2021/10/12

「アンノン族」の時代から来た言葉


なんだかわからないけれどとても綺麗な赤い実。なんだろう。秋の色は本当に鮮やかで目が驚きます。

断捨離をじわじわと進めていますが、本棚はほぼ、アンタッチャブル。

とくに海外にいると、読みたい本があればいつでもBook Offやツタヤに行って買うというわけにもいかないので、日本に行くたびにいったいいつ読むんだと自分でもツッコミをいれるほど本を買い込み、「いつか読みたくなるときのために」ため込んでいました。

引っ越しなどの機会があるごとに、かなりバッサリと本を処分してきたけれど、やがてまた積もるように積ん読本がたまり、棚からあふれていきます。

しまっておいても「いつか着る」機会がやってくることはほぼない服とは違って、本の場合には「いつか読みたくなるとき」が実際にとつぜん巡ってくることがあるので、断捨離の原則はやっぱり本には当てはまりません。

先日はアシモフの『ファウンデーション』が本棚にあって本当によかったなと思ったし、今はなぜかドストエフスキーの『罪と罰』を生まれて初めて読んでいます。『罪と罰』は、きっと10年くらい前に、いつか読みたくなるはずだと思って買ってきたんだと思う。決してそれほど読書家ではないのに、本を持っているのが好き。

頻繁に読み返す本は多くないけれど、本棚に置いておきたいと感じる本の中には、なにか自分に必要なものが確実に潜んでいるようです。

この熊井明子さんのエッセイ集もそんな本のひとつでしたが、つい最近読み返してみて、いろいろと驚くことがありました。



熊井明子さんは、映画監督の故・熊井啓さんの奥様で、1970年代はじめ頃からエッセイストとして活躍されている方です。

わたしは小学生のときから、『私の部屋』という雑誌に連載されていた熊井さんのエッセイの大ファンでした。

『夢もようのタピスリー』は、1977年から79年に雑誌「ノンノ」に連載されていたエッセイを集めたものです。

「アンノン族」という言葉がはやったころ。

「ノンノ」や「an・an」などの記事にインスパイアされて、ロマンチックな風景を求めて旅に出る若い女性たちが爆増して、「アンノン族」と呼ばれたのでした。そのお嬢さんたちの需要にこたえて、軽井沢や清里をはじめ、日本のあちこちの観光地がメルヘンな町並みに変わってしまうほどのパワーがあったころでした。

熊井さんご自身は1940年うまれ。うちの母とほぼ同じ、戦後第一世代。小学校のはじめから、戦後に一新された教育を受けた最初の世代ですね。

1970年代には30代だった熊井さんは、アンノン族ジェネレーションの若い女性の読者にむけて、ときにピリっと厳しい率直なアドバイスをまじえつつ、想像力をはたらかせ、美しいものを追い求めて、自由にのびのびと生きるように励ましています。

思うように物事が運ばないとき、若い女性は占いや人の意見に頼りがちだが、「それではいつまでたっても大人になれない。人は皆、目に見えないところえで多くの人に支えられて生きているのだが、そのことを謙虚に認めた上で、できる限り、自力で解決すべきではないだろうか。………それには、強い意思を持つと同時に、ちょっと心を遊ばせる術を知っているといいと思う。そうすることによってゆとりが生まれ、また違った眼でものごとを見られるようになり、エネルギーもわいてくる。花とか香りとか詩歌といった、リアリストに言わせると『無駄なもの、贅沢なもの』が役立つのは、そんなときだ」。


熊井さんは信州・松本のご出身です。「私の部屋」に連載されていたエッセイでも、松本の風物やお店のことをよく話題にされていて、子どもの私はそれを読んで、洗練された街なのだろうなあ、と、松本に憧れていました。

エッセイにときどき登場していた松本のフランス料理店「鯛萬」は、いまだに未踏、いまだに憧れ。

いま、この70年代後半に書かれたエッセイを読むと、戦後の松本という文化的な都市の、教養と品格のある落ち着いた中流家庭で大切に育てられた聡明で才能ある女性の姿がくっきり見えます。

