2012/07/26

シアトル酋長


パイオニア・スクエアの胸像

今月から地元シアトルの日本語コミュニティ紙、『Soy Source』にちょこっとした小話を書かせていただいています。
何か面白いこと、自分の興味のあること、と考えて、最近ノースウェストの歴史がとても面白いなあ、と軽〜〜い気持ちで歴史の小話を始めてしまったのですが、冷静になれば、まったく専門家でもないのになんだか偉そうな知ったかブリで、と冷や汗三斗。

シアトルご在住の方、ご笑覧いただければ幸いです。


第一回目は以前にブログでもちょこっと書いたことのあるシアトル酋長について書きました。以下、記事と重なりますが、書ききれなかったことなどの追補です。

トーテムポールはアラスカの部族の作で、酋長とは無関係です。


19世紀のネイティブ・アメリカンの歴史は、読めば読むほど胸が塞がるひどい話ばかりですが、ここノースウェスト沿岸地域ももちろん例外ではありません。

東から幌馬車隊がやってきて、最初の入植者たちと平和につきあっているうちにどんどん白人の数が増えて来て、そのうち町が出来、役人がやって来て政府が出来、軍隊がやって来て、鉄道が敷かれ、役人から居留地への移動をオファーされ、断る選択もなく応じると数年後にはどんどん居留地が縮小され、…今に至る。というのがデフォルトのコース。
ゴールが「貧乏農場」しかない人生ゲームのようなものです。

途中で反乱をおこしたり居留地への移動を拒んだりすれば、すぐに一族郎党掃討されました。ヤキマでも小さな戦争があり、シアトル近辺の入植地も一時、白人がみな町へ避難する緊張状態になったことがあったそうです。



19世紀半ば、ワシントン・テリトリー(まだ州ではなかった)に東部から送り込まれてきた初めての知事(スティーブンズ・パスに名を残すスティーブンス知事)が、ワシントンDCの議会に命じられていたのが、できるだけ早く当地のインディアン達を居留地に送るよう、条約を取り付けろという任務。

知事はあちこちの部族を回って、白人の偉い酋長=大統領と議会、が求めている条約を提示します。居留地に移って土地を明け渡せば、軍隊がほかの部族から守ってやるほか、料理用ストーブや何やかやの日用品を差し上げましょう、医療や教育も提供しましょう。というような約束。
もちろん居留地は多くの場合、農地にも適さないへんぴな場所にある、白人が誰もほしがらない土地でした。
そして20世紀初頭には同化政策で民族の言葉も文化も危機にさらされるのですが、それはまた後の話です。


現在のシアトル周辺の部族の長だったシアトル酋長が、そのスティーブンス知事と対面したときに語ったというスピーチが、後年、有名になります。

ベルタウンのTilikum Placeの酋長像

威風堂々として丈高く、よく通る声で話すカリスマ的存在だったというシアトル酋長は、自分たち部族の時代の終わりを悲しみ、しかし白人にもいつか終わりの日が来るだろう、と予言したというのです。

『インディアンの夜は深い闇となろう。地平の上に明るい星はひとつも輝いてはいない。物悲しい風の声が遠くで嘆いている。赤い人の道の上には、我ら種族の恐 ろしい敵が待つ。どこに向かおうとも、赤い人は破壊者の足音が確かに迫るのを聞き、不運に出遭う覚悟を決めるしかない。手傷を負った鹿が狩人の足音に耳を 澄ませるように。』

『あといくつかの月が巡り、あといくつかの冬が巡る頃には、かつてこの地の強大な主であり、この広大な地を満たした者たち、今ではわずかな 群れとなり、茫漠とした孤独の中を彷徨っている者たちはついに一人もいなくなるだろう。かつてはあなた方と同様に強く希望に満ちていた人びとの墓の前で嘆 く者は、一人もなくなってしまうことだろう。』

