2014/08/04

坊っちゃんと「千と千尋」のお風呂屋さん 道後温泉本館



道後温泉に来たら、まずはこの「道後温泉本館」に行かねばなりません。

私とM嬢も、なにはともあれまずこちらで昼ブロ。


今年で改築後120周年を迎えるという、お湯やさん。
『千と千尋の神隠し』の「油屋」のモデルの1つでもあるようです。

この立派な天守閣のような建物は、明治時代に道後の町の初代の町長さんの発案で、城大工の棟梁を使って改築したものだそうです。
ほんとにお城の大工さんが造ったのだから、重厚なわけです。




改築された本館の改装は、明治27年、1894年に完成。

その翌年、松山中学に夏目漱石が赴任して来て、出来たてホヤホヤのこの建物でお湯に浸かったんですねー。

松山での1年あまり、面白い事はあまりなかったようですが、「温泉だけは立派なものだ」と『坊っちゃん』でも書いてます。

『坊っちゃん』に出てくる湯として超有名。わたしも行ってみるまでそれしか知りませんでした。
松山にとってはまたとないパブリシティでしたね。



当然、本館3階の一番良い角に「坊っちゃんの間」があります。


漱石先生が、床の間に。

掛け軸の「則天去私」。わりに、なのか、やはり、なのか、線の細い字ですねえ。
しかしこの床の間の像は、この右上の写真で見慣れた先生に、まったく似ていない。


このお湯やさんのシステムは、3段階にわかれてます。

浴場は男湯女湯とも、地下と2階に二つ。「神の湯」に「霊(たま)の湯」。

「神の湯」だけざぶっと入る、純粋に銭湯的な利用方法は410円なり。

「神の湯」 に入って2階の大広間で入浴後くつろぐコースは浴衣の貸出しとお茶、おせんべいつきで840円。

「霊の湯」に入って別のお座敷で 入浴後くつろぐコースは浴衣貸出し、お茶、おせんべいつきで1,250円。
「霊の湯」に入って3階個室でくつろぐコースは浴衣貸出し、お茶、「坊っちゃん団子」にみかん石けんもついて1550円。

利用時間はどれも1時間で、3階個室だと20分だけ長い。

 「霊の湯」コースだと、皇室の方の特別湯殿の見学もおまけについてきます。

微妙な値段設定に、しばし悩む。



めったに来ないことだし、とりあえず3階個室に行ってみました。

時間制限がなかったらここで爆睡してしまいそう。くつろぐー。

お茶を飲んでから「神の湯」にも入りに行きます。


皇室専用の湯殿には表からの専用入り口もあり、控えの間、階段式になっている浴槽、皇室お手洗いも見学できました。お座敷の世話をしてくれるお姉さんがガイドしてくれます。
 (基本的に館内はお座敷を除き写真撮影不可)。

専用湯船には戦後に一度昭和天皇も入られたそうですが、建築後2回ほどしか出番がなく、現在ではもう使われてないそうです。



屋根の上にのってるドングリみたいなものは、「湯玉」。

「沸騰時に湧き上る湯の泡、または玉のように飛び散る熱湯」をあらわしてるのだそうで、この本館では屋根の上だけでなく欄間にも彫られていたし、浴衣やタオルやせっけんの図柄にも。道後温泉のシンボルになっていて、町中のあちこちでこの湯玉ちゃんを見ました。
 

ONSENARTのアート作品の1つ、「霧の彫刻」。1日の決まった時間にぶわーっと霧が出てきて、世界が白くなるという作品。


道後温泉はこじんまりしていて中心街を徒歩で歩いて巡れる規模で展示も見て回りやすいし、 それに、もともと町がこういうアート向きの素質をもってる気もします。

なんにせよ、ごく自然に町の日常にアートが溶け込んで、境目のない感じが素晴らしかった。



夜の本館。妖しく光る赤いガラス窓もアート作品かと思ったら、これは最初から建物についてるんだそうです。
屋根の上の鳥は、ここの温泉で足を癒やしたという伝説のある白鷺。


私とM嬢は翌朝も、地元のおばちゃんたちにまじって「神の湯」に入りにいきました。





毎朝こんなお湯に入れたら、長生きできそうです。


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2014/08/03

伊予松山、道後温泉、ホトトギス


いまさら日本帰国の記。
6月末、伊予の国、松山に行って参りました。

今回は日程も詰まっているし、遠出は出来ないなと思っていたのですが、日本に行ってからとんとんとんと話が決まり、大阪の美女M嬢と2人で、松山在住の美女、マダムNを訪ねることが決定。

この美女2名は、ハワイ大学で通訳の夏期集中講座を受けときの同期生です。ええ、もちろん、仕事ですとも!業務!打ち合わせ!たまたま温泉がそこにあっただけですよ!

