2019/04/02

なんちゃってパッタイと15年の友




きょうも満開のご近所ソメイヨシノ。
東京の人が書いてるブログで見た目黒川のライトアップがきれいだったー。
そして日本のお花見って、屋台があっていいよね。


明日は雨だそうです。
散っちゃわないといいけど、ソメイヨシノの盛りは今日くらいまでかな。



こちらも近所でよく見かけるこの白い花はなんだったけか。

ただいま、まったく知らない金融分野の契約書とハイソな旅の記事の翻訳が同時進行で、絶賛遅延中。契約書は参考資料なのだけど、コレスポンデンス文書ばかりだと思って受けた大きなパッケージのなかに大きな契約書がまるっと2つも入っててびっくり仰天。

ふだん法律翻訳なんてぜったい受けないので、主語が50個くらいあるような(<やや大げさ)長大な文章に目が白黒です。
久々に法律翻訳の教科書出してきたり(一応ある)、ほぼ毎単語ごとにぐぐっているのでもうまったく進みません。「およびに」と「並びに」てどっちが大きいんだっけとか永遠に覚えないで毎回ルックアップしてるし。
旅行記事のほうも楽しいんだけど固有名詞のリサーチがむちゃくちゃ多くて、ぐぐった先の記事までつい読んでしまうのでこちらもなめくじ以下の速度。どちらもプロとしてあるまじき1時間あたり出来高(ワード数)。少なすぎて笑えるレベル。そして世界にはなんとラグジュアリーな世界が多いことよ。ぢっと手をみる。


パッタイの生麺がご近所スーパーで売ってたので 、なんちゃってパッタイを作ってみました。レシピはこちらのサイトを参考に。

フィッシュソースは冷蔵庫にあったけどタマリンドペーストはさすがにない。でも梅干しで代用可能だって書いてあったので梅干しとフィッシュソースを煮詰めてみた。急に家中がエスニックな香りに!
もやしはあまり好きでないのでパス、ニラもないので青ネギで代用。
たくあんも残念ながらなかったのでパス。(こずもキッチンさん!いぶりがっこがおすすめですってよ!)
でもなんとなくそれっぽい感じになりました。うまうまで満足でした。

ラウラウちゃんに送ってもらったマジカルな<申年の梅干し>がついに底をついてしまったので、生活クラブの梅干しを信濃の敏腕翻訳者Yちゃんから送ってもらった。ありがとうございます。
梅干しはたいへん重要!



今朝起きたら、Gメールちゃんが自分の誕生日をひっそりとお祝いしていた。
おめでとうGメール。
15年か〜。長いつきあいだねえ。あなたがいなかったら私の生活は成り立ちません。
私の個人情報その他をいろいろご存知だと思いますが、どうか秘密にしておいてね。

無料のサービスにここまで人生頼っていいのかと思いつつ、便利すぎて手放せない。


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2019/04/01

令和ちゃんの出自


先週末に行ったバラードダウンタウンの「Stoneburner」。

卵とポテトとソーセージがのっている「ブレックファストピザ」と、チコリとアボカドと卵のサラダ。このサラダめっちゃおいしかった!

ところでレイワですね。グーグル日本語変換にはまだ出てこないよ。大丈夫か。
例話でも礼和でも例羽でもないよグーグルちゃん!

万葉集の「天平2(730)年に開かれた梅花の宴」の序文からとった、 「初春令月、気淑風和」。「初春のこの良い月に、気は良く風はやわらか」という意味、だそうですよ。ふーん。

「れいわ」ちゃんて、女の子の名前みたいで(レイア姫からの連想か?)優しい感じだと思ったけど、ほんとに柔らかい意味なんだ!

ていうか、万葉集。

「万葉集から取りました」てきくと、ふーん、和歌から取ったの、と思っちゃうけどそうではなくて、大伴旅人さんが、「梅花の宴」で詠まれた歌を紹介するための序文を漢文で書いている、その序文の中から取られた「令月」の「風和」なんですね。

しかしこの序文がそもそも中国の古典を元ネタにしてると、岩波書店の方がツイートしています。

(ここから引用)
新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』https://www.iwanami.co.jp/book/b325128.html … の補注に指摘されています。 「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五)」とある。」
 (引用ここまで)

大伴旅人さんが書いた序文は、漢詩を引いていたんですね。
当然この当時のエリートは、中国の詩を小さい頃からいくつも暗誦し、精通していたはずですから、そういう引用がさらっと出てくるのが教養というものだったので、当時の読み手だった教養人もそれを承知していたはずです。

