2020/03/09
身の丈1.8倍の邸宅
ボストン・コモンの隣、ジョージ・ワシントンの騎馬像があるパブリックガーデンの門の前から並木のプロムナードがはじまっていて、広い通りの両側にはぴったりくっつきあって建っている優雅な古い建物がつづいています。
うちの青年が住んでいるのは、そのくっつき建物のひとつ。
これはうちの青年が住んでるとこではありませんが、その何軒か先の家の玄関です。ここは特に華麗。華麗な玄関もあるし、そこそこの玄関もある。
うちの青年が住んでるのは、おそらく19世紀後半か20世紀はじめのものだと思われる、裕福な家族が住んでいたに違いない地下1階地上4階の邸宅。
…を、16室!!に切り分けて、貸し出しているアパートです。
これは共通の玄関。
この左側の、昔は玄関の間だったと思われるホールをふたつに仕切ってふたつのアパートにし、それぞれに無理やり極小キッチンとバスルームをつくってある。
うちの青年のは奥のほうの部屋で、窓は北がわの路地にむかってひとつだけ。
なので日がさすのは朝の数時間のみ。
この無理矢理つくったバスルームの上がロフトになってて、青年はそこにベッドをつくって寝てるので、いつか寝ぼけて落ちるのではないかと心配です。
ロフトの上から見るとこのようになっている。落ちたらかなりの大惨事。
壁や天井は無駄に華麗な装飾でいっぱいで、いまは使えない暖炉がででーんと鎮座しています。
暖炉のなかにはなぜかフクロウが。
小さな部屋ですが一等地なので、お家賃はうちの青年がもらっているインターンのお給料の半分をさくっと超える。
身の丈の1.8倍くらいの住居です。
夏の終わりに部屋探しをした末に、こういうアパートに決めようと思う、と電話してきたときには、なんとまあバカバカしいと思ったのですけど、街の中心に住み、静かな自分だけのスペースを持つことはなによりも重要だと決めたと言っていました。
家賃を払ってしまうとほとんどなにも残らないので、毎日のようにガーリックパスタばかり食べているそうですww
入居して半年、どうにかやりくりをつけながら、日々手応えを感じて楽しくやってるようです。
まだまだこれからですが、奇跡のような幸運に恵まれて本当にやりたい仕事を始められたのだから、思うところを迷わずまっすぐ進んでいくしかありません。がんばれ青年。
2020/03/08
疲れる街
ニューヨークの3日間は、おおむねお天気がよくて(少し雨も降ったけど)、3月初旬としては異常なほど暖かかったです。
到着した日の気温は15度Cちかく。快晴でした。
ぽかぽか陽気で、セントラルパークも夢のように美しかった。
この日の夜は、ニューヨークに在住のクライアントさんと会ってお話しました。
それまではメールとメッセージや電話だけでやりとりをしていたので、実際にお会いするのは初めて。
とても素敵な日本人女性で、東京の超有名広告代理店で勤務したあとニューヨークに拠点を移し、会社を起こして東京とニューヨークを往復しているというバリバリの業界ウーマンです。
ニューヨークはもう10年ほど住んでいるそうですが、「ここは疲れる街ですよ」と、しみじみ言ってました。
年をとったら日本に住みたい、と計画しているとも。
これは行きのバスの窓から。マンハッタンの道路はカオス。わたしには絶対ここで車の運転はできないと思います。
ニューヨークの街を一人で歩いたり地下鉄に乗っている人は、だいたいちょっと怖い顔をしています。
家族づれの観光客や、恋人や夫婦で歩いている人はもちろんふんわりニコニコしているけれど、一人で早足で赤信号の横断歩道を渡っていくニューヨーカーたちは、まわりの何にも目をやらず、すこし眉間にしわをよせる感じでひたすら自分の目的地をめざしています。
それにくらべてシアトルの人たちは、やっぱりマイルド。どこかのんびりしてて鷹揚です。
東京の人も歩く速度は速く、疲れた顔をしてるけど、ニューヨークの人とはなにか違う。
ニューヨークの人の疲労はもっとこう、ツブツブしてる。それぞれが色の違うカプセルにはいってるみたいに、固いものをまとってる感じです。
東京では、それほど一人ひとりがツブツブしていない。東京の人の疲労は全員の上に低い雲みたいにぺったりはりついていて、同じかたちと色をしているように見えます。
街が要求するものってそれぞれ違うんですね。
街は人がつくるものだけど、街も人をつくっていく。
