2019/04/12
桜吹雪と八重桜
数日前の近所、桜の小径。
シアトルはこのところ、雨と風がつづいて寒いです。きょうの気温は10度C以下。
でもあいかわらず木の花もチューリップも水仙も花盛りでご近所が超豪華絢爛。
こちらはりんご。
八重桜が咲き始めました。
さくら花 幾春かけて老いゆかん 身に水流の音ひびくなり
という、馬場あき子さんの歌がとても好きです。
願わくは花の下にて、の西行さんもだけど、 桜の花をみると日本人は無常を感じてしまうのですね。
でも八重桜には無常というより、しぶとい根性を感じる。
なめとったらあかんでー。簡単にいかへんでー。的な。
やったるでー。みたいな。
何が始まるのか知りませんけど。そんな感じ。
2019/04/10
自己標的バイアス
10代のころ、わたしにはチエコちゃん(仮名)という親友がおりました。
わたしよりも3歳くらい年下の家出少女だったチエコちゃんは、いつのまにかうちに転がりこんできて、いつのまにか同居人になってました。
チエコちゃんは暴走機関車のように有無を言わせないドライブを持つ少女で、いつも想定外のスピードでデタラメで魅惑的な方向にすっ飛んでいき、小心者のわたしは「ちょ、ちょっと、それはないんじゃない」とかいちおう言いながら内心ドキドキワクワクしてあとを追うフォロワーでした。
そのあといろいろあって会わない期間があり、それぞれ結婚して、わたしはハワイに引っ越して離婚して、しばらくぶりに子連れで帰国したときに連絡したら、チエコちゃんは前よりもきつくねじれてしまっていて、
「いつ会う?この日とこの日とこの日だったら大丈夫だけど」
という会話のあと、いきなりキレてわたしに絶交を言い渡したのでした。
「そんなことを言われてどんな気持ちになると思う?」
と切羽詰まった声で言われて、いったい自分が何をしてしまったのか、何が起こったのか、その時は全然わかりませんでした。
何年かたってから考えてみて(遅い)、ああ、あの子はしばらくぶりに日本に帰ってきた親友のはずのわたしが、全面的に彼女だけのために時間をあけてべったべたにつきあわなかったことに、とても深く傷ついてしまったんだなあ、ということがやっとわかったのでした。
もちろん、数週間の限られた滞在期間で用事をこなしたり親戚に会ったり親と一緒に旅行に行ったりほかの旧友にも会ったりもしたいというわたしの都合など、チエコちゃんにとってはまったく眼中になく。
「ともぞは自分にもっともっと会いたいと思ってくれない > ともぞは自分なんかどうでもいいと思っている」
という方向に、きっと心のすべてがフォーカスされてしまっていたのだろうと思います。
その後もまた連絡を取り直したのだけど、よく似た状況でまた彼女を爆発させてしまい、わたしも自分の生活と子育てでいっぱいいっぱいだったので、そのあとはもうどちらからも連絡を取ることはありませんでした。
一時は姉妹みたいに四六時中一緒にいたのに、今は彼女がどこかで元気に生きているのかどうかも、まったくわかりません。幸せでいてくれるといいなと思う。本当に。
このあいだ、あるエッセイを読んでいて「自己愛性パーソナリティ障害」というのにいきあたり、はっこれだ、と30年以上前のチエコとわたしがよみがえってきたのでした。
ウィキペディアにあったこんな引用が目をひきました。
(ここから引用)
プライドの高い人”とは、一般に自己評価の低い人である。だから、他人からの評価によって傷つくのである。逆にいえば、他人からの評価によって揺らぐような低い自己評価所持者が「プライドの高い人」と周囲から認識されることになる。
(ここまで)
うんうんうん。そうね。そうだと思う。そうだったそうだった。
出典は中井久夫著『世に棲む患者』 筑摩書房、2011年。これ読んでみたい。
パーソナリティ障害までいかずとも、相手が本当にどう思っているかにかかわらず、(たいていの場合、相手は自分のことなどほとんど気にもとめていないのに) 「あの人はこう思ってるに違いない」と思い込む傾向を「自己標的バイアス」というそうですが、これってたぶん、程度の差はあっても誰でもやってることだと思う。
