2017/06/16

SATCのキャリー様ご近所


ニューヨークシティの初日はAirBnB利用でグリニッジ・ヴィレッジに宿泊しました。
60年代はヒッピーなネイバーフッドだったという伝説の「ヴィレッジ」が、今ではすっかりアップスケールになっててもうとにかくオサレ。



どこをみてもオシャレ。
歩いてる人が、頭からつま先までオシャレ。 




ややホラーなドアノッカーもオシャレ。


非常階段も自転車も植木もふつうにオサレ。 





こういう人はシアトルでは見かけない。映画か。



どの窓辺も気合いがはいっている。



この町に住む以上はこじゃれた窓辺にしないと大ひんしゅくを買うのでしょうね。
なにしろ『SEX AND THE CITY』の主人公キャリーが住んでいたというネイバーフッドです。



 

これがドラマに出てきたキャリー様のご住宅だそうで、観光客が写真を撮りに来るので階段に勝手に上がれないよう立ち入り禁止の鎖がはってある。

もちろん住んでいる人がいて、「SHAME ON YOU, TRUMP!(恥を知れトランプ!)」という、現職大統領をディスるポエムが窓に貼ってありました。

お家賃(借家だとしたら)おいくらなんでしょうね。

同行の白金マダムMちゃんがNYCで一番行きたかったというのがこの家。
わたしはSATCってシーズン2の途中くらいまでしか観てない。



ジャズクラブのヴィレッジヴァンガードとかがあるあたりは、60年代はこうだったのかなあという面影がちょっとのこっている気がする。



シアトルにはオシャレな人がいない、と誰もが言うので一体何を言ってるんだと思ってたけど、うん、わかったよ。ニューヨークの人はたしかにファッショナブルだ。

シアトルの人は、肩の張ったオシャレをしないのがオシャレと思ってるんだよね。ニューヨーカーにくらべたら、ネマキみたいなものを着て歩いている人がたくさんいる、たしかに。(わたしもな)



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2017/06/15

古いものを新しくの流行


ニューヨークシティで絶対に行ってみたかった場所のひとつ、HIGHLINE(ハイライン)。


1980年代に廃止された鉄道の高架線路が25年間ほったらかしになり、雑草が生い茂っていたところを地元の人たちの熱意で公園にした、全長2.3キロの舗道。

2009年に第一期がオープン、全部完成したのは2014年という、まだできたての公園。



ここの話はTED RADIO HOUR の「 How Can Public Spaces Change A City's Character?」という番組で聞いたのだった。

公園や、植え込みや、ベンチひとつで都市の顔は変わり、人の動きも変わり、そこに来る人が感じることも変わってくる、町には一見ムダなようなスペースが重要なのだという話でした。


ハイラインの緑にそって、ぴったりくっついている建物にも空中庭園がある。


街全体が緑になるほどではないけど、屋上やテラスの庭園は増えてるようですね。
ビルの屋上が全部緑になったら都市の気候もすこし変わるのかな。


そしてここのランドスケープは、自然に生えるままになっていた当時の雑草たちにインスパイアされたという、自然に生い茂る感じのデザインで、いかにも花壇ぽい整ったものではないのが魅力的。


発起人たちもゲイだったというだけに、この場所はゲイコミュニティーにもゆかりが深いそうです。


いろんなところにあるベンチや椅子もオシャレでした。


唐突に、巨大鼻もある。


 終点はホイットニー美術館。


美術館の8階の展望デッキの風景とも、すっかり溶け込んでます。


近くのチェルシー・マーケットも、以前はナビスコのビスケット工場だったところを、90年代にマーケットに改造したツーリストスポット。
アンソロポロジーや「モリモト」が入っててオシャレ感満載。


古いストラクチャーの活かし方がセンスいい。


パイプはそのままに活かしてかわいいベンチが作られてる。
レンガの壁といい、古いパイプといい、素材感と色の組み合わせが素敵すぎ。


アジアの夜店みたいな提灯がレトロな風情です。

ここの出口を出るとすぐハイライン。このへんは昔、精肉業者が並んでいて、そのあと工場が撤退したあと寂れていた地区だったのが、近年ジェントリフィケーションが進んですっかりファッショナブルなエリアになったそうです。

