シアトル酋長のスピーチは、1960年代から70年代にかけて、後代の人が大幅に書き直したものが有名になりました。
今でも「シアトル酋長のスピーチ」といったらそっちのほうがよく知られているし、子ども向けの本の題材になっているのもこの書き直しバージョンのほうです。
まずWilliam Arrowsmithという古典文学の教授が、「ヴィクトリア英語から現代英語への翻訳」を試み、それをベースにTed Perry というこれも文学の教授がエコロジー関連のノンフィクション映画のために書き起こしたものが最もよく流通している「シアトル酋長のスピーチ」。
Ted Perry バージョンには、たとえば以下のようなメッセージがあります。
Will you teach your children what we have taught our children? That
the earth is our mother? What befalls the earth befalls all the sons
of the earth.
This we know: the earth does not belong to man, man belongs to the
earth. All things are connected like the blood that unites us all.
Man did not weave the web of life, he is merely a strand in it. Whatever
he does to the web, he does to himself.
『われらが子どもらに教えて来たことを、あなた方の子どもたちに伝えてくれるだろうか? 大地はわれらの母だということを?
大地に注ぐものは、大地の子どもたちの上にも等しく注ぐのだということを?
大地は人のものではない。人が大地に属しているのだ。すべてはつながっている。血がわれらをつなげているように。人は命の糸を紡いではいない。ただその中にからめとられているだけだ。』
ウェストシアトルにあるChief Shealth 高校正面です。 |
いかにも「インディアンの最後の酋長が言いそう」といった感じのエコロジーなメッセージです。
ジブリ映画のテーマのようですね。
が、これはスミス博士のバージョンには影も形もない、完全な創作。
19世紀のスミス博士も、70年代のエコロジーな人々も、酋長の中に「きっとこうであったに違いない」理想の自然人の姿をみたのでしょう。
アメリカ人が(そして彼らの目を通してほかの国の人たちも)自分の国にかつて存在し、消えていった(追われたんですが)文化やスピリチュアリズムをロマンチックにとらえるのは今に始まったことではなく、まだ各地で「インディアン問題」がホットであり、居留地への移動がまだ進行中だった19世紀半ばから、すでにその傾向はあったようです。
(ウェストシアトルにあるこの高校は、「シアトル」ではなく、オリジナルの発音に近い「チーフ・シールス」という名前で、酋長をたたえています)
Albert Furtwangler著『Answering Chief Seattle』は、酋長のスピーチとされるスミス博士のテキストの信ぴょう性を様々な角度から検証し、このスピーチが問いかけるものに、人々がどのように応えただろうか、という視点で、ジェファーソン大統領、ウォルト・ホイットマン、ホーソーンによるインディアンのとらえ方なども掘り下げた労作です。
書き方はまだるっこしいことこの上ないのですが、スティーブンス知事のエピソードなど面白い話がけっこうあります。
ダウンタウンを歩いていたら、ここにも ↑ シアトル酋長がいました。
1869年とあります。現在のロゴ ↓ よりも写実的ですね。
この現在のシアトル市のロゴは、プラハ、ロンドン、メルボルンなどと並んで、DzineBlogで2010年に「世界の市のロゴ、ベストデザイン21」に選ばれていました。