2014/08/11

松山城



道後温泉に並ぶ松山市の名所といえば、松山城。

お城の山がそっくり公園になってます。
町を見晴らす小山の上に天守閣があり、それを取り巻いていくつもの櫓と石垣がある、きれいなお城でした。


天守閣は天明4年、1784年にいちどカミナリが落ちて焼けてしまったのを、その40年後に再建工事を始め、20年以上かけて建てたのが現存してます。 

ほかの建物は、明治の廃藩直後に焼失したり、太平洋戦争の空襲で焼けてしまったりして、昭和になってから復元したもの。



お城にカミナリが落ちて火事になった時には大ショックだったでしょうね。

天守閣なしの時代が37年も続き、藩主も代替わりしてから再建の大工事が始まりますが、その藩主が途中で亡くなったこともあり、着工後16年で途中で頓挫。

そのまた10年くらいたってから、次の藩主が工事を再開させて、やっと完成したんだそうです。


その工事の際に誰かが描いた「侍の似顔絵」が展示されてました。壁板の裏に描かれていたのが発見されたらしい。なかなか上手ですよね。 マンガっぽい。工事の指揮を任されていた奉行ではないかということですが、イケメンなお侍さんです。



きれいな曲線の石垣です。

建物がすべて当時のままに木造で復元されているので、お侍さんがゾロゾロ歩いていた城内の様子を思い浮かべることができます。


瓦屋根の色と形が綺麗。



天守閣からは、松山の街並みと瀬戸内海が見えます。

そしてしゃちほこが。


風情のある町の風情あるお城公園でした。





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2014/08/09

水玉カフェの間違った女子力


道後温泉で行われていたオンセナート、有料の展示物もあるので全部は回らなかったけれど、ここは絶対に見たいと思っていた、「水玉カフェ」。

もちろん! 草間彌生さんの作品でございます。

「宝荘ホテル」ていう、ごくまともな温泉ホテルの1階ロビーが突然こんなことになってるんです。



ここのロビーで普通に地元のおじさんが背広を着て商談とかしてたりするのが、またいとおかし。


草間彌生さんは格別に大ファンというわけじゃなく、正直、理解できない部分もあって、本当に好きなのかどうかよくわからない。

きちんと展覧会などで向き合ったことがないので、「あー知ってる」くらいの適当な理解です。
草間さんのドローイングはとても好きだけど、巨大カボチャとかはちょっと良くわからない。その世界に入っていけない時もある。

でも、存在してくれているだけで頼もしいアーティストの1人。近くに作品があればとりあえず見に行かずにいられない。

ごく浅い理解からの印象なんですけど、

「間違った女子力の持ち主、良い意味で」

という気がします。


水玉カフェのロビーの水玉自販機で水玉パンツが売ってました(ワコールの提供)。しばらく逡巡しましたが、買いませんでした。

でもホテルの売店で売ってた水玉クリアファイルは、即買い。

この可愛さをわかってくれそうなNちゃんにもオミヤゲに。



「世の中には「かわいい」か「かわいくない」の2つしかないんです」という、ギャル雑誌『小悪魔アゲハ』の中條編集長がインタビューで語った言葉が大好きです。
「かわいい」って、奥が深いですね。

先日のゆるキャラの話にもつながりますが、「くまモン」は日本の大多数の人に「かわいい」と思われているけれど、「せんとくん」を「かわいい」と思う人は(たぶん比較的)少ない。草間彌生さんの水玉イヌをかわいいと思う人は、数的にはその真ん中くらいかも、という気がします。

人工知能がもう少し発達したら、この「かわいい」を数値化できるようになるんでしょうか。

ところで、この中條編集長のインタビュー(2009年のもの)は、しばらく前に読んで、ものすごく感銘を受けました。愛のある、素晴らしいプロフェッショナル。

『小悪魔アゲハ』は、もちろん、まるで私に関係のない雑誌なので買ったことどころか実物を見たことすらありませんでしたが、このインタビューを読んで立ち直れないほど感動しました。