ニューヨークもあっちこっちで工事が進行中。

お金持ちのための場所だけが綺麗になっていくんじゃなくて、ハイラインみたいな公共の場所にもっとお金が使われるようになるといいよね。


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2017/06/13

早速アクシデント


朝6時発の飛行機。3時半起きで息子に送らせました。
きのうはグランマを、その前の日はKちゃんを送りに空港へ行った息子。

シアトル・タコマ国際空港からデトロイト行き。
マクドナルドにセルフチェックアウトのカウンターができていた。
でも人力サービスのほうが全然早かった。


雲海のタコマ山 aka レーニア山。右の白く光っているのはセントヘレンズ火山かな。



デトロイト空港はぴかぴかでした。


 ワークステーションもかっこよかった。食べものもここで注文できるようになってる。
トランジットの時間が5分しかなかったのが残念。


到着です。人生初NYC。



かぶりついていたら、窓枠が、落ちた。 周りの席の人が爆笑。
わたしは何もやってないよー!なんだこの大当たり。幸先がいいのか悪いのかw



 東京から来て合流したMちゃんが、由緒ただしい浅草の赤みみずくちゃんをおみやげにもってきてくれた!
たいへん霊験あらたかなみみずくちゃんだそうな。旅をまもってくれることでしょう。

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生け垣とひそかな予感


近所の舗道。よくお手入れされている生け垣が素敵。イングランドみたい。


この木はなんの木だか知りません。白い花が超満開。


元義理ママの観光アテンドも無事終えて、明日からは自分が旅行に行ってきます。

10日間でも夏服なのでキャリーオンですませるかスーツケース大きいのもってくかまだ悩み中。
そしてとんでもないものを忘れそう。また珍道中になりそうな予感…。

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2017/06/12

また身分が変わる

土曜日は息子の卒業式でした。
いやはやこの間入学したばっかりだと思ったら。「息子が大学生」という身分にやっと慣れてきたところだったのに。

わたしが大学のイブニングプログラムに編入したのが5年前で息子が高校生のとき。私のほうはまだ4クラス残ってて、すっかり追い越された。


日本はどうなのだか知らないのだけど、ここの大学って学部ごとに卒業式があるシステム。
大学全体の卒業式は土曜日の午後にスタジアムで開催。そちらは全校の卒業生が何千人も集まる。4時間以上かかるし延々人混みのなかで待つのはだるい、と息子がまったく興味なしなので、そちらはパス。

美術・美術史・デザイン専攻のアートの学部だけの卒業式だけ参加しました。
特に人数の多い学部ではないのだけど、それでも大学のホールの一つがいっぱい。卒業生は学部から博士号コースまで200人くらい、親と親戚友人が800人くらい。

アートの学部だけにファカルティもカジュアルな格好のひとが多かった。
これだけ卒業生が毎年出るのだねえ、みんながんばれ。

息子ガールフレンドのKちゃんがファイナルの週なのにわざわざサンディエゴから、Kちゃんのご両親も出席してくれた。


それとルイジアナからグランマが来てくれた。

ほんとにたくさんの人に助けられてきました。幸せなこどもだった。
 
これからちゃんと世間にお返しができるように、良いものを作っていけるとよいのですが。ていうかまず仕事見つけれ!


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2017/06/07

どこへ行こうというのだ


うちのモンステラちゃん。
息子の部屋が東向きで午前中よく日が当たる環境が好きらしく、めきめき育っています。
4年前にCTちゃんちの株から小さい葉っぱを切ってきて挿し木したもの。

そしていつの間にか、気根が…


いったいどこへ行こうとしているのだ。

パンダナスという木はこういう気根をたくさん出して、歩いているように見えるので「歩く木」といわれているそうですが。

うちのモンステラちゃんも、だんだんと植木鉢の外に茎を張り出して、テリトリーを拡張する気まんまんな感じ。

ところでやっときのうの夜中にレポート提出したった!
11時59分締め切りのところ55分に提出という、危ない橋をわたる大人。

もう今回はどうなることかと思いました。

論旨組み立てるのと文法とか語彙を調べるのとほぼおなじ時間を費やしてる気が。
たった10枚のレポートを書くのにいったい何十時間かかっているのだ。
もったいなくもこのクラスのために断ったお仕事がいくつもあるので、オポチュニティコストを考えるととんでもなく高価なレポートである。誰か買ってください。

ちなみにお題はリチャード・ドーキンス。去年比較宗教の時間にちょっと取り上げて気になっていて、ブログに書いたこともあった無神論者界のスーパースターです。
がつんと言ってやったのでスッキリした!

そして同時にいくつか進行中だった仕事も全部納品が終わったので、文化祭の打ち上げのように大変ハイな状態です。 ヒャッホウー!

