2019/08/21

UW メディカルセンターの奇妙な扉


このあいだ、CTスキャンをとりに、UW Medical Centerにはじめて行きました。ワシントン大学の向かいにある、ワシントン大学医学部直結の総合病院。

12月に入院してたダウンタウンの病院よりも大きくて、入り組んでいて迷路のよう。そして、ここはギャラリー??と思うほどロビーや廊下のあっちこっちにアート作品がたくさん置かれてるのにびっくりしました。



これはアキオ・タカモリさんという陶芸作家の「セーターを着た少年」と「セーターとスカートの少女」。

1950年九州生まれの作家さんで、ワシントン大学の美術学部でアシスタントプロフェッサーを務める、と書いてありました。そういえば陶芸の先生で日本人の人がいるって聞いたような。


一番、へええ、と思ったのが、このインスタレーション作品。

エレベーターホールの前にふつうに置かれてて、ぱっと見、アート作品だと気づかない人も多いのではないかと思う。

Gayle Bardさんの「The Truth And Nothing But The Truth」(真実と、真実以外の何も)。

 これは裁判などの宣誓証言とかで「真実のみを」述べることを誓います、というときの定型句。

左の扉には金色のプレートに「The Truth」、右の扉には「Nothing but the Truth」とかいてある。

開かない扉の左側にはのぞき穴があって、中の小さな部屋が覗けるようになっています。



のぞき穴。


のぞいてみた。

中には小部屋があって、机が置かれてます。

この作品はこの病院での展示用に制作したものだと説明に書いてあります。


右の「Nothing but the Truth」と書かれた扉はすこしだけ開いていて、机の上に雑誌がおかれてます。
開いたページには、私たちが世界をみる視点は、どこから見るか、どこに立っているかで違う、という内容の、作家ロレンス・ダレルの言葉が引用されていて、その上にはこの部屋のこの机の写真が。


これも同じ廊下にあった、Steve Jensenさんの「魚のいるベンチ」。

自然に倒れたシーダーの木をつかって作られたもので、「座って、手を触れ、目で見て楽しむ」アートだそうです。



なんとなくおいしそうなかたちの壁かざり。


 ベンチのあちこちに魚がいる。
座ってみました。テクスチャがとても気持ち良い。

この人はシアトル出身。北欧系のシアトル人で、お父さんは漁師だったそうです。


渡り廊下にあった素敵チェア。これは作家さんの名前を見てこなかった。


ベランダでごはんもたべてきた。
ここはなかなかなごめました。

なぜか、卒業後1年以上たつのにまだワシントン大学のWi-Fiが使えるんだけど、これって一生使えるのかしら。だと嬉しいなー。キャンパスだけじゃなくてどこのUWメディカルセンターに行っても自動的につながるのです。まあ大した特典でもないけど、けっこうありがたい。

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2019/08/20

シアトルの町中華


フィニーリッジの中華料理屋さんChef Liao

よく行くFresh Floursの真ん前にあるんですけど、道教寺院の先生でアーティストのSHOKOさんにおしえてもらうまで、その存在を知らなかった。

とてもひかえめな建てもののなかにひっそりあるけど、意外に中は広くて、わりとはやってる。


ランチスペシャルが8ドルって、東京ではまあふつうの値段だけど、シアトルでは格安の部類。酸辣湯と春巻きがついてきます。土曜日もおなじ値段でランチをやってるそうですよ。

中華だけでなくて「アジアン・フュージョン・キュイジーヌ」とうたっている。

急にパッタイが食べたくなって、パッタイを頼んだら…



白ごはんがついてきたーー!炭水化物祭り!

パッタイはおかずですか! 