雑誌が好きな人には、おすすめの記事です。


「かわいい」と正しい「女子力」とは、実は正反対に働く場合も多いようです。
なぜならいわゆる「女子力」が他の人に向かって働いているのに対して、「かわいい」は自分に、またはもっと抽象的などこか高いところに向いてるから。

『アゲハ』の読者の女の子たちが共有してる美学っていうのは、きっとモテるとか男の人に好かれるとかそういう価値ではないところで完結してる。キャバクラで指名が増えるとかモテるとかっていうのは、結果であって目的じゃない。

草間さんの作品のかわいいパワーにも、それに似た、女子力としては完全に間違ったかわいさを感じます。




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2014/08/08

青空


シアトルは青空続きです。今日は、26度C。ど快晴。

外のお天気が良いと、たとえ仕事で家から一歩も外に出られなくても、なんとはなしに心があかるい。

写真は、シアトルではなくて東京の多摩川べり。滞在していた弟の家から最寄り駅まで15分の気持ちの良い散歩道。
東京の空はやっぱりトーンが柔らかですね。水彩色。

ハワイに住んでいたとき、2年ぶりくらいに東京に帰ったら、夜空の色が水墨画のようなグレーだったのにびっくりした。いつもカキカキっとしたくっきりカラーのハワイの空を見慣れていた後では、東京の水蒸気の多い空はニュアンスに満ちてました。悪く言えばくすんでる色。 良く言えば風情のある色。

シアトルも空気が澄んでいるので、雨は多いけれど晴れた日の空の色はくっきりクリアです。


ところでハワイにはハリケーン崩れの大型熱帯低気圧が2つも接近してて、友人たちがスーパーの空っぽになった缶詰の棚とか、レジの前の長い列の写真をFBにアップしてました。

大きな被害がないことを祈ります。

わたしがハワイにいた間は一度も大被害になるようなハリケーンは来ませんでした。
1992年に大災害となった「イニキ」のあと、大きいのは来てないんですね。

ハワイに引っ越した当時は数年前のイニキの被害がまだ記憶に新しいときで、いろんな人からイニキ話を聞きました。

被害が一番ひどかったのはカウアイ島ですが、オアフ島の西側もかなりすごかったようです。
当時ゴルフ場で働いていた人は、家に帰れなくなって皆でクラブハウスに避難したけれど、風でガラスが割れて天井が飛ぶかと思ったと言ってました。 




今週はちょっときつかった。色々と予想外の事態が続いて年甲斐もなく徹夜仕事をするはめに…。

週末はまるで台風一過のようにぽっかりと空いて、日を浴びることができそうです。



青空と聞くと、自動的に脳裏に浮かぶ人たち ↓ 。



よく動くなあ。たぶんヒロトの30分間でわたしの1年分くらいの運動量な気がする。



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こちらもよろしく。最近は「はみ肉」についてなど書いています→ PONDZU WORDS BOOK  (1 of 1)

2014/08/04

この石段がすごい 


伊予の国、愛媛県道後温泉の八幡神社、伊佐爾波神社。またの名を湯月八幡宮。

この社殿は、重要文化財だそうです。


なにしろ聖徳太子もお湯に浸かりに来たという伝説もある、由緒ある土地柄。
実際に都のほうからやんごとなき方々が来られることも多かったのでしょう。

なにしろ神社由来には、「神功皇后・仲哀天皇御来湯の際の行宮跡に建てられたといわれる」とあり、神功皇后って誰よ?とぐぐってみると、なんと『日本書紀』や『古事記』にも出てる方。
実在したかどうか定かでないけれど、西暦3世紀ころの話だそうです。

古すぎる~~~。

いずれにしても既に平安時代にはもう「古い神社一覧表」みたいなリストに載っていたそうです。

いろいろな時代に土地の人の信仰を集めた神社。

江戸時代には藩主が城を守る守り神のひとつとして信仰したとのこと。



この神社は何が素敵ってこの石段。



石段上から道後温泉の町を見下ろす。真っ直ぐ下りていくと道後温泉の駅がある中心街に行き当たる。 


だんだんと近づいてくる社殿がドラマチック。


「日本の石段 ベスト10」があったら、かなりいい線にランキングするんじゃないか、と勝手に推薦。


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坊っちゃんと「千と千尋」のお風呂屋さん 道後温泉本館



道後温泉に来たら、まずはこの「道後温泉本館」に行かねばなりません。

私とM嬢も、なにはともあれまずこちらで昼ブロ。


今年で改築後120周年を迎えるという、お湯やさん。
『千と千尋の神隠し』の「油屋」のモデルの1つでもあるようです。

この立派な天守閣のような建物は、明治時代に道後の町の初代の町長さんの発案で、城大工の棟梁を使って改築したものだそうです。
ほんとにお城の大工さんが造ったのだから、重厚なわけです。




