今朝の出会い。
どんぐりも実って、もはや秋の気配。
『たとへば君』を読みました。
とくに目的もなく入った阿佐ヶ谷の古本屋さんで目についた。
2010年に乳がんで亡くなった歌人、河野裕子さんと、旦那さんでやはり歌人の永田和宏さんの作品集で「40年間の恋歌」と副題がある。
河野さんは15冊の歌集を、科学者でもある永田さんも12冊の歌集を出していて、この本はその中から夫妻が互いを詠んだ「相聞歌」380首と二人の短いエッセイを編んだもの。
京都大学の歌会での出会いから、二人の子どもを持つ多忙な家庭生活、アメリカでの生活、生活のいろいろな葛藤、癌の発見、治癒、再発、という40年の歴史が、短歌という形式に凝縮されて並んでいる。
行き違いもあり、殴り合いもあり、決して穏やかでばかりではなかった歴史。
乳がんの治療後、河野さんは精神が乱れて大変だった時期もあったらしい。
たとへば君 ガサッと落ち葉すくうように私をさらって行ってはくれぬか
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
たったこれだけの家族であるよ子を二人あひだにおきて山道のぼる
しっかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ
やはらかな縫ひ目見ゆると思ふまでこの人の無言心地よきなり
とげとげともの言ふ妻よ疲れやすくわれは向日葵の畑に来たり
不機嫌の妻の理由のわからねば子と犬と連れて裏口を出つ
月光が匂ふと言へばわかる人鞄をさげてどこまで行きし
わたしには七十代の日はあらず在らぬ日を生きる君を悲しむ
河野さんはエッセイの一つで、ある歌集を出したときに夫の永田さんがそれを読んで「お前はこんなに淋しかったのか」と言ったと書いている。
なんでもよくしゃべる家族で「いつもいつもくっついてきた夫婦で寂しさなんて一番わかっているはずなのに」そう言われたという。
「短歌というのは生ま身の関係で喋っているレベルとまた違うレベルで、お互いの人に言わない言えない感じというのを読みあっていく詩型だなあと改めて思いました。
表現する者同士の心の通い合わせ方とか、短歌という詩型の持っている力とかを、その永田の一言で思いました。わかってくれる読者がひとりいればいいんです」(156)
いちばん親しいはずの夫婦でも親子でも、そういつもいつも、何もかも分かり合えるわけもない。
そもそも一人のひとを完全に理解することなんかできないだろうし、家族といえども謎の部分があるのは当たり前。と、思ってはいても、出方が自分の予想とちょっと違うだけで寂しく感じたりする。
でも、たとえば定型詩というような狭くて限定された方法であっても、誰かと深くわかりあえているという確信をもてるというのは、なんとしあわせなことか。
0 件のコメント:
コメントを投稿