2017/08/21

日食が脳を変える


ダウンタウンの南、シアトル港をすぎたあたりに貨物用の線路が道路と並行して走っていて、コンクリート会社が専用に使っているらしい。そこにおきっぱなしになってるこの貨車が気になってました。
いい感じにサビがでた上に、ミロのヴィーナス??のような顔がずらっと貼られている。
アメリカの貨車はラクガキにおおわれていることが多いけど、このグラフィティは気が利いてるな、と思ってたら、数日前に見ると、顔がいくつかはがされたり黒く塗られてて、F--k White Spremacy(白人至上主義はクソ)という殴り書きがふたつ追加されてました。

うーん、どうせなら殴り書きじゃなくてもっとこうパンチのあるのにしようよ。


ツイッターで見たこれはオシャレ(「移民は犯罪ではありません」)。

ところで今日のシアトル・タイムズに、たとえば日食などのすごい体験で畏怖を感じると脳がどうなるかについての面白い記事がありました。

アリゾナ州立大学のシオタ教授の研究によると、Awe(畏怖)を感じたあとの被験者は、新しいアイデアにオープンになりやすく、記憶を捏造しにくくなり、より批判的思考がしやすくなるのだそうです。つまり、偏見なしに世界を見るのがより簡単になるんですね。

さらに、祈りを捧げている修道女と瞑想中の仏教の僧の脳の活動をMRIで観察したところ、きわめて似た状態の畏怖を感じていることがわかり、感情と記憶をつかさどる辺縁系が活発になるのと同時に、空間の感覚や自己認識をつかさどる頭頂葉が静かになっているのが分かったそうです。

実は幻覚きのこやLSDでもこの頭頂葉の活動が抑制されることによる自己感覚の喪失、空間認識の喪失というのは起こるのが知られているそうです。

修業を積んだ僧が瞑想で会得する感覚ときのこのトリップによる感覚が全く同じといっていいのかどうかは議論になるところだろうけれど、要はそこから日常世界に何を持ち帰れるかが違うということではないでしょうか。

人の世界観を変えるような畏怖は、なにも日食とかグランドキャニオンとか幻覚きのことかそういう日常の常軌を逸したスケールの体験にかぎらず、どこにでも転がっているんですよ、という研究者の言葉を記事は引用しています。

「畏怖は人を連帯させる」とも。
ネオナチの人びともISISの人びとも、宗教的な畏怖を知っているのに違いないのだけど。宗教の中心にあるのは畏怖と、自己の消失ですよね。それをもっとうまく使う方法はないのかなあ。

思うのだけど、モノのインターネットや人工知能がもっと発達してきたら、人類は良かれ悪しかれ「自我」の境界がだんだんあいまいにならざるを得ないところにいってしまうのではないかと思います。

それが恒久的な平和につながるかというと、そうでもないという気がするけど。


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