フィレンツェ3日目、最終日にはドゥオーモ美術館に行きました。
この日は単独行動。午後別の街に回る予定のため午前中だけしかなかったので、さくさくと。
美術館の横にカフェがあったので、このクーポラを見上げながらの朝ごはん。
日本のサンドイッチみたいな三角形のツナサンド。まあまあでした。
カウンターで飲むとエスプレッソは1.5ユーロなんだけど、外のテーブルに座ると3ユーロ。というシステム。
メニューに作曲家ヴェルディの「コーヒーは心と魂のための香油である」なんていう言葉が書いてありました。
この美術館はわりあい最近に改装されていて、ピカピカです。
ドゥオーモ美術館、洗礼堂、鐘楼、クーポラ、ドゥオーモの地下にある遺構は全部共通のチケットで18ユーロ。
「フィレンツェカード」を買うと全部含まれてますが、フィレンツェカードから引き換えるときはここの美術館じゃなくて洗礼堂の前のチケットカウンターに行かないといけないので要注意!
わたしは最初、鐘楼のところにいた係のお姉さんに聞こうとしたら「ここに書いてあるでしょっ!」と、このドゥオーモ美術館に行けと書いてある看板を示されました。フィレンツェで遭遇したなかで一番機嫌の悪い人だった。そして美術館の入り口の列に15分並んだあとで、ドゥオーモの反対側の洗礼堂前にいかなきゃいけないと言われたのでした。ちぇっ。
まあでもとにかく、この美術館もとても素晴らしかったです。ドゥオーモの外壁や堂内に飾られていた彫像やお宝がすべてここに安置されています。
ロレンツォ・ギベルティさんの制作した洗礼堂の扉も、本物はここ。
ドゥオーモと洗礼堂の外壁を再現したギャラリー「Salone del Paradiso」。「天国の間」でしょうかね。
当初聖堂の外壁は彫像で埋めつくす計画だったのが、結局、下のほう三分の一しか完成しなかったそうです。それでも歴代最高の彫刻家たちの作品でいっぱい。
左はドナテッロさんの「聖ヨハネ」。「ヨハネの福音書」「黙示録」の著者とされるヨハネです。
ドナテッロさん22歳のときの作品。あごヒゲとドレープが美しい。すっごい巻き毛ですね。
麗しい手描きの楽譜もある。
これは17世紀に造られた、ドゥオーモのファサード案のモデル。
クーポラ建設に使われた機材の模型とか、映画とか、いろいろインタラクティブな展示もあって面白い。この辺ももうちょっとじっくり見たかった。
鐘楼の壁を飾っていたレリーフのパネル、アンドレア・ピサーノ作、1348〜50年。
28枚のパネルは、聖書物語の一部だけではなく、擬人化された7つの惑星や、当時の産業・技術を擬人化したものもあります。惑星の擬人化ってキリスト教会とは相いれない気がするけど、中世の教会は占星術を排斥せず、むしろ取り入れていたのだそうです。
これは「建築」のレリーフ。ほかに「天文学」「医術」「狩猟」「織物」「法律」などがあります。
この鐘楼の壁をレリーフで飾るために資金を出したのはフィレンツェで当時一番の産業だった羊毛組合で、だからこの街の象徴でもある鐘楼の壁を当時の産業と技術を誇らしげに飾ったのだそうです。
まさにルネサンスの時代精神って、産業が支えてたんだなってことがわかる。
こちらは「メカニカルアーツ」の擬人化で、ダイダロスさん。
ギリシア神話の人物で、イカロスのお父さん。塔に閉じ込められて、人工の羽根を作り、息子イカロスと共に脱出するも、イカロスは太陽に近づきすぎて墜落してしまったというお話で、お父さんよりも墜落死した息子のほうがどちらかというと有名です。
「メカニカルアーツ」ってなんだろう?工学かな?と思ってググってみたら、中世のコンセプトで、修辞学、論理学、数学などの7つの「リベラルアーツ」と比べてそれより劣る実学、といった位置づけの学問だったらしい。
エンジニアが崇められる21世紀とは違って、実際にものを作る技術というのは「リベラルアーツ」よりも下の世界のものだとみなされていたのでした。
このダイダロスさんはいろんな天才的な発明をした人だったので、やっぱりエンジニアの元祖といっていいのかも。
その「メカニカルアーツ」を堂々と鐘楼の壁に飾ることで、フィレンツェの人たちは職人仕事や芸術といったものづくりの技術についての誇りを示したんですね。
しかし、キリスト教会の壁をギリシア神話の人物で飾るってアリなんだ!というのがちょっと衝撃的でした。惑星の擬人化もギリシア・ローマ神話の神だし。
という衝撃は、きっとプロテスタント的な感覚なんですね。
ずっとアメリカにいて、キリスト教といえばこう、とプロテスタントの価値観が刷り込まれていたので、それこそ目からウロコでした。
こちらは「論理学と弁証法」のレリーフで、プラトンさんとアリストテレスさんが代表してます。プラトンもアリなんだ!
