2019/06/08
シアトルからバスでバンクーバー
今回の日本行きは、シアトルからでなくバンクーバー〜羽田の往復を買いました。
理由は単に安かったから。この時期シアトル〜成田便もシアトル〜羽田便もとても高くて、バンクーバー経由だと往復で500ドル以上安かったので。しかもシアトル発着ではいつも一番高くて手が出ないANA便が800ドル以下という激安価格!でした。久しぶりの羽田も、久しぶりの日系エアラインも嬉しい。
とことんエコノミーなわたくしたち、シアトル〜バンクーバーは陸路で。
行きはバス。ちょっと早めにチケットを取ったので、運賃は息子と二人分で38ドル(片道)。ひとり20ドル以下です。
出発日は、バスを待つ間に雨になりました。
車窓からデンワカメラで適当に撮った写真が、加工なしでコローの絵みたいな効果に撮れた(言い過ぎ?)。
どんよりしっとりした太平洋北西岸地方の雨の日の森です。
しかしですね、バスの旅片道3時間半はけっこうタフでした。
5年くらい前にポートランドに行ったときにもBOLT BUSを使いました。
その時はまだシアトルにBOLTのブランドが新しく導入されたばかりで、バスも新しくてピカピカ感があったのだけど、今回乗ったのはシートもかなりくたびれてたし、座席のコンセントも使えないのがけっこう多かった。
さらに6時50分乗車のはずのバスがウェブサイトでは6時半乗車になっていて、万一乗り遅れたら洒落にならないので、6時半よりも前に着くように自宅をUberで6時発にしたら、当然だれもおりませんでした。
しかし、乗客が集まりだして、定刻を過ぎた7時になってもバスは来ず。待っていた人たちもソワソワしだし、どうなってるの?とアプリを見るも、連絡手段はなし。
7時20分になってやっと「急な事情のため30分以上遅れます」というEメールが来た。
結局ようやくバスが来たのは7時50分。運転手が急に具合が悪くなり、代わりの運転手を派遣するのに時間がかかったそうです。それにしても連絡手段がなさすぎる。
幸い私たちは空港へ乗り継ぎの時間がかなりあったので、間に合わないかもというストレスはなかったのですが、バスを待つ間に雨が降り出し、バス停(宇和島屋の駐車場の前)には屋根ひとつなし。
なんだよなんだよ初日から罰ゲームか?と笑っちゃうほどの情けなさでございました。
バスで国境越えは初めて。これが↑国境のゲートです。
乗用車で入国するときはドライブスルー式のゲートでパスポートを見せればいいのだけど、バス入国の場合はバス専用の入国審査場があって、なんといったん荷物を全部持ってバスを降り、この審査を受けてからまたバスに乗り込まなければならないのでした。
パスポートを持ってなかったのか、乗客の中で一人、審査場からバスに戻って来なかった人がいた。
薬かなんかやってるっぽい感じの、ちょっとヤバい感じの若い男の子でしたが。
息子と二人だったからいいけど、一人でバスの国境越えはぜったいに嫌だと思い、帰りはアムトラックにしました。
到着はアムトラックと同じターミナル。の裏手。
ここから空港までは車で30分くらいあります。
カナダにはUberもLiftもないのでタクシーを利用。
似たようなサービスはあるらしいけれど。でも空港まで米ドルで30ドル以下だった。ドル高のおかげもあって、シアトルと比べるとだいぶ安く感じます。
ターミナルの前にあったきれいな小公園。ジャカランダの花が満開でした。
この端正な小公園には巨大なカナダガンがウロウロしてました。怖いよ!
2019/06/02
プリンは飲み物でしょうか。
日本に来ています。
スタバが昭和レトロな喫茶店ふうの『スタアバックス』 になっていた。
プリンアラモードフラッペチーノだと〜?