改築された本館の改装は、明治27年、1894年に完成。

その翌年、松山中学に夏目漱石が赴任して来て、出来たてホヤホヤのこの建物でお湯に浸かったんですねー。

松山での1年あまり、面白い事はあまりなかったようですが、「温泉だけは立派なものだ」と『坊っちゃん』でも書いてます。

『坊っちゃん』に出てくる湯として超有名。わたしも行ってみるまでそれしか知りませんでした。
松山にとってはまたとないパブリシティでしたね。



当然、本館3階の一番良い角に「坊っちゃんの間」があります。


漱石先生が、床の間に。

掛け軸の「則天去私」。わりに、なのか、やはり、なのか、線の細い字ですねえ。
しかしこの床の間の像は、この右上の写真で見慣れた先生に、まったく似ていない。


このお湯やさんのシステムは、3段階にわかれてます。

浴場は男湯女湯とも、地下と2階に二つ。「神の湯」に「霊(たま)の湯」。

「神の湯」だけざぶっと入る、純粋に銭湯的な利用方法は410円なり。

「神の湯」 に入って2階の大広間で入浴後くつろぐコースは浴衣の貸出しとお茶、おせんべいつきで840円。

「霊の湯」に入って別のお座敷で 入浴後くつろぐコースは浴衣貸出し、お茶、おせんべいつきで1,250円。
「霊の湯」に入って3階個室でくつろぐコースは浴衣貸出し、お茶、「坊っちゃん団子」にみかん石けんもついて1550円。

利用時間はどれも1時間で、3階個室だと20分だけ長い。

 「霊の湯」コースだと、皇室の方の特別湯殿の見学もおまけについてきます。

微妙な値段設定に、しばし悩む。



めったに来ないことだし、とりあえず3階個室に行ってみました。

時間制限がなかったらここで爆睡してしまいそう。くつろぐー。

お茶を飲んでから「神の湯」にも入りに行きます。


皇室専用の湯殿には表からの専用入り口もあり、控えの間、階段式になっている浴槽、皇室お手洗いも見学できました。お座敷の世話をしてくれるお姉さんがガイドしてくれます。
 (基本的に館内はお座敷を除き写真撮影不可)。

専用湯船には戦後に一度昭和天皇も入られたそうですが、建築後2回ほどしか出番がなく、現在ではもう使われてないそうです。



屋根の上にのってるドングリみたいなものは、「湯玉」。

「沸騰時に湧き上る湯の泡、または玉のように飛び散る熱湯」をあらわしてるのだそうで、この本館では屋根の上だけでなく欄間にも彫られていたし、浴衣やタオルやせっけんの図柄にも。道後温泉のシンボルになっていて、町中のあちこちでこの湯玉ちゃんを見ました。
 

ONSENARTのアート作品の1つ、「霧の彫刻」。1日の決まった時間にぶわーっと霧が出てきて、世界が白くなるという作品。


道後温泉はこじんまりしていて中心街を徒歩で歩いて巡れる規模で展示も見て回りやすいし、 それに、もともと町がこういうアート向きの素質をもってる気もします。

なんにせよ、ごく自然に町の日常にアートが溶け込んで、境目のない感じが素晴らしかった。



夜の本館。妖しく光る赤いガラス窓もアート作品かと思ったら、これは最初から建物についてるんだそうです。
屋根の上の鳥は、ここの温泉で足を癒やしたという伝説のある白鷺。


