2019/01/18

ビール・ストリートのオダギリジョー


『If Beale Street Could Talk』を観てきました。
邦題は『ビール・ストリートの恋人たち』(無難にまとめましたね)。

よかったです!またもや号泣。

ペースのはやい今どきのドラマに慣れている目には、このバリー・ジェンキンス監督の語り口はまどろっこしく感じてしまうくらいスローで、静か。


ふだん、5秒で何かがわかるとか、15秒ですべてがわかるとか、そういう前提で情報を見ることにずいぶん慣れちゃっているなと思わされました。


心の内面の動きをゆっくりゆっくり、部屋の湿度も感じられるくらいにゆっくり描いていく映画。一コマ一コマがほんとうに綺麗です。

70年代はじめのアメリカで、黒人であるというのはどういうことだったのか。それを言葉をあんまり使わずに描いてるのがすごいです。

刑務所から出てきたばかりの友人が、その経験を語る場面がすごかった。

人を壊してしまうだけ大きな恐怖と、無法なことに鼻をつまんだまま放置している国のしくみも、淡々と静かに描かれているのでとてもこわい。

そしてキャストが全員、光り輝くほどすばらしい。



主演のステファン・ジェームズ君。オダギリジョーに超似てると思うのはわたしだけ?


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2019/01/15

ファー島へ遠足


年末から暗い雨がちのぐずぐずした天気続きだったシアトル近郊、このところ珍しくすかっと晴れた日が続いてます。

快晴の土曜日、スカジットの「ファー島(Fir Island)」のあたりに行ってきました。
ファー島というのは、川にはさまれた平たい土地です。

春のチューリップ畑で有名なスカジットにあります。


このへんです。シアトルからカナダ国境までの中間地点くらい。
こうしてみると、カナダって近いっすね。


この前行ったのは、2012年と2013年だった!
なんと5年〜6年も前なのでした。

ハクガン(スノーグース)とトランペッタースワン(ナキハクチョウ)を見に行ったのですが、前回ほどたくさんの大群には遭遇できませんでした。
 


でも遠くにホコリのように舞っている群れを見つけて車で近くへ接近。

スノーギースのみなさんは一心に草地のなにかをついばんでいて、前回みたいに群れが空を舞う壮大な景色を間近で見ることはできませんでした。



ビジョナリーな1羽が用水路をわたってとなりの畑に移動すると、何千羽もいる鳥たちがじわじわとつられて大移動がはじまりました。

用水路へとことこと下って、対岸へまた上っていくのが多数派のフォロワーたち。
用水路の水にはいったとたんに目的をわすれたらしく、水につかってぼんやりしはじめ、交通を遮断する人たちもいる。
そして中には「なんでわざわざ下におりなあかんねん」と気づいたのか、羽根をひろげて用水路を飛び越すレボリューショナリーな鳥たちも(でもとても少数だった)。

スノーギースの社会の力学もおもしろい。

そもそも、フォロワーたちはどうしてみんな全員の行く方向に行きたくなるんだろうか。

鳥なりの「FOMO」な焦りなんでしょうか。
FOMOって、社会性のある動物に共通の本能なのかしら。どこに書き込まれているのだ。


5年前に行ったときには一眼レフも持っていたのですが、もはやiPhone一択。

なのでこのように、双眼鏡にレンズをつけて撮ったりしてみる。


 …でもせいぜいこの程度ですけど。

ハクトウワシもあっちこっちにたくさんいました。


通りがかりにみつけたミニチュアロバ牧場。


なぜかKちゃんが異常に興奮してロバに草をやりまくり。


「ねえねえどうしてロバちゃんに触りたくないの〜?」とKちゃんに詰問される。耳にはちょっと触ってみたかったかな。でもロバの目は表情がなくてちょっとこわい。


冬の日がくれるのはまだまだ早い。日没は4時半くらい。

このあたりには可愛らしい古い農家がぽつんぽつんと建ってます。


トランペットスワンの小さな群れ。


遠くにみえるのはタコマ山AKAレーニア山。ここからだと小さいプリンのようでした。


反対側、北のほうにはカナダ国境に近いベイカー山。まだ行ったことがない。
いつか行けるといいなー。

鳥は思ったより少なかったけど、のびのびと青空を楽しめた一日でした。



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2019/01/06

グループセラピー、バベルの図書館@フライ美術館


シアトルのファーストヒルにあるフライ美術館に行って来ました。久しぶり。4年ぶりくらいか。



グループ・セラピー』という展覧会が開催中でした。(1月6日まで)