M嬢と東京駅前から出る夜行バスで松山へ。世界をマタにかけて飛び回っている大阪女のM嬢、行動力が半端でない。今回も温泉に浸かったあとは、四国某所で商談に飛んで行きました。

夜行バス、なかなか良かったです!新幹線の半額以下だし、飛行機のエコノミー席よりずっと広くてラクラク。
3列になっていて隣の座席の間に通路があるタイプだったので、知らないおじさんと隣同士ということもなく、くつろげました。


夏目漱石と『坂の上の雲』の大ファンなので、かなり前から一度は必ず行きたいと思っていた松山・道後温泉。こんなにひょこっと叶うとは。

2泊3日の急ぎ足でしたが、とても収穫の多い旅でした。本当に行ってよかった。

道後温泉、素敵すぎる! 松山って規模は小さいけれど秀才を輩出している、文化都市です。

ぜんぜん、「田舎」って感じがしなくて、街の人がみんな温和で洗練されている印象でした。




2014年中は道後温泉内のあちこちで、世界中の一流アーティストが参加してる「ONSENART(温泉アート)」が開催中です。

それもあってか、なんだか温泉街なのにやたらに洗練されていて、無理なくオシャレ。


松山駅から道後温泉までは、この素敵な路面電車で(「坊っちゃん列車」は見かけなかった)20分くらいですが、今回はマダムNが車で案内してくださったので、乗る機会はなし。



道後温泉駅前の、「坊っちゃんカラクリ時計」(画面の左はし)。なんだかディズニーランドの「イッツ・ア・スモール・ワールド」を思い出しますが。


とりあえず、まず温泉に浸かってから、午後は温泉街の外れにある子規記念博物館へ連れていっていただきました。

建物の表には、子規の俳句改革運動の中心となった雑誌『ホトトギス』の表紙デザインが使われています。今見ても古臭さのまったく感じられない、ものすごくオシャレなデザインです。


『坂の上の雲』でも、秋山兄弟と共に第3の松山出身のヒーローとして描かれている正岡子規。

壮絶な闘病後、 三十四歳の若さで亡くなる直前まで、現役で文学の第一線で戦い続けた人。

カリエスで体の自由が効かなくなり、背中にいくつも穴が開いて毎日激痛に苦しむという想像を絶する境涯に暮らしながらも、決して文章にその悲痛は写さず、のどかな心境さえ感じさせる俳句や文章を書き続けた子規の、亡くなる前日に色紙に書いたという直筆の3つの遺作が飾られていました。

をとゝひの糸瓜の水も取らざりき
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
糸瓜咲て 痰のつまりし仏かな

松山に行くということが決まってから急いで子規の歌集と『歌詠みに与ふる書』を買って読んだのですが(;´Д`A ```)、明治歌壇を敵にまわして斬っては捨て斬っては捨て続ける、その毒舌の激しさと鋭さとユーモア、そしてあくまで真摯な姿勢に圧倒されました。
否定のための否定ではなく、理想があっての攻撃。
 
 司馬遼太郎は『坂の上の雲』で、秋山真之の言葉として、
「子規のこの闘志は、そのあたりの軍人などが足元にもよりつけるものではないことだけはわかった。軍人流にたとえれば、子規の戦いの主題と論理はつねに明晰である。さらに戦闘にあたっては、一語一語のつよさがあたかも百発百中の砲門からうちだされる砲弾のようである」
とたとえています。

漱石や虚子、碧梧桐など、多くの友人や弟子に囲まれていた子規。亡くなるまで、病床の周りに人が集まり続けた。

学業では落第ばかりで、子どもっぽい食い意地が張った仕切りたがり屋だったようですが、にくめない人だったんでしょう。激しいエネルギーと文学への野心と闘志を持つだけでなく、清々しい透明感のある人だったに違いないと思います。

大義のために生きるという、 この時代の日本のエリート青年が持っていた光り輝くような透明感。『坂の上の雲』の登場人物たちに共通している、現代からすると目がくらみそうな衒いのなさ。(それが『坂の上の雲』の大きな魅力でもあるわけですが)


私は漱石の俳句も小説も大好きなのですが、子規の影響で俳句を始め、子規の死後、小説を書き始めて後に文豪と言われるようになった漱石の文学に子規の存在がどれほど大きく影響していたのか、恥ずかしながらこの松山に来るまで実感できずにいました。

