移動カーニバルといえば思い出すのは、レイ・ブラッドベリの『何かが道をやって来る』。
町に季節外れのカーニバルが列車でやってきて、全身に奇妙な刺青を入れた男が少年や町の人の魂をさらって行こうとする、怖い話だった。
夜中に物悲しく響く蒸気オルガン、乗ると回った分だけ年取ってしまう回転木馬、生きて動く刺青、鏡の間…。
大昔、これを読んだときには「移動カーニバル」というものの存在自体がピンと来なかったが、アメリカでは遊園地というものは年に数回、向こうから町に訪ねてくるのだということを、ハワイに引っ越して初めて知った。
ねずみーランドとかUFJとかの、隅々までマーケティングの行き届いた「テーマパーク」とはぜんぜん違う、怪しげではかない昔ながらの「カーニバル」。
町の空き地に突然現れ、数日か数週間で消えていく仮設のお祭り広場だ。
日本でいうなら、夏祭りにジェットコースターや観覧車がついてくる、みたいなものかも。
夏祭りは神社のものだけど、移動カーニバルには宗教は無関係。
カソリックの四旬節前のお祭りの「カーニバル」とは、起源には関連があったのかもしれないが、今は何の関係もない。
ラテンの国々やニューオリンズの名高いカルナバルにあやかって、19世紀のマーケッターがつけたのかもしれない。
ウィキによると、移動カーニバルが盛んになったのは19世紀末のシカゴ博覧会からで、観覧車がデビューしたのもこのときだそうです。「カーニバル」には、はっちゃけたお祭りの語感がある。
ホノルルでは、オバマ大統領の母校プナホウ・スクールも、毎年2月の週末に「カーニバル」を開催している。
決して広くはない学校の敷地にぎちぎちに乗り物が並び、ジェットコースターまで登場する。
たべもの屋台は先生や父母のボランティアでフル回転。先生が汗だくで揚げドーナッツを作ってたりする。
金曜夜に始まって、週末が終わると何事もなかったように学びの場に戻る離れ業がめざましかった。ホノルルの冬の風物詩みたいな存在で、地元民に愛されているカーニバル。
移動カーニバルの遊園地は、どういうものか、20世紀半ばくらいからモデルチェンジしていそうもない、キッチュでレトロなデザインがお決まりで、それがたまらなくかわいらしい。
安全性には大きなクエッションマークが付くので、身内が乗ってるとハラハラしてしまうけれど…。
シアトル近郊で一番大きなフェア/お祭りが、9月の第1週から4週まで開催される、Puyallup (ピュアラップ)のPuyallup Fair。
シアトルのダウンタウンからはハイウェイに乗って片道約30分くらい。
敷地は広大で、真ん中に大きな納屋が何棟も設置され、牛や馬や羊や鶏の品評会や、併設スタジアムではロデオやコンサート(ホール&オーツ、ジョン・レジェンド…など)も催される。
そしてもちろん、そのいちばん賑やかな一画は、ぐるぐる回る乗り物各種とゲームや食べもの屋台からなるカーニバル。
乗り物だけでなく、ゲーム屋台も20世紀中盤からモデルチェンジしてない。
ボールを投げて缶を倒すとか、輪投げとかのごく単純かつ簡単そうに見えるものばかり。
実際やってみるとけっこう難しく、どんどん熱くなってしまうのがミソ。景品は必ずバカバカしいくらい巨大なぬいぐるみで、これを抱えて歩いている人はカーニバルのヒーロー。
いつかバーチャルゲームにとって代わる日も来るのかもしれないが、意外にこういう面では保守的なアメリカ人のことだから、あと半世紀くらいは缶倒しゲームが生き延びるような気がする。
景品のぬいぐるみだけは世代交代していて、ドーモくんも進出していた。
一番上の写真、空が謎めいてて素敵。
返信削除アメリカのカーニバルは、日本人の私たちには理解がちょっと難しいよね。その上、新しいものをどんどん取り入れる日本人に、あのゲーム屋台は「.....」。
もう何年も行ってないけど、あの「家に持って帰った途端にタンスの肥やしになるバカでかいぬいぐるみ」が世代交代しているなんて...驚きです。
Motokoちゃん、ありがとう♪
返信削除日本だったら「花やしき」くらいにしか残ってないレトロ感が、アメリカ人にとってはほっとするのかしら。日用品とかでも何十年もモデルチェンジしてないものって結構あるよね。