ものすごい量の情報が交錯し、フェイクニュースの物語ごとに陣営にわかれて相互のコミュニケーションが成り立たなくなってしまったようにみえるこの時代に、癒やしとコミュニケーションの可能性を模索する。
…といった内容の作品をあつめた、なかなかおもしろい展示でした。


Shana Moultonというカリフォルニアの女性アーティストの、プロジェクションを使った作品が面白かった。


ダリっぽい地平に並べられている、いかにもニューエイジっぽいグッズたち。壁につぎつぎと映し出されるマンガっぽい人体の一部。

My Life as an INFJ というタイトルは、マイヤーズ・ブリッグズ の16種類のパーソナリティタイプを示してます。

(ちなみにわたしはINTP。20年位まえにホノルルのカレッジで心理学の講座をとったときにこれをクラスでやって、その当時、まもなく別居する運命であった旦那がまるっきり正反対のESFJだったので、ああなるほど…と思ったのでした。)

もう一方の壁には別のビデオ作品『Whispering Pines』。これもいかにもカリフォルニアチックなニューエイジ/スピリチュアルな傾向に惹かれながら現代生活をおくる白人女性を自演していて、皮肉なのだけど意地悪ではなく、スピリチュアリティに対する希求の切実さがコミカルに描かれてるけど切ない。


もうかれこれ10年ほども続けているシリーズのようです。


この悪意のない皮肉、どうしようもないおかしさと切実さが、わたしはとても好き。
まあその解釈が合ってるかどうかは、わかりませんが。


Lauryn Youdenというカナダ生まれ、ベルリン在住アーティストの作品『A Place to Retreat When I am Sick (of You) 』
黒い砂を敷き詰めた、瞑想のループ。ざぶとんとヘッドフォンがいくつかおいてあり、それぞれいろんなバイノーラル・ビートが聞こえる。



一番おもしろかったのは、Marcos Lutyensという英国人アーティスト(ロサンゼルス在住)の『Library of Babel, a Symbiont Induction』。

薄暗い小部屋のなかに腐葉土が敷き詰められ、クッションとヘッドフォンがいくつかおいてある。中心のガラスケースのなかには、きのこ(霊芝)が生えた螺旋階段を中心としたテラリウム。壁には幾何学もようのタイル(菌糸体を素材とした防音タイルだそうです)が貼られている。

ボルヘスの短編『バベルの図書館』を下敷きにした作品で、ヘッドフォンからはアーティスト自身の声で録音した、きのこの世界にわけいっていくようすをブツブツ呟く催眠術的なモノローグがきこえる(なかなか気持ち良い)。

『バベルの図書館』は 、上にも下にも永遠に螺旋状につながっている六角形の図書室だけでできている世界のなかで生きている図書館司書のモノローグという体裁をとった短編です。

この短編の英語訳を一生懸命読んだのだけど、とにかく単語やイメージが難解で、わたくしには完全に理解なんかできませんでした。

しかし、言葉と幾何学から成る陰鬱な永遠の図書館世界と、その書物に書かれた謎を解き明かそうとして永遠の中の短い生涯を費やすひとびとのイメージは強烈です。

松岡正剛さんのサイトに、この短編の一部が紹介されてるのを発見しました。

(ここから)
その図書館は、その中心が任意の六角形であって、その円周は到達不可能な球体なのである。  そこでは、五つの書棚が六角の各壁にふりあてられて、書棚のひとつひとつに同じ体裁の32冊ずつの本がおさまっている。それぞれの1冊は410ページから成っている。各ページは40行、各行は約80文字で綴られる。  この図書館は永遠をこえて存在しつづける。なぜならば、そこにはたえず有機的な文字をもった書物が一冊ずつ加えられつづけるからである。  しかし、どの一冊をとっても、その一冊が他の全冊と関係をもたないということはない。たとえば私の父が図書館の1594号回路で見かけた一冊は、第1行から最終行までMとCとVの文字が反復されるがごとく並んでいた。しかしそれが意味がないと、いったい誰が決められるだろうか。その一冊は、少なくともそのような配列をもつことによって迷路になりえているのである。
(ここまで)