このあいだ、ほんのちょっとしたことから、ある人に「あなたは人をコントロールしようとしている」みたいなことを言われて超おどろいた事件がありました。
その人は知的でコミュニケーション能力もすごく高いし、社会的にもわたしよりずっと立派な地位を得ている立派な人なんだけど、ちょっとしたわたしの言動を自分への攻撃であるかのように感じてしまったらしく、えらく激昂してしまったのです。
自分のちょっとした動作に対して「えっまじでそんなこと1ミクロンも思ってないんですけど?」というような解釈をされて、本気でおどろきました。
なんだこれ、ものすごく久しぶりだという感じがして、思い出したのがチエコ(仮名)。
こんなにちゃんとした人でも、こんなにも情緒不安定なところがあるんだ!というのにもびっくりでしたが、そこそこ社会的地位が高いからこそプライドが高くて傷つきやすい人も多いのかもしれない。
たいていの人はそうだと思うけど、知らないあいだに、相手に、そして世界に、自分のことをこう見てこう反応してほしいということを、漠然と期待しているんですよね。
そしてその自分の期待に気づいてないことが多い。
わたしもよく、クライアントさんにメールを送ったのにすぐに連絡がないと、自分が何か仕出かして怒らせたのかな、と心配になったり、息子に頼んだことをすぐにしてくれないと、バカにしてんのかコラ!と腹をたてたりします。
でも単にクライアントさんは忙しくてテンパってるだけで、息子は単に誰かに似てズボラで忘れっぽいだけだったりするのです。
それを、どんなに忙しくても一行返信しないなんて馬鹿にしてる!とか、頼んだことを3秒で忘れるなんて私を尊重していないからだ!なんて考えはじめると、これが地獄への第一歩なんですよね。
その先にあるのはチエコ症候群。
人の反応に期待するのを止めるだけで、世界はけっこうシンプルで暮らしやすくなるんだけどな。
多分いまでも私に腹を立てているチエコにもそれを知らせてあげたいと思うんだけど、それはきっと私の仕事じゃないんでしょう。
腹立てるだけ損なんだよチエコ!
2019/04/08
大広間を見逃し牢獄へ <ヴェネツィア思い出し日記 その9>
ヴェネツィア日記のさいご。
何世紀もの間、歴代ドージェさんが住み、政治がおこなわれていたドゥカーレ宮殿です。
もう午後も遅くなっていたので中を急ぎ足で見ました。(そして急ぎ足すぎた。)
午後の光が本当にキレイ。本当にエレガントな建てものですよねえ。
「ヴェネツィアのゴシック建築の代表作」と、建築鑑賞のクラスでならった。
北の国のゴシック建築とはだいぶ違って、東洋的な雰囲気を持つ繊細な建てもの。
ヴェネツィアの建てものはとにかく、軽くて華やか。
海と運河の反射する光が、軽やかな感じをより強調しています。
この細ーい優雅なアーチは、運河があればこそのデザインなんですね。
仮装する人と観光客でごったがえすサン・マルコ広場から中へ一歩入ると、静かな中庭。
歴代のドージェが自分の代に次々に建てましをしていき、どんどん大きくなったという宮殿です。
絶大な権力を持っていたとはいえ選挙で選ばれた頭目なので、家族も一緒にこの宮殿に住まなければならない、公式書簡を誰も見ていないところで開封してはいけない、などの制約があったそうです。
両脇に裸像をひかえた階段。
外国の使節も、どんなに偉い人も、ローマ教皇でさえも、ドージェはこの階段の上で迎えたそうです。決して下まで降りて迎えなかったのだと…。
ぐぬぬ、と思った教皇も多かったのではないだろうか。
美術館の中にはオリジナルの建築材もいろいろ。
なんかどっかで見たような感じの人。
こういう奇妙な人たちが柱頭のなかにたくさん隠れている。
宮殿内の「黄金階段」。
わたくし、いままでヴェルサーチとかドルチェ&ガッバーナとかのセンスがどうしても理解できなかったのですが、ヴェネツィアに行ってみて初めて納得できました。
これがオリジナルなんだー!
