2018/07/24

巫女との旅 浄見原神社



天香久山で蚊に襲撃されたあと、トヨタレンタカーの青い彗星ヴィッツちゃんをとばして吉野へ。

1500CCくらいだったと思ったけど、坂道でアクセルを踏むとゔゴーンゔゴーンとかなり頑張っている音がする車でした。

美人通訳にして巫女のM嬢と、吉野神宮駅前の渋い喫茶店で待ち合わせ。

まずは、M巫女のお気に入り神社「浄見原神社」へ。

巫女との旅の旅程は、毎回すっかり巫女にお任せで、どこへ行くのかもよく知りませんでした。



山の中の、すごくわかりにくい場所にある(民家の裏のほうの狭い道の先)小さな古いお社ですが、1300年の由緒ある神社なのだそうです。

これが↑参道。

参道の途中に立派な案内版が建っていて、こう書いてあります。

西暦672年、大海人皇子(天武天皇)がこの地に数日間、お住いになられたと伝えられています。
大台ケ原を源流とする吉野川をはさんで、左方には、天女が衣を掛けたと伝わる「衣笠山」、右方には大海人皇子が通ったといわれる「うれし峠」があります。
この参道の先に1300年の伝承を守り、毎年「国栖祭」が奉奏される、天武天皇を御祭神とする「浄見原神社」が鎮座されています。

 国栖祭は「くずそう」と読むそうで、謡曲にもなっている。

壬申の乱のときに、吉野に逃れてきた天皇をここの「国栖人」がいたわり、匿ったという。

天武天皇は伊勢神宮の神宮式年遷宮も制定して、皇女を初代の斎宮にしているんですね!

仏教と神社(神道というよりも)を両方振興させたんですねえ。そして皇后の持統天皇の時代につづく。

明治政府が新しい神道を国家宗教にしようとするまでの1300年間、仏教と神社とその他もろもろが国体のなかで共存していく、その基盤が整備され始めたのがこの飛鳥時代なのですね。ていうか国の基盤ができた時代。

このへんの時代の歴史は『日出処の天子』でしか、読んだことなかった。蝦夷〜!


「聖徳太子はいなかった」という説が最近有力になっているようですが!

天武天皇アンド持統天皇、ちょっと興味がでてきた。このへんにはまると大変なことになりそうですけど面白そうすぎる。

このあいだようやく万葉集を読み終わって(ぜんぜん精読とはいえませんけど)、この時代の人たちが少しだけど身近に感じられるようになってきた。



参道の先に木造の小さなお社があり、両脇が狭い舞台になっている。

左手は切り立った崖で、吉野川の深い淵がみわたせる。

とても気持ちの良い風がわたる、静かで素敵なところでした。
ほんとうに風が柔らかで気持ち良い。

この数日後に行った伊勢神宮の内宮の気持ちの良さと、とてもよく似ていました。
 




ここで毎年、お祭りがあるのだそうです。

 吉野町のサイトには

天武天皇を祭る神社で、毎年旧正月14日に、12人の翁による古式ゆかしい舞「国栖奏」が奉納されます。

とあります。

でもあの狭い舞台で12人も舞うのかな?と思ったら、YouTubeにありました。


 舞を舞うのは2人で、あとの人は笛や謡の役でした。

おっちゃんたちが神主さん的な翁の格好をして、神妙に舞を奉納しているのがなんだかほっこりする。

 万葉の世界がー。

風のやわらかさと翡翠のような川の色がひたすら印象的な、優しい場所でした。



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