2018/09/20
LIMEバイクで大惨事寸前
単にすっころびました。
シアトルでいまのところ生き残っている自転車シェアリングサービス、LIMEの電動アシスト自転車「LIME E」を、はじめて使ってみたときのこと。
電動アシストってすごい!
ちょっとした坂でも気づかないほどさっくさく!ちょっと漕いだだけでフワーッと進む感が不思議でまるでちょっとした超人になったみたい!
と、舞い上がって、郵便ポストの前で止まろうとしてうっかりちょっとペダルを踏んでしまったら自転車が思いのほかの勢いでびきゅーんと前進し、うわっと思う間に転倒。
ロードバイクで通りすぎたおじさんがわざわざ7メートルくらい行き過ぎたあとでUターンして戻ってきてくれて「大丈夫?」と声かけてくれたのが、こっ恥ずかしさにこってり上塗りでした。
そういえば、ニューヨークでもレンタルの自転車でしかもソーホーのわりと混み合った交差点ですっころび、東京でもレンタル自転車で浅草の人混みですっ転んだのだった。
むかしからなぜかわりとよく転倒しやすい人間だったけど、自転車でも転んでいたっけなあ?
こうして人は年をとっていくのだ。まじで気をつけよう。
でも自転車ってほんと楽しいなあ。
以前にバラードダウンタウンから歩いて20分の距離をLIMEの電動じゃないほうのふつうの自転車で帰って来たことがありましたが、これがめっぽう疲れた。歩いているときには気づかない傾斜が、自転車だとこれほどこたえるものか、という感じ方の違いにびっくりしたのだが、それが、電動アシストつきだとほんとにラクラク!
去年の夏頃突如あらわれ、今年のはじめには3社が競合していたシアトルの自転車シェアリング。オレンジのSPINと黄色のOfo(フロム中国)はもう撤退してしまいました。上の写真は今年1月。
SPINはサンフランシスコ発、LIMEはノースカロライナ発の会社。
やはり決断が早いですね。2社が撤退を宣言したのは夏前。ちょうどそのころ、この「E」がついた電動アシストのLIMEをよくみかけるようになった。
坂の多いシアトルは電動でないとね。
おばちゃん、真剣に気をつけて乗ります。
2018/09/15
9月がここに。
いつのまにか、8月が怒涛のように終わり、9月が怒涛のようにやってきて、そればかりではなくもう半分すぎていました。おお!
すっかり秋がはじまっているではないか。
1か月気を失っていたわけではありませんが、夏の関東関西の猛暑の中であちこち歩き回り過ぎたものか、日本から帰ってきてからすこし体調を崩したりしつつ、かなり猛然とバタバタしておりました。
「9月が終わったら起こしてね」by Green Day
しかし9月が終わってもたぶんまだあの人はホワイトハウスにいてなにか新しいたわごとをわめきちらし、それを喜ぶ人びともまだいっぱいいるのだろう。
ところで、先日、ほぼ同年代の翻訳者さんと話していて、彼女が『スターウォーズ』シリーズを1本もみたことがないという事実に衝撃を受けました。
ハン・ソロって誰?って聞かれた!
わたしたちの年代で『スターウォーズ』を観ないという選択肢があるとはまじで思ってもみなかった。
たとえばキリスト教徒ばかりの町で育ってきて、ふと出会った同じコミュニティの人が聖書の有名な物語とか聖句をひとつも知らない、そもそも福音書を読んだこともない、ペテロって誰?って言われたら、同じくらい衝撃を受けるとおもう。
同じ時代に同じ国に生きていてもエクスペリエンスは違うものだなあ。まあ当然なんだけど。
2018/08/14
カスケードの東
所用があって、ワシントン州の東南にあるPASCO(パスコ)という町に日帰りでいってきました。
「超熟」のPASCOとは関係ありません。あれはパスコ・敷島製パンのサイトによると
「「Pan Shikishima Company」(パン・シキシマ・カンパニー)の頭文字からの造語」なんだそうです。(いま調べた)へー。
シアトルからは片道3時間半くらい。
オレゴン州境にちかい、コロンビア川が合流するところ。
コロンビア川。ルイス&クラークの探検隊は、ここを通って太平洋に出た。
シアトルから西に向かって、カスケード山脈を越えると急に、乾いた色の景色になる。
ヤキマのあたりからは、こんな茶色い丘陵がえんえんと続く。
大西部!というかんじの西部劇的な景色。