明日はうちの息子のグランマがルイジアナから卒業式のために来てくれるので、とりあえず先週からずっと見てみぬふりをしていた掃除とせんたく!


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2017/06/06

愚妻とファンタスティック社員のあいだ



近所はあちこちバラが満開。そのへん一周してくるだけで植物園のよう。近所の園芸家さんたち、ありがとうございます。家が立て込んでくるとだんだん緑も少なくなっちゃうんだろうなー。

忘れてました。先月末にデジタルクリエイターズに掲載していただいたぶん。

*********

日本語でよくある言い方をそのまま英語にすると、時にとんでもないことになる(逆もまた真なり)。デビッド・セインさん&岡悦子さん著『その英語、ネイティブはハラハラします』(青春新書インテリジェンス刊)という本には、日本人がうっかりニュアンスを知らずに使ってしまう可能性がありそうな残念な英語表現と、その代わりに使うと良いアメリカ英語のよくある表現がたくさん紹介されていて、とても面白い。

その中で、
「会社のパーティーに夫婦で出席して、同僚に妻を紹介」というシチュエーションで、

「これ、うちの愚妻でして、もう、なんにもできないんですよ」

と、日本の人がいかにも言いそうな言葉をそのまま英語に直訳して言ってしまうと……というのがあって、爆笑してしまった。

「This is my foolish wife. She can’t do anything」

うわははは。たしかにアメリカでこんなことを言ったら、普通に頭がおかしいと思われるだろうし、最悪、奥さんが虐待を受けているのではないかと心配されて通報されちゃうかもしれない。まさか本当にこんなこと言う人はいないと思うけどね。

しかし、60代くらいの昭和サラリーマン世代ならともかく、今でも「愚妻」なんて言う人がいるんだろうか。と思ってググってみたら、「発言小町」の2016年6月の「夫が私を愚妻って呼ぶのがむかつく!」というトピを発見。トピ主を「日本の謙譲語を知らないのか」と叩く人あり、「そんなのいまどき聞いたことないよ」という人もいて、興味深い。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2016/0605/764852.htm

ちなみに「愚妻」とか「愚息」という言葉は、「私の」という意味を謙遜した言葉であって、単に「自分の妻」という意味であり「愚かな妻」という意味ではない、と主張している人がいるけど、要するに「バカな自分の身内です」ということで、どっちにしても褒めてはいない。むしろ「バカな自分」の属性としてしか身内の個人を認識していない、または「バカな自分」に取り込んでしまっていて、自立した人格とはみなしていないという意味で、欧米的な視点からみるとさらにヤバヤバである。

身内を自分の延長とみなして、その属性とか実績はけっしてソトに対して褒めたり自慢しない、という常識が21世紀になってもまだまだ日本の「美徳」とされているのは面白いなあと思う。

何が美徳であるのかについての社会的な合意は、「発言小町」の反応が真っ二つに分かれてるように、どんどん変わっている。とはいえ、やはりざっと見た感じでは、「それが日本の常識でしょ、何いってんの」という意見のほうが多かった。日本の美徳はしぶとい。または、美徳にまだ何のヒビが入っていなかった時代の社会への郷愁が、しぶといのかもしれない。

社会の構造が今よりもカッチリしていた頃、「愚妻が…」という言葉を使う人はたぶんある一定の身分を持った男であり、おそらくその一家の唯一の稼ぎ主であったはずだ。教養もあり卑しからぬその人が「愚妻が」というその妻は家を守るだけの賢さはきちんと持ち合わせた育ちの良い妻でありそのことを夫も誇りに思っているがそんなことは教養ある者が人に言うべきことではないので謙遜しているのだよ、と、聞く側も説明がなくてもひと息にちゃんと了解できていた。こういうのがつまり文化的なコンテクストというものであるのは間違いない。

日本人が身内や自分を褒めないのはその文化的なコンテクストゆえだが、そのコンテクストがやっぱり少しずつ、コンクリで固めても固めても岸辺が波に侵食されるように崩壊しつつあるのだと思う。

社会の構造は大きく変わっているのに、文化的な了解事項はたぶんいつも少し遅れてついていく。そこに葛藤が生まれないわけがない。

日本の文化はペリーの黒船来航以来、160年以上にわたって、ゆっくりと崩壊していく、または変わっていくコンテクストへの対応に苦しんできたんじゃないかと思う。節目節目で社会は大きく変わりながら、その苦しみはまだまだ続いている。これは特に日本だけの現象じゃなくて、どこの国でもそういう新旧の軋轢は当然あるはずだ。(アメリカでも、たとえば世間一般の了解事項が大きく変わるのにつれて、マイノリティやジェンダーや宗教にまつわる言葉には大きな変化があったし、今でもそのへんには大きな軋轢がある。)

