2019/04/22

宮殿とバンクシー、メディチさんちの難しいトイレ <フィレンツェ思い出し日記 その3>




フィレンツェ滞在は正味2日間だったので、ほんとに数点集中でした。

…とはいえ、ウフィツィ美術館とダビデ像しか下調べをしていなかったので、きわめて行き当たりばったりで。

毎度毎度、旅先の下調べができないというのは、なぜか旅が急に決まることが多く、仕事やなにかがたてこんで時間がないというのもあるんだけど、なにか妙なブロックがかかってるのかも、とも思う。

でも帰ってきてからじっくりその場所のことを読んだりしてみて、「ああーそうだったんだ!」と噛みしめるのが好きです。前もって知っておくよりも、むしろそのほうがじわじわと経験が深まる気がする。すこし言い訳めいてますけど。
行く前にこれを知っておけば…と悔しい思いをすることもたまに(スルーしちゃったドージェの宮殿の謁見の間とかね)あるけど。

フィレンツェ1日目はバルジェッロ国立博物館に行こうと思ったら午後1時までの公開で、もう閉まっており、ウフィツィ美術館は翌日行く予定だったので、たまたま目の前にあったメディチ家のリッカルディ宮殿、Palazzo Medici Riccardiへ。

コジモ・デ・メディチさんが1444年に建てた宮殿だそうです。

目の前にあったのに、「宮殿」というわりに外観はまるで銀行かなにかのように地味でいかめしい四角い構えで、しかも街なかにぽっとあるので、「ほんとにここなの?これが宮殿?」とちょっと疑ってしまいました。

外見はこんなです↓。
(Wikiコモンズより)
コジモさんはもともとドゥオーモのクーポラを完成させた天才建築家フィリッポ・ブルネッレスキに設計を依頼したのだけれど、あまりにも豪壮な構えだったので、市民の反感をかうのを恐れて、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオさんにもっと地味な設計を再依頼したそうです。

たしかに、敵が多くて、ちょくちょく暗殺されたり追放されたりする家庭だったことを思えば、この「宮殿」の厳しくてそっけない外観は納得がいきます。



現在はフィレンツェ市の所有で、美術館になっているこの宮殿。
なんと、訪ねたときにはバンクシーの展覧会が開催中でした。


小さな展示だったけど、充実してて面白かった。

宮殿とバンクシーの取り合わせがなんともいえません。
フィレンツェ市のキュレーターはけっこうアナーキストなのかも。


外見は質実剛健ふうな宮殿ですが、中はやはりゴージャスそのもの。

Magi Chapel(マギ・チャペル)という名前の邸内礼拝堂は全面の壁が麗しいフレスコ画で飾られてます。

ベノッツォ・ゴッツォリさんという画家による1459年の作品で、大名行列みたいな大人数の行列が緑豊かな土地をやってくる図。

いちおう「Magi」、つまりキリスト生誕を祝って駆けつける東方の三博士の行列ということになっているのだけど、お衣装は15世紀らしいし、当時の人々、とくにパトロンであるメディチ家の人々やそのお友達、画家自身などが描き込まれた15世紀のコンテンポラリーな仕上がり。

この絵はBBCのTVシリーズ『メディチ』の続編としてNetflixが作ったシーズン2にもでてきました。
 


礼拝堂の聖母子像。



こちらはフィリッポ・リッピの聖母子像。

フィリッポ・リッピの作品はウフィツィ美術館にある聖母子像が有名ですが、こちらも透明感のある素敵なマドンナです。

フィリッポ・リッピというひとは司祭の役職も任じられていたのに、50歳の頃、お祭りの騒ぎに乗じて23歳の修道女を「自宅に連れ去っ」て内縁の妻にしてしまったという破戒僧。でもコジモさんが教皇にとりなして還俗させ、めでたく夫婦になったのだそうです。コジモ、 やるな。