 『しかし、嘆くことがあろうか? 我ら部族の命運に不平を言って何になろう。部族は人からなるもので、一人の人間となんら変わることはない。
海の波のように、人は来たり、去っていく。涙が流され、儀式がとり行なわれ、悲歌が歌われ、嘆き惜しむ我らの目の前から永遠に去っていく。白い人でさえも、神と共に歩み、友人のように神と語らう白い人びとでさえも、すべてに共通の命運からは逃れられない。やはり我らは兄弟かもしれぬ。未来が答えを出すだろう』


そして、居留地に移ることになるなら、最初に条件がある、として、死者を敬うこと、死者たちの思い出の場所に自分たちがいつもはばかりなく行けるようにしてもらいたい、なぜならこの土地のすべてが部族の思い出に満ちているのだから、と言ったといいます。

『黒装束の戦士たち、優しい母たち、ほがらかな娘たち、小さな子どもたちがかつてこの地に、喜びに満ちて住まっていた。彼らの名は失われても、彼らは今もこ の地の静寂を愛し、この地に結ばれ、夕闇の濃くなる中に仄暗い魂となって姿を現すだろう。最後の一人となった赤い人が地の表から消え、白い人びとの記憶に 残る赤い人の姿が伝説と化した後も、この岸辺には姿の見えない私の部族の死者たちが満ちるだろう。

『あなた方の子どもたちの子どもたちが、畑の中で、店で、 道路で、あるいは森のしじまの中に一人でいると考えるとき、彼らは決して一人ではない。
この地の上に、人が一人きりでいられる場所はひとつもない。夜、あなた方の町や村の通りが静寂に包まれ、人影ひとつないと思うとき、そこはかつてこの地に満ち、この美しい土地を今も愛し、戻って来る死者たちの群れで覆わ れているだろう。白い人が一人になることは決してない。白い人が私につながる人びとを正しく遇さんことを。死者はいつも無力ではないのだから』

土地への愛情と哀惜に満ちた言葉は心をうちますが、ただし、このスピーチは、その場で聞いていた(と本人が証言する)Henry Smith 博士という地元名士が30年以上もたってからシアトルの新聞に発表したもので、自ら「正確なものではなく、記憶とメモを頼りに書いた」と言っています。

たしかに19世紀のヴィクトリア朝知識人らしい、きらきらしく回りくどい饒舌調で、いったいどれほど酋長の言葉が本当に反映されているのかは不明です。

歴史家の中には全部が作り話だと考える人もあるようですが、Smith氏のほかの著作と比べてこのスピーチの出来は際立っているので、なにかしら印象の種となったものはあったのだろう、という意見もあるし、さまざまな文学や媒体で流通していた滅びゆくインディアン像の集大成とみる人もあるようです。

全文はこちら
シアトル酋長のスピーチ(訳)


長くなってしまったのでつづく

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2012/07/25

おまけしてもらいました


先日パイオニア・スクエア付近で車がレッカー移動されてしまった件の、その後です。

車のフロントガラスにはさまれていた「お支払いご案内」封筒を、違反金を「払わない。ヒアリングを要求する」のチョイスにして送り返しました。

しばらくすると、裁判所からヒアリングの案内(出廷の命令)が来ます。

でも、裁判所に行くかわりに 1)罰金をいますぐ払う、または2)文書で申し開きをする

というチョイスもあるよと書いてある。違反金47ドルのためにいちいち裁判に行くのはあまりに面倒だから、もちろん文書提出を選択します。

たしかに停めちゃいけないピークアワー4時から6時までの間にこれこれの場所に停めました。 でも! 