私とM嬢は翌朝も、地元のおばちゃんたちにまじって「神の湯」に入りにいきました。





毎朝こんなお湯に入れたら、長生きできそうです。


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2014/08/03

伊予松山、道後温泉、ホトトギス


いまさら日本帰国の記。
6月末、伊予の国、松山に行って参りました。

今回は日程も詰まっているし、遠出は出来ないなと思っていたのですが、日本に行ってからとんとんとんと話が決まり、大阪の美女M嬢と2人で、松山在住の美女、マダムNを訪ねることが決定。

この美女2名は、ハワイ大学で通訳の夏期集中講座を受けときの同期生です。ええ、もちろん、仕事ですとも!業務!打ち合わせ!たまたま温泉がそこにあっただけですよ!

M嬢と東京駅前から出る夜行バスで松山へ。世界をマタにかけて飛び回っている大阪女のM嬢、行動力が半端でない。今回も温泉に浸かったあとは、四国某所で商談に飛んで行きました。

夜行バス、なかなか良かったです!新幹線の半額以下だし、飛行機のエコノミー席よりずっと広くてラクラク。
3列になっていて隣の座席の間に通路があるタイプだったので、知らないおじさんと隣同士ということもなく、くつろげました。


夏目漱石と『坂の上の雲』の大ファンなので、かなり前から一度は必ず行きたいと思っていた松山・道後温泉。こんなにひょこっと叶うとは。

2泊3日の急ぎ足でしたが、とても収穫の多い旅でした。本当に行ってよかった。

道後温泉、素敵すぎる! 松山って規模は小さいけれど秀才を輩出している、文化都市です。

ぜんぜん、「田舎」って感じがしなくて、街の人がみんな温和で洗練されている印象でした。




2014年中は道後温泉内のあちこちで、世界中の一流アーティストが参加してる「ONSENART(温泉アート)」が開催中です。

それもあってか、なんだか温泉街なのにやたらに洗練されていて、無理なくオシャレ。


松山駅から道後温泉までは、この素敵な路面電車で(「坊っちゃん列車」は見かけなかった)20分くらいですが、今回はマダムNが車で案内してくださったので、乗る機会はなし。



道後温泉駅前の、「坊っちゃんカラクリ時計」(画面の左はし)。なんだかディズニーランドの「イッツ・ア・スモール・ワールド」を思い出しますが。


とりあえず、まず温泉に浸かってから、午後は温泉街の外れにある子規記念博物館へ連れていっていただきました。

建物の表には、子規の俳句改革運動の中心となった雑誌『ホトトギス』の表紙デザインが使われています。今見ても古臭さのまったく感じられない、ものすごくオシャレなデザインです。


『坂の上の雲』でも、秋山兄弟と共に第3の松山出身のヒーローとして描かれている正岡子規。

壮絶な闘病後、 三十四歳の若さで亡くなる直前まで、現役で文学の第一線で戦い続けた人。

カリエスで体の自由が効かなくなり、背中にいくつも穴が開いて毎日激痛に苦しむという想像を絶する境涯に暮らしながらも、決して文章にその悲痛は写さず、のどかな心境さえ感じさせる俳句や文章を書き続けた子規の、亡くなる前日に色紙に書いたという直筆の3つの遺作が飾られていました。

をとゝひの糸瓜の水も取らざりき
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
糸瓜咲て 痰のつまりし仏かな

松山に行くということが決まってから急いで子規の歌集と『歌詠みに与ふる書』を買って読んだのですが(;´Д`A ```)、明治歌壇を敵にまわして斬っては捨て斬っては捨て続ける、その毒舌の激しさと鋭さとユーモア、そしてあくまで真摯な姿勢に圧倒されました。
否定のための否定ではなく、理想があっての攻撃。
 
 司馬遼太郎は『坂の上の雲』で、秋山真之の言葉として、
「子規のこの闘志は、そのあたりの軍人などが足元にもよりつけるものではないことだけはわかった。軍人流にたとえれば、子規の戦いの主題と論理はつねに明晰である。さらに戦闘にあたっては、一語一語のつよさがあたかも百発百中の砲門からうちだされる砲弾のようである」
とたとえています。