この丘陵の色と形が素敵すぎる。
ジョージア・オキーフにこんな丘陵をかいた絵はなかったかもしれないけど、このオーガニックにうねる丘の形をみていると、オキーフの絵を思い出す。
気温は華氏100度(摂氏約38度)超え。
日本のように湿度がない、予熱中のオーブンのなかにすっぽり入ったようなあつさ。
これは先週、木曜日。
まだこのときはそうでもなかったけれど、今週はまたあちこちの山火事の煙がシアトルにも流れてきていて、快晴のはずなのに陽射しが一日中、日暮れどきのようなオレンジ色になっている。
この日も、遠くのほうは山火事の煙で霞んでいました。
8月の山火事は、もはや毎年恒例の、この季節につきものの現象のようですが、それにしても被害があまり広がらないと良いのですが。
2018/08/12
バロウズ山
帰り道に悲惨なイベントが待っているとは、思いもしませんでしたが(自分で招いたんだよね、待ってるっていうか…)
ハイキングは最高でした。
去年は8月はじめのやっぱり木曜日に同じ山に行ってたのだった。
なぜかうちではハイキングというと木曜日になるらしい。
稼働日を決められるのは在宅稼業のよいところ。世間がバーベキューパーティーをしている週末にごそごそと家で仕事することになるのだけど。
去年の行ったときは山火事で空が白かったのでしたが、今回は綺麗なブルースカイでした。
でも北のほうはカスミがかかっていて、山火事の煙も見えた。
去年と同じバロウズ山へのコース。今回は、サンライズのパーキングを出発したのがお昼すぎ。
いつものフローズンレイク。
今年もヤギたちがいた。
ほんの少しだけ雪渓も残っていました。
UFOが降りてくる感じの霊峰タホマ山。
今回は、日本で暑いなか稲荷山に登ったり、大汗かきながらけっこうあちこち歩いていたせいか、去年に比べてとてもラクだった。
パーキングから1時間半くらいでバロウズ山の山頂へ到着。
広い山頂に日本人学生らしいグループが来てました。
やっぱり山ではおにぎりですね。
帰りは少し遠回りのコースで下山。
バロウズ山その1(ファースト・バロウズ・マウンテン)の山頂の右肩を通っていく道で、真っ平らな高原になってます。
パノラマビュー。標高が2000メートルくらいなのにフットボール場ができるくらいの平らな草地があってちょっと不思議。
いろんな蝶もたくさんいました。
パスクフラワーの穂。
氷河の雪解け水が流れ込むターコイズの池。氷河は年々ちいさくなっているそうです。
踏むと綺麗な乾いた金属的な音がする火山石。楽器みたいです。
そしてこのあとに悲劇が…。
車がなくても、通勤通学があるでなし、買い物も徒歩圏内にスーパーがあるし、それほどは困らない。ジップカーもUberもあるし、もうこの際、車はなければなくてもいいかなーと思い始めてます。アクセラちゃんに愛着があるので、できれば完治してほしいけど。
2018/08/11
警告灯を無視していたらエンジンが。
7月のとある木曜日、タホマ山AKAレーニア山に行ってきました。
去年とおなじ、夏だけオープンの「サンライズ」ビジターセンターからのハイキング。
快晴で、暑すぎもせず、ハイキングにはこれ以上ないような好条件。
日本で猛暑のなかよく歩いたせいか、去年同じコースを歩いたときよりも、さくさく歩けて楽しいハイキングでした。
が。
帰り道、うちの息子は途中まで昼寝をするというのでわたしが運転を代わり。
ビジターセンターからのくねくね山道をうほほほーい!と気持ちよく下り、州道に出たとたんに、エンジン警告灯が点灯。
ん?
と思ったものの、路肩もろくにない山道であるし、片側1車線なのだけど自転車の大会みたいなものがあったのかサイクリストがたくさん同じ車線を下ってて、対向車が来ないときに幅をとってよけながら走るのにたいへん忙しく、まあこれをやり過ごして麓についたらチェックしよう、と次々に自転車を追い越していると、なんかちょっと焦げたかんじのニオイがしてきた。
ん?
と思いつつさらに自転車団を追い越していると、いきなり昼寝からガバっと起きた息子に「できるだけ早く寄せて、路肩に」と命令された。
はいー、と自転車団をやりすごしてから、狭い草地の路肩を見つけて車を寄せる。
ボンネットをあけてみると、バーベキューグリルでなにか焦がしたのかな?みたいな、盛大な白煙がでてきました。
おやー?