しかしいままでの元号ってすべて中国の漢籍を典拠としていたというのは知りませんでした。

ていうか考えたこともなかったけど、そうか、元号って適当に漢字組み合わせるんじゃなくて一応の(<失礼)典拠があるもんなんですねぇ。

そして漢字であるからには、やっぱり本家、中国の古い文書に求めるものなんですね。
明治以前までの日本のアカデミックな文化の核は、漢籍。

平安時代から明治にいたるまで、偉い人(つまり男の学者)が修めるべきであったのは漢文で書かれた文書や漢詩だったんですもんね。

万葉集の本文である歌を元号の典拠にできないのは、それが漢字じゃなくて仮名でかかれたものだから、なのだそうです。

わたくし本当に教養がないので、ふつうに日本の高校で古文を習得してたら誰でも知ってることなのでしょうが、万葉集で使われている「万葉仮名」というのが漢字の当て字であることをわりと最近知って、(万葉集の文庫本で漢字だけの「原文」が併記されているのを見るまで知らなかった!)けっこう衝撃を受けました。

そうだった、まだその頃はひらがなができてなかったんだった!と。

こんな万葉仮名一覧もあった。素敵。

みんなかなり適当に好きな字を使って歌を詠んで(書いて)いたんじゃないか?

ということは、昭和の暴走族文化の「夜露死苦」的な表記はかなり正統な日本語の感性を受け継いでいるということかも。



万葉つながりで、大和…じゃなくて紀伊半島のもっと奥の「隠国」(こもりく)の山の写真を出してみました。こもりくって響きが素敵です。



去年の夏に行った、愛する奥熊野。またいつか行けるかしら。
この写真見てると涙でるほど好きすぎる。すごく優しい場所です。行きたいー。
それこそ「風やわらか」な土地。

そういえば、このへんの旅日記を途中でほったらかしにしてたのでした。
…イタリア日記も途中だった。

いろいろ途中なものが多い、平成最後の4月。あわあわ。

ともかく、新しい<令和>が名前のとおり、風やわらかでほのぼのした時代だといいですね…。

そういえば平成の3分の2以上は日本の外で生活してたんだなあ、としみじみ思っちゃいました。

来月からの令和時代もどうぞ夜露死苦。



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2019/03/31

猫もほどける


猫もほどける春うらら。

これはだいぶ以前に(って去年夏だよw)マダムMよりいただいた猫ティーバッグ。おいしかった。


春の陽射しにほどけている、Kさんちのクーちゃん。かわええのぅ〜。

このあとさらに、ほどけ具合がどんどん進行していました。

「春眠の身の閂を皆外し」(上野泰)

というかんじですね。

今日は雲ひとつないゴージャスな日曜日でした。お花見は混雑したでしょうねー。


今年のシアトルは、冬の後半が長くて寒かったためか、りんごも木蓮もレンギョウもコブシも水仙も桜もスモモも、とにかく全部一度に咲いてて豪華絢爛です。

近所を一周するだけでも上等なお花見気分。

林檎にレンギョウ。


桃(たぶん)。ソフトフォーカスなのは、レンズが汚れていたためですww


ご近所のソメイヨシノ。散歩に出るのが夕方なのでどうしてもこんな色になってしまうー。
あったかくなってきたので、朝散歩の習慣をまた復活しよう。ぐうたらすぎる。


紫木蓮ちゃん。


 こちらも、満開すぎるマグノリア(木蓮)。

高い樹のてっぺんではロビンがぴょろろぴょろろ啼いていて、もう春まっさかりです。

そうだ、日本では新しい元号が発表されるんでしたね。
エイプリルフールに…。

どうせなら笑える元号にしてはいかがかと。
 #こんな元号は嫌だまとめが面白すぎでした。

わたしの推しは「保留」と「和民」かなw 



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2019/03/30

今年の桜@ワシントン大学


今年もワシントン大学の桜、元気に咲いてます。
例年よりちょっと花がすくない気がするけど気のせいかな。

29日金曜日の夕方です。9分咲きくらいかな。


夕方だけど賑わってました。土日に晴れたらもっと大賑わいでしょう。

今日はそそくさと通り抜けただけで、ゆっくりお花見はできませんでしたが、桜を見ながらのピクニック、いいなー。
ブランケットにすわって楽しそうにサンドイッチを食べてる家族を見てほっこり。