この展示は、バベルの図書館に収められている、意味のわからない暗号でいっぱいの書籍を、たがいに言葉ではない方法でコミュニケートしあう菌、またはその菌糸のあいだにある情報におきかえて、有機的な空間を作り出しています。

きのこたちにはわたしは昔から異常に親近感を感じているので、これはめっちゃ面白かった。だってきのこってとても妙な方法で互いに信号を送り合って共生している、ヘンないきものではないですか。



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2019/01/03

スタンプタウン、万引き家族、ミスター・ロボット、SATC


先月半ば、病院をプチ脱走して行ったスタンプタウン。

ここのコーヒー、すっげーうめーまじ感動!と思うときもあるのだけれど、この日はわざわざバカ高いポアオーバーを絶賛就活中の息子がなけなしのおさいふをはたいて買ってくれたのに、なにをどう間違えたのか香りもコクもないドロミズのような珈琲だったので、アメリカーノに替えてもらった。それでも格別においしくなくて、ちょっとがっくりでした。

つくる人の気合ひとつで、なんでも大きく変わることがあるのね。不思議なほど違う。

ところで、お腹を切ってもらったりするほかに、12月は重要な映画を2本みてきました。




 『ボヘミアン・ラプソディ』
 (ブライアン・メイとロジャー役が超そっくりで、びびった。)

と、

 

『万引き家族』です。

どっちもめちゃめちゃえがった。どちらももうあと2回くらい観たい。

これはいままでみた是枝監督の映画の中で一番好きだ。

 『歩いても歩いても』や『誰も知らない』の絶望もザクザクと心に刺さったけど、あえてこの情けない人々のありえない優しさをリアルに情けなく描く、あまりにも心優しい是枝監督。


たぶんありえない、だから破綻しているこの優しさがもうどうしようもなく胸に痛い。

情けない男をやらせたら宇宙一のリリー・フランキー、そして安藤サクラさんというはじめて見た女優さんすごい。


鬼女と優しいおばばの顔をもつ樹木希林さん。
子役もすごい。

どちらも、ものすごくよくできたファンタジー映画だと思いますよ。

ところで『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディ役をやったラミ・マレック君がハッカーを演じている『Mr.ロボット』をCTちゃんにすすめられて観始めたら、これがめちゃ面白くてどはまり中です。



とてもフレディと同一人物とはおもえない。このドラマでは、穴から引っ張り出されて目をパチパチさせている動物みたいなかんじの、社会性を持てない天才ハッカーくんを演じてます。

それからなぜか今、『セックス・アンド・ザ・シティ』もビンジ中。現在シーズン4で、2001年の7月に放映されたあたりを観ているところ。




シーズン1は1998年放映だったのね!20年前だよ!

イントロにワールド・トレード・センターが出てくるのがなんともいえない。
2001年の8月から翌年1月まで、放映を中断していた時期があったのね。いまそのへんを観ているところです。ドキドキ。

20年前のテレビシリーズなのに、登場するテクノロジーをのぞいてはあまり時代的に隔絶した感じを受けないのはわたしが年取ったからなのか。セックスとか収入についての男女間のダイナミクスとか、LGBTとか結婚観とか既婚女子VS独身女子とか、独身で子どもを持つことのジレンマとか、それほど変わってないじゃんと思うんだけど。これが1960年と1980年だったら、または1970年と1990年だったら、かなり大きく違ってたと思うのですよ。



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2019/01/02

今年のお雑煮とおせち


あけましておめでとうございます。

今年も、平和に明けていきました。

お元日はスーパーママ・Yさんちでのおせち大会。
おかげで今年も素敵なおせちをいただけました。

わたくしはぶり照り(焼いた)とスモークサーモン(買った)、前日と前々日に作ったごぼうと黒豆で参戦。

黒豆は、(ΦωΦ)ママNさんにいただいた立派な丹波の黒豆。ぜってー自分じゃ買わない高級品。
重曹を使わず地道に煮る白ごはん.comレシピでやってみたけどやっぱ硬かった無念。火加減か、ひたし時間が足りなかったかなー。
おまめそのものがとてもおいしいので、硬いなりにおいしいかったですが。昔、おばあちゃんがアルミのなべでことことと煮ていた小さな黒豆はこのくらい硬かった気がする。

