フィニーリッジの住宅街で見かけた、古いベッドを利用した花壇。英語で苗床や花壇のことをbedといいますが、これが本当の「フラワーベッド」……😀😀😀(ついにブロガーでもEMOJIが使えるようになっていたのでためしに使ってみました)
先日、Apple TV+のドキュメンタリー『THE YEAR EARTH CHANGED』を観ました。
コロナ禍のために世界中で人間の活動が止まった年に、自然環境に起きたことの記録。
インドの町では30年間スモッグで隠されていた200キロ先のヒマラヤ山脈が突然見えるようになり、アラスカでは海が静かになったのでクジラが安心して子育てできるようになり、フロリダでは人のいなくなった砂浜でウミガメのお母さんがゆったり産卵できるようになり、奈良では鹿が鹿せんべいをもらえなくなって、かわりにヘルシーな食事をするようになり…。
15年くらい前に、『The World Without Us』という、人間が急にいなくなった世界はどうなるか、を描いたノンフィクション本が ありましたが、まさかヒトがいない世界を本当に目撃する日がくるとは。
人間の経済活動が止まり、人の姿がなくなった世界のあまりの清浄さに衝撃を受けました。
急激な「浄化」ともいえる作用をなんとも胸が痛くなるような美しい映像で見せられて、涙が止まらず。
サバンナで、チーターの狩りを見に来る観光客たちの車の騒音で、チーターのお母さんが子どもを呼ぶ小声が聞こえづらくなっていた、というのが哀しい。見物の観光客が減ってノイズがなくなったぶん、子どもたちがすばやくお母さんの声をききつけられるようになり、子どもの生存率が上がっているそうです。
(チーターのお母さんはシングルマザーなので、子どもを安全な場所に残してひとりで狩りをするのですが、獲物を捕まえたあと大声で呼ぶと、幼い子どもが天敵の注意を惹いてしまうため、小さな声で呼ぶのだそうです。そして、チーターが獲物をつかまえる狩りは、観光客にとってもっとも見たいショウのひとつ。)
野生動物を野生の環境で見たいという欲が、動物の迷惑になっているんですね。
人類の経済活動って結局あくなき欲望の追求なのだということが、あらためて、単純に衝撃的に、ずしんと響きました。
経済活動をちょっと差し控える、たとえばカメのために一定期間ビーチを立ち入り禁止にしたりするだけでも、かなり大変な反対に遭うことだろうし、動物のためだけでなく環境のためになにかをやめる、開発や便利さをあきらめる、なにかを手放す、ということは極端にむずかしい。
コロナが落ち着いたらすっかり元通り、になるのか、前より悪くなるのか、よくなるのか、何かが変わるのか。
50年くらいあとになって、あのときに人類が気づいて経済活動をスローダウンさせられていたらよかったのにね……なんてことになりませんように。
いまの時代はいろいろな意味でターニングポイントなのかもしれないですね。
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