東京も今、満開だそうですねー。

シアトルは、気温ちょっと低めだから長持ちするかな。 でも来週は雨の予報。
お花見なら今週末がベストかもしれません。


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2019/03/28

世界で最も美しい広場と不運な動物 <ヴェネツィア思い出し日記 その7>


サン・マルコ大聖堂の上階にある美術館からは、クーポラの下あたりの位置でサン・マルコ広場を一望できるテラスに出られます。

この光景が見られただけでも幸せだー。
数世紀前に描かれた絵画で見たまんまっていうのがすごい。
「世界で最も美しい広場」 というのに異存はございません。



カーニバル期間中でかなりガチャガチャしていたけど、この建てもの。


ところで大聖堂出口には当然ながらギフトショップがあります。
ロザリオや絵葉書などを売ってるなかにあったこのマグネット。

うさぎ?がハゲワシかなにか?に鼻の上のあたりを直撃されて「ええっ?」と驚いている衝撃的なデザイン。
こんなんあったっけ?
と、翌日もう一度戻って探しにいきました。

最初のときは天井と壁一面の黄金のモザイクにばかり気をとられてましたが、床もすごいです。



エッシャーばりの幾何学模様と、孔雀とかサイとか、かなりエキゾチックな動物絵柄と。

だけど聖書にこんな、脳天を鳥にやつつかれているうさぎ?なんて出てきたっけ?

聖堂ガイド本には「これらの動物は中世のシンボリズムを描いている」て書かれてますが、それだけじゃなんのことだかまったくわかりませんー。


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2019/03/27

旧世界の中心の金色の聖堂 <ヴェネツィア思い出し日記 その6>


ヴェネツィアでいちばんおどろいたのは、何といってもサン・マルコ大聖堂でした。

だいたいこの入り口からして、なんという過剰さ。
アーチと柱と装飾がいったい何重になっているのか。
いったいなぜこんなにたくさん柱が必要なのだ。


玉ねぎを重ねたような美しいクーポラ、優雅な尖塔。

10世紀頃から建設が始まり、内側も外側も何世紀もかけてどんどんアップデートされていったという建物です。

正面ファサードの上のアーチの部分は17世紀、下の大理石の柱は13世紀ころのものだという。

日本の古い建物はみんな木造だし、こうやって原型がわからなくなるほどまでどんどん上書きしていくという発想は、ほとんどないのでは。

伊勢神宮だって、20年ごとにすっかり新しく建て直してしまうではないですか。

「まっさらにして香りも新しく新規まきなおし」というのが木の文化なら、上にどんどん重ねて、重くしていくのが「石の文化」っていうものなのか。

「石の文化」って漠然と聞いてはいたけど、ほんとうにこう目の当たりにすると、その重みに圧倒されます。



色とりどりの大理石。柱の色がみんな違うのですね。とにかく、派手。とにかく過剰。
そしてこれでもか!という装飾。

12世紀に第四回十字軍としてコンスタンティノープルを陥落させたあとで東方から大理石がざくざく手に入るようになったので、このファサードを大理石で覆ったそうです。
内部にも大理石がふんだんに使われてます。

第四回十字軍…。

同じキリスト教国だったビザンチン帝国の首都を攻撃し略奪のかぎりを尽くしたという、キリスト教の有名な黒歴史のひとつですね。

宗教的な意義は名目ですらなかったこの第四回十字軍がコンスタンティノープルの破壊と略奪の末に持って帰ってきたお宝が、ここの聖堂にはたくさんおさめられています。

この遠征のあと、ヴェネツィアは地中海の貿易を手中におさめてますます栄えたそうです。

この頃の都市国家の政治家や商人と教会、教皇の力関係って、なんていうかもうほんとにムキダシですね。

そこに都合よく持ち出される神様…。


わたくし、ここに行くまで知らなかったのですが、サン・マルコ大聖堂って、あの福音書の著者!聖マルコの遺体がある聖堂だったのですね〜〜!