漱石や虚子、碧梧桐など、多くの友人や弟子に囲まれていた子規。亡くなるまで、病床の周りに人が集まり続けた。

学業では落第ばかりで、子どもっぽい食い意地が張った仕切りたがり屋だったようですが、にくめない人だったんでしょう。激しいエネルギーと文学への野心と闘志を持つだけでなく、清々しい透明感のある人だったに違いないと思います。

大義のために生きるという、 この時代の日本のエリート青年が持っていた光り輝くような透明感。『坂の上の雲』の登場人物たちに共通している、現代からすると目がくらみそうな衒いのなさ。(それが『坂の上の雲』の大きな魅力でもあるわけですが)


私は漱石の俳句も小説も大好きなのですが、子規の影響で俳句を始め、子規の死後、小説を書き始めて後に文豪と言われるようになった漱石の文学に子規の存在がどれほど大きく影響していたのか、恥ずかしながらこの松山に来るまで実感できずにいました。

単に「若いときの友達」というだけじゃなくて、死生観や文学に対する姿勢にも、子規の影響があったはず。実は物凄い教養と洞察に裏打ちされていながら、とぼけていて、温かく、すこんとした明るさのある作品群は、子規との交友がなかったら生まれなかったかもしれないんですよね。

後に漱石は、自分たちは幕末の志士のように生命を張って文学をやっているのだ、ということを言ってますが、その言葉の後ろには、壮絶な戦いを終え、飄々と糸瓜の句を残して亡くなった子規の姿があったのではないかと、この子規の絶筆の色紙を見たあとで思うようになりました。




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2014/07/31

マダムな西国分寺と、ゆるキャラの謎



東京滞在中、マダムRさんに連れていった頂いた中央線マダムの牙城、西国分寺のフランス料理店「ボン・マリアージュ」。 ランチのコースが1600円からとたいへんお買い得なので、いつもマダムでいっぱいだそうです。

ほんとにお客さんは初老の男性1人を除き、全員マダムでしたー。おじさん、居心地悪そうでした。

季節の新鮮な野菜がたくさん使われていて、たいへんおいしゅうございました。



マダムランチの次はマダムなティータイム。西国分寺駅近くの「クルミド・珈琲



ここは胡桃の籠がテーブルに置かれていて、食べ放題!


珈琲もおいしゅうございました。 左のほうにあるマッシュルーム型のものが、くるみ割りです。
胡桃をここに入れてワシワシと割っていくのが楽しくて癖になります。




珈琲はこんな器具でゆっくりと淹れられています。



くるみ割り柄のマトリューシカは、西原理恵子の作品に出てきそうな顔。…サイバラ作?

西国分寺駅の構内には野菜売り場があって、地元の野菜がとても新鮮で品揃えが面白かった。

のんびりしてて緑が多くて住みやすそうな町、でありますが、最後に衝撃的なものを目にしました。



駅へ向かう途中のビルをふと見ると、そこにいたのは、「にしこくん」…。

ここ数年のあいだに、いわゆる「ゆるキャラ」が日本全国に蔓延していることは耳にはさんでいましたが、いざ、いきなり前触れなしにこんな日常の場で目に入ってくると、衝撃が。
後ろから膝かっくんされたように力が抜ける。攻撃力高いです。

この「にしこくん」、結構な有名キャラらしく、2011年の「ゆるキャラグランプリ」では、くまモンとバリーさんに続き堂々の3位だったらしい。

…ふーん…そうなんだ…。

ツイッターの公式アカウントには「武蔵の国・国分寺跡から発掘された“あぶみ瓦”がモチーフの丸いグレーの顔からにょきっと出た足がチャームポイントの妖精だブーン( *`ω´) よろしくブーン!」とありました。

……そうなんだ……。

「ゆるキャラグランプリ」のページを見ていると、頭がぐらっとしてくる。
 
なぜ、日本の人はここまでゆるキャラを求めるのでしょうか? 

1)なぜ、キャラが必要?
2)なぜ、ゆるくなる?

これは大変に面白い研究課題かと思います。

この研究をすすめていくと、ムーミンが日本で人気な秘密もついでに解き明かされそうですが、今日は遅いのでもう寝ます。



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