単に「若いときの友達」というだけじゃなくて、死生観や文学に対する姿勢にも、子規の影響があったはず。実は物凄い教養と洞察に裏打ちされていながら、とぼけていて、温かく、すこんとした明るさのある作品群は、子規との交友がなかったら生まれなかったかもしれないんですよね。

後に漱石は、自分たちは幕末の志士のように生命を張って文学をやっているのだ、ということを言ってますが、その言葉の後ろには、壮絶な戦いを終え、飄々と糸瓜の句を残して亡くなった子規の姿があったのではないかと、この子規の絶筆の色紙を見たあとで思うようになりました。




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2014/07/31

マダムな西国分寺と、ゆるキャラの謎



東京滞在中、マダムRさんに連れていった頂いた中央線マダムの牙城、西国分寺のフランス料理店「ボン・マリアージュ」。 ランチのコースが1600円からとたいへんお買い得なので、いつもマダムでいっぱいだそうです。

ほんとにお客さんは初老の男性1人を除き、全員マダムでしたー。おじさん、居心地悪そうでした。

季節の新鮮な野菜がたくさん使われていて、たいへんおいしゅうございました。



マダムランチの次はマダムなティータイム。西国分寺駅近くの「クルミド・珈琲



ここは胡桃の籠がテーブルに置かれていて、食べ放題!


珈琲もおいしゅうございました。 左のほうにあるマッシュルーム型のものが、くるみ割りです。
胡桃をここに入れてワシワシと割っていくのが楽しくて癖になります。




珈琲はこんな器具でゆっくりと淹れられています。



くるみ割り柄のマトリューシカは、西原理恵子の作品に出てきそうな顔。…サイバラ作?

西国分寺駅の構内には野菜売り場があって、地元の野菜がとても新鮮で品揃えが面白かった。

のんびりしてて緑が多くて住みやすそうな町、でありますが、最後に衝撃的なものを目にしました。



駅へ向かう途中のビルをふと見ると、そこにいたのは、「にしこくん」…。

ここ数年のあいだに、いわゆる「ゆるキャラ」が日本全国に蔓延していることは耳にはさんでいましたが、いざ、いきなり前触れなしにこんな日常の場で目に入ってくると、衝撃が。
後ろから膝かっくんされたように力が抜ける。攻撃力高いです。

この「にしこくん」、結構な有名キャラらしく、2011年の「ゆるキャラグランプリ」では、くまモンとバリーさんに続き堂々の3位だったらしい。

…ふーん…そうなんだ…。

ツイッターの公式アカウントには「武蔵の国・国分寺跡から発掘された“あぶみ瓦”がモチーフの丸いグレーの顔からにょきっと出た足がチャームポイントの妖精だブーン( *`ω´) よろしくブーン!」とありました。

……そうなんだ……。

「ゆるキャラグランプリ」のページを見ていると、頭がぐらっとしてくる。
 
なぜ、日本の人はここまでゆるキャラを求めるのでしょうか? 

1)なぜ、キャラが必要?
2)なぜ、ゆるくなる?

これは大変に面白い研究課題かと思います。

この研究をすすめていくと、ムーミンが日本で人気な秘密もついでに解き明かされそうですが、今日は遅いのでもう寝ます。



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2014/07/29

ムーミンの増殖


今回の東京で不思議だったことのひとつは、街中ムーミンだらけだったこと。

昔からムーミングッズはあったけど、今回は、あらゆる雑貨屋さんでムーミン谷の人びとが必ずといっていいほど目につきました。



かわいいマダムたちに連れてってもらった「ソラマチ」にも「ムーミンカフェ」なるものがあった。「カフェ」は特にどうということのないファミレスのような内容のようだったけれど、店に入ろうとする人が順番待ちをしていた。

狭い店内の入り口にはもちろんムーミングッズがぎっしり。

フィンランド人もびっくりの大人気。
フィンランドを別にすれば、ムーミンがこれほどの知名度と人気を博している国はほかにないに違いありません。


それにしても今年のこのムーミンの進撃ぶりには驚き。

今年は原作者のトーベ・ヤンソンさんの生誕100周年にあたるってこともあるのかもしれません。
ムーミン展」が全国を巡回中だし。銀座の松屋での東京展は殺人的に混み合っていたらしいです。

どこで見かける商品も、著作権は「Moomin Characters」 となっているのでぐぐってみたら、ヤンソンさんのご子息が管理しているらしい、全世界対象の著作権管理会社で、素敵なまるごとムーミンなウェブサイトがありました。