828年、当時イスラム圏であったエジプトのアレクサンドリアから、これまたヴェネツィア商人が聖マルコの遺体を(遺骨か)、「豚肉の樽」の下に詰めてひそかに運び出したそうです。イスラムの人には豚肉は不浄のものだったので、樽の下までは調べないだろうと。

聖人の遺骨を豚肉の樽に詰めて密輸。ヴェネツィア商人、大胆です。

ヴェネツィアに運ばれた遺体は、ローマの法王ではなくて、当地のドージェに「こんなんもって来ました!」と報告・献上され、おお、それではヴェネツィアの守護聖人として手厚くまつろう、というわけで教会が建設され、その後何世紀もかけて大聖堂に成長していったんだそうです。

福音書の著者の遺体を守るというのは、キリスト教圏の都市国家として破格のステイタスを得るってことですよね。

その破格の遺物があればこそ、この聖堂が何百年にもわたって過剰なまでに絢爛豪華なアップデートを重ねていった、というのも分かる気がしました。



聖堂そのものの入場は無料ですが、中には上階の美術館、奥の右手の宝物館、そして一番奥の、聖マルコの遺物をおさめた棺が安置されている場所に入るにはそれぞれ別料金が必要です。

聖堂内は撮影禁止。そして半ズボンやビキニでも入場できません。
観光名所とはいえ祈りの場ですので、お行儀に対しては厳しいです。わたしの目の前でも、なにか指示に従わなかったらしい中国人男性が聖堂内から追い出されてました。

で、明るい広場から聖堂の中に一歩入ると、「どわぁぁぁぁぁ!」となるのです。
そのようすはこちらのビデオでぜひごらんください。




すべてが金色!
これ全部、金箔を張ったモザイクです。わたくし全く前知識がなかったので、腰をぬかすほど(<やや大げさ)驚きました。

平泉の金色堂の100倍は迫力がありますよ〜!比べるべきものでもないけど、金色ということでいうなら。

とにかくこのボリューム、それも石、大理石の重み。そして金。圧倒されます。

「新世界」のアメリカやメキシコでいくつかの大聖堂を訪ねたことがあるけど、こんな空間を体験したのは初めてでした。
旧世界すげえ。

モザイク制作も12世紀から始まり、何世紀もかけて完成していったものだそうで、よく見るとそのスタイルもまちまちだし、物語が特に堂内オーガナイズされているわけではなくて、旧約聖書や新約聖書の物語や聖書外の聖人があちこちにわりとまとまりなく描かれています。

堂内撮影禁止なので、お堂の中で買った小冊子より。


中央手前のクーポラの内側に描かれている、聖霊が降臨した「ペンテコステ」の図。
ドームのてっぺんから使徒の頭にそれぞれ天頂から白い道が通じて、ダウンロードされてる感がでています。

入り口付近にはノアの方舟の図。奥の正面壁にはもちろんキリストの姿。

この聖堂もモザイクも、ビザンチンの影響を強く受けてるそうです。

ヴェネツィア建築には東西文化が融合している、と教わりましたが、この聖堂には東ローマ帝国の要素、つまりコンスタンティノープルを通ってきた東方の要素がすごく濃いんですね。

貿易都市のパワーっていうのはこういうものなのか!と、この聖堂を見てしみじみその規模を実感しました。

ヨーロッパ、中東、アジアの貿易の要所で、当時、文字通り世界で一番豊かで情報通でもあった都市。

ローマの権威を牽制しつつの、一切の躊躇なしの、世界一の都市としてのこの自負。

ドヤ感まるだしです、ヴェネツィア。

すべてが、「ここが世界の中心である」と宣言しているようです。

聖堂の奥のほうにある聖マルコの祭壇(その下に遺骨が安置されている)もきらびやかな大理石で何重にも飾られていて、その後ろにはこれまた黄金の衝立てが。


こんなかんじで祭壇があって、その奥にあるのがキラキラの…


この衝立てです。

ここには聖母子や福音書の人物、聖マルコの遺体奪還の場面などが金の上にエナメルで描かれていて、宝石がたくさん埋め込まれてます。
これだけでも腰を抜かすほどきらびやか。

この衝立ては「パラ・ドーロ」という名前(固有名詞)なんだそうで、これもまた12世紀から何百もかけてアップデートされ、コンスタンティノープルからの略奪品もつぎはぎされて完成したそうです。

ちなみに、右手にある宝物館にも、精緻な金銀の細工物のほかに「キリストの磔になったときの十字架の土台石」とか、「茨の冠のかけら」といった聖遺物が保管されています。


モザイクを間近で見られるのは、上階の美術館。
階段がめっちゃくちゃ急で、まったくバリアフリーではないのですが、ドームの内側を間近で見られるだけでも行く価値はあり。