ニューヨークって、自己肯定感がちょっとでも低かったり、目的意識を感じていない人は、きっとすぐに食べられてしまう街なんだな、と、2度めのニューヨークで漠然とですが、肌に感じました。
2020/03/07
現在のシアトルの危機感
朝の雨が午後から晴れて快晴のシアトルでした。でも寒い。6度C。
寒いけど空気がぴりっとして清々しく、とても気持ちが良いです。
バラードのダウンタウンまでお散歩。
Liftの運ちゃんは「バーなんかガラガラだよー」といっていたけど、土曜の夜のバラードはけっこう賑わってました。
お茶専門店MIRO TEAも、午後6時ころに行ったらほぼ満席。
換気がいいとはいえない店内なので、いちおう外の席に座ってみた。
アラスカ用に買った(まだ行ってないけど)ダウンコートを着ていったので30分くらいは余裕で大丈夫でした。
しかし、そろそろご高齢のうちのマックくんが、3分で眠りにはいってしまった。ほぼフルチャージしてたのに(´;ω;`)。もうバッテリー交換しないとだめみたい。
しかたがないので寒い席にすわって文庫本を読んでいました。
いいかげん冷えてきて帰るころには、良い月が。
カフェもこんな感じだし、寒いのにアイスクリーム屋さんには行列ができてたし(店内に)、人気のメキシコ料理屋さんやタパスの店は満員御礼でした。
で。帰りにスーパーに寄ったら…
消毒用ワイプは売り切れ。
それはわかるのだけど、ここではトイレットペーパーの棚も!
このとおり。きれいにからっぽでした!
レジの子に聞いたら明日には入荷するそうですが、「いったいなぜピープルはそんなにトイレットペーパーを買いたがるのか」と聞いたら「良い質問だね。さっぱりわからないよ」。
やはり、わたしが知らないだけで、来週ゾンビがやってくるのかもしれません。
しかしなぜ人の不安はトイレットペーパーに表出するのか。
ワシントン大学はクラス閉鎖、会社はのきなみリモート勤務、しかしバーは満杯、トイレットペーパーはある店とない店があるという、まったくちぐはぐなシアトルの危機感。
過剰に反応して心配する個体と、じぶんは絶対大丈夫と思ってる個体がまざりあっている、進化の実験場のような現状です。
若い人は感染してもそんなにリスクは高くないので、これくらいの危機感が自然なのかもしれません。
エボラ出血熱やペストじゃないんだし。
でも大学の教室を閉鎖したのは良い判断だと思います。
桜じゃなくてプラムだけど、花に月。うるわしい弥生の夜です。
2020/03/06
春を信じるのじゃ
きのうの夜、ボストンからシアトルに帰ってきました。
今週のボストンより気温はちょっと寒い。今日のシアトルは4度C〜6度C。東海岸がこの冬は異常に暖かかったのです。
でも花はさすがにシアトルのほうが早い。プラムの花が満開です。水仙もたくさん咲いている。ボストンではまだやっと球根類の芽がでてきたところでした。
夕方6時すぎのフライト。到着は10時すぎ。
飛行機はガラガラってほどじゃないけど空いてました。3列の席を独占して横になってる人が多かった。
コロナ感染者が多数確定しているシアトル行きだから特別に空いてたのかどうかはわかりませんが、空港のセキュリティチェックも行列がなくてものの数分で通過できたし、全体に空いていた。
コンフォートシートだと軽食も出るのだ。豪快にごろんと切ったりんごとチーズとナッツ。
わたしは飲まないけど頼めばワインもついてくる。今回も隣の席が空席でラッキーでした。
到着したら大雨だった。上空では窓の外を雪が川のように流れていくのがきれいでした。
機内でマスクをつけていた人は皆無だったけど(最後尾のトイレに行くあいだに観察した)、着陸と同時にマスクをつけた人が2名。ひとりは中国系らしい若い男性、もうひとりはインド系風の美女。
LyftやUberの待合場所では使い捨てゴム手袋をしている人がいた。白人のビジネスマン風。医療関係者かな。
空港から乗ったLyftの運ちゃんは、道も空いてるし、バーも映画館もガラガラだよ、といってました。
アマゾンもフェイスブックもマイクロソフトも社員にできるだけリモートで仕事するように推奨しているそうなので、ほんとに道はガラガラみたいです。
シアトル側から湖をわたってイーストサイドに通勤しているCTちゃんは、朝の高速道路が異常に空いててほかの車が飛ばしているので勝手が違って運転が怖いといってました。
ワシントン大学も、来週からオールキャンパス、クラスルームは閉鎖だって!!