となりの人が食べていた鶏肉とカシューナッツ炒めがおいしそうだった。

シアトルの中華料理屋さんて、なぜか住宅街にぽつんとあって、別にすごくはやってもいないし何も特別ではないけど、そこそこお客さんが入ってて常連さんもついてて、長年営業してますっていうところが多い。

日本でいわゆる「町中華」ってやつのシアトル版ですね。




ところでこちらは、神保町の中華ランチ。店の名前は忘れましたが本格中華でかなりおいしかった。これで750円とかでしたよ!
回鍋肉多すぎて食べきれず。杏仁豆腐までついてきた。

サーブしてくれた中国人のおばちゃんが全員すごく機嫌悪そうで、ほぉーー日本でも機嫌悪い接客ってあるんだ、というのと、ランチ安っ!というのが2大びっくりでした。



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2019/08/19

ボストンのお茶とモネと家賃


先月うちの息子がボストンに引っ越したときに一緒に行って1週間滞在してきたキリコちゃんが、おみやげに「ボストン茶会事件船&ミュージアム」で買ったお茶を持ってきてくれました。

紅茶かと思ったら意外にもグリーンティーで、自然な甘みがあってとてもおいしかった。

色はご覧のとおり、煎茶のような緑ではなくて薄い紅茶に似てますが、香りがとてもよくて、ちょっと初摘みのダージリンに似た感じ。

ボストンは息子もキリコちゃんも初めてで、最終日にボストン美術館に行ったそうだけど、この子たちはボストン美術館がどんなところなのかまったく知らずに行って、心底びっくりしたという。

ボストン美術館にちょっとした印象派のコレクションがあるなんてことを一切知らなかったキリコちゃんは、足を踏み入れた部屋にモネの絵がずらーっと並んでいたので、驚きのあまり涙が出てしまったそうです。

そりゃ泣くわ。

でもそんな、前知識もなにもなしにモネで埋まった部屋に出会えるなんて羨ましい。


ボストンはシアトル以上に家賃が高くて、うちの息子は1回分のお給料(アメリカの会社はふつう、2週間に1度お給料日があります)では払いきれない家賃のアパートメントを契約してしまったので、毎日スパゲッティとグラノーラバーで食べつないでいるそうです。

さすが私の息子、と言わざるを得ない金銭感覚であろう。

とりあえず、キューピーのごまドレッシングとカレールウとサラミとくまコーヒーを送ってやりました。

マダムMにいただいたカリントウと、にゃを美先生にいただいたオクラのねばねばスープも、おすそわけ。

母が生前、ときどきこうやってケアパッケージを日本から送ってくれたけど、ときに意図が汲み取れないようなものも入っていたことがあったなー。母ちゃん、なぜ?みたいな。

…と思いつつ。
詰め放題で送料14ドルのハコ(最大20ポンド、約9キロまで)なので、あいたところに、パントリーにあったブルドックソース(賞味期限切れ)も詰めてみた。

ボストンにはコロッケは売ってないかな…。


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2019/08/18

続・棒状おやつと切手愛


東京のマダムMより、極上カリントウの追加をいただきました‼
ちょっと太めの「ころ」ちゃんも来た。細いほうは「さえだ」さん。

上品でございますねえ。

ありがとう〜〜〜〜!


そして!にゃを美先生からもパッケージいただいた!!

ずうずうしくリクエストしてしまった、オクラいりねばねば野菜のスープとユーグレナいりきなこねじり! うれしいいいいー。
これで、残りの夏を乗り切ります。かたじけない。

すっぱり梅ゼリーはほんとにすっぱい。しかしうまい‼



ねこも来た。


そして。この切手〜〜〜〜!

なんだこれかわいすぎる。


とくにこのどうしても困った顔にみえてしまう……エイ…。さらさらと書いた


ウズラとカエルにも心を奪われる。モグラだって。猿だって。みんなかわいい。

これ江戸時代の浮世絵師の絵なんですってー。
なんとモダンなセンスであることよ!

