレホテルもできていて、なにもかもお高そう。しかしそんなオシャ街でも路上がゴミだらけなのはさすがニューヨーク。
デルタ航空の壁画広告。かわいい。なんかツボ。
小腹が空いたのでおしゃカフェでマダムとエスニック丼をシェア。ビビンバをお洒落にしたようなサラダで、うまかった。
シアトルでもよく見かけるリクレイム材のオシャ内装。
このホワイトウォッシュ壁は流行ってますねー。
そしてマンハッタン橋とブルックリン橋のたもとのあたり、DUMBO地区へ。
なんでダンボなのかと思ったら、「Down Under the Manhattan Bridge Overpass(マンハッタン橋の下)」の頭文字だったんですね。でもゾウのマークがあちこちに。
橋の下でフリーマケットが開催されてました。
この近くでブルックリン在住の翻訳者ジョーさんと密談。
さすがにピザはハズレ無し。
チェリーとリコッタチーズ、サラミのトマトソースピザと、4種類チーズのピザ、ケールのサラダ。おいしゅうございました。
2017/06/30
あの牛がいるところとメモリアルのプール
ニューヨークに行ってみるまで、ウォール街がマンハッタンのどこにあるのか知らなかったのはこちらの翻訳者です。
世界随一の金融街は、こんなにせせこましいマンハッタン島のさきっちょのエリアにあったんですね。
ニューヨーク証券取引所がスナップチャットに追加してねとアピール。その前で記念撮影の中国人のご夫婦。
日曜日だったのでトレーダーさんたちの姿はなく、この一画は観光客でいっぱいでした。
ジョージ・ワシントンさんと写真をとる人々。
例のウシは中国人に完全に取り囲まれていた。
このウシの股間に手をあてて美しく微笑むマダムMの素敵な写真をぜひぜひぜひご覧にいれたいのだけど、マダムに脅迫されているのでできません。ああ残念。
色々話題になっている「牡牛に立ち向かう女の子」像もごらんの通り。ウシとの間に観光客がバリケードをつくっています。
ウォールストリートってこんなに狭い通りだったのね。
プライド・ウィークだったので、ここにもレインボーフラッグが。
例の新しいタワー。
タワーの写真をとる人々。
タワーはなんだかのっぺりした愛想のないビルって感じだけど、グラウンド・ゼロのすぐ横に立つこのショッピングモールの構造はとてもドラマチックで優雅。
骨のような貝殻のような帆のような力強いオーガニックな形が素敵だし、光をとおす開放的な感覚と、色がいい。この場所はやっぱり白が似合うと思う。
スペインのサンティアゴ・カラトラヴァさんの設計だそうです。
吹き抜けで地下2階だけに店があるというのは商業施設としてはムダが多くて面白いですね。
このモールのすぐ目の前に、世界貿易センタービルのメモリアルプールがある。
ここに実際行ってみるまでここがどういうことになってるのか全然予備知識ゼロでした。
ふたつのビルがあった場所に、巨大な四角いプールがそれぞれ作られていて、周りには亡くなった人々の名前が彫られている。
プールには四方から滝が落ちていて、
その水は全部真ん中の四角い穴に落ちていく。
水がこの穴に落ちていくのを見ていると、ぞっとせずにいられませんでした。
なんと沈鬱なメモリアルなのか。
このメモリアルが永遠にここにあるのか。
動く水があるのは良いのだけど、救いとか癒やしの意思はあんまり感じない。
水はどんどん内部に、だれの手も届かない暗い地中に落ちていく。
祈りにも向かわず消化されていない内省、絶望、隔絶を感じた。勝手な感想だけど。
これほど暗いプールをみたのは生まれて初めてだった。
なくなったビルの形を再現した四角形も怖い。
穴に落ちていく水ではなくて、外にむかって吹き出してくる噴水にすればよかったのに……。
隣にある白いOCULUSのオーガニックな明るい造形が唯一の救い。
プールの横にはミュージアムもあった。時間がなくて中は見なかった。
空間が分裂していてつじつまがあってない。
メモリアルのプールの前で、インド人らしい親子に写真を撮ってと頼まれた。「ビューティフルな場所ね」といっていたので感じ方は人それぞれなんだと思うけど。
2017/06/27
ホイットニー美術館のカルダー、ホッパー、ビエンナーレ
ニューヨーク滞在中にまず行ったホイットニー美術館で、アレクサンダー・カルダー展をやってました。
ワンフロアの小さな展覧会だったけど、めったに見られない動く彫刻のデモンストレーションがあった。
ちょうど運良く、デモの時間に立ち会うことができました。わーい。
カルダーの動く彫刻が動いてるのを見たのは初めて。
ほんとにかわいい。洒脱。すべてが垢抜けている。
これは予想を裏切る有機的な動き。Sの字がミミズっぽい。
こちらはデモには入ってなかった。これが動くところも見てみたかった〜。
傘のようなアンテナのようなのがどう動くんだろうか。
滑車がついてるから回転するのかな。
5階のカフェの配色と、カルダーのモビールがマッチしてました。
カフェの外はハイラインを見下ろす展望デッキ。
ほかの階ではビエンナーレをやってました。
これはヘンリー・テイラーという1958年生まれのロサンゼルスの画家の作品で、去年起きた、警官による銃殺事件をあつかったもの。
この人は人種間の緊張をテーマにしているけど、ほかにもマイノリティや移民の視点から見た「いま現在」のひりひりするようなナマの題材を取り上げた作品がたくさん。
そしてもちろんコレクションの展示もがっつり見応えがあるのでした。
これは1940年の写真で、「Tenement on Perry Street」。
Perry Street ってあのSATCの「キャリーの家」がある通りじゃないのか。今ではアップスケールになっちゃってたぶん何百万ドルもするアパートが並んでいる界隈。
1940年には移民の町だったのか、小さな部屋の隅に作られたつつましいキッチンの写真。
ちょうどツアーをやっていたので途中から飛び入りしちゃった。
アンディ・ウォホールの1961年「$199 Television」。
この時代の199ドルって高いよね。61年の頃のテレビの存在感って、とほうもなかったのに違いない。
テレビが世界をすっかり変えてしまうことに、ウォホールさんはすぐ気がついた。
バーネット・ニューマンの「Day One」1951年。
ガイドさんは、「オプティミスティックな赤」といっていた。タイトルにも、新しいものが始まるワクワク感が表現されているといっていいのか。1951年。アメリカはまだベトナム戦争を知らず、冷戦も宇宙競争も始まったばかりだった。
なんの第1日だよ、と思うとちょっと背筋が寒くなる気もする。
エドワード・ホッパーの有名作品とも、ナマで初の対面。
ホッパーの木炭デッサン。かっこええ。
また画がかきたくなってきた。
ジャスパー・ジョーンズと、ホッパーの「Early Sunday Morning」。1930年。
うら寂しいホッパーの作品の中でも大好きな1枚。
もちろんナマで見るのは初めて。意外と小さい絵だったんだ。
そしてこれはニューヨークの7番街の絵だった。なぜか中西部のどこかの街だと思いこんでいた。
「almost a literal translation of Seventh Avenue」
(7番街をほとんどそのまま写したもの)
と、ホッパーさんはこの画のことを説明したそうですが、ウィンドウの金文字はぼかされて読めないし、人は一人もいないし、7番街にはこんな具合に朝日が当たることはないのだと説明されてた。ぜんぜんそのままじゃない。
要素を切り取った、がらんとして美しい、情感をそいだハードボイルドな風景。
大恐慌時代の景色なのだった。
アートミュージアムは歴史のミュージアムでもあるのだなと思いました。