とにかく過剰で華麗でハデ。スキマなし。
これがのちにバロックになりロココに発展していくのかな。その時代のことはほんとによく知らないけど、なんというかこの、富のもたらす迫力、まったく忖度のない、百パーセント強気な世界観、すごい。
他の場所を抑えつけて勝ってる都市とか権力者にしかない陶酔感。
ベルサイユ宮殿とかは実際に行ったことないので本当のところはわかりませんが、ロココの時代はもっと停滞・発酵してる感じがする。でもこのヴェネツィアには東西が混ざり合って商人がいりまじって富が集中して、というルネッサンスの時代のドライブ感みたいなものが化石になって残ってる気がしました。
ちゃんとガイドブック読んでなかったのが悪いんだけど、宮殿内は順路がよくわからなくて、迷いました。あまり親切な地図とかがないのです。完全に自分のせいなんだけど。
あれ?ここは来てなかったよね?と狭い階段を降りていくと、いつのまにか牢獄に出ていました。
ガイドブック半分しか読んでいなかったので、牢獄があることさえ知らなかった。
だからかなり衝撃でした。
牢獄はほかの場所とは温度がぜんぜん違います。
石の壁がムキダシで、ひゃーっ!となるほど寒い。
骨身に切り込んでくる冷たさで、ぞっとしました。
気味が悪くて、あえて写真も撮りませんでした。
夏は地獄のように暑く、冬は死ぬほど寒い構造なのだそうで。
あのハデで絢爛豪華な宮殿のすぐ下にこの牢屋があるというのがなんともいえない。
華麗な宮殿のはらわたを見てしまった気がしました。
というわけで、宮殿内で一番印象強かったのが思いがけず出くわしたこの牢獄でした。
そして帰ってきてからガイドブックを読んだら、ドゥカーレ宮殿にはティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼの絵画がいっぱい飾ってあるよと……え?
うっかり、肝心の大広間、謁見の間などをするっと華麗にスルーしてしまったらしい。
ああああああ。
わたくし、宮殿中で一番華麗な部分を見ずに帰ってきてしまったようです。
そのかわりにドージェの住居の中でカナレット展をやっていて、カナレットの描いたヴェネツィアの図はいっぱい見ました。
景観が18世紀に描かれたまんま全く変わってないって、ともかくすごいことだ。
対岸の聖堂も行ってみたかったけれど。今回は本島だけで、ほかの島に行く時間はありませんでした。
でも本当にこの景色を見られただけで幸せ。
いつかまた行く機会があれば、今度は宮殿の謁見の間をちゃんと見てきたいです(w。
2019/04/04
ビューティフル・ハーモニーかよ。
近所のスーパー、バラードマーケットで水仙買ってきました。
鳥たちがいたスカジットヴァレー産かな。
ひと束2ドル。テーブルがぱっと明るくなる黄色。
そんなことより、ビューティフル・ハーモニー。
日経新聞サイトによると
(ここから引用)
外務省は新元号「令和」の意味を英語で表す際に「beautiful harmony(美しい調和)」に統一する方針を決めた。河野太郎外相が3日までに各国在外公館にこの方針に沿って対外的に説明するよう指示した。
同省によると「令」を「命令(order)」と報道する海外メディアもあり、正しい解釈を促す狙いがある。
(引用ここまで)
…だそうです。(太字はわたくしがつけました)
このニュースはきのう、Facebookの翻訳者グループのポストで知ったのだけど、当然ながら外務省のこの翻訳「beautiful harmony」に、コメントしていたプロ翻訳者の(日本在住のネイティブ英語スピーカーの日英翻訳者の方々ばかり)ほとんどの人は冷笑していました。
「……まじで?」
「 翻訳ちゅうのが、結局は好きな解釈を選べるという典型やな」
「MOFAの官僚が知ってる素敵単語がそれだけだったんちゃう?」
というような反応。(うろ覚えです。FBでこの元ポストを15分くらいかけて探したのですが、見つからず。FBの検索エンジンがまったく役に立たないことを知っただけに終わる)
あああ、そしてこの「ビューティフル・ハーモニー」という公式訳語は「日本のポルノアニメゲームの主題歌と一緒だな!」という記事もでてしまったよ。ありがちすぎるよね。
『エコノミスト』で令和が「Order and Harmony」と訳されるなど、海外メディアで「令」が「オーダー(命令)」という意味にのみ取られ、「お上が命令し、民がそれに従順に従い、平和がうまれる」といった官製ストーリーがうっすら透けてみえるような解釈が広がり、日本のイメージにそれが固定されてしまうのは非常にまずい、と外務省の中の人は焦ったのでしょう。
しかし、正しい解釈って何だよ!