1)ちゃんと4時36分までお金をはらってシールを貼ったのにその前にレッカーされました。
2)しかもそのシールを販売するキオスクはその間駐車禁止になるブロック専用でしたよ。

という点を、写真(グーグルマップのストリートビューで、キオスクがある場所を表示)と駐車時間シールのコピーを添付して説明。すごくmisleading だと思うので、シアトル市にはぜひ改善をお願いしたい。キオスクにもっと目立つように表示をするとかしてください。そしてわたしの違反金もぜひ帳消しにしてください。というお手紙を書いて出しました。


そしたらきのう、「状況を鑑みて、違反金を減額します」というお返事が来て、47ドルのところ、25ドル支払いすれば良いことになりました。

レター1枚で半額近くおまけしてもらったので、ちょっと嬉しい。

金額の問題よりも、何か言ってやらにゃー気がすまにゃー!という気持ちでいっぱいでしたから、勝ったとはいえませんが、引き分けくらいの気分です。言ってよかった。
 

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2012/07/24

カップケーキ考 Cupcake Royale


カップケーキは謎の存在です。

アメリカでは子どもの誕生日や学校の行事や、なにかというとカップケーキが登場しますが、とても食べ物とは思えない色(蛍光ブルーとか目の痛くなるような赤とか黄色とか)の、何で出来ているのか良くわからないじゃりじゃりとしたクリームがべっとり乗った、水気もなにもないぱさぱさの生地の「ケーキ」をなぜ人は喜んで食べるのだろう、と不思議に思っていました。

私にとっては「個別に配りやすい」以外の利点が思いつかない食べもの、それがカップケーキでした。

近年、アメリカの各地ではカップケーキが大流行りらしくて、シアトルにもカップケーキ専門店がいくつかあります。


 Cupcake Royal はシアトル市内とイーストサイドにあわせて6店舗をかまえる人気店。
 バラードの映画館の隣のお店に行ってみました。


まずは食べてみる。「ストロベリー・ルバーブ」にしました。夢見るようなベビーピンクにブラウンシュガーがぱらりとかけてあって可愛らしい。

あら、クリームも意外に甘さがきつくなくて、おいしいかもー。
生地もしっとりふわふわしていて、ぜんぜん大丈夫じゃないですか。

スーパーで売ってる絵の具のチューブから絞り出したような色のとは、かなり違うものでした。このほかにも「ティラミス」「塩キャラメル」「ラベンダー」など、わりにそそるラインナップ。

原材料の乳製品はみな地元の契約生産者から仕入れているというところも、さすがシアトルですねー。


パーティ用のトッピングもいろいろ選べるようになってます。
店内はピンクと茶色のガーリーな内装。Wi-Fi フリーなので、ここで50代くらいのおじさんが無心にラップトップを叩いている図もけっこう見かけて、それはそれでおほえましい。


でもやっぱり、女の子が似合うお店です。

オリジナルのアイスクリームもあり。

アメリカ人にカップケーキが人気なのは、基本型を逸脱しない超シンプルな形がほっとするからかもしれないな、なんて思います。

これ以上シンプルにできないくらいのシンプルなプラットフォームで、かつクリームや飾りつけで大きく個性が変わるところが、個人主義なのに(むしろ、だからこそ?)スタンダードが好きで、毎シーズン変わる新製品よりも昔ながらの完成されたデザインを好む傾向が強いアメリカ人にぴったりなんじゃないしらー。

追記:心配になって、もう一度食べにいきました。「ティラミス」味を試してみましたが、クリームはちゃんとしたマスカルポーネとココアパウダー味で、おいしかったです!

