2018/08/02

リアル光源氏のお屋敷


京都の高瀬川。

河原町にあるこの高瀬川に近いR子さんの別宅を、7月に1週間ほど使わせてもらった。

自転車でこのへんをうろちょろしていると、なにやら尋常ではないほど風情のある木の前に、立て札があった。


こう書いてありました。

 この付近には、嵯峨天皇皇子で『源氏物語』の主人公光源氏のモデルとされる平安時代前期の左大臣源融(822〜895)の邸宅、河原院があった。東西は現在地から柳馬場通まで、南北は現五条通から六条通(一説に正面通)に及ぶ広大な敷地を有する、平安京屈指の大邸宅であった。
 
邸内には陸奥塩釜の風景を写した庭園を造り、難波の浦から運んだ海水で塩焼きをしては、その長めを楽しんだという。河原町五条の西側に「塩竈町」「本塩竈町」の町名があるのは、このことに由来する。

また、このえのきの大樹が邸内にあった森の名残ともいわれている。

河原院自体も、『源氏物語』で光源氏が自邸として造営した六条院に投影されており、作中では源氏が妻たちとともに住み、冷泉帝・朱雀院の行幸を得て栄達の極みを謳歌する舞台となっている。

へーーーー!

わたくし実は、今回京都でようやく『源氏物語』を読み終えたのでございます。
谷崎潤一郎訳の中公文庫のと、岩波文庫の「原書」とを並べて、ちまちまと毎晩読んでいたので、これまた5年くらいかかった。

ちまちま読んでるのもあり、人物関係がややこしすぎてあまり理解できていません。

3年ほど前にシアトルの紀伊國屋書店で岩波文庫が5割引きセールになったときに、後半をまとめて購入したのでした。


この次に京都に行くまでに源氏を読み終える!という謎のコミットメントをしていたのだけれど、出発前に最後の浮舟ちゃんの物語を100ページくらい読みきれなかったので、かさばるのにわざわざ米国から谷崎版と岩波の最終巻を2冊持っていき(両方で厚さ5センチくらいあった)、京都でようやく読み終わったのだった。

美しくて気の毒な浮舟ちゃん。というより、みんなが気の毒すぎる話だった。
美意識と生まれの高貴さだけが価値のすべてである世界の人々よ。

みんなすぐ出家したがるし、すぐもののけに取り憑かれて死ぬし。
男はほんんっっとみんな最低だし。女は自分の身の程をわきまえてなよなよと死にそうにたよりないのが最高の美徳であり。お坊さんもたよりにならないし。

しかし、光源氏にモデルがいたなんて知らなかった。

リアル六条院のお屋敷があったんだ! 
しかも、京都で滞在していたそのすぐ目と鼻の先に!
なんだか縁を感じるわー。源融さんは迷惑だろうけど。



京タウン誌の『LEAF』 のこんな記事がありました。

ひろーい。

女人厄除けで有名だという市比賣神社が、源氏物語の嫉妬に狂って生霊を飛ばし人を呪い殺してしまい、もののけになってさまよう六条御息所にゆかりの場所だというのがなんともいえない。
六条御息所は1000年にわたって日本女性の心に響く存在だったんだ。

御息所の御殿のあとに光源氏が六条院を作ったんだったっけ?そして娘の秋好中宮がその同じあたりの屋敷に住むのだったね。



このエノキの木も苔にびっしり覆われてなんとも風情があるけれど、その後ろのこのお宅、真っ黒に焼いた木を外壁に使っていてこれがまたとてつもなくオシャレ。


看板もなにもない秘密クラブのような料亭ででもあるのか、六条院のモデルになったお屋敷があったという場所にとてもふさわしい、と思ったら、どうやらそうではなく「榎大明神」という神社的な施設らしい。
グーグルマップで見ると、以前は(わりと最近まで)この建物には鳥居がとりつけられていたみたい。
いずれにしても謎の存在。

お庭に陸奥塩竈の風景を作って塩焼きをしたとな。

平安時代がどんな経済システムだったのかぜんぜん知らないけど、 リアルにそんな豪勢に遊び暮らしていた貴族たちを養う余裕があったんだなあ、というか文化ってそういう洗練された搾取の中から生まれてきたんだなあ、とあらためてそのスケール感をここで実感した。

そのころ生まれていたらあたしゃ間違いなく「やまがつ」だ。
お庭で潮を焼く要員ででもあったかもしれない。



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