翻訳という仕事をしていると、日々、言葉というのはほんとうに重層的で何通りにもカイシャクできるものだと骨身にしみるわけです。
とくに漢字にはいくつも、互いにまったく関係ないような意味があるって、小学校で習いますよね?
漢字を組み合わせた元号は、いってみれば「詩」のようなもんです。
だって元ネタがそもそも中国の詩を下敷きにした、和歌集の序文であるわけでしょ。
(数日前の令和ちゃん記事に書いてます。)
ポエムに「正しいカイシャク」はないです。
「メインストリームのカイシャク」はあり、「本人が意図したこと」はあるとはいえ、それは「正しい」とか正しくないとかではない。
ある意味、立場と世界観の問題でしかない。
それに詩歌の場合、本人の意図した以上にその言葉の意味が広がっていくことで、その詩が力を持つようなことが起きる。
詩の言葉は、個人の意図や正邪の判断を軽々と超える力を持っているのです。
元号は「識者」(なんで林真理子が入ってるのか、まったく納得できませんけど)による集合的な美意識が決めたポエムです。
そこには当然、政治的なメッセージもこめられている、のかもしれない。それは識者の選出作業の中にすでにこめられてるんでしょう。(たとえ優れた文学者であっても、ヤバそうなことを言い出したり、体制に真っ向から楯突くことがわかってるような人は選ばれない。林真理子は自民党にとって無難な人選なんでしょうね)
元号は、ポエムでありおそらくは黙示的な(本人たちもあえて言語化しようとしていないかもしれない)政権からのメッセージであると同時に、おそらくもっとも本来的には「次の時代がこうなりますように」という、祈りであるはずです。
で、漢字は、そしてありとあらゆる単語もそうですが、必然的に重層的な意味を持っています。
たとえば法律文のように解釈のゆらぎの少なさを目標に書かれる文章とは違って、意味が厳密に固定されていないポエムの場合には、その重層的な意味が本領を発揮するんです。
万葉はまだそんなでもないと思ったけど、新古今集のあたりの和歌の世界は「シャレ」ばっかりです。これは日本語に多い同音異義語を駆使して、歌の世界にひろがりを呼び込む技術であったようです。 これも言葉の重層性を意識しているからこその技術であり、あそびです。
「令」には「めでたい」「美しい」という意味もありますが、現代ではそれはほとんどの人が知らず、「命令」の意味を思い浮かべる人が多いはず。
「令」の字がそういう宿命を負った字であることを、選ばれた「識者」も政治家も当然知っています。
ひとつの言語の単語に訳語を当てるというのは、解釈作業です。
単語に重層的な意味があるから、詩の翻訳はむずかしいんです。
「令和」はそこそこよくできたポエムかもしれないけれど、「ビューティフル・ハーモニー」はそのポエムの訳語としては、その広がりを全く表現せず、含意をチラ見せすらしてないってことで、合格点とはとてもいえません。
ふだん法律文書にばかり触れてる官僚さんが、「誤解なく簡単に世界の人民にあまねく分かるように!」て作ったのかもしれませんが。言葉の感性が美少女アニメポルノと一緒じゃん、というのをはからずも露呈してしまいました。
もし官僚の人たちが、これが今の日本を代表する感性です!て主張するならそれはそれでちょっとまた別に考える必要のある問題がでてくるけど。
漢詩が一般教養だった明治の官僚だったらもっとマシな、格調を感じさせる訳語を作ったであろうものを。