「北斎漫画にも影響を与えたといわれる」鍬形蕙斎(くわがたけいさい)(1764-1824)の「鳥獣略画式」だそうです。
ぜんぜん知らなかった。洒脱ですねえ。

日本郵便はハコのデザインもかわいいんだよねー。



そしてみてくださいこのラインナップ。

にゃを美先生から別のときにいただいたこの切手。
サンマリノ共和国とまことちゃん…。



こちらは、今売出し中のアメリカの切手です。
ミュージックアイコンシリーズのマーヴィン・ゲイと、「ステート&カントリー・フェア」。

ステート・フェアのノスタルジックな感じがとてもよく出てて素敵です。

ステート・フェアというのは農作物などの品評会であり、移動遊園地であり、町に年に1度やってくるお祭りでもある。

このブログを書き始めて最初のころに、ピュアラップのステート・フェアの記事を書いたのでした。もう9年前!


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2019/08/17

海辺の絶景ハイキング、Ebey's Landing


Ebey's Landing州立公園&ヘリテージ公園の海沿いのトレイルに行ってきました。



ここです。

ウィドビー島にあります。シアトルから北上して島の北端を通って行くと、曜日や時間にもよりますが、片道約2時間のドライブ。

以前に(もう6年前だ‼ひゃー!)崖の上ハイキングに行ったデセプション・パスの橋を通っていきます。
 
けっこうな長距離ドライブでした。
ウィドビー島に行ったのはずいぶん久しぶりなので、どんだけ遠いかを忘れてた。

Ebey's Landing のパーキングは古い墓地の前に5台分くらい。

その先の管理オフィス(週末だけ開いてるようです)の裏にも、もっと広いパーキングスペースがあり、トレイル入り口にトイレもあります(こまめに掃除の人が来るわけではないのでかなりキタナイです。汲取式トイレなので夏場は蝿の大群がお出迎え。)

広いほうのパーキングに停めるときは、「ディスカバリー・パス」(州立公園の年間利用パス、年間30ドル)が必要だそうです。

週末はかなり混むらしいですが、わたしと友人M太郎が行ったのは火曜の午後遅くだったので、パーキングも楽勝でした。



こちらがトレイルマップ。
海に面した、細長い魚のようなかたちのループトレイルが「Bluff Loop」トレイル。

一周5.6マイル(約9キロ)のコースです。標高差は260フィート(約79メートル)だけど、右回りでいくとゆるやかなのぼりなので、せいぜい4階ぶんくらいしかのぼった気がしませんでした。

わたしたちは暑さを避けて(日陰がほとんどないので、カンカン照りの夏の日の昼間はかなり暑いと思います)午後4時半くらいから歩きはじめ、のんびり歩いて2時間強で一周しました。



パーキングからしばらくは、ひらけた牧草地。
ここは19世紀にEbeyさんはじめ、入植者たちがやってきて居を構えたところ。

パーキングからはのどかな田園風景を前景に、ベイカー山が左に、レーニア山が右に見えます。


しばらく行くと、ふたつの木造建物が見えてきます。
小さいほうは「Block House(ブロックハウス)」。
1856年にEbeyさんたちが、「北のインディアン」(アラスカやブリティッシュコロンビアの民族のこと)の襲撃を恐れて建てたものだと書いてありました。

別の場所にあったのをここに移築してあります。

Ebeyさんはここにはじめて入植した白人で、ミズーリから新天地をもとめて1849年にやってきたそうです。

1850年には、このへん(太平洋北西部)の好きな土地を選んで4年間土地を耕作しつつ住み続ければ夫婦で640エーカー(約259ヘクタール)の土地の所有権が手に入る、というとても太っ腹な法律がありました。

1862年の「ホームステッド法」の下敷きになった法律だそうです。

もちろんこれは「ネイティブを除く、だってネイティブ民族はアメリカ人じゃないから」という非常に勝手きわまりないものであったのですが!!