でも、「塩キャラメル」は、ふーん、という感じ…。

若い女の子二人連れやグループが多かったけれど、やっぱりラップトップおじさんがちらほら。

もしかして、女の子に囲まれたくてOR 目の保養がしたくて(笑)隣りのカフェじゃなくてカップケーキ屋さんを選択しているのかもしれない、と邪推してみる。


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2012/07/23

緑の毒



草や山々や 水や空が
ぼくの血のなかに 入りこみ
ぼくはいま 待っている
その ききめを

じぶんが緑になりかかっているな
と感ずるのは
草のためだ

『毒』 マリン・ソレスク より 木島始 訳




毎年夏になると思いだす詩です。


子どもの時買ってもらった木島始さんの訳詩集『やさしいうた』に載っていた、ルーマニアの詩人の作品。



堀内誠一さんの美しい挿絵つきの小さな本で、ラングストン・ヒューズの詩も初めてこの本で読んだのだった。

サンリオ出版刊。昔はサンリオもこんな本を出していたんですね。

サンリオSF文庫っていうのもあったんですよー。




シアトルの7月はなかなか暑くまではならなくて、まだ長袖2枚重ねたりしていますが、緑は元気に濃くなって、わさわさ繁っています。



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2012/07/22

肉を喰らう うさぎ肉とりすシチュー


ZIZIさんからお借りしている本、近藤 紘一さんの『サイゴンから来た妻と娘』に、恐ろしい場面がありました。

ベトナム人の奥さんは大の動物好きで、東京のアパートに来てからまもなく、秘密でウサギを2羽飼い始め、「ナンバー1」と「ナンバー2」と呼んで可愛がっていた。
でもこのウサギの片方がなかなか言うことを聞かず、ある日テレビのコードを噛み千切ってしまう。
その晩、著者が会社から戻ると、

テラスは血の海だった。
物干しには、けさまでナンバー2だったものの本体がぶら下がり、その下に切り取られた頭や、足の先や、裏返しになった毛皮が散乱している。

…という光景が展開している。学校から帰って肉の塊の正体を知った娘が泣き出すと、

「お前、馬鹿だよ。ウサギはもともと人間に食べられるために生まれてきたんだからね。生きてる間は親切にしなければならないけれど、いつかはこうしなきゃならないんだよ」

と叱り飛ばす。そして香草をまぶして食べたウサギは、絶品だった、と著者。

友人でウサギの飼い主Cちゃんが読んだら何ていうだろうかと思って、ふと気づいた。そういえば彼女、ウサギを飼い始めてからベジタリアンになったのだった。



ちょっと前に観た映画『Winter's Bone』にも(すーーごく良い映画でした!クリント・イーストウッド作品のような感触の、寒くて厳しくて心優しい映画)、りすのシチューがでてくる。

父親はどこかで死んでしまい、母親は心を病んで何もできず、借金のカタに住む家が取られてしまいそうになり、幼い弟と妹を守るために17歳の少女が父親の死体を捜しに行く話なのだけど、貧しくて何も食べるものがなく(現代のアメリカの話です)、裏庭の林で弟と一緒にリスを撃って皮をはいでさばき、夕飯のシチューにする場面があります。

りす… (´;ω;`)!! と思ったけれど、よく考えてみれば、豚や牛やニワトリの生首や血をいっさい見ることなしに、きれいに切って並べられたパックのお肉で料理を作る生活とは、なんと不遜なものなんだろう。

本来、肉を食べるということは手を血で汚すということなのですよねえ。


1930年代のフロリダ北部の農園暮らしを描いた Marjorie Kinnan Rawlings 女史の『Cross Creek』というエッセイ集が大好きで、いつか日本に紹介したいと思っているのですが、この中にも銃を持って肉を調達する場面がたくさん出てきます。

りすのシチューについては、Rawlings 女史は

リス肉については皆の意見が一致する。焼くか、こってりしたグレービーの中で蒸し煮にするか、ピラフにするか、だが、いずれにしても評価は高い。しかしながら、その頭が食べられるかどうかについては意見が激しく対立する。 

 と言ってます。
 狩猟好きだった彼女は、ある日沼地で珍しいツルのような鳥「リンプキン」を撃ちますが、撃ってしまってから、鳥が容易に手の届かないところにいたのに気づきます。

私が獲物を殺すのをよしとするのは、必要のある時に限る。傷ついた獲物や命を落とした獲物を見つけずに放っておいては心穏やかでいられないのだ。

水に浮かんだリンプキンに向かって私は歩いて行った。くるぶしまでの深さが膝の上までになり、最後には腰まで水に浸かる。沼マムシが体をくねらせながら目の前を泳いでいく。ふと、自分が立っているのが深い泥沼の端だということに気づいた。私はライフルを突き出して、リンプキンの体を引き寄せた。 

と、毒蛇や底なし泥沼の危険にさらされながら獲物を回収したことを回想しています。

命を食べるということは、本来そのくらい困難な作業であるべきなのだろうなあと思いながら、血が通った温かい体であったことなど想像もつかない、記号のようなパックの鶏肉を今日も料理するのでした。


 Winter's Bone 


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2012/07/21

マーケットカフェ DeLaurenti


パイクプレイスでちょっと何か食べたい時、どこに行きますか?