言葉は文化そのものです。一国の文化というのはすぱっとキレイに単色で表現できるものではないですよね。もっとグチャグチャしたものです。
いろんな人がいていろんなことを考え、主に言葉でそれを伝達しようとしている、それが文化ですよね。
「そして、この令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております」
という安倍首相談話(そもそも万葉集の漢文部分から引いてきたということにも一切触れてないし)をきいて、ケッ、と思う人もいるわけですが、それも文化というものです。
そもそも文化というのは、排除装置でもあるんですよね。
文化は知識と美意識の集成であり、「正しい解釈」をよしとしなかったり知らなかったりする人を社会が排除するときの、素敵な言い訳にもなってきた。
ひとつの文化についてこられない人を排除したり、自分たちの文化を知らないよその土地の人を虐殺したり強姦したり略奪することに黄門さまの印籠のような正当化の力を発揮してきた。
文化が単一の価値観に翻訳されて、そこに権力がのっかると、たいていそういうことになるようですね。
文化のそういうダークサイド面の運用についても真摯に心を寄せないかぎり、本当に美しい和の社会なんて、絶対に到来しないでしょう。
話がそれたけど、美しく心を寄せ合うには、どこかの誰かがきめた「和」に無理に迎合したりさせたりするのではなく、文字や言葉には(つまり人の意図や意識には)常にものすごく幅広い世界が隠れているのだということを、自分らにはまだ知らない、まだ理解できない世界があるということを、恐れずに認めることがとても重要なのだと思いますのよ。
そうして得られる「理解はたいへんだ」ということの理解のあとに、一人ひとりの中に、そしてお互いの間にあらわれてくるのが、ほんとうの<和>ではないでしょうかね。
ラベル:
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読んだもの,
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翻訳の周辺
運命の馬たちとピンクの壁 <ヴェネツィア思い出し日記 その8>
追憶のヴェネツィア日記。
サン・マルコ大聖堂の正面に飾られている、馬たちの像のレプリカ。
ほんものはすぐ内側の美術館内に飾られてます。
こっちがほんもの↓。
伝説ではアレクサンダー大王の時代、紀元前4世紀のギリシアでつくられたとも、3世紀頃にローマでつくられたともいわれているそうですが、どっちにしてもすげー。
(最近の調査では、紀元前175年のものとされてるとか)
ブロンズを打ち出す製法じゃなくて、粘土で型をつくってその上にブロンズをかぶせる製法だったそうです。
ともかく、ものすごく迫力のある馬たちです。
「鬼気迫る」感じ。
なんか入ってる。
皇帝ネロの時代にギリシアから奪われてローマに飾られたといわれてるそうです。
その後コンスタンチヌス大帝が330年にローマから奪ってコンスタンティノープルの競技場の飾りにして、1204年の十字軍遠征でヴェネツィア人が奪ってこの聖堂の正面(いま、レプリカ像があるところ。吹きさらしのテラス)に飾ったそうです。
そのあとさらに1797年、ナポレオンがヴェネツィアを征服したときにこの馬たちはフランスに持ち去られ、一時はパリの凱旋門の上に飾られてあったのだそうな!