どうやらオーバーヒートというやつだった。
ラジエーターがすっからかんになっていました。
あら。
うひゃ~、どうしようどうしようとうろうろしていると、すぐにピックアップトラックに乗った20歳くらいの若いカップルが反対車線からわざわざUターンして見に来てくれた。
車にくわしいらしく20分くらいあれこれいじってみたあと、エンジンが少し冷えてから、水を補助タンクから注いでみると。
これは蒸気機関車?
みたいなスチームが、ぶわー!とエンジンの全方位からでてきました。
しかも、オイルもぜんぜんなくなっていた!((((;゚Д゚))))
こりゃ駄目ですね、レッカー車を呼ぶほか仕方ないですね、と全員の意見が一致した瞬間でした。
しかしここは携帯も圏外。つぎの町までは10マイル。
さいわい、自転車団のアテンドをしていた人もなぜか消火器を片手に見に来てくれて(いやもうちょっとどうかなってたらほんとに火が出てたかも、怖)、その人が持っていた電波の強力な携帯電話を借りて、若いメカニックくんがお父さんに電話をしてくれた。メカニックパパが車を積めるトレーラーを持ってるそうだ。たのもしい。
しばらくしてそのパパがトラックでやってきてくれた、わざわざ麓の町のご自宅でくつろいいでいるところから。
残念ながらトレーラーは人に貸してて今日は使えないといって、またあれこれと親子でエンジンの状態を話し合ったうえ、とにかく携帯サービス圏外でなにもできないので、私たち親子を麓まで送ってくれた。
メカニックパパはこのイーナムクロウという町の修理屋さんもディーラーも、町に一軒だけのレッカー車屋さんも知っていて、わたしが保険やのディスパッチャーと話してロードサービスを依頼している間に、そのレッカー車やさんや修理やさんと話をして、私たちがレッカー車に乗って一緒に車の停めてある場所まで行けるように頼んでもくれて、レッカー車が私たちを拾えるように、運転手に場所を伝えてくれた。
いろんなオプションをあれこれ一緒に考えてくれたのだけど、シアトルまでけん引していっても信頼できるガレージがあるでなし、というわけで、レッカー車にのって車を取りに行き、イーナムクロウの修理屋さんに置いてくることに。
とほほのほー。
ごめんねアクセラちゃん。
もうこれで一巻の終わりかと思ったのだけど、修理屋さんによると意外にもエンジンは完全に焼き付いてはいなくて(危なかった)、ラジエーター周辺の交換くらいで済みそうな感じ。
まだ修理は終わっていないのだけど。
ハワイからやってきて、サウスダコタ州まで一緒に行ったたうちのアクセラちゃん。
もうかなり年季がはいっており、4月にラジエーターまわりを修理したばっかりだったのだ。
そしてそのときにディーラーがバルブカバーを割ったらしく、のりで貼ってあるのが今回発見された。そしてそこからオイルが漏れていたのも発見された。
ディーラーにこれ一体どうしてくれるのよと電話で詰め寄ると、エンジンがオーバーヒートしたのはウチの責任じゃないけどバルブカバーの取り替えはウチがお金出すよというので、ただいま、そのパーツを待ってるところなのだった。
ディーラーの修理工場でいい加減な仕事をされたのはこれが最初じゃありません。怒。
しかし警告灯が点いたらやっぱりちゃんとその場でただちに点検すべきですね。
全方向に申し訳ない。そして助けてくれた人たちほんとうにありがたい。
アクセラちゃん復活なるか。
2018/08/09
橋がこわれた
シアトルはダウンタウンのすぐ北側を湖と運河がつながった水の道が横断しているため、タウンから北側に行くには橋をわたらねばなりません。
その橋のひとつ「Ballard Bridge(バラード橋)」は可動橋です。
この橋のすぐ下のあたりにはフィッシャーマンズワーフがあり、アラスカ沖にカニ漁にいく船たちが並んでます。
この橋は、ピュージェット湾からユニオン湖を経由してワシントン湖に至る水道の、入り口はいって最初の橋。
船を通すために橋が上がると、上の写真のように15番通りが通行止めになる。
どのくらいの頻度で上がってるのか知らないけど、わりとちょくちょく上がっているのを見かける。
たいていの場合は10分もかからず元にもどって通行止めも終わります。
今日、ダウンタウンから「D」ラインのバスでバラードに帰ってくる途中、橋の手前で運転手さん(40代くらいの女性)が突然めっちゃ元気な声で、
「どうやら橋が開きっぱなしで戻らなくなっちゃったみたい。経路変更しろって指令が来てるけど、どっちみちかなーり時間がかかると思いますので悪しからずよろ!」