ここにもあらゆるムーミングッズが揃ってます。うっかり見てると際限なくポチってしまいそうで恐ろしい。

東京では、ユニクロにもムーミンのコラボ商品が並んでいました。


なかでもこのニョロニョロTシャツは…↓↓↓↓↓ 見過ごすことが出来ず、見た瞬間に買い。


☆はいらないんだけどなー、ついでにもうちょっと濃いグレーで長袖もあるともっといいんだけど。

ニョロニョロの英語名はHattifattener(ハッティファッタナー)。原作のスウェーデン語では「ハッティフナット」、だそうです。

「ハッティファッタナー」も英語の文脈ではちょっと可愛らしい響きだけれど、日本語の文章の中に入れると、確かにわさわさしすぎて読みづらい。「ニョロニョロ」はムーミンシリーズの翻訳者、山室静さんの発明で、訳者あとがきに「あまりにも発音しにくいのでなんとなくニョロニョロとしてみた」と書いてありましたが、とても優れた命名だと思います。



可愛いマダムTに頂いた、ちびのミィのグラス。ミィも英語読みだと「My=マイ」になるんですよね。

ムーミン谷中で私の一番お気に入りキャラクターです。

昔、ホノルルにもムーミンショップというのがあって、まだご存命だったヤンソンさんに直接のコンタクトがあったというオーナーが集めたグッズを売ってました。

そこで買った、そのショップ唯一のオリジナル商品、ペルーの銀細工職人に作らせたという「リトル・マイ」のピアスが、いまでもお宝です。







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2014/07/28

東京駅丸の内駅舎の大正モダンとKITTE  


いまさら東京日記のつづきです。

今回はなぜか縁があって、丸の内に3回くらい行きました。





東京駅丸の内駅舎の復元工事が終わってから行ったのは初めて。

ほんとにこうしてみると、壮麗な、帝国的な建物ですねー。
ドームのかたちが雅やか〜。

意匠は優雅だけれども、とにかく横幅が広い!スケールがおおきい。
端から端まで歩くと、軽くひと駅分くらいある。

この、これでもか!的なスケールは、日露戦争後の日本のイケイケ感をあらわしているのではないかとおもうのです。



前回帰国時もお向かいの新丸ビルには行ったんですが、駅舎が眺められるこのデッキは、そのときにはまだなかった。

 八重洲側にも背の高いビルがたくさんできてますねー。



復元された丸の内南口。




きれいですねー。ケーキみたい。

よく見るとまんなかに大日本帝国の紋章、菊が配されています。

鳥の紋章はもちろん、平和の象徴のハト、ではなくて、帝国の力の象徴、ワシ。

でも、このいかついワシがいっぱいいるのにもかかわらず、クリーム色と緑、梁の茶色のとりあわせがとても優雅で、全体の雰囲気はやわらかい。

軽やかで明るい、大正モダンの楽天的な空気を感じます。

東京の、というか日本の、明治から昭和へのあゆみを思わずにいられない建物です。



このお向かいの東京中央郵便局も、あたらしくKITTEというビルに変わってました。

ここは昔、八重洲の小さな広告代理店で仕事をしてた20代はじめの頃に、よくお使いに来て、書類を郵送したり切手を買ったりした懐かしい郵便局。
(ええ、郵便局へのおつかいという業務がある時代だったんですよー。切手貼って出すものがあったんですねー)