そしてナポレオン失脚後にヴェネツィアに帰ってきた波乱万丈の馬たち。
すごい歴史ですねー。
この馬たちはチャリオットを引く戦いの馬なので、戦利品としてまことにぴったりだったんでしょうね。
しつこくドゥカーレ宮殿。
サン・マルコ聖堂とは建てものがぴったりくっついています。この距離感すごい。
一般人はもちろんオフリミットな秘密の通路とか絶対あると思う(ガイドを精読してないのでこの二つの建てものの間が実際どうなってるのか、よく知らないのですが) 。
いまの民主主義では政教分離って、教会の物語とパワーを政治に持ち込むなっていう意味が強いけど。
中世〜ルネサンスの頃は逆に、教会の持つ絶大な力を、政治の人がめっちゃ利用しまくっていたんですね。
なんかこの、政治経済の中心であった宮殿と聖堂がくっついているのをみると、その求心力みたいなものがはからずも見える化されてる気がしました。
それでドゥカーレ宮殿。
こないだYouTubeでたまたま出てきた、ヘンデルの曲になぜかついていたサン・マルコ広場の絵。
カナレットの絵だそうです。絵が描かれたのは18世紀前半で、ヘンデルと同時代なんですね。
本物はどこにあるのか不明だけど、色が鮮やか(この画像は彩度上げてるっぽい)。
メトロポリタン美術館に似た題材のが収蔵されてますので、たぶん同じ頃、1720年代の作品なのかも。
イスラム建築の影響を受けたピンクの幾何学模様の壁。
この上の絵で見るとそのピンクがもっと濃くて、ワイキキの「ピンクパレス」ロイヤルハワイアンホテルみたい。
絵に描かれた18世紀から3世紀のあいだに日に焼けて色が薄くなったのか?
それにしても14世紀頃に、政治経済の場の外壁をピンクのイスラム建築的なもようで飾るって、相当に革命的だったのでは。
教皇のいるローマの方面からは眉をしかめられたのではないかな、なんて想像がふくらみます。
ドゥカーレ宮殿の中を見に行った話を書こうと思ったら馬の話で興奮して長くなっちゃったので続きます。ヴェネツィア日記はそれでおしまい。滞在2泊だったのに、いつまでかかるのだ。
2019/04/02
なんちゃってパッタイと15年の友
きょうも満開のご近所ソメイヨシノ。
東京の人が書いてるブログで見た目黒川のライトアップがきれいだったー。
そして日本のお花見って、屋台があっていいよね。
散っちゃわないといいけど、ソメイヨシノの盛りは今日くらいまでかな。
こちらも近所でよく見かけるこの白い花はなんだったけか。
ただいま、まったく知らない金融分野の契約書とハイソな旅の記事の翻訳が同時進行で、絶賛遅延中。契約書は参考資料なのだけど、コレスポンデンス文書ばかりだと思って受けた大きなパッケージのなかに大きな契約書がまるっと2つも入っててびっくり仰天。
ふだん法律翻訳なんてぜったい受けないので、主語が50個くらいあるような(<やや大げさ)長大な文章に目が白黒です。
久々に法律翻訳の教科書出してきたり(一応ある)、ほぼ毎単語ごとにぐぐっているのでもうまったく進みません。「およびに」と「並びに」てどっちが大きいんだっけとか永遠に覚えないで毎回ルックアップしてるし。
旅行記事のほうも楽しいんだけど固有名詞のリサーチがむちゃくちゃ多くて、ぐぐった先の記事までつい読んでしまうのでこちらもなめくじ以下の速度。どちらもプロとしてあるまじき1時間あたり出来高(ワード数)。少なすぎて笑えるレベル。そして世界にはなんとラグジュアリーな世界が多いことよ。ぢっと手をみる。
パッタイの生麺がご近所スーパーで売ってたので 、なんちゃってパッタイを作ってみました。レシピはこちらのサイトを参考に。
フィッシュソースは冷蔵庫にあったけどタマリンドペーストはさすがにない。でも梅干しで代用可能だって書いてあったので梅干しとフィッシュソースを煮詰めてみた。急に家中がエスニックな香りに!
もやしはあまり好きでないのでパス、ニラもないので青ネギで代用。
たくあんも残念ながらなかったのでパス。(こずもキッチンさん!いぶりがっこがおすすめですってよ!)
でもなんとなくそれっぽい感じになりました。うまうまで満足でした。
ラウラウちゃんに送ってもらったマジカルな<申年の梅干し>がついに底をついてしまったので、生活クラブの梅干しを信濃の敏腕翻訳者Yちゃんから送ってもらった。ありがとうございます。
梅干しはたいへん重要!
