オアフ島で、ラウラウちゃんと行った短いハイキング!
カニアカププという場所です。カニアカププ。Google日本語変換に覚えさせるのにちょっと苦労した。
ここは何かというと、カメハメハ3世が建てた、夏の別荘跡です。
ヌウアヌの森のなかにあります。
毎日通勤で少なくとも1000回くらい往復したパリ・ハイウェイのすぐ近くにあるトレイルだけど、存在も知りませんでした。今回のオアフ島で、ほんとにわたしは12年住んでいたのだろうかと思うくらいいろんなニューな場所をマダムMやラウラウちゃんに教えてもらった。
おせんべちゃんも同行!
「この子は山になると張り切るのよー」
とラウラウちゃんがいうとおり、もう車を降りたとたんに
「ここはオレにまかせとけ( ・ิω・ิ) という勢いで先頭に立って行かれました。
トレイルの入り口は、ヌウアヌ・パリの旧道沿い。
この道は外灯が一本もない狭い道です。
むかし、一度、並行して走ってるパリ・ハイウェイがどうかして閉鎖されてて、夜も更けてからこの旧道を通って帰らねばならず、かなり怖かったです。
当時小学6年くらいだったうちの息子はまじでビビってた。
足元は雨のあと(ヌウアヌは毎日一度は雨が降る)でぐちゃぐちゃになっているというので、わりと新しいスニーカーを履いていくつもりだったんだけど、ラウラウちゃんのすすめで「スリッパ」(ビーチサンダル)を借りてペタペタと行きました。
おかげで、足のうらは赤土で真っ赤になったけど、靴は汚さずにすみました。
さすがだわ、ラウラウちゃんはもう筋金入りのカマアイナである。
私にはハイキングでスリッパという発想はなかった。
麦わら帽子も大変ステキ。これを私がかぶったら農作業のおばさんである。
あと、ラベンダーオイルで作った自家製の虫除けスプレーも借りた。これはまじでよく効きました!
こんな入りぐちがたくさんあってよくわからない。もう何もかもおまかせで、おせんべちゃんとラウラウちゃんのあとに続く。 頼もしい。ありがとうございます。
なにかの主のような巨大なバニヤンツリー。
ヌウアヌは竹やぶでも有名です。笹竹ではなくてかなり立派な竹がみっしり生えている。
息子はこの近くのヌウアヌ小学校のボーイスカウトに入ってて、そこの団では毎年、年末にここの竹やぶで竹を切出して、「かどまつ」を作って売って活動資金にしてました。
朝早くからお父さんやスカウトマスターたちがチェーンソーをもって大きい子たちを連れて竹やぶに伐採に行き、小さい子とお母さんたちは切った竹と松の枝を組み合わせて門松を作るという、一日がかりの作業で、けっこう大変だった。松のヤニが手につくと取れないのよね。
門松は30ドルとかそんな値段で、けっこうバカスカでもないけどよく売れてた。
竹やぶを抜け、巨大バニヤンツリーのところで左手に入って木の根をくぐり、ヤブを抜けていくと、綺麗な滝に出る。
やや躊躇しながら流れを飛び越える勇敢なおせんべちゃん。
その先はもうちょっと大きな滝のてっぺんになってます。
この滝は20メートルくらいの崖になってて、滝を上からのぞいてみようとしたら、おせんべちゃんがものすごく吠えて引き止められました。
「お前は何を考えとるじゃ!」みたいな勢いでした。
おいしそうなキクラゲが!
凛々しいおせんべちゃんでした。
これだけでもなかなか素敵なハイキング、といってもここまではトレイル入り口から10分も歩いていない。
すれ違ったハイカーは2組だけ。
雨が降ったり止んだり。妖艶なジンジャーがあちらこちらに。
ほんとにこんな道で、倒木を乗り越えたりくぐったりで、短いトレイルだけどアドベンチャー気分満載でした。
カニアカププの廃墟へは、さっきのバニヤンツリーのところまで戻って、その先へ数分。
ここはヘイアウ(神殿、聖地)ではないのだけど、やはりネイティブハワイアンの歴史的な場所だけに、お供え物がおいてあったりする。
私たちも、ラウラウちゃんちのお家の庭からティーリーフをもって行きました。
この碑にはカニアカププの由来が書かれてます。
1845年に完成した、カメハメハ3世の夏の離宮で、外国からの賓客や、酋長たち、普通の人たちをもてなす場所であったこと。
そして、1847年の「Hawaiian Restoration Day」には、お祝いのルアウが開かれ、1万人の人が集ったこと。
この狭い敷地に1万人??というのも驚いたけど、それより
Hawaiian Restoration Dayってなんなのだろう、とぐぐってみた。
全然知りませんでした。
英国海軍のポーレット提督という人が、この年、5か月にわたって勝手にビクトリア女王の名前のもと、ハワイを占領していたんだそうだ。
5カ月後に本国からやっと別の提督がやってきて、ハワイと英国の「対等な立場」を確認して占領をとき、その日、7月31日が「主権回復の日」として祝日となって、その盛大なルアウがひらかれたんだそうです。
で、そのとき英国から来た提督がリチャード・トーマスという人で、この人の名前と、主権回復を記念してハワイ最初の公園「トーマス・スクエア」ができたんだそうだ。へー!
そのポーレットという提督はその後どうなったかというと、その時の艦長の職は解かれたようだけど、別の船をあてがわれて、クリミア戦争に行ったりしてる。
当時の大英帝国にしてみれば、ちょっとしたフライング、くらいなものだったんでしょうね。
英国領になるのはまぬがれたものの、そのちょうど半世紀後、1898年にはハワイ王国はアメリカの領土にされてしまうのでした。
ネイティブハワイアンの中には、今でもハワイの主権を回復すべきだと考えている人たちがあり、彼らにとってこの「主権回復の日」はとても重要な祝日なのだそうです。
ここに1万人を集めたルアウってどんなだったんだろうか。
今回のハワイでは、イオラニ宮殿でのツアーに始まって、歴史をあらためて深く実感できました。
この廃墟にラクガキをしたりする心ない人がいると、少し前にニュースになっていたそうです。馬鹿者はどこの国にもいるものだ。
バカな人のユニバーサルな特徴は、ほかの人への想像力がはたらかないことですね。
んーわたしもあまり人のことは言えないな。
わたしはけっこう強力な晴れ女として友人に知られてるんだけど、この日は、この廃墟についた途端に大粒の雨がざーっと降ってきて、全然止む気配がなく、ずぶ濡れになってしまいました。
なにかとても大切なものを託されたような。心にのこる場所でした。