息子にバカにされつつ、頼んでしまうでしょ。620円。
アメリカのスタバだと飲みものも食べものも何カロリーだとか栄養素が何%だとか書いてあるんだけど、日本のはサイトを探しても見つからない。
「900カロリーくらいじゃないの?」と息子。
外部サイトにありました。501カロリーだって。うふふ。
プリンが詰まっているわけではなくてほんのりプリン・ア・ラ・モード風味のドリンクなのだった。
昭和レトロなこのロゴは、期間限定なんですって。
このまま永続してもいいのにね。
糖質カットしようとか思いつつ、日本に来たらとても無理やー。
駅の中にも、スーパーにもコンビニにもショッピングモールにも、スイーツがてんこもり。
ヘンゼルとグレーテルの魔女の家か。
2週間で4キロふとりました。
こちらは、下北沢の定食屋さんのアジフライ。
到着翌日、息子は古着屋ショッピングへ。わたくしは美容院へ毛染めに。
そしてアジフライ。うめえぇぇぇ。
そして安い!ランチ1000円以下でこのクオリティ。
このまま居続けたら1週間に2キロの勢いで太り続けるかもしれません。
2019/05/23
シアトル市内のおうちの値段、2019年夏
マロニエの咲く5月です。
この間、うちの郵便ポストにはいってた不動産屋の広告。
うちの近くの可愛いおうちも、ミリオン・ダラー・ハウスに近づきつつあるー。
シアトル市内で果敢にハウスハンティング中の友人によると、やっぱり、いいなと思うおうちは、キャッシュでオーバービッドされてしまうケースがほとんどだそうです。
現金で何万ドルも上積みする層って、チャイニーズ?と思ったらそうでもなくって、やっぱりIT長者たちが多いらしいです。ベイエリアから流れこんでくるらしい。
かとおもうと、散歩道のおうちがいつのまにか近所の変人画家、ヘンリー画伯の絵で覆われていました。ビバ・シアトル。Keep Seattle Weird。うえーい。
うちのリビングの窓から見える景色でございます。すぐ目の前は隣んち。
最近、ブルージェイやスターリングやカラスまでがなぜかこの巣に興味しんしんで、毎日覗きに来る。雀たちは騒ぐだけで反撃しないのですね。受難の家族である。
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2019/05/21
LUCCA
イタリア日記、最後です。最終日、フィレンツェからルッカという近郊の街に寄りました。
フィレンツェから車で1時間ちょっと。
街のまわりがぐるりと城壁に囲まれてます。
街の入り口はこんな。街の中は住人の車以外乗り入れ禁止。
日曜の午後だったので観光客がいっぱいで、パーキングを探すのにけっこう苦労しました。町はずれに大きな駐車場がありました。
窓の下半分だけ開くようになっている面白い鎧戸。
街の反対側の城壁入り口。この壁はルネサンス期にできたものだそうです。
昔はここに槍を持った番人が立ってて、夜は門を閉めてたんでしょうね。
ドラマの『メディチ』でも、シエナだったっけ、教皇から派遣された総督的な立場の聖職者を街の城門の中に入れないようにメディチ兄弟が手を回す場面がありました。
このルッカという街も、ドラマでは大きな都市国家や教皇領に隙あらば襲われ、フィレンツェの属国みたいな立場で小都市として描かれてました。どのくらい史実に忠実なのか、わかりませんが。
いろんな方向に刻み目のある石畳。
壁を街の中はこんなに狭いので、車を入れないわけですよね。
街の番をしてるのはひょうきんなライオン君でした。
3月はじめ、マグノリア(木蓮)が咲いている時期だったのでした。
ヴェネツィアやフィレンツェに比べると少しくたびれて寂しい感じはするものの、やっぱりどこをとっても絵になる。
このオレンジと緑がすごくいいトーン。
日本の建物がオレンジを使うと、おおむねものすごいトーンになっちゃうのはなぜなのでしょう。
広場と教会。アーチがたくさん重なっていて繊細な、女性的な感じのする建物です。
隣の塔の上のほうにも小さなアーチの形がケーキの飾りみたいに繰り返されてるのが可愛い。
ギャラリーなのか、古い建物の個性を生かしつつ、とてもモダンに改装している建物がありました。
駆け足の滞在だったけど、初ヨーロッパは本当に面白かったです。
2019/05/15
フィレンツェごはん <フィレンツェ思い出し日記 その15>
フィレンツェ思い出し日記の最後です。
泊まった宿は、家族経営の小さなホテル、というよりB&Bで、すごく良かった。
Residenza Vespucciという名前です。Hotels.comで見つけました。