3キャンパス、学生4万人以上。
今学期の残りは全部、できる部分はオンラインに移行するそうです。
飛行機に乗ってるあいだにメールで翻訳の打診がきてて、超急ぎ!というのでなにかとおもったらCOVID-19関連のお知らせ文書でした。帰ってきていきなり朝からコロナの仕事。ここしばらく遊びほうけていたので、ありがたいですが。
仕事がなんとか片づいて、夕方散歩がてら買い物に行ったら、バラードマーケットの棚にはトイレットペーパーがぎっしりありました。日本の友だちに送ってあげたい。
イーストサイドなどアジア系の人口が多い郊外地域では東京なみに買いだめが激しく、コストコもパーキングが満杯で入れないなんて話も聞きます。
東京の中央線沿線に住んでる一人暮らしの友人が、ようやくトイレットペーパーをみつけて友人と分け合った!と喜びのメッセージを送ってきてくれました。まだ品薄はつづいてるようですねー。世界に誇るはずの日本の流通網はいったいどうしたのだ。
ワシントン州で感染者が多いのは、ほかの州と違って検査キットがあるからだよ、と行きつけの病院の薬剤師トラヴィスくんが言ってた。 この国って検査キットの数が笑うほど少ないので、潜在的な感染者はもっといっぱいいるはずだしこれから確実に増えてくる、と。
陽性の確認数が爆発的に増えてきたら、シアトルからもトイレットペーパー消えるのか??
ではないことを願う。
ありがたいことにもうすぐ気温があがってきますよ。
もう春です。
超絶好きなビル・エヴァンスの『You must believe in Spring』。亡くなったあとにリリースされたアルバム。
春を信じるのじゃよ。
2020/03/05
スーパーチューズデーのタイムズスクエア
ニューヨークに行ってました。
ボストンから2泊3日の小旅行。息子とふたりでバスの旅。
FLIXという会社のバスで行きましたが、なんと、二人で往復30ドルという激安価格。
マジソン・スクエア・ガーデンのすぐ横に発着するから便利だし(待合室などはありません)、座席は狭いけどバスの車内もまずまずきれいで大満足でした。
ただし、ボストンからのバスの運転手さんは超絶技巧なのはいいけどめっちゃくちゃアグレッシブな運転でかなり怖かった。 (前から2番めの席だったのでよく見えた)
ボストンからは片道3時間半ほど。うちの青年は以前グレイハウンドを使ったけれど、グレイハウンドはこのバスに比べて「めっちゃ汚かった」そうです。
この日はスーパー・チューズデー。
タイムズスクエアにはブルームバーグさんの広告がでかでかと「マイクにテキストしてね!」と呼びかけていましたが、予備選の結果が良くなかったので、この翌日にさっさと撤退してしまいました。
そして「中国がんばれ」応援広告も。
中国にがんばれっていってる場合じゃなくならないとよいのですが…。
タイムズスクエアは平日なのですこし人が少ないかなって感じでしたが、ふつうに賑わっておりました。
ニューヨークで、マスクをしている人を見たのは5回くらい。
いずれももれなく、アジア系の若い女性でした。
一人はご飯のデリバリーサービスをしている人で、マスクにゴム手袋の重装備だった。
マスクをしていた中国系の女性が殴られたなんて話をききましたが、マンハッタンのどこでも、そんなに殺気立ったような気配はまったくなし。
でも、ドラッグストアではハンドサニタイザーは売り切れていました。
日本では軒並みライブや演劇が公演中止になっているそうですが、タイムズスクエアの賑やかさはちょっとやそっとじゃ変わらないことでしょう。
ぜひとも、いつまでもにぎやかでいてほしいです。
2020/03/01
トイレットペーパーとシーポート
東京と大阪の友人たちとLINEで話してたら、店頭からトイレットペーパーが消えたと言ってました。