ポプリ、猫、赤毛のアン、といったキーワードが並び、繊細で美しいものへの賛辞が詩的な言葉でつづられてはいても、熊井さんの文章はけっして「ゆるふわ」ではなく、きりっとした意思の強さと筋の通った見識に貫かれています。

極端に個性的なところはなく、全体におっとり控えめなのに、とても印象に残る。

詩でも人物でも香水でも、紹介するものへの心からの愛情と、快いもの、美しいものへの情熱とが、それこそ香り立つように感じられるうえに、生きる姿勢がしっかりしていて、あくまでも明るくポジティブで心優しい。

熊井さんのエッセイを通して知ったものや好奇心を刺激されたことがいかに多かったかに、今回読み直してみて、改めて驚きました。

そして、香り、文学の言葉、紅茶やコーヒー、食べもの、映画などの楽しみ方についても、ずいぶんたくさんのことを熊井さんの文章から学んだのだった、と気づきました。




驚いたのは、ポートランドの書店で見つけて読んで気に入り、あまりに好きすぎていくつかの章を勝手に翻訳したうえ、シノプシスもつくったことのある『クロス・クリーク』が、このエッセイ集のなかで言及されていること。

「物語の中のお料理を追って」と題されたエッセイに紹介されているのは、『クロス・クリーク』に出てくる料理があまりにもおいしそうなので、レシピを問い合わせるために著者に連絡をしようとし、アメリカ文化センターに問い合わせたらもう著者が亡くなっていることを知り意気消沈したけれど、『クロス・クリーク』に出てくる料理を集めた料理本を偶然洋書店で見つけて驚喜し、さっそく「カニのニューブルグ」を作ってみたけれど、期待したような味ではなかった…というエピソードでした。

(ウィキペディアもAmazonもない時代には、情報はこれほどゆっくりと世界をめぐっていたのだ、ということにもあらためて驚きます)

たしかに私はこのエッセイを昔読んだことがあるようです。でも、『クロス・クリーク』の原書を読んでいるときにも、シノプシスを書いたときにも、そのことを完全に忘れていた。

自分の記憶力の悪さはいまさら驚くまでもないのだけれど、もしかすると、このエッセイで読んだ内容が意識にのぼらない記憶のどこかに書き込まれていて、それもあって『クロス・クリーク』の原書を手にしたときに心惹かれたのかもしれません。
そう思うと、意識の下の記憶(のようなもの)に自分が動かされていくことの不思議に打たれます。

もうひとつ驚いたのは、葛原妙子の短歌が紹介されていたこと。

つい2年ほどに初めて歌集の一部を読んで衝撃を受けて以来、葛原妙子は大好きな歌人のひとりになったのですが、それまで「ぜんぜん知らない」歌人だった、と思っていました。でも実はここで読んでいたとは。深尾須磨子の名前は熊井さんのエッセイに頻繁に出てくるので覚えていたけれど、葛原妙子は記憶に残っていなかった。


その後の人生で真正面から出会うものの多くに、熊井さんのエッセイですでに紹介を受けていたとは、恐ろしいような気もするし、やはりそうなのか、という気もします。



この本そのものは、若いときからずっと大事に持っていたものではなくて、多分数年前にどこかの古書店で買ったもの、だと思うのだけれど、いつどこで買ったのか、日本だったかこちらの古本市だったかも覚えていない。

そして、はるか昔、この本を読んだのはいつだったか。中学の頃に図書館で借りたのか、もっとあとに自分で買って持っていたのか、はっきりと記憶には残っていません。

あまりにも朦朧とした記憶力に自分でもあ然としつつ、不思議な縁をむすんでくれた旧友のような本との再会に感謝です。こんどはホノルルの波乗り翻訳者えりぴょんのところへお嫁に送り出しました。


 

 

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