この美術館にある2つの重要彫像のうちの一つ、ドナテッロさんの「マグダラのマリア」。
一瞥して、「毛皮をまとった洗礼者ヨハネ」かと思ってしまいました。
荒野でイナゴを食べて暮らしていたヨハネ、ではなくて、マグダラのマリアだと知ってほんとにびっくり。
こんなマグダラのマリア、初めて見た。体を覆っているのは毛皮じゃなくて髪の毛なのでした。
新約聖書の登場人物中でも聖母マリアとセットの美女として描かれることが多いマグダラのマリア。「罪深い女」であったところをイエスに出あって癒やされたという設定で、キリストの死と復活に立ち会った女性の一人です。イエスの妻だったという俗説もあり、とにかくいろいろ後世の想像を刺激した色彩豊かな女性なんですが、このような姿で描かれているのは寡聞にして初めて見た。
キリスト復活後、マグダラのマリアは荒野で30年間悔い改めの生活を送ったという話があるんですね。知らなかったです。しかしこんなにガリガリに痩せて老いつつも、まだ悔い改めの真っ最中という表情で、瞳は宙をみつめ、ひたすら悔いでいっぱいですという表情。鋭く尖った鼻、落ち窪んだ眼窩。
それほどまでに女人の罪は深いんだよという意味なのか。
同性愛者だったドナテッロさん自身の、自らの死後の救いへの思いがあるのか。
切ない。
ドナテッロさん晩年の1455年の作品。
大理石ではなく、ポプラ材を使った木彫で、もとは彩色されていたそうです。
マグダラのマリアにはこんな解釈というか表現もあったんだ!と、ほんとにびっくりした作品でした。
もうひとつ、この美術館の中で別格扱いの重要彫刻はミケランジェロの「ピエタ」。
ミケランジェロのピエタ像といえば、20代初めに制作して出世作となったバチカンにあるのが有名ですが、これは晩年の1547年〜55年頃の作品。
右にいるのは聖母マリア、左はマグダラのマリア。
後ろで支えるベールの人物は、弟子たちと共にキリストの遺体を埋葬したニコデモさん。ミケランジェロはニコデモの顔を自分の顔をモデルに作ったと歴史家のヴァザーリさんは語っています。
そろそろ80歳になろうかというミケランジェロさんは、自分の墓の上に飾るためにこれを作っていたのだといいます。
でも結局未完成のまま放棄してしまった理由には諸説あるそうですが、ミケランジェロさんはかなり晩年、落ち込んでいたらしい。
このピエタ像に向かい合う形で、反対側の壁に、ミケランジェロさん自身が最晩年に書いたという詩が大きく展示されてました。
The course of my life has now brought me
through a stormy sea, in a frail ship,
to the common port where, landing,
we account for every deed, wretched or holy.
So that now I clearly see
how wrong the fond illusion was
that made art my idol and my king
leading me to want what harmed me.
My amorous fancies, once foolish and happy:
what sense have they, now that I approach two deaths-
the first of which I know is sure, the second threatening.
Let neither painting nor carving any longer calm
my soul turned to that divine love
that to embrace us opened his arms upon the cross.
<若い時に芸術を至上のものとして追い求めていたのはなんと愚かだったことか。
死を前にした今では、絵画も彫刻も自分の魂を鎮めてはくれない。
ただ十字架の上で両手を広げている救い主の神聖な愛だけに自分の魂は向かっているのだ、…>
という内容。
一世を風靡したドナテッロさんもミケランジェロさんも、長生きした晩年はちょっと寂しくなっちゃって救いを求めていたのか。
ローマの有名なピエタはもちろん本物を見たことがないけれど、わたしはこの未完成のピエタ像、すごく好きです。
聖堂の美術館に置かれるにふさわしい作品でした。
ローマのピエタも見てみたい…。
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