とアナウンス。
それが7時少し前。
すこしして、「直って動き始めたみたいだからこのまま進むわ、やった〜!」と再アナウンスがあって、橋を渡りはじめたのが7時ころ。
でも結局、故障はまだ直ってなかったらしく、橋の上にさしかかったところで完全に車の流れがストップ。
時々諦めてUターンして橋を出ていく車のほか、まったく動かなくなってしまった。
復旧の予測がつかないので乗客のほとんどは降りて歩いていってしまったけど、徒歩なら橋を渡れるというわけではなく、かなり後戻りして別のバスに乗り換え、すこし離れたフリーモント橋へ回るしかない。
荷物が多いし、とくに急がんし、読むものもたくさん持っていたし、ちょうどウワジマヤで買った菓子パンもあっておやつもばっちり、というわけで、波止場のサンセットを眺めながらゆっくり本を読むことにしました。
持っていたのは小川洋子編のアンソロジー『陶酔短編箱』。
開いたまま閉まらない橋の上で読む、武田泰淳と色川式大の昭和なエッセイ(『いりみだれた散歩』『雀』)はなんだかしみじみ味わい深かった。
昭和な刑事ドラマのエンディングみたいな夕日を浴びて。
ウェスタン音楽かブルースふうの歌謡曲が聞こえてきそうな色合いのサンセット。
ようやく橋が直ってバスが動き始めたのは、8時15分。
1時間15分くらい、橋の上にいたことになります。
しかし。橋って、落ちるだけじゃなくて「下りなくなる」ってこわれ方をするんですね。
2018/08/06
たとへば君
今朝の出会い。
どんぐりも実って、もはや秋の気配。
『たとへば君』を読みました。
とくに目的もなく入った阿佐ヶ谷の古本屋さんで目についた。
2010年に乳がんで亡くなった歌人、河野裕子さんと、旦那さんでやはり歌人の永田和宏さんの作品集で「40年間の恋歌」と副題がある。
河野さんは15冊の歌集を、科学者でもある永田さんも12冊の歌集を出していて、この本はその中から夫妻が互いを詠んだ「相聞歌」380首と二人の短いエッセイを編んだもの。
京都大学の歌会での出会いから、二人の子どもを持つ多忙な家庭生活、アメリカでの生活、生活のいろいろな葛藤、癌の発見、治癒、再発、という40年の歴史が、短歌という形式に凝縮されて並んでいる。
行き違いもあり、殴り合いもあり、決して穏やかでばかりではなかった歴史。
乳がんの治療後、河野さんは精神が乱れて大変だった時期もあったらしい。
たとへば君 ガサッと落ち葉すくうように私をさらって行ってはくれぬか
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
たったこれだけの家族であるよ子を二人あひだにおきて山道のぼる
しっかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ
やはらかな縫ひ目見ゆると思ふまでこの人の無言心地よきなり
とげとげともの言ふ妻よ疲れやすくわれは向日葵の畑に来たり
不機嫌の妻の理由のわからねば子と犬と連れて裏口を出つ
月光が匂ふと言へばわかる人鞄をさげてどこまで行きし
わたしには七十代の日はあらず在らぬ日を生きる君を悲しむ
河野さんはエッセイの一つで、ある歌集を出したときに夫の永田さんがそれを読んで「お前はこんなに淋しかったのか」と言ったと書いている。
なんでもよくしゃべる家族で「いつもいつもくっついてきた夫婦で寂しさなんて一番わかっているはずなのに」そう言われたという。
「短歌というのは生ま身の関係で喋っているレベルとまた違うレベルで、お互いの人に言わない言えない感じというのを読みあっていく詩型だなあと改めて思いました。
表現する者同士の心の通い合わせ方とか、短歌という詩型の持っている力とかを、その永田の一言で思いました。わかってくれる読者がひとりいればいいんです」(156)
いちばん親しいはずの夫婦でも親子でも、そういつもいつも、何もかも分かり合えるわけもない。
そもそも一人のひとを完全に理解することなんかできないだろうし、家族といえども謎の部分があるのは当たり前。と、思ってはいても、出方が自分の予想とちょっと違うだけで寂しく感じたりする。
でも、たとえば定型詩というような狭くて限定された方法であっても、誰かと深くわかりあえているという確信をもてるというのは、なんとしあわせなことか。
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