「ホームステッド法」は『大草原の小さな家』シリーズにもでてきました。インガルス一家もその法律で土地を手に入れて、家を建てたんでした。

『プラム・クリークの土手で』だったかな。すみません、手元になくて確認できず。

ホームステッド法は160エーカーともっと小規模になり、入植者には6年後に政府から土地を買取るオプションが与えられるという法律でした。


のどかな田園の景色を見ながら平坦な道を5分くらい歩くと、ピュージェット湾の眺望がひらけてきます。この写真ではよくわかりませんが、湾のむこうにレーニア山がきれいに見えます。

穏やかな海、穏やかな気候、肥沃な土地。

「天国みたいなところだからぜひおいで」と、Ebeyさんは家族に書き送り、親戚一同がミズーリからひっこしてきたそうです。


トレイルは海辺の崖の上。180度、目の前にピュージェット湾がひろがります。

南にはレーニア山。対岸はオリンピック半島のポートタウンゼント。
北にはカナダのバンクーバー島が見える、ほんとにこれ以上広々できないほどひろびろした景色。

犬は、リーシュにつないでいれば同行OKです。

道はこのように狭くて、左側はほんとに文字通りの崖になってるので、小さいお子さんや犬連れのときには充分注意が必要。とくに元気な子犬ちゃんは大変かも。


とても不思議な木がありました。どうなっちゃったのコレ? 彫刻みたいですね。


小一時間ほど、崖の上の細道をえんえんと歩きます。

いかに絶景といえども、だんだん飽きてくるという人もいるかも。

ほんとに日陰はほとんどないので、夏の昼間にいくときにはお水をたくさん持っていかないと大変です。

砂州のあいだのラグーンに溜まった水のなかで何か腐っているのか、途中で腐臭がただようところがありました。

でもそのほかはいたってのどかな道。崖の上のトレイルは、アップダウンがほとんどありません。

反対側から回ってきたのか、途中で引き返してきたのか、4組くらいのハイカーとすれ違いました。ひとりできびきびと歩いていた初老の女性、家族連れ、女性ふたり組。犬を連れた家族。

かなり離れて私たちの前を歩いていたカップルがひと組。

砂州のおわったあたりが折り返し点。
ジグザクの道でビーチに降りていきます。



夏目漱石先生も好きだったというトクサがいちめんに生えています。



細長いビーチを歩いて戻ります。
満潮時はもっと狭くなるかもしれません。

大型クルーズ船がカナダの方に向かってゆったり航行し、ポートタウンゼントからウィドビー島へのフェリーが湾を横切っていくのが見えました。


太平洋北西部の海岸ではどこでも、とんでもない大きさの丸太がごろごろしています。

これはまた、樹齢千年くらいありそうな丸太で、しかもここに流れ着いてから百年くらいは経っていそうな風化のしかたでした。どんな歴史を見てきたのか。




ジャリジャリのビーチに、くちばしの赤い小型のかもめがなぜか等間隔に並んでました。

波の間にアザラシの頭がプカプカしてるのも見えた。のどかな浜です。



出発を夕方にして正解でした。爽やかで、ほとんど汗もかかず。夏の日は長い。
午後6時すぎ、ちょうど歩き終わった頃に、いい感じの夕陽がさしてきました。


海岸からトレイルに戻る階段。

地図で見たときにはもうすこしハードな上りなのかなと思ったけど、きつい坂はこの階段と、ジグザグに降りた坂だけでした。
逆まわりだともう少し上りがきついかもしれません。



階段の先はトレイルヘッドまでゆるやかな上り坂。
ビーチをもう少し先まで歩くと別の駐車場があり、そこからスタートすることもできます。


縦にしてみた。
この写真じゃほとんどわからないけど、湾の先のほうにうっすらレーニア山が見えています。
実際にはもっと間近に見えて壮麗です。

穏やかな夕日を浴びながらのんびり車に帰ります。


帰りは、ウィドビー島南端にあるクリントンからフェリーでマカティオにわたりました。所要時間は約20分。

このフェリーを使うと、北の橋を通っていくよりも、運転時間が30分以上短縮できます。


もう売店が閉まってて自販機の変なカプチーノしかなかったけど、ずっとコーヒーが飲みたかったのでほっとひと息。

やっぱりフェリーはいいですね。
ウィドビー島、ゆっくり滞在してみたいです。



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2019/08/16

セイタカアワダチソウ



立秋をすぎて、まだ陽射しは夏ながら、なんだかそろそろ秋の気配もただよいはじめたシアトルです。

 近所の花壇。
黄色い花は、泡立草だと思う。オオアワダチソウかセイタカアワダチソウか、わかりませんが、たぶんセイタカアワダチソウ。
どちらもアキノキリンソウ属のファミリーです。

