2019/04/04

運命の馬たちとピンクの壁 <ヴェネツィア思い出し日記 その8>


追憶のヴェネツィア日記。

サン・マルコ大聖堂の正面に飾られている、馬たちの像のレプリカ。
ほんものはすぐ内側の美術館内に飾られてます。

こっちがほんもの↓。



伝説ではアレクサンダー大王の時代、紀元前4世紀のギリシアでつくられたとも、3世紀頃にローマでつくられたともいわれているそうですが、どっちにしてもすげー。
(最近の調査では、紀元前175年のものとされてるとか)
ブロンズを打ち出す製法じゃなくて、粘土で型をつくってその上にブロンズをかぶせる製法だったそうです。

ともかく、ものすごく迫力のある馬たちです。
「鬼気迫る」感じ。
なんか入ってる。

皇帝ネロの時代にギリシアから奪われてローマに飾られたといわれてるそうです。

その後コンスタンチヌス大帝が330年にローマから奪ってコンスタンティノープルの競技場の飾りにして、1204年の十字軍遠征でヴェネツィア人が奪ってこの聖堂の正面(いま、レプリカ像があるところ。吹きさらしのテラス)に飾ったそうです。

そのあとさらに1797年、ナポレオンがヴェネツィアを征服したときにこの馬たちはフランスに持ち去られ、一時はパリの凱旋門の上に飾られてあったのだそうな!

そしてナポレオン失脚後にヴェネツィアに帰ってきた波乱万丈の馬たち。
すごい歴史ですねー。

この馬たちはチャリオットを引く戦いの馬なので、戦利品としてまことにぴったりだったんでしょうね。 


しつこくドゥカーレ宮殿。
サン・マルコ聖堂とは建てものがぴったりくっついています。この距離感すごい。

一般人はもちろんオフリミットな秘密の通路とか絶対あると思う(ガイドを精読してないのでこの二つの建てものの間が実際どうなってるのか、よく知らないのですが) 。

いまの民主主義では政教分離って、教会の物語とパワーを政治に持ち込むなっていう意味が強いけど。

中世〜ルネサンスの頃は逆に、教会の持つ絶大な力を、政治の人がめっちゃ利用しまくっていたんですね。

なんかこの、政治経済の中心であった宮殿と聖堂がくっついているのをみると、その求心力みたいなものがはからずも見える化されてる気がしました。

それでドゥカーレ宮殿。


こないだYouTubeでたまたま出てきた、ヘンデルの曲になぜかついていたサン・マルコ広場の絵。

カナレットの絵だそうです。絵が描かれたのは18世紀前半で、ヘンデルと同時代なんですね。

本物はどこにあるのか不明だけど、色が鮮やか(この画像は彩度上げてるっぽい)。
メトロポリタン美術館に似た題材のが収蔵されてますので、たぶん同じ頃、1720年代の作品なのかも。

イスラム建築の影響を受けたピンクの幾何学模様の壁。
この上の絵で見るとそのピンクがもっと濃くて、ワイキキの「ピンクパレス」ロイヤルハワイアンホテルみたい。

絵に描かれた18世紀から3世紀のあいだに日に焼けて色が薄くなったのか?

それにしても14世紀頃に、政治経済の場の外壁をピンクのイスラム建築的なもようで飾るって、相当に革命的だったのでは。

教皇のいるローマの方面からは眉をしかめられたのではないかな、なんて想像がふくらみます。

ドゥカーレ宮殿の中を見に行った話を書こうと思ったら馬の話で興奮して長くなっちゃったので続きます。ヴェネツィア日記はそれでおしまい。滞在2泊だったのに、いつまでかかるのだ。



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