カトリックの大聖堂というのは、中がいくつものエリアに分かれていて、祈りの場所が複数設けられているのですね。

たぶん多方面に語弊があるとは思うのだけど誤解をおそれずに言うと、カトリックの大聖堂っていうのは日本の仏教寺院に似ているなと思いました。

キリストと三位一体の神様が中心にあるのだけれど、そのほかにも実にたくさんの存在がいる。聖母マリア。天使。旧約聖書の人物たち。十二使徒と新約聖書の人物たち。その土地にゆかりの深い聖人。

仏教寺院で、釈迦如来や大日如来のほかに、菩薩、明王、天部、それに開祖の僧や、歴史上の人物(聖徳太子など)がいるのと、とても良く似ていると思います。

信仰する庶民にとってはアクセスポイントが多いのです。

そしてこの聖堂は、何百年にもわたる政治的なあれこれとはまた別に、というかそれと並行して、本当に生きている、とても強い祈りの場だなあと実感しました。

堂の左手にはイコン的な小さな聖母子像の絵画の前に小さな礼拝堂が設けられていました。
美しい聖母子像なのだけど、これもまたコンスタンティノープルから略奪されたものだそうです……。
イコン的、じゃなくてほんとうにイコンだった。マドンナ・ニコペイアという固有名詞がついていますが、これは「勝利の導き手」という意味だとか。

福音書著者の聖ルカが描いたという言い伝えもあるそうで、ヴェネツィアの人々には古くから厚く信仰されているそうです。


画像はハギア・ソフィア大聖堂についてのサイトより。
コンスタンティノープルで崇拝されていたイコンだったが十字軍の際略奪されヴェネツィアに奪われたのだそうです。

このイコンの前の一角は堂内でも「祈りの場」として別枠になっていて、椅子が何列か設置されてます。

その奥にはまた別のチャペルがあって、そこは観光客はオフリミット。2度めに行ったときにはベールを被った信者さんたちの震えるほど美しい合唱が聞こえました。

聖母子像の前には左右にロウソク台があり、好きなだけの献金をしてロウソクを灯すことができます。

血なまぐさい歴史にもかかわらず、ここは、ありとあらゆる悩みや願いを持ってくるであろう人びとをまるごと癒やすような、ものすごく優しい場所でした。


ここは確かに祈りがきかれ、確かに癒やしと恵みが注がれる場でもあるのです。
それはここで祈っていると確かに感じられる、濃い〜〜恵みです。

圧倒されるほどの略奪品に囲まれた場、力の政治と、圧倒されるほどの力強い恵み。
同じ場にあってまったく相いれないように見えるものが絡まり合っている歴史。

とても簡単に理解なんてできない旧世界の厚みに、やられっぱなしでした。


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2019/03/23

ヴェネツィアごはん <ヴェネツィア思い出し日記 その5>


ヴェネツィアに着いた最初の晩、サン・マルコ広場の近くで適当に選んだリストランテに入ったら、ものすごくひどかった。

リック・スティーブスさんのガイドにも「この地域は高いだけなので食べてはいけない」というようなことが書いてあったような気がするけれど、それにしてもひどかった。

マルゲリータピザは明らかに冷凍。わたしの頼んだ「魚のスープ」も、冷凍のペラペラのイカと冷凍のムール貝が入っているだけの、あまり味のないスープでした。それが15ユーロくらい。そして隣の席のカップルが食べていた魚のフライは、スーパーの冷凍食品売り場で箱にはいって売ってるみたいなかんじのフライだった。
いかに観光地といえども、ここまでひどいお店があるとは。


コストパフォーマンスもよくて一番おいしかったのは、最後の日のお昼に行った、運河に面した市場の近くのお店。


お昼近かったので魚市場はもう店じまい中でした。


おじさんが小さなイワシをさばいてた。どのあたりでとれる魚なのでしょうか。サーモンはノルウェーとかかな。


見慣れない新鮮な野菜がたくさん。
うしろの大根みたいなのはなんだろうと思ったら、たぶんフェンネルルーツ。


どこの国でも市場は面白いです。
この市場のあたりにはワインと小皿料理を出す小さいお店がたくさんあって楽しい。


蛸の絵がかいてある店にはいってみました。


ご自慢のゆでダコ。ものすごく柔らかい。美味しいけど、日本人としてはもうすこし歯ごたえがあっても…と思う。塩気は控えめで、ポン酢がほしい感じでした。
これと、イワシのマリネとラビオリと、ワインとコーヒーも飲んで、2人で40ユーロそこそこ。


エスプレッソもおいしくて、たいへん満足でした。


絵描きのお父さんのお食事中、いっしんに口元をみつめるわんこ。



スマホに見入るオシャレなゴンドリエさん。


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