その聖母子像のウラにあるデッサン。憂いのある表情。
若い女性の持つこういったはかなげな透明感をほんとに崇拝していたのですね、フィリッポ・リッピさん。


豪華絢爛、ベルサイユのような「鏡の間」。こちらはメディチ家からリッカルディ家へ宮殿が売却されたあと、17世紀のバロック期につけたされたお部屋。

ここに透明なプラスチック椅子を配するところが、さすがにイタリアです。かっこいい。


こんなところにもヴェルサーチ!(蛇ヘアーのメデューサさん)。
イタリアの人ってメデューサさんが好きなんですね。
ウフィツィ美術館の外壁の飾りにもカラヴァッジョの描いたメデューサさんがフィーチャーされてました。 ↓ これね。




「鏡の間」の隣の広間には、会議設備がありました。後ろにあるのは同時通訳者用ブースと思われる。こぢんまりしているけど、フィレンツェ市の国際会議に使われたりするのでしょうか。
「どんな会議があるの?」
と、美術館のひとに聞いてみたら「ポリティコ」というお答えでした。

ところでこの宮殿でトイレに行こうと思ったら、地下の奥のほうにあったこのトイレが…



(トイレ画像注意)
↓↓







使用方法が難しくてよくわからなかった(涙)。

日本に来て、個室の中で和式トイレに遭遇した外国人観光客のみなさんも、きっとこんなふうに途方にくれることであろう。
いったいどちらを向いたらよいのか?


あっ説明書きがある!と思ったがイタリア語でした。
一生けん命グーグル翻訳してみたが、

we kindly ask all people who use the bathroom to keep it clean and orderly」
(トイレはどうかきれいに使ってくださいね)

役に立たない注意書きであった。

成田空港のトイレ(洋式)についているピクトグラムはとても親切だと思いました。

イタリアで出逢ったトイレは、観光地であっても、高級ホテルや高めのレストランなど以外の場所では、けっこう難易度が高い(トイレのシートがないとか)ことが多かったです。



リッカルディ宮殿の意外にこぢんまりとした中庭。植わっているのはレモンの木。

『メディチ』でもたしか、ヴェネツィアから来たコジモのお妾さんが、奥様付きのお女中さんにイヤミをいわれる場面ででてきた気がします。


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2019/04/16

ドゥオモくんと機嫌のよい街 <フィレンツェ思い出し日記 その2>


街中、ほんとうにどこを見ても絵になるフィレンツェでした。


この赤い車輪の自転車は、シアトルにあるLIMEバイクとかJUMPみたいな、時間貸しで道端に乗り捨てできるシステムのレンタルバイク。

うちの息子もアプリをダウンロードして乗ってました。
しかしこれもデザインがオシャレ!


なにげなく覗いたウインドウ。

弦楽器の修理やさんのようでした。

螺鈿?象牙?の飾りがびっしりのヴァイオリンや、解体されて修理中のギターなどが無造作に置いてある小さな店。その日は休業らしく、閉まってました。

童話の本に出てくるお店みたいだ。


石畳の道に無造作にいるイタリアのおじさんがまたオシャレ。
スカーフ/マフラーがデフォルトです。


フィレンツェの街は夏場は観光客で溢れかえるそうですが、ヴェネツィアとは違って、生きている活気ある街という感じがしました。大学もあるし、きびきびした生活感がある。


ローマ時代からの広場だそうです。

イタリア事情に詳しく、ヴェネツィア在住の友人もいらっしゃる版画家の尚美先生は、住むとなったらいろいろ大変そうだよ、と言っていた。

うん、きっと役所とか電話会社とか電気会社とか、そういう方面で苦労しそうな気がする。ハワイも相当疲れたけど、きっとそれに輪をかけて。

そのような方面をすこしのぞき見た感じがしたのが郵便事情でした。

アメリカの元義理ママ(息子のグランマ)に絵葉書をだそうと思ったら、郵便ポストというものがなく、かなり遠い郵便局まで行く必要があるといわれて困惑。ポストってないんだ…?