ところで、アメリカ人はとにかく身内を褒める。

息子が小学生の頃、サッカーのチームの親たちが、自分の息子もよその息子もわけへだてなく、褒めて褒めて褒めまくっているのがなんとも眩しかった。
こういう文化なんだと頭ではわかっていても、やっぱり日本で生まれ育った私は「Sくんは足が速いね」「…が上手だね」などと他の親に褒められると、「いやいやいやいや、でも小回りが利かないんですよ」「でも……はできなくて」など、何か別の案件を持ち出して速攻否定したくなる衝動を抑えられないのだった。

夫婦でも、自分の旦那様や奥様のことを「彼は料理が素晴らしく上手なのよ」とか「彼女はいろんな分野に精通してて、すごくクリエイティブなんだ」とか、何の留保もなく、率直に、100パーセント、よく褒める。

親子でも兄弟姉妹でも、とにかくソトに対してもお互いの間でもよく褒める。しかも、本心からそう思って言ってるのだ。少なくとも本人は本心だと思っているに違いない。

「健全な精神を持つ大人は、自分や身内を肯定的に捉え、それを世間に躊躇なく宣伝するべきである」というのが米国の社会常識、文化コンテクストだといっていいと思う。実際に行って見てきたわけではないけど、読んだり聞いたりした話ではほかの西欧諸国でもそうなのらしい。

会社文化にも、この違いははっきり表れている。

この間、携帯電話のキャリアを替える手続きにウェブのチャットを使った。こういうチャットや電話でのカスタマーサービスは、途中で別の部署の担当者が出てきてプロセスを引き継ぐことがある。この時も最初にでてきたチャットの担当者は、私が他社から乗り換えで新規にアカウントをあけたいと希望しているのを確認すると、新規顧客の担当に引き継いだ。

そして次に出てきた担当者のセリフ。
「It looks like you were last engaging with our fantastic chat advisor Joe and you were interested in the XXX plan …..」
(うちのファンタスティックなチャットアドバイサー、ジョー君とチャットしてたようですが、その話によるとあなたはXXXプランに興味があるようですね…)

ファンタスティックかよ!と思わず静かに心の内で突っ込みを入れずにいられなかった。

日本のカスタマーサービスで、
「弊社の素晴らしいアドバイザーがこのように言っておりましたが…」
なんて言ったら、若干頭のヘンな人と思われてしまうのではなかろうか。

わたしが東京にいた20世紀後半から比べると少し変わったのかもしれないけど、日本の会社文化からこの「ウチ・ソト」意識が消えることも、まだ当分はないのに違いない。その反対に、アメリカで内外に向かって社員を褒めたたえる文化はますます加速しているようにみえる。

「愚妻」と同じで、日本の美意識では、家族なり会社なり、属するグループの身内をひとまとめにして捉えて、ソトの人たちをそれより高いところにあるものと(仮に)想定してへりくだるのが折り目正しい社会人の態度とされる。

アメリカの企業は、内外に向かって、「ウチの会社では社内の個人もこんなに尊重してるんですよ!」ということを宣伝する。

アメリカ人が書いた英語の会社情報などを日本語に訳していると、こういった、ウチ・ソト意識の日本の常識との間のギャップに悩むこともある。

日本の会社ならば社内の人間に敬称をつけず、身内のこととして謙譲語を使うのは常識だけど、アメリカにはその分け隔てはない。たとえば社員を褒めたたえている広報資料があったとして、それにどこまで日本式の「へりくだり」ニュアンスを入れて訳すべきなのか?

すべてを日本式にして謙譲語を使うのも正しいとはいえない。会社の持つ文化や主張がアメリカ式のスタンダードなら、それはそのまま伝えるべきだ。でも読者に傲慢な印象を与えては広報の意味がない。

そのへんはもちろん最終的にクライアントさんの判断になるものの、翻訳者としてどのような提案をすべきなのかは悩みどころである。

特にクライアントさんに日本語ネイティブスピーカーがいない場合などは「こういう場合、これが日本の標準ですよ」といちおう胸をはって提案してみるものの、媒体により、読者により、場合により、正解は一つではないので、常に悩ましいのだ。



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