なので、この外観がそのままに保存されたのは嬉しいです。よく見ると上に高層ビルが載っているのだけど、4階までの部分はほんと昔のまんまの姿。

黒ブチの窓枠がきりっとしてかっこいいですよねー。

郵便局そのものもほとんど変わってなくて、東京駅グッズが並んでました。

郵便局だから「キッテ」って名前もかわいい。

最近の新しい名所は(「ソラマチ」とか)、日本語をもとにした国籍不明な響きの造語が多いですね。

意味不明のガイコク語の名前をつけるよりは、意味不明な日本語のほうがずっといいと思う。

ガイコク文化に憧れる時代はひとまず終わったのかなー。



キッテの中にあった、もと郵便局長室だったという展望室より、東京駅庁舎を展望。
近くでみると、ますますかわいい建物です!スケールは長大なのに、細部がほんとに繊細。

キッテのなかにはLOFTとか中川政七商店とか、足を踏み入れたらタダでは出られない魔境のようなお店がいっぱいです。おかねがいくらあっても足りません。

中川政七商店では狂ったようにふきんを買いまくってしまいました。なぜこんなに布巾が好きなのか、説明できないほどのかや布巾ラブ。



夜の丸の内付近。明治生命館もすごい建物ですねーー。

この辺は残念ながら中をじっくり見学する機会はなかったので、この次東京に行くときは明治の東京たてものツアーを決行したいです。


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2014/07/25

日本の食べもの:しらすめしと七つ森


東京めし、これもNちゃんに連れていってもらった大森の素敵定食。

大森って東京に住んでいた20数年間、記憶にある限りまるで行ったことのないエリア。降りたことのない駅だった。

でも都心からすぐだし、おいしそうな定食やさんがいっぱいあって、色々雑多で面白そうで、住みやすそうな町。

今回はグループ展中だった素敵ギャラリーにお邪魔して興奮したあとでのしらす御飯。

なによりこの看板がインパクト強烈です。主張がはっきりしている。余計な要素は一切なしで清々しい。



どちらも駿河湾からやってくる釜揚げしらすと桜海老。うまうまーー。
たっぷりの大根おろしも嬉しい。

店のおばさんが、半分くらい食べたころを見計らってだし汁のはいったヤカンをもってきてくれる。
これでお茶漬けにするのがまた、うまーーーー。

このためにまた大森に行っちゃうかもしれない。

今回の東京ではマダムランチのお供や、青山のこじゃれたヨーロッパ料理のお店にも連れてってもらったりしたんだけど、なんだかんだ一番がつんと嬉しいのはやっぱり正しいシンプルな定食だとか、焼き鳥だとか。こういうのに飢えてるんですよねー。



もう1軒、雨の夜に小学校時代の友人M嬢と逢引した新高円寺の「七つ森」。

昭和の時代からの老舗です。遠い昔、たぶん開店まもなくの頃?によく行っていた懐かしい店。

店内も食器もメニューもほとんど変わってなくて、トイレに入ったらそこも変わってなくて(和式)驚いた。


カレーセットについてくるスープのカップが、子ども用よりちっちゃいひと口サイズ!
このカップ懐かしい。キャベツのサラダのドレッシングも昭和な感じのシンプルなほっこり味。


濃い目の珈琲。ここはフクロウのお店。

それからマッチもフクロウ、昭和だから当然灰皿備え付け。ここの店でプカプカタバコをすって偉そうに眉間にしわとか寄せてた10代のワタシを後ろから思い切り親切をこめて蹴り倒してやりたい。


高円寺はなんだか古着屋さんが驚くほどたくさん出来てました。

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2014/07/24

日本のたべもの:焼き鳥!そして蕎麦女子会



ああ、なんだかんだしているうちにあっという間にもう7月も後半。日本から帰ってきて早や3週間。
シアトルはここ数日薄ら寒くて、今日なんかしとしと雨が降って気温は17度。東京を歩いていた時には文句たらたらだったあのもわっとした蒸し暑さが、懐かしいです。

記憶の彼方になってしまいそうな日本のおいしいものたち。


吉祥寺「いせや」の焼き鳥~~!

井の頭公園目の前のお店、一時帰国の際には墓参りと同じく、かならず行かねばならない場所。

畏友Nちゃんと一緒にノンアルコールビールでぷはー(この日はこのあとやりかけの仕事があったのだ)。これプラスさらにもっと食べて、2人で2000円ちょいという、リーズナブルさも感激。

Nちゃんごちそうさまでした!



バス通りの「総本店」が上にマンションをのっける大工事の後でこちらの公園店も全面改装したらしく、店のおもてはなんだかオサレにグレードアップしていたけれど、


中のインテリアはそのまんまでした。
店員さんの愛想のなさもデフォルト。でも焼き鳥うまい!


一番上の写真はバス通りの総本店。上にマンション乗ってると思えない、以前の店とほぼ同じな佇まい。大変よくできてます。




ここから公園に焼き鳥のケムリをばらまいて客をおびき寄せる手口も以前のまま。

母が府中の病院に入院してたときにも、ここの焼き鳥を買って行ったんだった。

寡黙に焼き鳥を焼き続けるお兄さんも素敵。


そして蕎麦!

これは『ヘルプ』を翻訳した女子3名グループ「ヘルプガールズ」の刊行後2年目にして初めての!オフ会という、楽しい昼食会でもありました。

豊洲の「石楽」という本格的なお蕎麦屋さんにて。

鴨南蛮、おいしかった!

でもそれ以上に、もうおひと方の翻訳者さんも加わり、翻訳女子4名で、話が尽きるはずもなく。


 真っ当な女子会らしく、近くのカフェに移動。ほんとに楽しい時間を過ごさせて頂きました。

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