チェックアウトのときに宿の人に聞いたら、親切にも出しておいてあげるよ、と言ってくれたのだけど、絵葉書が着いたのは帰国後3週間後くらいでした。


でもイタリア各地で出会った人はみんなだいたい親切で機嫌が良かった。観光地だからというのもあると思うけど、明るい。それもハワイに似てる。

機嫌の悪い人が多いけど物事が粛々と脇目も振らず迅速に進む街と、いろいろトラブルはあるけど機嫌の良い人が多い街と、どっちがいいかといわれたら、住むならば後のほうがいいかな。文句いいながらも。


細い道を適当に当てずっぽうに歩いていたら、建てものの間からドゥオーモの姿があらわれて、思わずおおおおー!と声を上げてしまう。



正式名称はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。

13世紀から140年かけて建設されたという聖堂です。
こんなに建て込んだ街の真ん中にあるんだー!と新鮮に感じました。

ヨーロッパ中世の街というのは城壁に囲まれた限られた面積の中に建てるからめちゃめちゃ建て込んでるんですね。
行ってみるまで、そんな事情を考えてみたこともなかった。

機内で読んだリック・スティーブズさんのガイドブックで

「ドゥオモは屋根に大きな穴が空いたかたちで建設された。壮大なドームをその上に建てられるような技術が、建設着手当時にはまだ存在していなかったのだ。でもそんなのは大した問題じゃない。フィレンツェの人びとは、そのうちにきっと誰かがこの難問を解決するに違いないと知っていた。15世紀になって、フィリッポ・ブルネレスキがその役を果たした」

とあって、まじでか!と感動しました。

どうやって建てるかわかんないけど、 とりあえず建て始めちゃいましょう

って、日本では多分、ありえない発想ではなかろうか。

大仏殿の屋根の作り方わかんないけど、とりあえず下だけ作っとこう、ってないよね。
何言ってんだおめえ、て即座に却下されそう。

行ったことないけど、イギリスやドイツでも、きっとダメだっていわれそうな気がする。そんなことないですか?



ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂でもつくづく思ったけど、石の文化ってほんとに、重ねていく文化なんですね。

この正面のファサードは19世紀に完成したもの。
着工が1296年だというから、実に600年ちかくかけて完成したともいえる。


帰ってきたからNetflixでドラマ『メディチ』を観たら、第1部の舞台は15世紀前半、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ・メディチさんとその息子コジモの時代で、まだてっぺんがまるあきのドゥオモが出てきた。

そして第一話でジョヴァンニさん(演じているのはダスティン・ホフマン!おじいちゃんになった!)が息子コジモとの会話でそのことに触れて、このドゥオモは未来を信じるフィレンツェ人のホコリであり自信なんだ、みたいなことを言ってて(うろ覚え)、えへへっ、と思いました。




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2019/04/13

スクワット街灯と宝石商の橋 <フィレンツェ思い出し日記その1>


フィレンツェ思い出し日記!
もうひと月半も前なのか。はやっ。

ヴェネツィアからフィレンツェへは車で山越えをして、文字通り夜中に到着しました。

翌朝、ポンテヴェッキオという有名な橋にむかう途中でいきなり遭遇したのがこの、手すりの上でスクワットしてる街灯くん。

もうこの街灯ポストをみた瞬間に、わたくし、この街が死ぬほど好きだというのがわかりました。

どの時代にどなたがデザインしたものかまったく知りませんが、この脚。
この街灯が川沿いにしゃがんでいるこの姿を見ただけで、ここに住みたくなった。

ていうか、ここも、初めて行ったのに、帰ってきたよ久しぶりだね!という感じがする街だった。


橋のうえにぎっしり建てものが乗っている、ヴェッキオ橋。

上階にはメディチ家専用通路があったそうです。
「ヴァザーリの回廊」という名前のついてるこの通路、いまは改修中で、2021年に再オープンの予定だとか。気が長い感じがイタリアっぽい。



最初は肉屋がずらっとならんでいたのが、16世紀に橋の上にその専用通路を作ったメディチの人(コジモ1世)が、橋を通るときに<臭いから>という理由で肉屋たちを追い出し、金細工師たちの店入れ替えたというお話です。