わたしはピロシキ屋さんかマカロニ&チーズのBeechersが定番ですが、このあいだCTちゃんと買い物に行った時に、市場の正面玄関わきにある DeLaurenti  に行ってみました。
ニューススタンドの横の、1st Ave. に面したお店です。

ここは輸入食品やチーズや肉(サラミやハムなど)やワインが並んでいるイタリアンな食料品店で、オリーブオイルだけでも棚一杯種類があって見てあるくだけでも面白いのですが、1st Ave. に面した表側にカフェが併設されています。

カフェの席数はすくないけど、パニーニもキッシュもさすがにおいしかった! 
ピザもおいしそうでした。

鮭を投げるパフォーマンスで有名な角の魚屋のお兄ちゃんも、お昼を買いに(ていうかカフェの女の子に会いにかな)来てました。


マーケットはわりといつも同じところにばかり行ってしまうので、まだ未訪のところもたくさんあります。けっこう広いですよねー。マリメッコのお店もこの間初めて行ってみましたが、あまりにもかわいいモノがありすぎて危険地帯でした。


 トイレのこの壁画も初めて見た! お父さん、緊急事態の巻(笑)。


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2012/07/20

チェルシー vs サウンダース


水曜日、CT夫妻と一緒にChelsea FCとSeattle Sounders の試合を見に行ってきました。
ダウンタウンに向かうバスの中から、今日はセント・パトリックデーでしたっけ?と思うほど緑の人がたくさん。


白バイにもサウンダースの旗がついている。



試合開始直前についたので、Century Link Field (最近クエスト・フィールドから名前が変わった)はもう人でいっぱい埋まってました。  

 
この日の観衆は5万3000人以上だったそうです。マンUが来たときの6万+には及ばないものの、アメリカでのサッカーの試合としては破格。

サウンダースはMLSの中でも飛びぬけた動員数を誇るクラブです。シーズンチケットが3万以上売れるチームなんて、MLSではほかにありません。


シアトルの人はなぜこんなにもサウンダースを愛しているのか。
客席はとにかく皆、緑です。ライムグリーンを身につけてないと肩身が狭いくらい…。


と思ったら青いチェルシー応援団もけっこういた。


 しかもチェルシーの人はなんというか、年季が入っているというか、ホンキというか、なんだか迫力がある。凄味があるというか…。このお父さん超怖かった。(でもスカーフはサウンダースでしたw普段は忠実なサウンダースファンなのかな)

サウンダースファンは、クラブ自体がまだ若いし(まだ公式戦参加4年目なんですよね!MLS自体も若いけど)、応援するチームができてフィールドに通うことを楽しんでいる余裕というか、フレッシュさがある気がする。 


うちの息子のサッカーチームのマネージャーをやってくれているお父さんはいつもサウンダースのシャツか帽子姿で息子たちの試合に現れていたけれど、英国人でチェルシーのファンなので、きっとこの日は青いジャージを着てどこかで応援していたことでしょう。


試合の内容はといえば、前半開始後数分でチェルシーが立て続けに2ゴール。サウンダースは攻めまくって2点取り返し、同点に追いついたものの、前半終了間際これまた数分の間にさくさくと2点追加され、メンバーがほぼ入れ替わった後半もそのまま逃げ切られました。

サウンダースがゴールすると花火も上がるし、大歓声。親善試合でこんなに熱くなるとは、恐るべしサウンダースファン。


楽しかったしガーリックフライとビールもおいしかった!また行きたいです!




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