伊達巻は、Yさんのお手製ですよ! 煮物もきんとんもなんと美しいことか。
13家族〜くらいが集まって持ち寄り、できあがったビューティフルおせちです。


朝のお雑煮。 小松菜はないので水菜。


舞踏家薫氏作の、博多式豪華お雑煮。イズミダイとあご風魚だし、クレソン入りです。超うま。


この日3杯目のお雑煮。K家のホープ、板前Mくんの、新潟風お雑煮。かつおだしに大根としいたけ、鮭でこっくりうまみたっぷり。こちらもイクラのせの豪華版で超うまうま。

もう無理無理とおもいながらするすると食べられてしまいました。これを幸せといわずしてなんというのだ。

たらふく食べるのに忙しく、K家のかわいこちゃん(ΦωΦ)の写真を取り忘れた無念。

今年ものっけからがつんとインスパイアしてくれる、強くてマメで心やさしい素敵なみなさんに心から感謝。いろいろほんとうにありがとう。



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2018/12/30

シアトルの聖イグナチオ礼拝堂


シアトル大学のキャンパス内にある聖イグナチオ礼拝堂(それとも、英語式に「聖イグナシアス」というほうが正しいのかな?)。

英語で「unassuming」という形容があります。

「控えめな」と訳されることが多いけど、「自分はこれこれである」とあえて激しく主張しないというようなニュアンス。

このチャペルの外見はまさにそんな、アンアスーミングなたたずまい。キャンパスのなかで特別に存在を主張していません。



でもオーガニックな明り取りのある正面扉や、広いリフレクションプールなどの造作が、ただものではなさをかもしだしています。


カトリック教会だけれど、「ZEN」的な東洋の静かさを感じるリフレクションプール。

1回めの入院中にプチ脱走して近所をプチ放浪中、たまたま前を通ったので中を拝見させていただきました。


アンアスーミングな外見とはうらはらに、あまりにも美しい内部の空間に度肝を抜かれました。

エントランスホールの壁にリフレクションプールから反射されるこの光の美しいこと。
細い十字架の繊細さ。

建物全体に緻密に自然光がとりいれられていて、複雑でオーガニックな角度の天井や壁と、そのテクスチャといっしょになって、ほんとうに繊細な、ため息がでるような空間がつくられています。

ところどころに青や緑のカラーが使われているのも素敵。抽象的なステンドグラスといっていいのかもしれません。


設計はスティーヴン・ホールさん。
そういえばCTちゃんからここの教会は有名なんだよって、ずいぶん前に聞いてたのだった。
1998年にこの礼拝堂で米国建築協会の賞を受賞してるそうです。


礼拝堂のサイトより。建築家によるコンセプト画。

「石の箱のなかにおさめられた7つの光の瓶」をイメージしているそうで、不規則な形の屋根が東西南北それぞれ異なる個性を持つ光を礼拝堂のなかに招き入れ、教会がもつ異なる機能(ミサの進行、コミュニティへの貢献など)にそれぞれ関連づけられている、のだそうです。

教会の機能と光の個性というのはちょっとすぐにピンとこないけれど、この繊細で柔らかな自然光のつくる空間は、とても説得力があります。


一方の端にはこぢんまりとした親密な祈りのスペースがあります。


まったく魅力が伝わらないひどい写真でございますが、ほんものはずっと良いです。
ずっといたくなるような素敵な場所でした。



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2018/12/29

言葉が思考に影響するプロセス


NOTEに、先月デジタルクリエイターズに寄稿した内容にすこし加筆して分割したのを載せました。ウェブだと長いので、6回にわけました。1回めはこちら。

年末年始にお暇がありましたら、ご笑覧いただければうれしいです。

こちらのビジュアルはカリフォルニア在住の東村禄子氏の作品です。



かっこいいですね。ほんとこの人才能あるのよ。




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