肉屋さんは川に廃物を捨ててたんでしょうか。 相当臭かったんでしょうね。


いまは観光客むけにジュエリーショップが両側にずらりと並ぶ。


夏場は足の踏み場もないくらい混雑するそうですが、2月の末はこんなかんじでした。

ポリスのユニフォームも可愛い。左の二人。白いヘルメット。
コスプレ?と思うくらいカワイイですが、ちゃんと拳銃を携帯してるポリスウイメンでした。

ていうか街の人もみんなオシャレだ。


ヴェッキオ橋の上にある宝石屋さんで買ったスプーン。1本7ユーロなり。
メイド・イン・チャイナかもしれませんが、すごく満足。

ショウウィンドウに並んでたほかの品物たちとは2桁以上値段が違うので、ほんとうに7ユーロなのかちょっとドキドキしながら聞いてみた。

翼の生えたライオンはヴェネツィアの徽章。
右のはメディチ家の紋章なのか、フィレンツェ公国の徽章なのかよくわからない。
こんなに小額のお買い上げなのに、宝石屋さんはとっても丁寧に流麗な筆記体の領収書を書いてくれました。



これもフィレンツェの紅茶屋さんのお茶です。中国風のグリーンティーに松の実や花がはいってて、ヴァニラの香りがする「ミケランジェロの夢」。

できることなら毎月通いたいよ、フィレンツェ。また行く絶対。


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2019/04/12

桜吹雪と八重桜


数日前の近所、桜の小径。

シアトルはこのところ、雨と風がつづいて寒いです。きょうの気温は10度C以下。


でもあいかわらず木の花もチューリップも水仙も花盛りでご近所が超豪華絢爛。
こちらはりんご。



八重桜が咲き始めました。



     さくら花 幾春かけて老いゆかん 身に水流の音ひびくなり

という、馬場あき子さんの歌がとても好きです。

願わくは花の下にて、の西行さんもだけど、 桜の花をみると日本人は無常を感じてしまうのですね。


でも八重桜には無常というより、しぶとい根性を感じる。

なめとったらあかんでー。簡単にいかへんでー。的な。



やったるでー。みたいな。
何が始まるのか知りませんけど。そんな感じ。


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2019/04/10

自己標的バイアス


10代のころ、わたしにはチエコちゃん(仮名)という親友がおりました。

わたしよりも3歳くらい年下の家出少女だったチエコちゃんは、いつのまにかうちに転がりこんできて、いつのまにか同居人になってました。

チエコちゃんは暴走機関車のように有無を言わせないドライブを持つ少女で、いつも想定外のスピードでデタラメで魅惑的な方向にすっ飛んでいき、小心者のわたしは「ちょ、ちょっと、それはないんじゃない」とかいちおう言いながら内心ドキドキワクワクしてあとを追うフォロワーでした。

そのあといろいろあって会わない期間があり、それぞれ結婚して、わたしはハワイに引っ越して離婚して、しばらくぶりに子連れで帰国したときに連絡したら、チエコちゃんは前よりもきつくねじれてしまっていて、
「いつ会う?この日とこの日とこの日だったら大丈夫だけど」
という会話のあと、いきなりキレてわたしに絶交を言い渡したのでした。

「そんなことを言われてどんな気持ちになると思う?」

と切羽詰まった声で言われて、いったい自分が何をしてしまったのか、何が起こったのか、その時は全然わかりませんでした。

何年かたってから考えてみて(遅い)、ああ、あの子はしばらくぶりに日本に帰ってきた親友のはずのわたしが、全面的に彼女だけのために時間をあけてべったべたにつきあわなかったことに、とても深く傷ついてしまったんだなあ、ということがやっとわかったのでした。

もちろん、数週間の限られた滞在期間で用事をこなしたり親戚に会ったり親と一緒に旅行に行ったりほかの旧友にも会ったりもしたいというわたしの都合など、チエコちゃんにとってはまったく眼中になく。

「ともぞは自分にもっともっと会いたいと思ってくれない > ともぞは自分なんかどうでもいいと思っている」
という方向に、きっと心のすべてがフォーカスされてしまっていたのだろうと思います。

