シアトル・ダウンタウンにできた、新しいビル、
レーニア・スクエア・タワー。
ミノル・ヤマサキの設計した、棒つきアイスみたいな形をした「レーニア・タワー」(1974年完成)と呼応する、末広がりなデザイン。
全面ガラス張りの外壁にアクセントが配されていて、遠くから見ると編んだ籠のように見える表面のデザインも面白く、空を映して品よくキレイです。
「こんなビルができるんだって」というブログ記事を書いていたのが5年半前、2016年でした。
トランプ以前の時代です。
この5年のあいだに、世間にもわたしにもずいぶんいろいろあって、世界はいろいろ激変しました。世の中は、目に見えている以上に、ものすごく変わったと思います。たった5年で。
そして5年たてば、以前は影も形もなかった58階建てのビルが完成していたりもする。
2016年の段階では2019年完成予定といわれてましたが、結局オフィスと住居のテナントが入居開始したのはつい先月だそうです。
オフィスの一部にはAmazonが入居するはずだったのが、とりやめになったそうな。
オフィスビル需要、コロナのあと、どうなるんでしょうねー。
まだまだ、シアトルのダウンタウンの真ん中は人影がなく、オフィスビルは静まり返ってひと気がない感じです。新しく完成したのも古くからのも。
AmazonもAppleもまだほぼ全社リモート勤務が続いているそうです。
うちの青年の勤務先も、まだ役員以外は全社リモート勤務。9月にはボストンでのオンサイト勤務を再開するはずが、11月に延期され、さらに来年1月に延期されました。
日本の会社では、かなりオンサイト勤務が戻っているのでしょうか。
一昨日、Twitterで品川駅の構内に掲示された広告の写真が炎上していて、それにも驚いたのだけど、それに加えて、ふつうに出社の人がこれだけいるんだ?というのも意外に感じました。
もちろんコロナ以前のラッシュ時はこんなものではなかったとはいえ。
「今日の仕事は楽しみですか。」
この広告が大炎上して、「サラリーマンの心を折る」と批判にさらされ、たった1日で取り下げることになったそうです。
Yahoo!ニュースにも取り上げられて、話題作りとしては大成功でしょうけれども、この広告を作って出したプラットフォーム&メディア企業が「ブランドメッセージにおいて、当駅利用者の方々への配慮に欠く表現となっておりましたことを心よりお詫び申し上げます」
というお詫びをしているのに、またびっくり。
「配慮に欠く表現」というのも、この5年くらいというもの、いろいろな意味で注目された考えでした。
「配慮に欠いていたことをお詫びする」とは、つまり、自分の言動が誰か特定の人をいちじるしく傷つけていることに思い至らなかったこと、その人たちの体験に対して想像力が働いていなかったこと、自分が無自覚により精神的な暴力をふるっていたことに気づき、そのことを詫びる、という意味です。
以前は当然のこととして見過ごされていた他人種・他民族・マイノリティへのあからさまな差別表現がいろいろな場面で見直されるようになったのも、ここ最近のことです。そういった見直しを快く思わない人たちからの反発も、当然ながら目にすることが多かった数年間でした。
でもこの広告主がこういう形で「お詫び」するのはどうなん?というか、本当にそう思ってるのかな、と疑問に思います。しかもブランドメッセージという、基本姿勢を示すべき場で。
そもそも、この広告は、どんな狙いで誰になんのメッセージを届けたかったのか。
「仕事は楽しいですか」
という問いは、生き方を問うています。それは、
<毎日仕事が楽しいと感じるのが人間の生活であるべきだと私たちは考えていますけれども>
という前提があっての問いのはず。
そしてそれは、
<楽しくないなら、あなたの毎日は何かがちょっとおかしいんじゃないですか?>
という挑戦をはらんだ問いでもあるはず。
これが広告である以上、
<うちのサービスを使えば、そのおかしい現状を是正して、仕事が楽しい毎日にシフトできますよ>
というメッセージがその後ろにあるはずだと、ふつうは読める。
そしてこの挑戦は、
<この広告ターゲットである、品川駅を歩いている人たちは、このメッセージを受け止め、理解し、あるいはショックを受けて、自分の生き方を変える力のある人々である>
ということを前提としていないのであれば、単なる嫌がらせになってしまう。
「アートは人を傷つけるものだ」と、社会学者の宮台真司さんがどこかで(批判が殺到して話題になった愛知のトリエンナーレについて)言っていたけれど、広告コピーもしかりで、インパクトの強いメッセージは、人を傷つけるものです。
そして送り手の側がそのことに自覚的でなければ、アートであっても広告であってもまったく成り立たないはずですよね。
自分のメッセージがどのような人々にどのような効果を与えるかということに自覚的でないなら、アーティストもコピーライターも送り手として資格がないことになります。
わたしは、この上の写真を最初に見たとき、なかなか秀逸な広告コピーだな、と思いました。
だけど、このコピーを見て、楽しいわけがないだろう、上から目線でイラつく、何が言いたいんだか意味不明、と反応する人たちがかなりの数にのぼることを知って、そのことに衝撃を受けました。
日本がもっともっと元気だったバブルの時代、80年代〜90年代前半の東京で同じコピーが同じように掲示されていても、絶対に炎上などしなかったと思います。
当時はもっと過激な挑戦的なコピーがたくさんあったと思うし。
この広告への反応は、いまの日本がいかに弱っているかを、まざまざと示してしまったようです。
日本が一番浮かれていたころに、井上陽水が「みなさん、お元気ですかぁ〜〜〜」と呼びかけるCMがあったんですが、あれも今やったら「元気なわけねえだろう(怒)」「おめえ何様」って炎上するのかも。
このプラットフォーム&メディア企業は、日本のオーディエンスがいかに追いつめられてイライラしているのかを見切れていなかったのか、それとも、もしかして意図的にそういうストーリーを作りたかったのか、どっちなんだろう。
いずれにしても、
<うちのサービスを使えば、そのおかしい現状を是正して、仕事が楽しい毎日にシフトできますよ>
なんていう提案を届けるにはいたらず、ただ疲れている人たちを言葉で殴ったうえに、謝って逃げることになってしまった。
謝るくらいなら最初から殴るなよ!と思うのだけど。
殴るんだったら最後まで、矢面に立ってその理由をきちんと説明する姿勢が見たいです。
「配慮に欠く表現でした」という曖昧な言い方は、逆にオーディエンス、または批判している人たちを見くびっているように感じます。
「傷ついた」という批判に対しての答えを持つということは、ほかの人の経験への想像力を持ち、そのうえ自分の立場を明確に説明できること。
言葉は暴力になるということをよく自覚して、自分の言葉にどんな意図があるのか、個人のレベルでもちゃんと考えなくては、と思わされます。