もうすぐ世界の終わりな感じに。
そしてハワイでも買いだめする人が出始めてるらしい。
ボストンではまだ生活に影響は出ていなくて、トイレットペーパーもハンドサニタイザーもおとといCVSで普通にセールで買いました。
マスクをつけている人を見たのは一度だけ。MUJIのレジで、アジア人の女の子がつけていた。
わたしは罹患したらわりと死ぬ確率が高い人なので、特別に気をつけたほうがよいのではありますが、気をつけてできることは、人の密集したところをなるべく避けて、良く手を洗う、あたたかくして栄養をとる、そして、できることをしたら、それ以上心配せずお祈りして寝る。そのくらいですね。
うちの息子は木工用のマスクをしてゴーグルをすれば完全だというのですが…。それをして電車に乗るのか。
そして今日ものんきに散歩をしています。
いつもシアトルではへたしたら3日くらい誰ともリアルに会話をしない生活をしているので、目にはいるものにああだこうだ感想をのべあいながら散歩ができるのは幸せだなと気がついた。
土曜日の午後、うちの青年が金曜にやり残した仕事を片付けに会社に行っているあいだ、ボストンのウォーターフロント、Seaport地区へ。
レインボーぺんぎんがいました。
りすもいました。
このシーポート地区はわりと最近再開発された地区で、ウォーターフロントにぴっかぴかのビルばっかり並んでます。
ピカピカのビルに青空が映ってちょっとシュール。
空のビルのうしろはThe Institute of Contemporary Art。
草間彌生展をやってますが、チケットは全部売り切れだった。
今回はショップだけ覗いてきました(おもしろかった)。
ボストンは地下鉄がべんりです。駅にはよくミュージシャンがいる。とっても上手なブルーズギターの人とかもいる。
このシーポートの地下駅(バス路線)は、無駄に広い。これはもしかして災害時のシェルター用??と思うほど、広いです。
ボストンの駅や電車は超きたない。
電車の車両を洗うとか、車内を清掃しようという発想がまったくないらしいです。
なので車両の外をちょっとでもさわると手が真っ黒になります。
目の前でティーンエイジャーの男の子たちがふざけて走る電車をさわってた。 まるで暖炉のえんとつのなかに手をつっこんだみたいにまっくろけになってました。
でもこのデザインはかわいいです。大胆かつシンプルなT。
2020/02/28
疫病の街
まだボストンにおります。
りす、いました。
今週前半はあったかくて、月曜なんかいっとき17度Cまで気温が上がって春のようだったので、みんなのこのこ出てきたのか、月曜日の公園はりすだらけ。
どんぐり食べ放題の秋とはちがって、ちょっとしっぽもそそけだっててしょぼくれた感じの子が多くなってました。
でも今日はまた寒くなって氷点下。寒暖差激しすぎる。
日本はすっかり非常事態で、毎日どんどん状況が加速していくのに驚きの連続です。
一斉学校閉鎖要請には驚愕。ほんとうに早く収束しますように。
ところで先日、カミュの『ペスト』を読みました。
1月に、もう忘れてしまった何かの理由で『異邦人』を読みたくなったのだけどKindle日本語版に『異邦人』がなかったので、かわりに『ペスト』を読んでみた。
読みはじめたその2日後に武漢の街が封鎖されたというニュースを聞いてびっくり。世界一いらないシンクロだった。
でもコロナウイルスが拡大していくのと同時にちびちび読んでいたので、いやおうなしに臨場感のようなものを感じてしまいました。
あんまりちびちび読んでいたので途中ですっかり登場人物を忘れてしまい、半分くらい読んだところからまた最初に戻って読み直したりしたのだけど、後半のパヌルー神父が死ぬあたりから(もう半世紀以上まえの古典なのでいきなりネタバレ許してね)の展開に圧倒された。