その後もまた連絡を取り直したのだけど、よく似た状況でまた彼女を爆発させてしまい、わたしも自分の生活と子育てでいっぱいいっぱいだったので、そのあとはもうどちらからも連絡を取ることはありませんでした。

一時は姉妹みたいに四六時中一緒にいたのに、今は彼女がどこかで元気に生きているのかどうかも、まったくわかりません。幸せでいてくれるといいなと思う。本当に。



このあいだ、あるエッセイを読んでいて「自己愛性パーソナリティ障害」というのにいきあたり、はっこれだ、と30年以上前のチエコとわたしがよみがえってきたのでした。

ウィキペディアにあったこんな引用が目をひきました。

(ここから引用)
プライドの高い人”とは、一般に自己評価の低い人である。だから、他人からの評価によって傷つくのである。逆にいえば、他人からの評価によって揺らぐような低い自己評価所持者が「プライドの高い人」と周囲から認識されることになる。
(ここまで)

うんうんうん。そうね。そうだと思う。そうだったそうだった。

出典は中井久夫著『世に棲む患者』 筑摩書房、2011年。これ読んでみたい。

パーソナリティ障害までいかずとも、相手が本当にどう思っているかにかかわらず、(たいていの場合、相手は自分のことなどほとんど気にもとめていないのに) 「あの人はこう思ってるに違いない」と思い込む傾向を「自己標的バイアス」というそうですが、これってたぶん、程度の差はあっても誰でもやってることだと思う。

このあいだ、ほんのちょっとしたことから、ある人に「あなたは人をコントロールしようとしている」みたいなことを言われて超おどろいた事件がありました。

その人は知的でコミュニケーション能力もすごく高いし、社会的にもわたしよりずっと立派な地位を得ている立派な人なんだけど、ちょっとしたわたしの言動を自分への攻撃であるかのように感じてしまったらしく、えらく激昂してしまったのです。

自分のちょっとした動作に対して「えっまじでそんなこと1ミクロンも思ってないんですけど?」というような解釈をされて、本気でおどろきました。

なんだこれ、ものすごく久しぶりだという感じがして、思い出したのがチエコ(仮名)。

こんなにちゃんとした人でも、こんなにも情緒不安定なところがあるんだ!というのにもびっくりでしたが、そこそこ社会的地位が高いからこそプライドが高くて傷つきやすい人も多いのかもしれない。



たいていの人はそうだと思うけど、知らないあいだに、相手に、そして世界に、自分のことをこう見てこう反応してほしいということを、漠然と期待しているんですよね。

そしてその自分の期待に気づいてないことが多い。

わたしもよく、クライアントさんにメールを送ったのにすぐに連絡がないと、自分が何か仕出かして怒らせたのかな、と心配になったり、息子に頼んだことをすぐにしてくれないと、バカにしてんのかコラ!と腹をたてたりします。

でも単にクライアントさんは忙しくてテンパってるだけで、息子は単に誰かに似てズボラで忘れっぽいだけだったりするのです。

それを、どんなに忙しくても一行返信しないなんて馬鹿にしてる!とか、頼んだことを3秒で忘れるなんて私を尊重していないからだ!なんて考えはじめると、これが地獄への第一歩なんですよね。

その先にあるのはチエコ症候群。

人の反応に期待するのを止めるだけで、世界はけっこうシンプルで暮らしやすくなるんだけどな。

多分いまでも私に腹を立てているチエコにもそれを知らせてあげたいと思うんだけど、それはきっと私の仕事じゃないんでしょう。


腹立てるだけ損なんだよチエコ! 