オレンジ色のマーガレットみたいな「ブラック・アイド・スーザン」とのとりあわせが豪華。

セイタカアワダチソウは、わたしが子どものころ、昭和40年代〜50年代に日本で大繁殖して、当時はよく3メートルくらいに伸びたのをよくみかけました。

ウィキによると

その存在が目立つようになったのは第二次世界大戦後で、アメリカ軍の輸入物資に付いていた種子によるもの等が拡大起因とされており、昭和40年代以降には全国、北海道では比較的少ないが関東以西から九州にて特に大繁殖するようになった。

…だそうです。
ブタクサとおなじく花粉症や喘息の原因とされていたけど、それはどうやら誤解だったらしい。

一時期日本では外来侵略種の迷惑な雑草の代名詞で、ススキなどの古来の植物を駆逐して河原や空き地や休耕田にバーっと広がってとにかく目立ったうえに、花粉症の原因とも思われていたので、わたしの世代には「とてもタチの悪い草」というイメージがあるのです。

敗戦のオマケで日本の田園風景まで米国産の雑草が侵略しやがって、という日本人の気持ちもあって、目の敵にされていたのかもしれません。

そういえば「セイタカアワダチソウ」の歌もありました。米兵に(たぶん)ふられて基地の場所もわかんないという女の人の歌。いま聴いてみると演歌だ。十朱幸代だったのね。



 1977年です。なんでこの歌こんなによく覚えてるんだろう。なんかテレビで繰り返し聴いた気がする。

「それ〜はないじゃない〜あはっはーのはのは」(<ちょっと違う?)「あたしにゃ沖縄、とおすぎる」っていうのが頭にこびりついてる。

ベトナム戦争が終わったすぐあと、だったんですよね。米軍基地も今よりたくさんあった。

この動画の背景に使われてる写真の、背の高いアワダチソウの大群落。
こういう風景を昔はよく見かけました。

セイタカアワダチソウが大繁殖したのは、アレロパシーと呼ばれる、ほかの植物の生育を抑制する物質を出す性質があるからでもあったそうですが、これもまたウィキによると

蓄積されていた肥料成分を大方使ってしまったこと、自らのアレロパシー効果により種子の発芽率が抑えられる等の理由により、派手な繁殖が少なくなりつつあり、それほど背の高くないものが多くなっている。

…とのこと。自分を攻撃しちゃったのね。そして土壌にたくわえられていた養分を使い尽くして、ちいさくなっていったと。

そんなセイタカアワダチソウですが、明治の頃には鑑賞植物として日本に輸入されたこともあったのだそうです。

原産地は北米。ここではネイティブ植物です。



泡立草は、茶花にもつかわれるんだそうです。

セイタカアワダチソウと茶花はまったく結びつかなかった!

こうして枯れ草のなかにあると、たしかに風情がありますね。

考えてみると、セイタカアワダチソウって日本では「戦後」の象徴みたいな植物でした。

平成になって繁殖力が減り、だんだん背丈も小さくなって目立たなくなっていったっていうのも、なんだか象徴的な感じがします。



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2019/08/15

喪失と悔恨 


近所のきれいなレンガ壁。たぶん、1940年頃の建築じゃないかとおもいます。


さ夜更けて眠るすなはち 目のさめて、おどろき思ふ。国は戦ふ 

(「苦しき海山」 昭和17年発行の『天地に宣る』所収、釈迢空歌集 岩波文庫 p208)

