レディ・ガガとアダム・ドライバー主演の『House of Gucci』を観にいってきました。
今回は、ご近所のMajestic Bay Theatresへ。歴史ある独立系のローカル映画館で、コロナで閉館していたあいだ、一時は存続があやぶまれたこともありましたが、無事にサバイブしてくれました。
本編上映前に上映された映画館のPRムービーにはオーナーが登場して、支援のお礼とともに「ウチはウイルスを殺す仕掛けがあるから安全ですっ」と力説していました。紫外線かなにかで室内の空気を清浄にするマシンを導入してるそうです。ほんとか!!
この映画館では、入り口でちゃんとワクチン接種証明を提示して入りました。
紫外線の効果はともかく、そのへんがまったくいい加減で人が多いシネプレックスよりは安心度は高いです。
で『ハウス・オブ・グッチ』。日本では1月公開だそうです。
以下ちょっとだけネタバレあるかもしれません。
ぜんぜん前知識なく、これがリドリー・スコット監督だということすら知らず、グッチ家の物語も知らず、予告編を観ておもしろそうだと思っただけで観に行ったんですが、…面白かった。
すくなくとも、画面はとっても見ごたえがありました。俳優陣がなにしろすごい。
ぐぐったらすぐにわかる有名な事件でおわる結末も、まったく知らなかったので、いったいこの話がどこへいくのか、フィールグッド映画なのかそうではないのかすらも最後のほうまで見当がつかなかったのですが、うーん、この映画に関しては、むしろ二人がどうなるかのリアルストーリーを先に知っていたら、そのほうがもっと楽しめたかもしれない、と思います。
というのは、レディ・ガガ演じるパトリツィアにも、アダム・ドライバー演じるマウリツィオにもまったく感情移入ができないことに、途中からイライラしはじめたからです。
そのへんでフィールグッド映画でないことにはうすうす気づいてくるんですが…。
主要登場人物には一人も共感できない映画でした。
パトリツィアはチャーミングだけれど強烈な上昇志向とプライドのほかには内面がなにも描かれず、マウリツィオも一見洗練されていて魅力的だけれど、凡庸で流されやすく、冷たくて自己中心的で上すべりで面白みのない人間として描かれている。
華麗な世界の欲とエゴにまみれた人々、ではありながら、とっても凡庸で退屈な人たちのストーリーになっています。(映画が退屈という意味ではありません)
出てくる人にまったく共感できない、けれどすごく面白いお気に入り映画っていくつかあって、たとえばエマ・ストーンの『女王陛下のお気に入り(The Favourite)』とかアダム・サンドラーの『アンカット・ダイヤモンド(Uncut Gems)』は、その嫌なやつぶりがあまりにも突出していて、とてもエンターテインメントでした。
そして、同じリドリー・スコット監督の『悪の法則』は、無表情な悪が淡々と描かれていて、とても怖い映画でした。
でもこの映画のグッチ家の人々は、華麗なるお金持ちではありながら、とっても凡庸。
まったく怖くはないし、共感もできない。
外見は魅力的で見ごたえがあるのだけど、なかみは平凡で退屈なキャラクター。そのなかみのからっぽぶりを、ガガもアダム・ドライバーもとてもよく演じていると思います。
むしろこれはコメディとして見たほうがいいのかもしれません。でもそれだったら最初からそう言ってよ、という気もする。なんだかちょっとどうしたらいいのか困ってしまう感がある映画でした。
濃いドラマだと思って観たらコメディだったという……これはまんまとリドリー・スコット監督の思うつぼなのかな。
トム・フォードも、「観ながら何度も爆笑したけど、笑うべきだったのかどうかわかんない」と言ってました。
ガガ様とアダム・ドライバーその他の出演者たちのイタリアンアクセントは賛否両論あるようですが、わたしは観ていてちょっと疲れた。
それがどのくらい「正確な」アクセントかまではわたしには判断できませんが、イタリア人の話をわざとらしいイタリアンアクセントの英語でアメリカ人が演じるということ自体が、なんだかなー、と思い、イタリア語でやらないのならふつうのアメリカ英語でいいじゃないのと思ったのだけど、でも!!これはブラックなコメディ映画だというのなら、納得できます。
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