登場人物の運命というか、背負っているものがそれぞれ最後に集約されていくところが本当にすごいです。
パニック小説みたいなものだと思って軽い気持ちで読み始めたのだけど(なにげにスティーブン・キングを連想してたww)、 こんなにすごい小説だったのか!と驚いた。解説を読んだらカミュはこれでノーベル文学賞を取ったのねー。
小説でもノンフィクションでも、すいすいと頭にはいってきて受け取りやすいときと、あんまり頭にはいらないときがありますよね。この本は、わたしにとっていますごくタイムリーだった。
うちの守護天使がいま読めといってくれたに違いない。
あまり感動したのでうちの青年にも読ませようと思って、ケンブリッジの書店を3軒も回ったのだけど、なぜか見つかりませんでした。ハーバード・ブックストアにもなかったよ。『異邦人』はあるのに。『異邦人』はきっとなんかの教養課程のクラスの課題図書なのね。
ノーベル賞作家も半世紀以上たつと書棚から消えてしまうんですね。
忘れられてしまうにはあまりにももったいない小説なのに。
初版は1947年。第二次世界大戦の終戦直後。日本はまだ焼け跡だったころですね。
疫病をあつかってはいるけど、書かれている災厄には世界戦争の暴力が色濃く感じられる。
戦争直後、終わったばかりの戦がもたらした暴力のあまりのひどさと圧倒的な規模に、人々がきっとまだ呆然としていたころの小説。
主人公のリウー医師とボランティア部隊のタルーの、それぞれの誠実さに打たれます。
戦後70年たって、人類はもしかしたら退化してしまったのかもしれない、という気がしてきました。
「子どもたちが責めさいなまれるようにつくられたこんな世界を愛することなどは、死んでも肯じ得ません」と、神父にむかってリウー医師は言う。
苦しんで死んでいった子どもを目の当たりにした神父は信仰をぐらつかされながらも「すべてを信じるか、すべてを否定するかです」といい、神への愛を理解するのは困難だけれども、信仰を全うしなければならない、と説教壇で説き、そのあと、まるで自らペストを召喚したかのような「疑わしき症例」で、十字架を握りしめて死ぬ。
リウー医師とパヌルー神父のこの会話。
パヌルー神父の、まったく救いが感じられない信仰。
教会とヒューマニズムとの対話が、まだこの時代には真剣にかわされていたのだなあ、と思う。
20世紀の後半には、信仰と「知識人」は対話をすることさえやめて、ぜんぜん違う場所でお互いの悪口を言いあうようになってしまったのですね。
そこ、もうちょっとなんとかならないのか。と日々思います。
お互い自分が絶対に正しいと思うのをいったん止められたらいいのにね。
それから、先月末、ヴィスコンティの『ベニスに死す』を観ました。
これもなぜだか忘れてしまった理由で急に観たくなり。
こちらは遠い昔に名画座で観たはずだけれどすっかり忘れてて、原作も読んだはずだけれど最後のシーンくらいしか覚えてなかった。
これも舞台は疫病が流行中の街でした。(観るまですっかり忘れていた)
しかしヴェネツィアでロケをして、この街をこれほど魅力的に描かなかった映画もほかにないのではないだろうか。
この映画にでてくるヴェネツィアは、じめじめして蒸し暑く、病に冒されてあちこちに死のかげがちらちらする辛気臭い街。
その中で美少年ビョルン・アンドレセンが北国の氷の王子様のように輝いていました。
気づくと自分も主人公のアッシェンバッハ教授と同じようなカテゴリの年齢になっています。まあ、中身はそんなにアップグレードされてはいない。だいぶ図々しくはなりましたが!
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