 数日前、釈迢空歌集を読んでいたら、戦中・終戦時の歌にたまたま出会った。

上の歌がおさめられている『天地に宣る』というのは昭和17年、開戦まもなくの歌集なのだけど、なんと寂しく、リアルに、戦争の日々を描いていることか、と驚きました。

若い人を戦地に見送ったあと、ふと夜中に目覚めて、ああいま国は戦争をしているのだ、と驚く歌。

貧しい家から出征して戦死した息子の親をたずねる歌。

もちろん、この時代の国学者の歌は、「反戦歌」ではありません。
でも決して安直な戦意高揚のプロパガンダにもくみしない。

短歌というかたちと美しい古語のなかに、世の中をありのままに見つめるまなざし、そしてそれを悲しむ個人の心もちをストレートに、ストレートすぎるほどに率直に表現しています。


戦いにやがて死にゆける 里人の乏しき家の子らを たづねむ

溜め肥えを野に搬つ生活 つくづくに嘆きし人は 勇みつつ死す

(「黙祷す」 同上。205 p )


折口信夫さん自身、最愛の養子が出征して硫黄島で戦死するという最大の悲劇を生きています。

戦後出版された最後の歌集『倭をぐな』所収の歌にいたっては、「たたかひに果てし我が子」を惜しむ歌がえんえんと続き、もう切ないという言葉ではいいあらわせないほど深い喪失感、絶望がうたわれていて、読んでいてもとてもつらい。

悲しみも厭世的なつらさも、躊躇なくくっきりうたわれています。
卒倒するほどきれいな言葉で。

「昭和廿年八月十五日、正座して」とある3首のひとつ。

大君の 民にむかひて あはれよと宣らす詔旨に 泪噛みたり

(昭和30年の『倭をぐな』所収、釈迢空歌集 岩波文庫 p221)

折口先生は、現人神であった「大君」天皇が敗戦を告げるラジオ放送を(正座して涙を流しながら)聞いてのち、40日間山荘にこもってしまったそうです。

終戦直後の歌には、国破れて、年老いた自分が生き延び、若い人たちを死なせてしまったというとほうもない喪失感が繰り返し歌われています。

老いの身の命のこりて この国のたたかひ敗くる日を 現目に見つ

今の世の幼きどちの生ひ出でて 問ふことあらば、すべなかるべし

年長けて 子らよ思はね。かくばかり悔しき時に 我が生きにけり
(同上 p223)

思ふ子はついに還らず。かへらじと言ひしことばの あまりまさしき
(同上 p225)

 戦後の歌は、当然のことながら苦々しい思いをうたったものがおおい。

たたかひは永久にやみぬと たたかひに失せし子に告げ すべあらめやも
 (同上 p227)

みんなみの遠き島べゆ 還り来し人も痩せたり。われも痩せたり

うらぶれて 剽盗に堕つる民多し。然告ぐれども、何とすべけむ
 (同上 p230)

あさましき都会となりぬ。其処に住み、なほ悔いがたきものの はかなさ
 (同上 p228)

呆れぼれと 林檎の歌をうたはせて、国おこるべき時をし 待たむ
 (同上 p235)

帰還兵をうたった歌は

なにのために たたかひ生きてかへりけむ―。よろこび難きいのちなりけり
 (同上 p243)

わたしはとても折口先生の著作のすべてを理解できるなんて思いませんが、それでもこんな浅学の徒にも、そのゆるぎない真摯さが胸に迫ってほんとうにやるせなく、同時に問いただされる思いがします。

安直な物語性や国家の感傷に巻き込まれない強靭な知性と博学の持ち主でも、国家の全面戦争にあっては、生存そのもの、生活そのもの、哲学も美意識もすべてが巻き込まれざるをえない。

その岩のような知性にもとづいて誰よりも深く日本を愛していた人の、深い深い喪失の悲しみと悔恨。

そしてそこにあっても美しい言葉。なんなのだろうかこれは。

もうちょっとだけでも深く読めるようになりたいと思いつつ、今書いておきたくて、覚書きとして。


こちらの2枚は2年前の夏に行った、奥熊野の素敵な神社です。
このときの記事はまだ書いてませんでした。

ここも、私などには本当には理解できない土地なのだろうけど、とても古くて美しい、優しい場所でした。


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