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2019/04/08

大広間を見逃し牢獄へ <ヴェネツィア思い出し日記 その9>


ヴェネツィア日記のさいご。

何世紀もの間、歴代ドージェさんが住み、政治がおこなわれていたドゥカーレ宮殿です。

もう午後も遅くなっていたので中を急ぎ足で見ました。(そして急ぎ足すぎた。)

午後の光が本当にキレイ。本当にエレガントな建てものですよねえ。

「ヴェネツィアのゴシック建築の代表作」と、建築鑑賞のクラスでならった。
北の国のゴシック建築とはだいぶ違って、東洋的な雰囲気を持つ繊細な建てもの。

ヴェネツィアの建てものはとにかく、軽くて華やか。
海と運河の反射する光が、軽やかな感じをより強調しています。
この細ーい優雅なアーチは、運河があればこそのデザインなんですね。 


仮装する人と観光客でごったがえすサン・マルコ広場から中へ一歩入ると、静かな中庭。

歴代のドージェが自分の代に次々に建てましをしていき、どんどん大きくなったという宮殿です。
絶大な権力を持っていたとはいえ選挙で選ばれた頭目なので、家族も一緒にこの宮殿に住まなければならない、公式書簡を誰も見ていないところで開封してはいけない、などの制約があったそうです。



両脇に裸像をひかえた階段。


外国の使節も、どんなに偉い人も、ローマ教皇でさえも、ドージェはこの階段の上で迎えたそうです。決して下まで降りて迎えなかったのだと…。

ぐぬぬ、と思った教皇も多かったのではないだろうか。


美術館の中にはオリジナルの建築材もいろいろ。



なんかどっかで見たような感じの人。

こういう奇妙な人たちが柱頭のなかにたくさん隠れている。


 宮殿内の「黄金階段」。

わたくし、いままでヴェルサーチとかドルチェ&ガッバーナとかのセンスがどうしても理解できなかったのですが、ヴェネツィアに行ってみて初めて納得できました。

これがオリジナルなんだー!
とにかく過剰で華麗でハデ。スキマなし。

これがのちにバロックになりロココに発展していくのかな。その時代のことはほんとによく知らないけど、なんというかこの、富のもたらす迫力、まったく忖度のない、百パーセント強気な世界観、すごい。

他の場所を抑えつけて勝ってる都市とか権力者にしかない陶酔感。

ベルサイユ宮殿とかは実際に行ったことないので本当のところはわかりませんが、ロココの時代はもっと停滞・発酵してる感じがする。でもこのヴェネツィアには東西が混ざり合って商人がいりまじって富が集中して、というルネッサンスの時代のドライブ感みたいなものが化石になって残ってる気がしました。

ちゃんとガイドブック読んでなかったのが悪いんだけど、宮殿内は順路がよくわからなくて、迷いました。あまり親切な地図とかがないのです。完全に自分のせいなんだけど。

あれ?ここは来てなかったよね?と狭い階段を降りていくと、いつのまにか牢獄に出ていました。

ガイドブック半分しか読んでいなかったので、牢獄があることさえ知らなかった。
だからかなり衝撃でした。

牢獄はほかの場所とは温度がぜんぜん違います。

石の壁がムキダシで、ひゃーっ!となるほど寒い。
骨身に切り込んでくる冷たさで、ぞっとしました。

気味が悪くて、あえて写真も撮りませんでした。

夏は地獄のように暑く、冬は死ぬほど寒い構造なのだそうで。

あのハデで絢爛豪華な宮殿のすぐ下にこの牢屋があるというのがなんともいえない。
華麗な宮殿のはらわたを見てしまった気がしました。

というわけで、宮殿内で一番印象強かったのが思いがけず出くわしたこの牢獄でした。

そして帰ってきてからガイドブックを読んだら、ドゥカーレ宮殿にはティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼの絵画がいっぱい飾ってあるよと……え?

うっかり、肝心の大広間、謁見の間などをするっと華麗にスルーしてしまったらしい。
ああああああ。

わたくし、宮殿中で一番華麗な部分を見ずに帰ってきてしまったようです。

そのかわりにドージェの住居の中でカナレット展をやっていて、カナレットの描いたヴェネツィアの図はいっぱい見ました。


景観が18世紀に描かれたまんま全く変わってないって、ともかくすごいことだ。


対岸の聖堂も行ってみたかったけれど。今回は本島だけで、ほかの島に行く時間はありませんでした。
でも本当にこの景色を見られただけで幸せ。


いつかまた行く機会があれば、今度は宮殿の謁見の間をちゃんと見てきたいです(w。


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