アルノ川沿いにあって、ポンテヴェキオまでも、シニョーリア広場までも歩いて10分という超便利なロケーションで、一部屋100ドルそこそこという激安価格。もちろん夏場はもっと高くなると思いますが。
築200年以上という建物の2階フロアの、3部屋だけ?のほんとに小さな宿で、経営者の親子がとても親切でした。到着が夜中になっても嫌な顔ひとつせず対応してくれたし。
荷物が散らかってたので部屋の中の写真は撮らなかったので、Hotels.comの方でどうぞ。
各部屋小さなベランダがついてます。ベランダからの景色。
ベランダからアルノ川も見えます。霧の朝。
こちらは霧が晴れた朝。
同じブロックの、3軒となりくらい(といってもこのあたりの建物はみんな隙間なくつながっているので、何軒目だかはっきりわからない)に、やはり家族経営のカフェ& ジェラテリアがあって、クロワッサンもコーヒーもとても美味しかったです。毎朝通った。
アメリカの「カフェモカ」みたいなのだと思ってチョコレートのコーヒーというのを頼んだら、板チョコ2枚分くらいのチョコレートたっぷり!の中にエスプレッソのショットが入って来るという衝撃的なものが出てきました。
お母さんと20代の娘二人がいつもカウンターの中にいて、すっごく感じが良かったです。
お父さんはローマの近くで歯医者さんか何かをしていて、週末だけ帰ってくるとかw
そのまた数軒先にあるビストロで晩ごはんを食べたのだけど、ここも美味しかった。
これはアーティーチョークとパルメジャーノとボッタルガの「カッペラッチ」。トルテッリと同じなのかな。ボッタルガって何?と聞いたら、魚の塩漬けみたいなものだというので頼んでみました。この、上にパラパラとふりかけてあるのがボッタルガ。
ぐぐってみると、日本のカラスミとほとんど同じものみたい。
昼間は見て歩くのに忙しくて、カフェでコーヒーとパン、くらいしか食べなかったのだけど、コーヒーはさすがにどこ行っても美味しかったです。イタリアのお店のおっちゃん、ノリがいいのですぐにポーズをとってくれます。
こちらは、小腹が空いてはいったシニョーリア広場のカフェで、カウンターに美味しそうなおつまみが用意してあったので、「これはおいくら?」と聞いたら、ハッピーアワーのようなものでカクテルを頼めば食べ放題だよ、という。お酒飲まないんだけど、というと、カンパリソーダみたいなノンアルコールの飲料をだしてくれた。5ユーロくらいでした。
お兄ちゃんとっても親切だった。
3泊しかしてないけど、第4の故郷はフィレンツェだと思ってる。
2019/05/14
聖人の指 <フィレンツェ思い出し日記 その14>
ドゥオーモ美術館でもう一つ、ほぇぇー!とたまげたのが、聖遺物の間でした。
ベネツィアのサンマルコ寺院にも少しあったけれど(聖マルコの遺体が最大の聖遺物というべきでしょうし)、このフィレンツェの聖堂とサン・ジョバンニ洗礼堂には600以上もの聖遺物があったそうで、そのうちのいくつかが展示されています。
このきらびやかな十字架の説明書には「Reliquary of Passion」とあった。
キリストが磔になったその十字架の一部、というわけです。
あまりにもきらびやかに宝石と金箔で飾られているので、いったいどこに遺物があるのかぱっと見ではわかりません。
よく見ると、中心は真珠と黄金でイバラの冠が表現されてます。
聖遺物はここにあった。十字架の両側、黄金の天使の顔に囲まれたこの石。たぶんこれが、ゴルゴダの丘に立てられた十字架の下にあった石というわけなのでしょう。
十字架の細工は、11世紀から18世紀までさまざまな時代のものだと説明されてました。
こちらは「聖アガタのベール」が収められているもの。
聖アガタって知りませんでした。シチリア島で3世紀に殉教した聖女で、両乳房を切断されるという拷問を受けたという(ひー)。
「 そのために彼女は切り落とされた乳房を皿の上に乗せて持つ姿で描かれることが多い。彼女が捧げ持つ乳房の形との関連からアガタは鐘職人やパン屋の守護聖人とされてきたが、近代に入ると乳癌患者の守護聖人ともされた」by ウィキペディア。
パン屋の守護聖人………。
そんな美しい聖女アガタの遺物を収めるいれものは18世紀の細工。
そしてこちらが、「洗礼者ヨハネの指の骨」を収めたもの。
たしかに指の骨らしいものが。
細工は15世紀はじめのもの。アーチがゴシックだ。
聖遺物って、新世界アメリカの教会ではたぶんお目にかかることはないもの。
ローマカトリック教会の分厚い歴史をまざまざと見た感いっぱいになりました。
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