今朝起きたら、Gメールちゃんが自分の誕生日をひっそりとお祝いしていた。
おめでとうGメール。
15年か〜。長いつきあいだねえ。あなたがいなかったら私の生活は成り立ちません。
私の個人情報その他をいろいろご存知だと思いますが、どうか秘密にしておいてね。
無料のサービスにここまで人生頼っていいのかと思いつつ、便利すぎて手放せない。
2019/04/01
令和ちゃんの出自
先週末に行ったバラードダウンタウンの「Stoneburner」。
卵とポテトとソーセージがのっている「ブレックファストピザ」と、チコリとアボカドと卵のサラダ。このサラダめっちゃおいしかった!
ところでレイワですね。グーグル日本語変換にはまだ出てこないよ。大丈夫か。
例話でも礼和でも例羽でもないよグーグルちゃん!
万葉集の「天平2(730)年に開かれた梅花の宴」の序文からとった、 「初春令月、気淑風和」。「初春のこの良い月に、気は良く風はやわらか」という意味、だそうですよ。ふーん。
「れいわ」ちゃんて、女の子の名前みたいで(レイア姫からの連想か?)優しい感じだと思ったけど、ほんとに柔らかい意味なんだ!
ていうか、万葉集。
「万葉集から取りました」てきくと、ふーん、和歌から取ったの、と思っちゃうけどそうではなくて、大伴旅人さんが、「梅花の宴」で詠まれた歌を紹介するための序文を漢文で書いている、その序文の中から取られた「令月」の「風和」なんですね。
しかしこの序文がそもそも中国の古典を元ネタにしてると、岩波書店の方がツイートしています。
(ここから引用)
新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』https://www.iwanami.co.jp/book/b325128.html … の補注に指摘されています。 「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五)」とある。」
(引用ここまで)
大伴旅人さんが書いた序文は、漢詩を引いていたんですね。
当然この当時のエリートは、中国の詩を小さい頃からいくつも暗誦し、精通していたはずですから、そういう引用がさらっと出てくるのが教養というものだったので、当時の読み手だった教養人もそれを承知していたはずです。
しかしいままでの元号ってすべて中国の漢籍を典拠としていたというのは知りませんでした。
ていうか考えたこともなかったけど、そうか、元号って適当に漢字組み合わせるんじゃなくて一応の(<失礼)典拠があるもんなんですねぇ。
そして漢字であるからには、やっぱり本家、中国の古い文書に求めるものなんですね。
明治以前までの日本のアカデミックな文化の核は、漢籍。
平安時代から明治にいたるまで、偉い人(つまり男の学者)が修めるべきであったのは漢文で書かれた文書や漢詩だったんですもんね。
万葉集の本文である歌を元号の典拠にできないのは、それが漢字じゃなくて仮名でかかれたものだから、なのだそうです。
わたくし本当に教養がないので、ふつうに日本の高校で古文を習得してたら誰でも知ってることなのでしょうが、万葉集で使われている「万葉仮名」というのが漢字の当て字であることをわりと最近知って、(万葉集の文庫本で漢字だけの「原文」が併記されているのを見るまで知らなかった!)けっこう衝撃を受けました。
そうだった、まだその頃はひらがなができてなかったんだった!と。
こんな万葉仮名一覧もあった。素敵。
みんなかなり適当に好きな字を使って歌を詠んで(書いて)いたんじゃないか?
ということは、昭和の暴走族文化の「夜露死苦」的な表記はかなり正統な日本語の感性を受け継いでいるということかも。
万葉つながりで、大和…じゃなくて紀伊半島のもっと奥の「隠国」(こもりく)の山の写真を出してみました。こもりくって響きが素敵です。
去年の夏に行った、愛する奥熊野。またいつか行けるかしら。
この写真見てると涙でるほど好きすぎる。すごく優しい場所です。行きたいー。
それこそ「風やわらか」な土地。
そういえば、このへんの旅日記を途中でほったらかしにしてたのでした。
…イタリア日記も途中だった。
いろいろ途中なものが多い、平成最後の4月。あわあわ。
ともかく、新しい<令和>が名前のとおり、風やわらかでほのぼのした時代だといいですね…。
そういえば平成の3分の2以上は日本の外で生活してたんだなあ、としみじみ思っちゃいました。
来月からの令和時代もどうぞ夜露死苦。
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